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2006年10月28日 (土)

七竈

なにげなくつけたNHKの「俳句」で、鈴木智子という俳人がこんな句を出しておられた。

 七竈今年は今年の赤となる  鈴木智子

自句自解は、「毎年ななかまどはおなじ赤い実をつけるんですけど、ことしは母の死があったりしたものですから。そういう目でみますと、同じ赤でもなにかことさらなものがあります」。

私もななかまどには、にがい思い出がある。

私にはちゃんとした句会をやった経験があまりない。十年前くらいに八女句会と仮に名づけている句会(今も樹に投句している)を起こしたときも、なりゆきで自然に発生したものだ。なんか生きるのが苦しかったから、とりあえず、うんうん苦しがっているより、みんなでなんか作ろうよ。・・と言ってつべこべいわせず、俳句を作ってもらったのが始まりだった。どうせやるなら、俳号をかっちりつけてやるべな、というノリであった。

一度は瀧春樹主宰と鍬塚聰子先生に来ていただいて句会指導をしていただいたけれど、選句をして順位をつけて・・批評をするということを私はしたくなかった。俳句はどこまでも「自得」の文芸だと思っていたし、いまもそう思う。だれが上手とか下手とかいって一喜一憂したくはなかった。競争社会がきつくてドロップアウトしたものに、そのやりかたはないだろうと思ったし、おなじ地に住む同志と競いあいたくない、というのが正直なきもちであった。

それがよかったとはおもわない。故穴井太先生(俳句での最初の師)は、いつも返信に「句会出席が俳句上達への最短距離です」と書かれていた。切磋琢磨を恐れるな。そう先生はおっしゃりたかったのだろうと今になっておもう。

そんなわけで、句会を知らず、季語を知らず、常識を知らず、人を知らずいたのだが、「樹」を通じて縁があり、名古屋の原しょう子さんの「禁猟区」という同人誌に入れてもらった。野間幸恵さんの「俳句ざうるす」のように少人数の俳句誌で、原しょう子さんが編集発行なさっていた。ある年の冬、名古屋で新年句会(忘年会だったかも)をしようということになり、同人七名ほどが集まった。同人のなかには大分の貞永まことさんや吉賀三徳さんがおられた。西宮から連句の前田圭衛子先生もおいでになられた。句が出て、選句をする。だれの句だったか、私はななかまどの句を選句していた。選評のとき、なぜこの句をとったかと聞かれ、言葉に詰まってしまう。なぜならそのとき私は七竈を知らなかったからだ。実物を知らないのに、句をとってしまった。だから、うまく説明ができず、しどろもどろになったのを覚えている。赤くなった気がする。今でもはずかしい。

七竈は東北に多い樹で、秋に赤い実がびっしりとつく。その後、東北に一人旅行したとき、夏だったので実はついていなかったけど、たくさんの街路樹としての七竈を見てきた。おおぶりの樹ではない。ひょろりとした樹である。人様にさしあげた歳時記には、名前の由来として七回竈にくべても無くならないほど、じょうぶな樹だと書かれていたように記憶するが・・。(枇杷の樹も材質がとても丈夫で、ふりまわす木刀としては最高だと山のガキ大将が言っていたけど、それとは違う丈夫さなんだろうか。要確認。)

 紅(くれない)を脱ぎ散らかしてななかまど   澄 たから
                                (「樹」11月号より)

いまでも忘れない、上妻小学校四年生だったころ、一年間だけの恩師、尊敬する佐藤ミヨカ先生のおことばに、「知らないことを知らないといえる人でありなさい」というのがあります。私は、いまも実物の七竈の実を知りません。ななかまどを俳句で見かけると、名古屋での遠い雪の日の句会と、羞恥が思い出され、いつでも初心に立ち返る自分がいます。

ななかまど:七度竈にくべても燃えないくらい、火がつきにくい。・・と今調べたら書かれていました。http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/nanakamado.html

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