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2006年10月26日 (木)

太陽の洞窟

    太陽の洞窟 

              柳川   西野 いりひ

 象は
  動物園の一角にいる毎日がたいくつでした

 象は
 ずっとずっと西の国の
 暑くて何もない原っぱで生まれたのです
 なにもない それがどんなに幸福だったか

 象は
 西のビルの稜線にしずむお日さまを見ては
  だれもいないときに しくしく泣きました

 ああ 太陽の洞窟が あそこにはある
 あの穴に還りたい  わたしが生まれた処
 そして再び  わたしが生まれる処へ

 象はもう  これ以上
 大きくならなくてもよいとおもったのです

西日本読者文芸詩欄 1999年8月

選評) 動物園の象が、生まれ育った草原に帰りたいと望郷の涙を流すーというのは象を対象とした詩でよく見るとらえ方だ。しかし沈む太陽は太陽の洞窟に帰る、その穴に行きたい、というのは、思いがけない見方で、そこにポエジーが生まれた。(川崎洋)

柳川  西野 いりひ のうた  河野 裕子選

 大型化なりし圃場に初めての
   水が張られて月一個落つ     1998年8月

 しゃがみこみしばし見惚るる撥捌き
        次第しだいに連打疾(と)くなる  同年9月

 「なるほどね気合を入れて叩いたね」
     建具師は娘のドアを見積もる  1999年5月

 杉桧小歯朶篠竹沢塞(すずたけ さわふたぎ)
     たぐりよせをり母の里にて    同年6月

 翌朝になると螢は死にてをり
           『ユルスナールの靴』の隣で   同年7月 

筆名(地名まで偽っていたのであきれられたのかも)を禁じられて、以後西野いりひは存在しなくなる。しかし、柳川という地名、そしてこの筆名にはいまも愛着がある。ことだまそのものであるとおもうからだ。(このきもち、連句人ならわかるよね。自分以外の人になりたかった。)

 柳川へ抜ける道すぢ水田(みつた)から三瀦(みづま)
           まるごと水明りして      2000年8月
        

このころ夫は柳川支社に勤務していた。ある事情で毎日朝夕を私が夫の運転手であった。柳川まで送り迎えをした、一年近くを。そのおかげで運転がとても上手になったし、柳川の地理に詳しくなった。夫にはそういう意味でとても感謝している。

どうも俳句だけでは満足できないなにかがあり、例年同じ時期に投稿あそびをしたくなるのだった、五月になると、ほぼ。投稿欄の選者の先生達の選考癖を見るのが楽しかったのもある。短歌の河野裕子先生は、世代が近いせいもあってか、娘の上の一首を出したときとても共感をもったコメントを付けてくださったことが嬉しくて、いまも大好きな歌人である。

  

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