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2006年10月31日 (火)

孝のはじめ

「身体髪膚(はっぷ)之を父母に受く。
敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」

中国古典『孝経』の言葉で、孝行とはまず親に頂いた体を傷つけないことだそうです。

では、孝行の最後はなんでしょう。

「身を立て、名を揚げ、やよ励めよ」・・だそうです、意訳すれば。

なんだか、毎日毎日テレビで頭を下げておられる校長先生(みんなおなじ人にみえます)の姿をみていますと、身につまされる。いじめで死ぬ子達もかわいそうだけど、いじめる子達のこころの闇も身につまされる。なんだかうっかり声もあげられない窮屈な世の中になってきましたね。世の中全体がうつになるような、そんなかんじがします。こどもたちが元気じゃない国は、どこかゆがんでいます。

記憶の中に、往復びんたで豪快に教室の端から端までを往復していた先生がいた。戦争帰りの先生だった。軍隊の記憶をひきずってらしたんだなあって今は思えるけど、ね。怖かった。だれも、それをとがめなかった。そういう時代だった。先生のそういうところはきらいだったけど、子供心に、真剣に絵心を教えてくださったのが伝わり、忘れられぬ恩師である。私が絵を好きなのは、この先生のおかげだ。早くに亡くなられてしまったけど、いまも時に思い出す、懐かしい先生である。気迫が、ぜんぜん、今の人たちとは、違っていた。

思い出せば、小学校のときの先生は、みなきちんと記憶に残っている。一年生のときの平島寿美江先生には、国語を教えていただいた。文章を読み、ふかく考えることを教えていただいた。それに、初めて、この国には鼻濁音という音があって、じつに気色悪い音をだすということも(わたしがそう感じただけですが)。三年生のときの椿原先生はハンサムな先生だったけど、ひいきをなさるからあまり好きじゃなかった。子ども心にも、偏りを感じさせる先生だったし、なんというかエッチなかんじがしたんだよ。そういう感じ、幼くてもわかるのね。ラッキーなことに一年で代わられて、四年生のときは佐藤ミヨカ先生、とても公平な先生だった。そして五六年で小川尚好先生だったんだけど、絵の指導がとてもうまくて、私は先生の指導により描いた絵で、大きな賞をいただいたことを今も誇りに思っている。父母が納屋の中で筵を織っている姿を写生した絵であった。ああ、あの絵は処分されたのだろうなあ。残っていれば、見てみたいし、大事にしたいけど。

夏の終わりごろに「サンダルとトランペット」を書いたとき、通りすがりの女性から、きついご意見をいただいたが、あのときはそれに答えることができなかった。でも、今ならこたえることができる。何度生まれ変わっても、きっと同じようにするだろうと。それが私だから。このきもちにたどり着くのに、十五年かかった。

ラストクォーター

あさの父母の会話ー
母「ほら、まるまるしゃんはしんぞうにヘルスメーターば入れとらっしゃるじゃんね」
父「あーそうじゃったのう。そげんそげん」
別によかばってん。(心臓に体重計入れたら死ぬよねふつう)

きのう「下弦の月」という映画を見た感想を書こうとして、題を英語で書こうとしたら、つづりをわすれていた。quarterがquwaterになってね。the last quarter moon、下弦の月。関係ないけど、日本語で「わた」っていうじゃろ、わたつみのわた。海のことだけど。ヘレン・ケラーが初めてコトバを実感を伴って発するのが、「ぅわた」だったよね・・water.

19年に一度、同じ日の同じ位置に同じ下弦の月がかかるんだそうです。成宮寛貴が出るから見た映画なんだったけど、ふしぎな味わいの映画だった。そうそうラルク庵シェルのハイドって子が出てて、とても歌がよい。・・この年でそげんミーハーなこた、どげんでんよかとばってんね。暦的に興味があった。この19年周期の月の動きを中国語では「章」と呼ぶと鏡リュウジが解説しており、「へえ」と思って。章って文章の章だし、弟の名にもこの字が入っているから気になるとです。http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/umriss/umriss26.html
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/ascalcmeton.htm
(ついでに、七夕起源:http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/tn00.htm

時の流れは非情であり、公平です。
「わだつみのいろこの宮」は青木繁の描いた浪漫の香りあふれる名画だけど、当時の画壇は歯牙にもひっかけなかったんですよね。落選している。でもいまや、高邁な哲人画家として今なお自称弟子たちの尊崇をあつめてやまぬ坂本繁二郎より、ずっと画家としての人気は高い。それは皮肉なことに、ほかの誰より、坂本繁二郎自身が知っていたことだ。才能は、本物がわかる人にしかわからないんだね。

2006年10月28日 (土)

七竈

なにげなくつけたNHKの「俳句」で、鈴木智子という俳人がこんな句を出しておられた。

 七竈今年は今年の赤となる  鈴木智子

自句自解は、「毎年ななかまどはおなじ赤い実をつけるんですけど、ことしは母の死があったりしたものですから。そういう目でみますと、同じ赤でもなにかことさらなものがあります」。

私もななかまどには、にがい思い出がある。

私にはちゃんとした句会をやった経験があまりない。十年前くらいに八女句会と仮に名づけている句会(今も樹に投句している)を起こしたときも、なりゆきで自然に発生したものだ。なんか生きるのが苦しかったから、とりあえず、うんうん苦しがっているより、みんなでなんか作ろうよ。・・と言ってつべこべいわせず、俳句を作ってもらったのが始まりだった。どうせやるなら、俳号をかっちりつけてやるべな、というノリであった。

一度は瀧春樹主宰と鍬塚聰子先生に来ていただいて句会指導をしていただいたけれど、選句をして順位をつけて・・批評をするということを私はしたくなかった。俳句はどこまでも「自得」の文芸だと思っていたし、いまもそう思う。だれが上手とか下手とかいって一喜一憂したくはなかった。競争社会がきつくてドロップアウトしたものに、そのやりかたはないだろうと思ったし、おなじ地に住む同志と競いあいたくない、というのが正直なきもちであった。

それがよかったとはおもわない。故穴井太先生(俳句での最初の師)は、いつも返信に「句会出席が俳句上達への最短距離です」と書かれていた。切磋琢磨を恐れるな。そう先生はおっしゃりたかったのだろうと今になっておもう。

そんなわけで、句会を知らず、季語を知らず、常識を知らず、人を知らずいたのだが、「樹」を通じて縁があり、名古屋の原しょう子さんの「禁猟区」という同人誌に入れてもらった。野間幸恵さんの「俳句ざうるす」のように少人数の俳句誌で、原しょう子さんが編集発行なさっていた。ある年の冬、名古屋で新年句会(忘年会だったかも)をしようということになり、同人七名ほどが集まった。同人のなかには大分の貞永まことさんや吉賀三徳さんがおられた。西宮から連句の前田圭衛子先生もおいでになられた。句が出て、選句をする。だれの句だったか、私はななかまどの句を選句していた。選評のとき、なぜこの句をとったかと聞かれ、言葉に詰まってしまう。なぜならそのとき私は七竈を知らなかったからだ。実物を知らないのに、句をとってしまった。だから、うまく説明ができず、しどろもどろになったのを覚えている。赤くなった気がする。今でもはずかしい。

七竈は東北に多い樹で、秋に赤い実がびっしりとつく。その後、東北に一人旅行したとき、夏だったので実はついていなかったけど、たくさんの街路樹としての七竈を見てきた。おおぶりの樹ではない。ひょろりとした樹である。人様にさしあげた歳時記には、名前の由来として七回竈にくべても無くならないほど、じょうぶな樹だと書かれていたように記憶するが・・。(枇杷の樹も材質がとても丈夫で、ふりまわす木刀としては最高だと山のガキ大将が言っていたけど、それとは違う丈夫さなんだろうか。要確認。)

 紅(くれない)を脱ぎ散らかしてななかまど   澄 たから
                                (「樹」11月号より)

いまでも忘れない、上妻小学校四年生だったころ、一年間だけの恩師、尊敬する佐藤ミヨカ先生のおことばに、「知らないことを知らないといえる人でありなさい」というのがあります。私は、いまも実物の七竈の実を知りません。ななかまどを俳句で見かけると、名古屋での遠い雪の日の句会と、羞恥が思い出され、いつでも初心に立ち返る自分がいます。

ななかまど:七度竈にくべても燃えないくらい、火がつきにくい。・・と今調べたら書かれていました。http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/nanakamado.html

2006年10月27日 (金)

