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2006年10月 4日 (水)

俳諧師・窪田薫追悼

きょうは、俳諧の連歌こと連句とは何かを私に初めてご伝授下さった札幌の俳諧師・窪田薫師(俳諧寺芭蕉舎宗匠)の八回目の命日です。窪田先生は、連句の裾野を広げるために、私財をなげうちさまざまな著書を出され、また日々全国を小鳥のように飛び回る郵便連句文音(ぶんいん)に、その生涯後半の情熱のすべてを傾けられました。数学や地質学・化石の研究、ドイツ語などの学者でありながら、そのなされた仕事の最大の功績は、連句を通じて芭蕉を伝え、芭蕉のなしたほんとの意味を現代の、「俳句」と正岡子規が名づけた狭義の俳諧しか知らぬ狭量な俳人たちに伝える仕事ーつまり本当の俳諧から切れてしまっていた私たちに、生き生きとした俳諧精神を吹き込んでくださったことです。まだまだ彼の業績は、全体像がつかめません。今後も彼のなした仕事は、称えられこそすれ、色褪せることはありません。連句協会登録連句人の多くが、一度はかれの文音に名を列ねたことがあったはずなのに、その大樹の木陰に身を休めたことがあったはずなのに、現在彼が忘れ去られたかのような日をおくるのは、かつての愛弟子としてさびしいかぎりです。窪田師に初めて出合った、『俳句ざうるす』(野間幸恵編集発行の月刊俳句同人誌)に書いたはずの窪田薫に関する文章を、さがしましたが、見つからず、しかし、連句協会報に連句誌「れぎおん」の前田圭衛子編集長のご依頼で書かせていただいた拙いながらもまっすぐ書いた文章が出てきました。それを引用させていただき、窪田先生をしのびたいとおもいます。  

「連句協会会報」 第112号 
            (平成12年2月1日発行)より転載させて頂きます。  

 俳諧師・窪田薫追悼

     「バナナの如き温故かな」

                     姫野恭子

 窪田薫師が亡くなられた、と知ったのは、十月四日から優に二十日も過ぎていた。その朝机周りを整理していると、窪田師からの手紙がハラリと落ちてきて、その中から連句誌「れぎおん」(編集発行・前田圭衛子)の紹介文が出てきた。旧漢字・旧仮名遣いの薫師自身が書かれた文章であった。懐かしくて床に座り込んだまま、何度も読んだ。亜の会前田圭衛子氏の電話で窪田師の死を知らされたのは、その日の昼のことだった。

 窪田薫師なぞと言うと堅苦しい。以前呼んでたように、窪田サンと呼ぶことにしたい。窪田サンと初めて出会ったのは、『俳句ざうるす』(編集発行・野間幸恵)誌上で、平成六年のことだ。四十代俳人十人ほどの同人誌で窪田サンは異彩を放っていた。私はその年まで、連句のれの字も知らなかったのだ。これは何?この人は何の話をしているのだろう・・・。そんな謎でいっぱいになり、いろいろと手紙で質問しているうちに、窪田サンは次々にご自分の著書を送って下さった。一冊ずつ読んだ。破天荒に時折まじる純真さ。並行するように、楽しくも恐るべき連句文音が、次から次へと郵便で回ってくるようになる。ほぼ一週間に二便ほどの早いペースだったと記憶する。この文音から、私は非常に大きな示唆をいただいた。

 窪田薫の数ある著書の中でも『モーツァルトが俳諧を巻いたなら’91』はすぐれて霊的な本であった。アンソロジーとしても、予言の書としても、批評書としても読めた。おそらくこの本が、彼の最高傑作ではなかろうか。ここでは大勢の連衆が主役で、彼は黒子として控えている。だが、随所に窪田薫ならではの配慮が伺えた。ちゃらんぽらんしながら、彼はいつでも考えていたと思う。私が一番感化を受けたのも、そこなのだ。無心に遊ぶことの楽しさと、無心に遊ぶことの寂しさと。

 窪田サン。二年前、なぜあんなものを依頼してきたのですか。札幌市民文化賞の推薦状。あれには目の前が真っ暗になりました。兼好法師が、「人間四十までに死ぬのがよろしい。なぜならそれ以上生きれば欲ばかり出てくるからだ」と徒然草に書いていたのは、本当だったと暗澹たる思いに駆られました。馬鹿正直な私はあの時つい、狙うならノーベル文学賞だ!と、一喝しました。事実、窪田薫の成した仕事は、それだけの価値があったと思います。

 子どもみたいな純真さは、連句を世界中に広めるためにあったと思います。亡くなられたと知ったとき、この二年の不義理を悔やみもしましたが、今は嬉しいのです。窪田先生があの世でせっせと文音を巻いておられる姿が浮んでくるからです。

 この秋福岡博物館にポーランドから浮世絵が里帰りしたのを見てきました。これはまさに「見る俳諧」でした。無数の橋脚を持つ俳諧は、人類がはるけき時空へと架け渡す偉大な虹色の橋です。

  一本のバナナの如き温故かな    窪田 薫

                               合掌

俳諧師:窪田 薫(札幌在住の数学者、化石学者、独語学者)
     平成十一年十月四日 歿 

 獅子 冠字  『普段着で』  
           作品番号 k-96-15

                            窪田 薫 捌

普段着でふらり甘縄初詣(はつまうで) 窪田 薫
  團地サイズの初夢の中   野間 幸恵
行儀よく未墾の畠追ひ求め   姫野 恭子
 電信柱に頭ぶつけた     阿部 みち子

風船は手もとを抜けて川の上      三栗 健
  ランチメニューに木の芽和へ有り  前田 亜弥
龍眼の菓子楊貴妃に花の散る     小出 きよみ
  あっといふ間に過ぎし千年      宮下 太郎

先づ一杯うまいお酒を夏の膳      中野 嘉弘
  なほも馳走は目に青葉なり      永田 圭介
我儘と思ふが御簾は揚げたまま    河村 まさあき
  激しき戀は荒き瀬のごと       平吹 史子

つんのめる姿で歌へ天城越え        恭子
  待てど暮らせど忍びよる秋      澁谷 道
海底(うなぞこ)に月の屍があるといふ   別所真紀子
  出ました鯊が法螺を出任せ       窪田 薫 

註:獅子は四句×四連の短い形式。ソネット風。
  冠字(かむりじ)とは一句の頭韻(句の出だしの音)に発句の中の音を順にのっける詩型。
  頭韻を上から順によめば、発句になる、一種のしりとり(あたまとり)。

  平成八年元旦起首 六月四日満尾 文音
 『郵便的、薫風連句年鑑98・99  薫槐』 第三号所収
                                     

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