(愛の)献血をした。

きのう、村のせまい通りで離合した車がスピーカーで宣伝していたのを聞いて、朝、献血をしてきた。400ccのせんけつのけんけつです。

これまでに献血の経験は、独身時代に一度だけ。二年前の夏は、血沈がパスしなくて出来なかった。しかーし。
きょうは、できた。満面に笑み。ふぉふぉふぉ。
献血バスいりぐちに「けんけつ」というネーム入りの犬風ぬいぐるみがあった。あれをくれんじゃろうかなあ・・・とおもったけど、くれなかった。

ジュースを二本。はみがきはぶらしセット(大)。特別付録として、ティッシュ一箱。が授与されると、太針刺し失敗のいたみも忘れてかろやかに帰宅の途に就いた。

ヨガのおかげで、体重が二キロ減っていた。更年期障害の婦人科通いから解放され、献血ができた。まだ三ヶ月たっていないのに、すごくない。カラダをめぐる気のながれがかわった。ゆたああっとしてきました。とてもうれしいです。

2006年10月26日 (木)

太陽の洞窟

    太陽の洞窟 

              柳川   西野 いりひ

 象は
  動物園の一角にいる毎日がたいくつでした

 象は
 ずっとずっと西の国の
 暑くて何もない原っぱで生まれたのです
 なにもない それがどんなに幸福だったか

 象は
 西のビルの稜線にしずむお日さまを見ては
  だれもいないときに しくしく泣きました

 ああ 太陽の洞窟が あそこにはある
 あの穴に還りたい  わたしが生まれた処
 そして再び  わたしが生まれる処へ

 象はもう  これ以上
 大きくならなくてもよいとおもったのです

西日本読者文芸詩欄 1999年8月

選評) 動物園の象が、生まれ育った草原に帰りたいと望郷の涙を流すーというのは象を対象とした詩でよく見るとらえ方だ。しかし沈む太陽は太陽の洞窟に帰る、その穴に行きたい、というのは、思いがけない見方で、そこにポエジーが生まれた。(川崎洋)

柳川  西野 いりひ のうた  河野 裕子選

 大型化なりし圃場に初めての
   水が張られて月一個落つ     1998年8月

 しゃがみこみしばし見惚るる撥捌き
        次第しだいに連打疾(と)くなる  同年9月

 「なるほどね気合を入れて叩いたね」
     建具師は娘のドアを見積もる  1999年5月

 杉桧小歯朶篠竹沢塞(すずたけ さわふたぎ)
     たぐりよせをり母の里にて    同年6月

 翌朝になると螢は死にてをり
           『ユルスナールの靴』の隣で   同年7月 

筆名(地名まで偽っていたのであきれられたのかも)を禁じられて、以後西野いりひは存在しなくなる。しかし、柳川という地名、そしてこの筆名にはいまも愛着がある。ことだまそのものであるとおもうからだ。(このきもち、連句人ならわかるよね。自分以外の人になりたかった。)

 柳川へ抜ける道すぢ水田(みつた)から三瀦(みづま)
           まるごと水明りして      2000年8月
        

このころ夫は柳川支社に勤務していた。ある事情で毎日朝夕を私が夫の運転手であった。柳川まで送り迎えをした、一年近くを。そのおかげで運転がとても上手になったし、柳川の地理に詳しくなった。夫にはそういう意味でとても感謝している。

どうも俳句だけでは満足できないなにかがあり、例年同じ時期に投稿あそびをしたくなるのだった、五月になると、ほぼ。投稿欄の選者の先生達の選考癖を見るのが楽しかったのもある。短歌の河野裕子先生は、世代が近いせいもあってか、娘の上の一首を出したときとても共感をもったコメントを付けてくださったことが嬉しくて、いまも大好きな歌人である。

  

川三景

川三景

佐賀県千代田町を流れる、有明海へと注ぐ筑後川の支流の一つ。川の名を知らない。一番下の田の川が流れ込むのである。

川三景

見るとすぐ気づくのが、水の通り道のぐるりには砂が積まれている。どこまでもこの砂が続いていて、有明海の日本一の潮位の差(干満差最大六メートル)を容易に思わせる景である。海の砂がこんな内陸部まで運ばれるほどの干満差。有明海とはよく名づけたものだなあと、古代の人に感動する。(追記: 昨夜NHKのダーウィンが来たを見ていたら、有明海のムツゴロウの生態をカメラで追っていた。そのなかで、干潟の泥土はものすごく粒子が細かいこと、どこからもたらされたかといえば、筑後川などの川によって阿蘇山のヨナ=火山灰が運ばれたことを言っていた。そうなのか。)

川三景

いまふっと思い出したが、若いころ、筑後川水系事務所というところでバイトをしたことがあった。空港警備のボディチェックが続かず一年ちょっとで辞めて、次の心療内科の受付医療事務に就くまでの期間であった。筑後川水系に頼るたんぼの図面引きの仕事である。そのころはぜんぜんこういうことには関心も興味もなかったなあ。半年は勤めた。いまはどんな仕事をしているだろう。きっと川の護岸工事も、自然保護の視点が加わって、よりややこしくなっているのだろうか。うちの裏の川、ひょっとしたら、この川に合流していないかなあ。どのみち、有明海に出るのだから、同じよね。

ことしも、採り入れが終り、藁の残る刈田から父母は藁を束ねて軽トラで運んできました。いろんな用途があり、とても大切な資材です。コンバインで収穫した田にはぐちゃぐちゃと散らばって藁があるわけですが、それを有明海漁連の海苔養殖組合から、絶対に川に流してくれるなときついお達しが出ており、コンバインを操縦する人は、あとでトラクターで縦横に走って、藁を田に鋤きこんでいました。八女は台風被害での米の作況はさほどひどくはなかったのですが、佐賀は塩害で(波をかぶったらしく)平年の一、二割しか獲れないそうです。

2006年10月24日 (火)

校正

連句誌れぎおんの前田圭衛子氏をすごいなあと感じるのは、連句の捌としてのみならず、れぎおん一誌分の原稿打ち込みを、全てご自身のワープロで独りでやっておられることだ。しかーも!のっとおんりーばっとおーるそう,それだけでも大儀なことなのに、校正をきちんとなさる。スジをきっちり通される。なまなかな美学ではない。

管見ではあるが、ああいう風にきっちり自分の入力した原稿を再び作者に送って、著者校正を求められる編集者は、業界広しと言えどもれぎおんの前田さんだけである。それだけ同人誌の世界は忙しく余裕がない。

このごろわかってきたが、みんなとても忙しくて、人のものをじっくり味わって読んでいるヒマ人なんてないに等しい。本は大量に出る。でも関係者以外読んでいない。知名の人には本が各方面からどどどどっと送られ、ぬえの如き悲鳴があがる。それをこのどいなかの八女の地で垣間聞くにつけ、しみじみ無名である幸せをおもう。好きな時に読みたい本を借りてきてあるいは買ってきて、好きなように読める幸せは、夫にもこどもにもおやにもあいじん(いないけど)にもおかね(ないけど)にも、何ものにも代えがたい。

俳句の超結社誌・「九州俳句」誌の中村重義編集長が去年体調を崩されたことでも分かるが、一誌を抱えるということがいかに大変な労力気力を強いられるか。原稿を遅らかして侘びの電話を入れた時、中村編集長から「一日も気を抜けないのですよ」という愚痴を一度だけお伺いしたことがある。事務的な気力労力が予想外に要るらしい。会費の入金で払った払わないと記憶があやふやな人があり、とても困るのです、と。そういうトラブル処理にも奔走しなければならない。加えてあちこちから本が毎日のようにどさっどさっと送られてくる。読もうかという気になるどころか、パニックにならないほうがどうかしている。よほど神経が太くなければ、編集の仕事は務まらないんだなと思ったことだった。

ということはだ。やはりわたしのようなにんげんは、ひとの役にもたたないことだし、夫もこどもも完全に自立しそうだし、おやもまだ持ちこたえてくれているし、時間があるということ、それだけがひたすら今はありがたく、本をすきなようによませてもらおうとおもいます。

で最後に、私は誤植があっても腹がたたない。自分が誤植のような人間だからかもしれない。

野間幸恵の句にあるんです。名句です。

 水の壁裸で眠る誤字だろう  幸恵

※ ぬえ http://www.asahi-net.or.jp/~ft1t-ocai/jgk/Jgk/Public/Other/Ten/monster/monster-12.html

2006年10月23日 (月)

天真実句集『光』

片付け物をしていたら、バインダーに挟まれた西日本新聞の俳句月評が出てきて、今は亡き城門次人先生が書かれた、天真実句集『光』の紹介文が載っていた。平成12年10月の月評。

 すいか食う私の腹もすいかなり   天 真実
        (句集・光・八女句会手造り)
 経本にならって作られた和綴じ本の中に、よく似合う一句ではないか。邪気のない無心そのものの作者十七歳がかがやいている。句は、「樹」四年足らずの作品と連句少々。(城門次人)

パソコン机の横の書架にいつも置いている『光』を、ひさしぶりに手にとる。まことくんが句稿を持って我が家にうれしそうにやってきたときの表情が、いまも目に鮮やかによみがえる。天真実という輝ける俳号も、その作品も、天の光に充ちていた。あのころの彼は、一つの奇跡であった。いくつか凡人には書けぬ句がある。ご紹介したい。

 冬の句

 初夢や笑い話で肘枕
 元旦や弟さわぐカルタとり
  先輩の最後を飾るユニフォーム
 堤にて公魚つりし夜明け前
 初氷夢見る想い通り道

 春の句

 折鶴が羽ばたいて行く春の空
  散る桜岡城登りて里思う
 春の鳥祖母のかたみの古タンス
 学校へ戻る日泣いたあまがえる
 春の雪流す雨なり人に愛

 夏の句

 赤い糸負けずに引けよ兜虫
 落雷や仏は驚く我走る
  豊後よりはじまる緑夏の色
 夏初やぶれホースに水しぶき
 夏の風高原なびく空の下
 夕焼けや写真に撮す人の影
 校庭の暑さを受けて演劇部
  ビリヤード父と男の汗流す
  片思い電話かかりて紅の花
 夕立や期末試験もあと一日
 夏草や踏んで踏まれてなお生きる
 海の底今なお呻くさとうきび  (沖縄修学旅行)

  秋の句

 すいとんの匂いただよう寮の秋
 秋深し詩吟聞こえし岡城址
   夕月夜影を残してカメラマン  (貞永まこと氏)
 行く秋に思い出いっぱい空青し
  口笛の悲しき音色秋の宵

  連句

 歌仙『花嵐』の巻き    
首  平成十二年四月二十一日 尾 六月二十八日
         連衆 八女句会   捌  姫野 恭子

 嬰児(みどりご)のバイバイ棚田の風光る  瀧 春樹
      ぽつんと残るげんげんの束         姫野恭子
 浅蜊貝ネコの皿にも入れられて        横山 晶
   帛紗(ふくさ)さばきの見事なること    天野おとめ
 しんしんと月の言葉が降りつもり        山下整子
   風の深きに柿熟したる           沢 都
ウラ
 おくんちの爆竹に火を点ける時        おとめ
       ネイルアートに描く渦巻き         おとめ
 囲われの身と嘆きつつ屏風岩          晶
    隣はいつも空っぽのまま         都
 レジュメには宝の位置が書かれてた    整子
   ウージの森でシーサー踊る        天 真実
  夜神楽を両手広げて抱く月          おとめ
       洗濯物を凍らせるとは          晶
  休息日介護ロボット夢に見て        小梅わこ
   川の向うのIC 工場            整子
  花嵐どの木箱にも蓋がない         春樹
       ただ暖かな雨の匂える         恭子
 ナオ
 遠足の列に野良犬伴走し         整子
      置いてけぼりの前衛の旗      おとめ
 ジャグラーが彩なす円に水しぶき    晶
      さっと眦染まるまぶしさ         恭子
 「待っててねここであしたも待っててね」  わこ
   空中楼閣 真夏の花火         整子
 どこまでも果てなく続く雲の峰      晶
    荷物かつぎて行商の婆        おとめ
 生きてればきっと漁師になっていた   恭子
   勲章ひとつ永久に讃えん        わこ
  あわもりはクースに限る九月尽     整子
  良夜の影は畳の上に         晶
    ナウ
 稲刈りの音かしましき田舎道       真実
   お山の猿も栗待ちかねつ       おとめ
 青い海ホームに見つけた祖父と祖母   わこ
   まずは一服長いキセルで        都
 褪せもせずあの時の花いま散りぬ     晶
   汝が顔(かんばせ)を埋め尽くす蝶    恭子

※ げんげん:蓮華草
  天 真実17歳 、小梅 わこ 16歳。 

 十八歳で第一句集「光」の上梓、まづは祝意を捧げます。
その想いを妙に屈折させずに結果として刊行してしまった勢いに脱帽です。
長いこと俳句まみれになっていると、知らぬ間に”俳句巧者”になり果て、予定調和の花園に落ち込みやすくなってくるものですが、この句集は揺れうごき、一瞬もじっとしていない少年の直情に彩られています。天真実の句を無条件に褒めたことは殆どありませんが、打算という掛け値の無い、真正面からの吐瀉に充ちている分だけ、明らかに甘く、こなれていない句と凄味あふれる句が、それぞれ浮き沈みしつつ漂流しているのが、「光」の正像と云えます。喘ぎ、模索する若々しい力量であるが故に、逆に自らに課題を突きつけてもいましょうが、出帆してしまった船は熱い眼差しで見送れば良いのです。

      2000年8月18日   貞永まこと

天 真実(てん まこと) 昭和57年9月11日生れ
  刊行時、大分の全寮制高校を卒業したばかりだった。
  瀧春樹「樹」に平成8年から15年まで在籍。
  俳句は中二くらいから始め、連句はこの年からだったと記憶する。
  八女市出身。母は天野おとめ。
  (天野おとめは現在、役所の教育相談員である。)

      
   

2006年10月22日 (日)

俳句誌『拓』15号

長崎の俳句誌『拓』十五号が届いた。

前川弘明(海程、九州俳句同人)が三年前に創刊した季刊俳句誌ということしか、今のところは知らない。十四号を夏にいただき、瀬川泰之「草の男」のよみを依頼され書き送っていたので、掲載誌が送られてきたのだった。

今回目を通して感じたこと、それは前川の覚悟だ。いや、びっくりした。引く。

 読後、「拓」の印象は薄い。これは、内容も他誌同様〈同人作品、作品評、共鳴推薦句、評論等〉と羅列しているだけで、個性が見当たらないからだろうと思う。特別な感想もないので、心に触れた句の私見を述べ、責を果たしたい。

「拓」前号への京武久美(きょうぶ・ひさよし)という俳人の批評文冒頭のことばである。「アナタよくそこまで書けますね」、とあっけにとられた。採られている句も、なるほどそういうよみがあったかという句ばかりで、見方を改めさせられる。一例を引くとー

 二月の朝後頭部を見たとおもふ  横山 隆 長崎市

二月は、僕の誕生月。そのせいか、二月と読み込まれた句を見ると、善し悪しに関係なく、立ち止まって内容を深く考えてしまう。この句も、同様だ。
東北の二月の朝は、まだ寒くて暗いと思いつつ、見えるはずのない後頭部を見たというのは、夢のなかだろうか、それとも背後の鏡で垣間見たのだろうか、と、どうでもよいことを思わず考えてしまう。
後ろには表面からは見えない人間の本質が、びっしり突っ立っているようで不気味である。後頭部であれば、尚更と感じる。
この句の背後にあるのは、作者の自己嫌悪だろう。後頭部を見たという断定ではなく、あくまでも、見たとおもうという呟きが、かえって効果をあげているように思った。(以上引用文)。

鋭い読みであった。
編集後記によれば、この京武久美という俳人は「青森高校で寺山修司と同級生であり、寺山の出発に影響を与えた人である。寺山の俳句は、京武への共感から始まっている」と紹介されている。青森の人だったのか。普段から米備蓄を怠らない土地の俳人の言は、含蓄深く、鋭い。

参考までに、おなじ横山隆の前号句で私の目を引いたのは、次の一句だけだった。

 繁簍青し絶望に着く前なのに  横山 隆

青しの前の髑髏みたいな字がわかるまい。ふつうならルビをふるところだ。しかし横山隆は北西風にはモンスーンとルビを振るが、繁簍にはルビをふらない。このひとは長くこのみちでやっておられる人に違いない。そう思わせる一句だった。ちょうど連句誌「れぎおん」に、新年の発句脇をみつけ、季語としての薺や七草を考えていたところだったので、いやでもこの季語は目をひいた。連句では新年の句は春に寄ったり冬に入れられたりしているが、それは旧暦では年のうちに春が来たりしたからだ。それに新穀を待ちことほぐこころが加わって、正月の季語はより迎春の観が深い。歴史的にも民俗行事と暦と自然とが混然となった味わいをもつ季語なので、一度どなたか整理してもらえないだろうかとおもっている。

 野の川に田の川出会ふ初霞     城倉吉野
   薺摘まんと弾む足取り       前田圭衛子
        -俳諧みなと座・歌仙、れぎおん54号作品より-

そもそも新年(と歳末)の部はなぜ歳時記では別になっているのだろう。

繁簍はハコベラです。
http://www2.ocn.ne.jp/~who/kaze/kisetunokubun.html(人日の項にあります)
http://www12.plala.or.jp/siki/_lives/P/Shakobe/hakobe.html
http://www2.health.ne.jp/library/5000/w5000403.html

阿野露團(あの・ろだん)の「近代長崎の俳林」はよく調べられた評論ですし、九州の俳人を顕彰しようとする姿勢はとても大切だとおもいます。今回、青木貞雄元九州俳句編集長の寄稿である宮崎の俳人故・山下淳の晩年の挿話は、とても胸を打ちました。私が持っているのは、最後の句集『忘音』と随想集『流域雑記』だけですが、この随想集には深く考えさせられ教えられます。シベリア抑留という辛酸に耐えられたのは、戦場での句会があったからと書かれていました。記録を持ち帰れず、あたまのなかに記憶して帰ったという話。そのひとが晩年は認知症で帰らぬ人となられたということを今回初めて知りました。平成12年6月に87歳で亡くなられたそうです。あらためて、ご冥福をお祈り申し上げます。ご縁をありがとうございました。

 われら一族血濃きか淡きか鳳仙花   山下 淳

打たれる覚悟のできた俳誌だけが、生き残るのでしょう。
叩かれる事によって撥ね返る歌を。そう歌ったのは、中野重治でした。

 毛虫焼くかなたに青き五島灘    前川 弘明

参照: 京武久美 関連http://www.plib.net.pref.aomori.jp/top/museum/sakka/SAKKA13_KANREN/%8E%9B%8ER%8FC%8EiKRJ_MN.html連句的関連:沢田教一http://www.geocities.jp/lsyu25/profile.htm

 追記: 作品にふるルビについて、でございますが、ちょっと考えてみました。というのも、同じ長崎の明坂小箔さん(物書く人)と、以前、ご一緒に連句を巻いたときに、明坂さんは「荏苒として」という漢語みたいなコトバを出されたのです。私は無学で読めなかった。「じんぜんとして」と読みます。荏苒として日を送る、という具合に使う。そうです、いま思われているイメージ通りの言葉です。ルビをふるかどうか。ふらなくていい。知りたきゃ調べよ。それにルビをふるということは、相手をみくびることだ。という実にシンプルな声でありました。そのとき、おおこのひとはオトナだと感動したのでありました。

蛇足的補遺:薺(なづな)について(11月4日書き込み)

一 「四谷怪談」から

孫兵  コレ艱難な暮しといへば、この子の母親めを聞いて下され。それはそれはかひがひしい生れ、まだ生(なま)若い身の上で、正月の薺(なづな)からはじめて、嫁菜・たんぽぽ・ほうれん草(さう)、または枝豆・ゆで玉子、あるとあらゆる出商(であきなひ)、その艱難の中で舅(しうと)のわしらをば、よう孝行にしてくれまするて

お袖  それはマア奇特なお方でござんすな

(以上は、明坂英二著「卵を割らなければオムレツはできない」(1996年青土社刊)のなかの「江戸、玉子のある風景」からの孫引き。四谷怪談の一部。お袖はお岩の妹、孫兵は、お岩の夫、伊右衛門にお岩の間男に仕立てられて惨殺された挙句、お岩と一枚戸板に釘付けされて川に流された小平の父親孫兵衛。孫兵衛が語っているのは嫁のお花のことである。夫が死んだので振り売りの暮らしを余儀なくされている。孫兵衛の孫のその幼い子もまた、たつきにしじみを売って歩いている。明坂さんは卵が歴史のなかに商品としてどう立ち現れてきたか、史料を博捜して書かれていますが、それは生きた俳諧の資料ともいえ、とても勉強になります。)

二  『増補 俳諧歳時記栞草』(曲亭馬琴編、岩波文庫)から

七草、薺打(なづなうち)
 正月七日、、七種の菜を以て羹(あつもの)を作(な)す。是を食ふ人万病なし。
 ○七草は芹(せり)・薺(なづな)・鼠麹(ごぎゃう)・繁縷(はこべら)・仏座(ほとけのざ)・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)也。七種(ななくさ)の菜を打(うつ)こと、諸子の考(かんがへ)いまだ見(みえ)ず。しかし、おもんぱかるに、鬼車鳥(姑獲鳥、うぶめどり)がわたるとき、魂魄を抜かれるとの言伝があり、そを避けるため、といふ。(一部省略)菜を打ながら口でとなふるに、「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬさきに」。

どうらいご

今朝は八時から「どうらいご」があっていて、草刈機の音がうなっています。

どうらいごというのは村人総出でする道普請で、簡単にいえば、村の道を補修することです。むかしはほとんどの農道が砂利道だったので、時が経つとすぐにでこぼこになり、春と秋二回の道路愛護ぐらいでは間に合わなかったのですが、数年前にほぼすべての村道が舗装されて、でこぼこ補修をしなくてもよくなりました。(わが家の裏道といくつかだけが未舗装路)。今回も何トンかのバラスを購入して道の片側に積んであったのを、一輪車で穴ぼこ道に入れていく作業をしています。山の井用水系の小川が村を流れていますが、その川沿いの草刈も今日やります。村に住むというのは、そういう出事をきちんと果たすということでもあります。大昔から続いていることでしょう。各戸から一人出ればよく、うちはたいがい父が草刈機とスコップと持って出ます。これまで私が出たのは二回だけ、夫が一回、長男が一回。今後父が出られなくなれば私しかいないけど、草刈機を使えない。

数日前に熊本のあいらかんのんに行ったとき、帰路、前に一度通った遠回りの道に入り込みました。一面の平野、たんぼ。それはどこにでもある田舎の田園風景だったし、用水路もきれいにコンクリートで整備されていました。あとで調べたら、名のある用水路だったらしく、写真をアップしようかと思いましたが、近辺のとちっとも変らないので控えました。資料につけたものに写っています。数百年という時間の堆積がながれているちいさくきれいな側溝です。米作り農家がこの側溝の中の掃除を年に一回から二回やります。川に入って藻や草や芥を取り除き流れるようにします。ということはですよ、百姓がいなくなれば、川は流れなくなる。私はただ遠巻きにみているにせひゃくしょうですが、父母はからだの使い方一つとっても、身を道具としてやっている。そこまでの覚悟がない私は百姓はしないと言っているのですが、いつかせずにはおれないようになるだろう。

 ふるさとのクリーク地図は足で描く    恭子

  

2006年10月19日 (木)

菊鹿風景 2

菊鹿風景 2

きのうの竹柏・ナギをおみやげやさんとは逆から写したもの。雌雄異株で、右の人面木がメス、まっすぐな左がオスです。かなり古くて樹齢も数百年だろうに、何の説明もないし、木に注連縄も張られていません。ご神木だと思うのですが、みなさん無視状態。夫婦ナギがかわいそう。見に行ってあげてください。きっといいことがありますから。人生、凪ぎます。笑

菊鹿風景 2

御宇田神社みうたじんじゃ。鹿北。でぐちおにさぶろう。熊本県山鹿の“不動岩”(このすぐ近くです)は、『霊界物語』第2巻3章において、
   美山彦(言霊彦)の造った神岩であり、美山彦がロッキー山に造った
   神岩に相応すると、説明されているそうです。(この部分は脚注に付けようとした不動  岩の説明ブログに書かれていたものを引用させてもらいました。)よくわかりませんが、みうた神社ってひびき、御歌神社みたいできれいですね。そういえば、御鎮座千百年とかいう幟もたんぼの中にはためいていました。だれが鎮座してらっしゃるのでしょうね。無知でごめんなさい。いつも詰めがあまいです。気にかけていれば、いつか自然とわかるというのがポリシーでして。

菊鹿風景 2

向うのほうに不動岩が見えるのですが、これでは見えませんね。キャシーさん、コメントありがとう。神奈川でも田舎は同じなのですか。キャシーさん、あっさむさんも、いつか九州においでね。(私の夢はブログで知り合った友達をみんなよんで、のんびりと連句興行をすることです。)

きょうはココログのメンテナンスだったので、きのう送信したのが、さっきアップされたばかりでございました。

追記(21日記す)
  参照記事として、不動岩と御宇田神社が写っている写真を見つけました。
   
http://f34.aaa.livedoor.jp/~batabaru/miuta.htm
  八女郡黒木町笠原の霊巌寺(八女茶発祥の地。わたしの生まれ故郷でもありまする。http://www.ajkj.jp/ajkj/fukuoka/kurogi/kanko/reiganji_kigan/reiganji_kigan.html)の男岩を彷彿とさせますね。それと、「樹」の瀧春樹先生夫妻が三年前に案内してくださった、大分の八面山の頂上ちかくに隠れたようにあった巨岩http://members.jcom.home.ne.jp/mount-walk/hachimensan-2.htm(これに写ってはいませんが、確か無線局の裏側から向うはるかに見えました)とも同じです。

2006年10月18日 (水)

熊本県菊鹿町

熊本県菊鹿町

熊本県菊鹿町

熊本県菊鹿町

今年三回目のあいら観音様です。 自分でも驚くのは 、必ず生目神社 に出てしまう。 道に迷った結果。

これまで、十回はここへ一人で車を運転して来ているのですが、山鹿から入っていくときの道がわかりづらくて、なんども間違える。間違えるたび、おなじところにでちゃうんです。今日はぜったい間違わないと思っていたのに、げげ、また生目神社だ。あおくなります。

三枚目の写真は、葉っぱをよくご覧下さい。網目の葉脈がなく、筋が入っているだけの葉っぱ。たとえれば、露草がこんなかんじの葉っぱです。あとは稲とか、篠とか。そうです、これはナギです。なぎを漢字で書けば、どうだったかなあ。山田みづえの俳句で見たんだけど、記憶が・・たしか、竹柏だったような。ルビはなぎ。ご確認ください。こんなに巨大なナギの樹、初めて見ました。しかも、二つ並んでいました。根っこはひょっとしたら一緒かも。確かめられなかった。根元に熊笹が沢山生えていたからです。場所は、相良観音の参拝口の土産物屋さんのすぐ前の駐車場。鍬塚さん都さん伽具耶さん。それから、天野おとめさん、天真実くん、小梅わこちゃん。ご無沙汰していますが、さかごクラブ会頭(さかごで生まれた人は会員になれる。まだ会員は私と木戸さんの二人のみ)の木戸葉三さんも。みんな、お元気でしょうか。

覚えていますか。あれは五、六年前の夏でしたね。湯田温泉で前田宗匠を囲んで連句興行をして、そのあと山口の瑠璃光寺へ亜の会のみんなで行きましたね。貞永まことさんや前田圭衛子先生もごいっしょでした。そこの境内に、小さなナギの木があって、ちょうど青い実が生っていました。それを一枝手折った鍬塚さんと私をカメラマンの貞永さんが写真に撮って下さったっけなあ。とてもよく撮れていて、いまでも大好きな写真です。

ところで、理科の教科書には、露草のような葉っぱの植物は、根っこはひげ根であると書かれている。あさがおタイプは、葉っぱが網目の葉脈であり、こういう植物は根っこも主根側根をもつ。.草だけじゃなく、樹木もおなじ原理があてはまるのでしょうか。ほってみればわかるけど・・・おおっと、ホリカネナイ。

2006年10月16日 (月)

さっちゃん

あさ、テレビニュースで、童謡「さっちゃん」を作詞した阪田寛夫氏のことがちょっとだけ放映されてました。あのさっちゃんは実は作者が幼稚園時代に思い続けた初恋の人だったというもの。

それは別段おどろくことではないのですが、それを明かされたのが亡くなる数日前だったということに驚きを禁じえませんでした。それまではずっと、さっちゃんはだれか、隠されていたという。

そうか、あの作者ならそうだろうなあと思いました。

この阪田寛夫という文学者のかわいらしい小説を一つだけ、知っています。たまたま最近読んだのです。北村薫の集めた愛に関する短編アンソロジーに入ってました。小学生の恋です。ぼくはピアノが上手な女の子に恋をしていて、でもライバルがたくさんいて。ある日、発表会の歌を作らなきゃいけなくなる。歌詞を考えるぼくと恋敵。ライバルである腕白少年が先にささっと作ってくる。それがその子の普段からは想像もつかないほど、まじめでよい子風で、でもやっぱりへたくそで。それを読んでしまった作者とおぼしき優等生のぼくは、その夜、夢にうなされる。彼女があっちの歌がいいと言ってあっちに決定して、ピアノを弾きながら、みんなでその子のみょうちきりんなうたを合唱している、というゆめ。

・・・そこで話はおわるのですが、こどもながらも必死の恋をしていて、女の子に対する思いより、ライバルと張り合うときのきもちが絶妙に描かれていてすばらしい。そのとき初めてボクが味わう、自分を相対化するという視線を、理屈ではなく小学生の目線で描いていて、ほんとにそのころのじぶんになったような気がしました。ライバルのうた、お年寄にはやさしくしましょう、と言うフレーズが唐突に出てくる。おかしくもありせいいっぱいでいじらしい。ぼくはそれまでかれをばかにしていたのに、急にふあんになっちゃうわけです。ということは、そのライバルの子の真価をみとめたからにほかならないわけで。読んでいるこっちもぼくとおなじく、その子のへんてこなうたがだんだんよくみえてくるからふしぎです。いっしょけんめいなのが、つたわるからです。そしてそれが他の誰よりわかるから、ぼくは青くなって、夢にまでうなされてしまったのです。

ただそれだけの話なんだけど、いつまでもこころにのこってしまうはなしでした。愛情とはなにか・・という原点があった。阪田寛夫さんはこどものときのきもちを死ぬまで持ち続けた人だったのですね。

それは別にして、さっちゃんといえば、私はすぐ、博多にいたころ近所に住んでいた三男三女のまんなかだった女の子を思い出します。セイタカアワダチソウをこさいで葉っぱを落とし、それを刀にして、さっちゃんとその弟ののぶくんと、うちの長男シンとはよくたたかいました。さっちゃんはやさしい兄弟おもいの女の子だったなあ。いまはもう24,5になるでしょう。結婚してそうな気がします。元気にしていてほしいとおもいます。

筑紫通りを久しぶりに通りかかったら、あのころの空き地はどこにもなくなっていました。郵便局の隣にあった幼稚園の園長先生の畑もです。あそこでシンとのぶくんがせっかく植えてあったかぶをぜんぶひっこぬくわるさをして、おわびにいったことも懐かしい思い出です。神妙な顔で頭をさげる二人の頭をなでながら、園長先生はにこにこと許してくださいました。那珂幼稚園。なつかしくこいしい原点の地です。

※ 偶然ですが、コメントをときに頂きますアストロリコのヴァイオリン奏者麻場利華さんから、ひさしぶりにきのうメールを頂きました。それで思いだしました。大浦みずきさん。宝塚スターだそうです。そして、上記の阪田寛夫のむすめさんですって。利華さんの京都三条ラジオカフェの番組「チャオチャオ、リカ!」を聞いて、知りました。三月のぶんのです。よかったらお付き合いください。ふしぎでしょ。http://radiocafe.jp/b_syoukai/ciao_chao.php?id=ciao_chao

2006年10月14日 (土)

佐賀の路上で

佐賀の路上で

気がつくと、いつもここで写真を撮ってますね。ほんとは、ここの反対側の写真を撮りたいのです。ですが、佐賀から帰るときはいつも逆光で、撮れません。背後にあるもの、それは川です。有明海に注ぎ込む川。八女の川と違って、汽水域の独特の表情をしています。ちなみにこの川の近くに次郎物語を書いた下村湖人の生家跡がありまして、公開されています。

佐賀の路上で

ゆめタウン、佐賀にもできるのか。へえー。イーオンや西友が困るだろうな。ゆめタウンは八女にも久留米にもありまして、私は久留米のほうに好きなお店があるので月に二度ほど行きます。そしてそこの二階にある「たこ一番」という名のたこやき屋さんでたこやきを買って、ぼおーっとして筑後川を見ながら、文庫本も読みながら、一人で食べるのがしあわせなんであります。ふりかえれば、ずううっと何十年もこどもとぺったりいっしょの生活だったので、ひとりがこんなに楽しいとは・・と発見の日々です。自立には遠いけど。

歌仙「菊」 36

挙句について、杉浦先生のご意見をお聞きしました。

一つ、韻字(漢字)止めの打越(ばどさんの目刺のる卓の句)に同じ韻字止めを避けた。
一つ、挙句はねばってはいけない。あっさりおさめるのがいい。

というご意見でした。

このご意見を読み、赤面しました。いちばん痛いとこを突かれたからです。

とめかたのことは余り問題ではないのです。自分で杉浦先生に挙句を頼んでおきながら、それを不服とし、自分の気に入るように変えたこと、それも問題じゃない。それはさばきのいる連句文芸では周知のことだからです。

そうじゃなくて、「ねばるのはよくない」というこのことばにやられてしまった。

なぜ、あっさりしすぎている、余情がたりない、なんて思ったのだろう。
ぶっきらぼうに感情をこめる、つんのめるように突然おわる、そんなのもありってなぜ思えなかったんだろう。きしょくわるいきざはしだなんて、いかにもひとむかしまえのフォークシンガー(たとえば谷村新司)がもってきそうなコトバをもちだしてきて、一人悦にいってたのが、超はづかしい。

浅知恵を軽く一蹴されてしまいました。もっとも、浅知恵の持ち主じゃなきゃ、こんなおっちょこちょいのネット文音なんてことは最初からしやしません。

歌仙「やわらか戦車」  

  起首平成18年8月29日(火)  満尾〃年10月14日(土)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 恭子
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 聰子
四    シナモン味のパンをください     倉本 朝世
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 清志
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 都

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む   澄 たから
二    よく似た痣を見せ合つてをり     朝世
三  短髪のうなじはほそき指睦び     bud
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉
五  親王誕生こんなところに祝ひ旗    恭子
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都
十    言へないことば少年にあり   たから
十一 黄昏におさげひっぱる花篝     bud       
十二   ひらきひもとく春潮の渦     恭子

ナオ
一  亀鳴くや張りて重たき右の乳       山本伽具耶
二    どろどろどろつとぐちやぐちやぐちやと   蛉
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子
四    吹雪の中をサラ金に行く       清志
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて    たから
六    きさらぎになり書く初日記      bud
七  紫の魚棲む昇仙峡の瀞         恭子
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉 
十    信夫(しのぶ)もぢ摺ねぢれをとけば 聰子
十一 朝の月あなたが置いた月見草     bud
十二   ベランダへ出るドア半開き      清志

ナウ
一 黒人霊歌(ソウル)流れ祈りは海の底に積む  都
二    「やわらか戦車」退却します        蛉
三 酔客はただの茶漬けをご所望に      聰子
四    ぶつきらぼうに目刺のる卓       bud
五 初めてのやうにいくたび花待つや     たから
六    卒業生を昨日見送り            清志

仮名遣いですが、偶然、きのう難波津宮跡から発掘された「はるくさのはしめのとしは」という万葉仮名の木簡までが旧仮名を後押ししてくれました。冬樹蛉さんの発句を思えば現代表記かな・・という迷いを、この一件が払拭してくれました。七世紀からまっすぐにつながる一本のひかりの線です。題名にいただいたやわらか戦車だけは、漫画の題名ですからそのままです。

思いやりなんてないに等しいさばきに、一月半もお付き合いしていただきました。ほんとうにありがとうございました。この連句作品は、「連句誌れぎおん」冬号に掲載していただく予定です。
        

※ いまひとたび挙句ですが、なんども、原句ときざはし句と置き換え置き換えしてみて、どうしてもやはり、きざはしのほうがよいように思えます。確かに気障でくさいことばではあるのです。しかし、明日のほうを向いている。それが、花を待つ句のこころに添っているからだとおもいました。うん。きっと、そうだとおもいます。ゆれていたのは、昨日ということばにひっかかっていたからなのでしたね。もう、これでゆれません。漢字じゃなく、きざはしと書けばはっきりしますが、きざはしはきざしと似ていて、音自体によきことのきざしみたいなそんな予兆があることに、今気づきました。それにこの語だと、見送る人、送られる人、どちらも同じ途上にいるのですよね。「セーラー服と機関銃」も始まったことだし。って関係ないかな。

けっきょく、丸二日迷いました。自分の美意識を押し付けてはいけない。なぜ強要したくなるんだろうかなあ。しかし、杉浦先生の原句をいただきます。これにはこれの絶対的なよさがあるからです。

なんどもゆれながらも、言葉を敲く(たたく)こと、それが心ゆくまで出来たとおもいます。 
おもえば、連句の入り口を教えてくださった窪田先生、連句の文芸としての厳しさと文学としての深みとを教えてくださった前田先生。そして、句を通して、人のいきざまを教えてくださった連衆のみなさま。ただただありがたいです。私は相変わらずきざはしにいて、のぼったりさがったりさがったりしています。いい作品ができたと思います。たくさんの偶然がありがたい歌仙でした。ありがとうございました。

2006年10月13日 (金)

歌仙「菊」 35

歌仙「菊」(仮題)   

  起首平成18年8月29日(火)  満尾〃年10月13日(金)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉(秋・自)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 恭子(秋・自)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 聰子(秋月・場)
四    シナモン味のパンをください     倉本 朝世(雑・半)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 清志(雑・他)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 都(冬・場)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む   澄 たから(冬・場)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前・半)
三  短髪のうなじはほそき指睦び    bud(恋・半)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ・自)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事・他)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑・場)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月・場)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋・半)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋・場)
十    言へないことば少年にあり   たから(雑、恋前・他)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝     bud (花・春・恋・半)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦     恭子(春、恋・場的半)

ナオ
一  亀鳴くや張りて重たき右の乳  山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろつとぐちやぐちやぐちやと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて      たから(新年、自)
六    きさらぎになり書く初日記          bud(新年、自)
七  紫の魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉  (恋・半)
十    信夫(しのぶ)もぢ摺ねぢれをとけば 聰子(恋・夏・半)
十一 朝の月あなたが置いた月見草     bud (夏月、恋・他)
十二   ベランダへ出るドア半開き      清志(場) 

ナウ
一 黒人霊歌(ソウル)流れ祈りは海の底に積む (神祇・音楽)
二    やはらか戦車退却します        蛉(雑・場)
三 酔客はただの茶漬けをご所望に      聰子(雑・他)
四    ぶつきらぼうに目刺のる卓       bud(春・場)
五 初めてのやうにいくたび花待つや     たから(春・自)
六    卒業生を送る階            清志(春・半)
           

歌仙「菊」 34

227] 出張から帰ったばかりで 杉浦清志 (10/13 01:28) NEW
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頭が回らん。ともかく二句だけ考えたので出しときます。だめだこんなのじゃ、と言われれば作り直しますが、明日も多忙でしょう。

一 黒人霊歌(ソウル)流れ祈りは海の底に積む 都(神祇・音楽)
二  やはらか戦車退却します      蛉(場?)
三 酔客はただの茶漬けをご所望に    聰子(雑・他)
四  ぶつきらぼうに目刺のる卓     bud(春・場)
五 初めてのやうにいくたび花待つや   たから(春・自)
六  卒業生を昨日見送り        清志(春)
   残雪消えぬ山住にして


杉浦先生はご多忙なのでした。こんなに遅い時間に考えてもらったとおもうと、ありがたくて、なみだがでそうです。いまさらなんですが、よくまあ最後までお付き合い下さったと感謝の思いでいっぱいです。菊歌仙連衆一同を代表して厚く御礼申し上げます。れぎおんに書かれている「方丈記」研究の論文も、すごい調べっぷりで、はあ~とためいきがでます。

挙句は私めに詰めを残してくださいました。心情的には、どちらもよく前句を受けて付いています。しかし、一巻の挙句としては余情と深みにややかける。折端ならばこれでいいですが、一巻の終りですから、いますこし詠嘆のきもちがいる。だからその点をお忙しい先生のかわりに少しねばってみました。

原句)  卒業生を昨日見送り

卒業生を明日は送ると

卒業生を送る渺渺

卒業生を石段(きだ)に見送る

卒業生を送る階

原句) 残雪消えぬ山住にして

はだれ消えざる山住の庵(いほ)

※ 杉浦先生はやはり北国の人だなあと思った。春にも雪が出ましたもの。雪の語はすでに二度出てますので(初折立、とサラ金)、仮名書きではだれにしました。斑雪です。

どれがいいでしょう。座りがいいのは、韻字止め(名詞止)です。

置いてみました。卒業生を送るきざはし がいいみたいです。前向きで、明るくて、すこしだけ暗示的。不安定でも途上にあっても前だけをみている感じがしませんか。シンプルがいちばん、七文字で済むのもいいですね。これをいただくことにして、のちほど、清書したものをアップしますので。夜か明日になるかもしれません。

一つき半にわたるご参加ご協力、ありがとうございました。なるべく原句をそこなうことなく、ことばをよりイメージ通りのものにするために、いろんなとこから引いてくる作業が楽しかったです。水を引くのといっしょです。今回、渺渺(びょうびょう)という語も、石段(きだ)という語も、「君が代を国歌としたり太郎乙」の直系の孫娘である、永井菊枝先生の最新刊の歌集『日本哀歓』(短歌新聞社刊)からいただいてきたことばたちです。まだ一部しかご紹介しておりませんが、格調高く、いろんな気づきをいただける歌集です。渺渺と書くと、なんとなく春塵のなかで眼をしぱしぱさせているようなイメージがわきます。砂でなみだがでるのか、かなしいのでなみだがでるのか、混然としてるようなかんじがします。だから、これも捨てがたいのです。杉浦先生。鍬塚先生。(畏れ多くもこのお二人は国文の先生でありまする)、ばどさん。朝世さん。都さん、伽具耶さん、たからさん。みなさまのご意見をぜひお聞かせください。蛉さんも。

2006年10月12日 (木)

歌仙「菊」 33

ナオ
一  亀鳴くや張りて重たき右の乳  山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろつとぐちやぐちやぐちやと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて      たから(新年、自)
六    きさらぎになり書く初日記          bud(新年、自)
七  紫の魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉  (恋・半)
十    信夫(しのぶ)もぢ摺ねぢれをとけば 聰子(恋・夏・半)
十一 朝の月あなたが置いた月見草     bud (夏月、恋・他)
十二   ベランダへ出るドア半開き      清志(場) 

ナウ
一 黒人霊歌(ソウル)流れ祈りは海の底に積む (神祇・音楽)
二    やはらか戦車退却します        蛉(場?)
三 酔客はただの茶漬けをご所望に      聰子(雑・他)
四    ぶつきらぼうに目刺のる卓       bud(春・場)
五 初めてのやうにいくたび花待つや     たから(春・自)
六                           清志(春)   

たからさん花句案

1  初めてのように幾年花待つや     自

2  花筏のの字のの字に流れをり     場

3  花の奥忘れえぬ人座りをり       他

きのう夜いただいた匂いの花句です。

俳諧での花がなにをさすのか、さくらということはわかっても、はじめのうちはちんぷんかんぷんです。連句辞典をみると、花は普通一般の花にあらず、賞翫の花であると書かれていて、えっ賞玩の花ちゃなんじゃろうショウガンのはなしょうがんのはな。と余計に混乱します。

とりあえず、先生のおっしゃるように、「こころでは桜の花をイメージしながら、ことばは花で」句をよんでいましたが、なかなかむずかしいのでした。でも、みんなのなかで花句を読み詠んでいると、だんだん花とはなにか、そのエッセンスがしみていくのです。

さて、たからさんの花の句ですが、こころが先行しているのがわかりました。つたえたいことはよくわかります。でも、それをどう表現すればいちばん効果的に伝わるんだろう。常にそのおもいと奮闘しながら、自分の今たっている位置から、全身全霊で表現していくしかないんだとおもう。

その思いがあらわれた1をいただきます。花をまつこころです。澄たから、俳諧に出合って七年目の花句です。

花を待つこころ。

さくら咲くまでの一年眠りたし (太田一明)
花の日に人はいくたび志    (吉田渭城)

2は、川端茅舎の「ぜんまいののの字ばかりの寂光土」の花いかだ版みたいでした。こういう有名な先行句があると、打ち消されて損します。

3は、死んだ懐かしい人が花の奥深いとこに座しているような、そんな味わいの句ですよね。これもいいです。蘇生した人の体験談をよむと、多くの人が、懐かしい肉親がむこうで手を振っていたということを言ってる。それと似たかんじの印象をもつ句でした。じぶんにとって、絶対に切っても切れない絆でむすぼれた人たちがいて、そういう人は忘じがたく、たといこの世で一度も会っていなくても、忘れえぬ。そんな感じを伝えたかったのだろう。一句のすがたはこれがいちばんきれいです。しかし、前句を受けているのは、花を待つこころとおもいました。そういうわけで、ややことばより想いが先行しているなという感はありますが、そこをも買って、花を待ちましょう。

はじめてのように。・・これがとてもいいんですよね。引用した吉田いじょう氏のほかの句に、そういえば、「どの花も一期一会として詠みぬ」というのがあったけど、たから句と似た感慨をよまれたものです。このひとは、花で百句も詠まれていて、どの句もとても立派でした。ことに私がほれたのは、「花にきてなつかしく手を開きけり」です。すごい句だなあとおもった。シンプルなのに、いつまでも残る叙情性がとてもすきです。写真でみたかんじ、やまあらしみたいな髪の毛のおじさんですが、それすらもかっこいい。

原句をそのまま、置いていましたが、何度も読み返しているうち、ひょっとして読み違えないか気になり、より的確な表現である、「毎年毎年、花を初めてのように心待ちにする」という意味で、幾年をいくたびに変えましょう。ちなみにたからさんはまだ若い優雅な女性です。たからという俳号は年寄と思われているらしいので、念のため一筆。

※ はじめから、すこし、みなおしまして、似たところや打越と干渉しあっていたところを勝手ながら一直いたしました。ことに、ばどさんのナオ月で恋の句、有明に変えたりしてみましたが、どうも元の句のあっさりとした中にある、深い思いが捨てられず、なんとかならないだろうかと、れぎおんの前田圭衛子先生にご相談したところ、そういうときは、二月になって書く初日記のほうを変えればいいと助言をいただき、そうだったなあと、二月をきさらぎと変えました。別の項でまた月の座については書こうと思っていますが、有明ということばが、どうも夏の季感でなく秋にしか思えなかったのもあり、それはそうしました。ご了承ください。

鍬塚さんの文字摺り草の句ですが、信夫もぢ摺と変えました。その理由は、日記やことばやらが出ていたので、文字ということばを控えたかったし、草も出したくなかった。
こういう校合をやっていますと、あとから出た句の影響で先に出ていた句が変るわけで、そういう偶然さえもひっくるめて、ふしぎな力が働いているのを感じるのは私だけでしょうか。ここのところ、草に草をすり付けたのは許されるけれど、出てきた連句辞典で「すりつけ」という付句のわざについてよく調べたら、同種の草はいけないと書かれていた。でも、芭蕉の先例があるので、ことばの字面から草をとりのぞき、そしらぬ顔でおいとくことにします。それに、次の資料をよくよく読めば、もともともぢずりのもぢというのは、摺るという意味なんです。面白いですねえ、ここのところ。そういうことまでわかり、勉強になりました。なんだか、しゃれみたいでおかしくもある。どうかご了承ください。

http://www.bashouan.com/pnShinobu.htm

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋・自)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋・自)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋月・場か半)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑・半)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑・自か他)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬・場)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬・場)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前・半)
三  短髪のうなじはほそき指睦び    bud(恋・半)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ・自)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事・他)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑・場)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月・場)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋・半)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋・場)
十    言へないことば少年にあり     たから(雑、恋前・他)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝     bud (花・春・恋・半)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦  恭子(春、恋・場的半)

さっきから打ち直していますが、名残おもてがどうしても、先へいってしまいます。笑
何回やっても制御不能。よみづらいでしょうが、すみません。でも、これって、意外と正解かも。

2006年10月 9日 (月)

歌仙「菊」 32

ばどさんの花前句です。

朝寝する手に編み針ふたつ  (雑・他)1

絵がお辞儀して春風抜ける   (春・場) 2

野遊びする子寝顔愛しき     (春・半)3

海女になりたい次女が言った  (春・他)4

ぶっきらぼうに目刺しのる卓    (春・場)5

    bud

生きのよい句をたくさん作ってくださり、ありがとうございました。嬉しかったです。
前句が酒を飲んでぐにゅぐにゅになった人で、だれかにお茶漬けを所望していらっしゃる。わがままがいえる相手にです。ということで、五句のうち、常識的にもっともよく付きますのは、5、1だとおもいます。5はその人周辺の写生。1は酔客が朝帰りすると、待ちつかれた母か妻が編み物しながら寝ている図が浮びます。つぎに4。その場にいた次女が、ポツリという、わたし海女になりたい。これはおもしろい珍しい付け句ですね。2は親句疎句でいえば、疎句になる句で、すこし離れて詠んであります。絵がお辞儀して。

ばどさんは絵がお好きですね。いつだったか、ご自分のブログに香月泰男美術館に行かれたことを書かれていました。私はそれをごらんになった感想が知りたいです。宮崎の俳人、故・山下淳氏の香月泰男評を読んでから、ほんものをみたくてたまりません。ことに「ホロンバイル」という地名の絵、なにを意味した絵なのか、わからない。私が見たのはネットでだけ、それと本物を一枚、黒い四角の柿が画面中央の獄にある絵を久留米井筒屋で見ました。二百万近い値がついていたっけ。山下淳が非難したのは、売れるために不幸を売り物にしたようにみえることをいうのだろうか。最近、ある有名俳人が言ってた山本健吉批判を見て、その批判は正しいかもしれないけど、健吉の立場に立つと、家族を食べさせていかねばならず、生きるということはきれいごとではないという覚悟がみえて、健吉をかばいたくてしかたなかった。それと香月泰男のことも同じなんじゃなかろうかな、と思いました。でも、わかりません。シベリア抑留の体験もないし、絵も一枚しか本物はみたことがないからです。まったく軽くなく、重い波動の絵ではありました。でも温かみがあった。どうかいつか、書かれてくださいませんか。と、関係ないことまで書いて失礼しました。丸山豊が書いているように、戦争では書けぬこと、書かぬことがある。であれば、絵もまた、遠まわしに描くしかなかろう。でも、それが何の絵か、同じ体験をした人なら、わかったろう。

そんなことより、句の選句。花前は軽く付ける。これが原則でした。花の句をひきたてるためです。という視点でみれば、いちばんいいのは、5の「ぶっきらぼうに目刺のる卓」です。この句は俳諧そのものです。簡潔ですっきりしていて、生活臭がある。確かな人の息遣いがあります。まさにベテランの句ですね。きまった。ありがとうございました。

では、花の句を、澄(すみ)たからさんにおねがいします。
たからさんは愛媛出身の俳人で、最近とてもうまくなられました。句がどれも生き生きとしている。俳句はもう六~七年くらい経つのかな。連句も過去に二回、座で巻いた経験があると記憶します、八女の堺屋で。でも式目とかをまだよく伝えていなくて、手探りだろうと思いますが、花という語を入れて、(花の雨、とか、花筏とか、花の雲、とか、花万朶とか、花がつく季語は山ほどあるし)景色を詠み、こころをこめてください。この手法がいちばんむずかしいのですが、ご自由にどうぞ。たからさんはこの世界では珍しく、理数系の女性なんです。大学も経営学部をでてらっしゃるし、全体が見渡せる人だとおもう。期待してお待ちします。あ、そうそう。私は身長が167ありますが、たからさんはさらに二センチ高いです。

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳  山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて      たから(新年、自)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年、自)
七  むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉  (恋・半)
十    文字摺草のねぢれをとけば     聰子(恋・夏・場的自)
十一 有明にあなたが置いた月見草     bud (夏月、恋・他)
十二   ベランダへ出るドア半開き      清志(場) 

ナウ
一 黒人霊歌(ソウル)流れ祈りは海の底に積む (神祇・音楽)
二    やはらか戦車退却します        蛉(場かな?)
三 酔客はただの茶漬けをご所望に      聰子(雑・他)
四    ぶっきらぼうに目刺のる卓       bud(春・場)
五                              たから
六                              清志

仮名遣いをどうしよう

冬樹蛉さんのブログ「世界Aの始末書」(右のトラックバック最下段にあります)で知った漫画「やわらか戦車」、作者ラレコせんせいのインタヴューhttp://anime.livedoor.com/feature/198e8d6b75b7f166_2.html を読み、鋭いつっこみだなあと感心した。と同時に、あのナオの恋からの一連の流れ、月見草からベランダのドアから黒人霊歌、ときて、やわらか戦車へとたどり着く流れには、さばきでさえ意図せぬふしぎな力学がある。菊の花に靖国を連想して蜻蛉をつけたこの一巻にふさわしい流れではないでしょうか。だから、一巻の題を、「やわらか戦車」にしようかなあとおもっているところです。

八月の終わりごろ、調べものをしていて知った冬樹蛉さんのあそびの句に、きちんと正座してつけた脇。しかも、発句は現代語の先端をいくイメージなのに、古色蒼然の旧仮名で付けた脇。このちぐはくさを、それでいいと思っていた。一巻をぜんぶ、さばきの好みの旧仮名でしめてやろうかなともおもっていた。だって旧仮名はとてもうつくしいもの。

ところが、ぼつになったけど杉浦先生のラジオ体操が出たとき、これを旧仮名でつづるのはなんだか戦時中みたいでいやだなとおもう。ラヂヲ体操。あたまをくりくり坊主にした人たちとおかっぱにした女の子ともんぺすがたのおんなたちが自然とうかぶ。これはいかんなあと初めておもった。

さいごのきめてが、やわらか戦車であった。やはらか戦車ってかけば、ちがうものになる。だから今回はとくべつにスジをまげてやむなく、一巻を現代表記とします。これなら、赤とんばうを赤んぼうとまちがうこともないです。・・なんだかな退却退却それもよし、の心境です。

※『仮名遣意見』 森鴎外を青空文庫で読む:http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/677_22837.html

追伸:
森鴎外の仮名遣意見を読みますと、やはりやはり、旧仮名捨てがたく、どうしたものかとあたまをかかえこんでしまう。この文章は話し言葉ですが、旧仮名旧漢字表記のため、とても読みづらいのです。それでもかれこれ四回は読んだので、私なりに噛み砕いて鴎外のいいたいことをまとめますと、いろいろな論はあれども、文語は普遍、不変でなければならない。口語がたえず変遷するものである以上、それとは離れた位置で古代からのことば、韻文を正しく表記するものとして、普遍の正統なものを立て、守るのである。一時期「定家仮名」が流行して、定家仮名でなければ仮名にあらずという特殊な時代もあった。しかし、その後再び目覚めた者達が出て、以前の仮名遣いが復活した。大多数が使うからといって必ずしもそれが正しいとは限らない。むしろ少数のものが灯火を守ってくれているからこそ、みえるものがある。この正しい(ただしいというのは、そう決めるのである)仮名遣を守り歴史をおくるうち、だんだん口語のなかから文語に昇格してくるものが出てくる。それを歴史的仮名遣に加えていくだけにして、全体を口語に合せた文語に変えるなどということは、本末転倒であり、国語は滅びる。

と、こういう内容だったです。そのとおり、戦後の改革で口語にほぼ沿った現代仮名になりました。普通に生活するぶんには何の不都合もありません。しかしおかげで、戦前と切れてしまって、五十年前のものですら古典に思えます。なににむけて書くか。ということなんですよね。歴史的仮名遣いは、古典の端に繋がろうとする心意気であると同時に、未来に向けた矢でなければならない。とここまで考えて、私は、やはり、旧仮名でいきたいとおもう。作文とは違うから。

2006年10月 8日 (日)

歌仙「菊」 31

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳  山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて      たから(新年、自)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年、自)
七  むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉  (恋・半)
十    文字摺草のねぢれをとけば     聰子(恋・夏・場的自)
十一 有明にあなたが置いた月見草     bud  (夏月、恋・他)
十二   ベランダへ出るドア半開き      清志(場) 

ナウ
一 黒人霊歌(ソウル)流れ祈りは海の底に積む (神祇・音楽)
二    やはらか戦車退却します        蛉(場かな?)
三 酔客はただの茶漬けをご所望に      聰子(雑・他)
四                              bud
五                              たから
六                              清志

きのう夕刻には鍬塚さんが付け句を送ってくださっていたようで、ありがとうございました。ぱっとシカンダザでつけられる。即刻打座かな。只管打座は禅宗のことばか。石田波郷が戦争が終わって自分の俳句誌「鶴」を復刊するとき、朝日の新聞広告に打った宣伝文に「俳句は生活の裡に満目季節をのぞみ、蕭々朗々たる打座即刻のうた也」があったっけ(今秀野ノートに書いてたのを確認。)

杉浦先生から、なぜ特定の人には選句権もあげるのかと聞かれました。そうでした。自然にそうしてました。理由をきかれても返事に窮するんですが、都さんと鍬塚さんにこれまで二回と一回、前句の選句もお願いしました。自分の選句眼と同じか、知るためでした。都さんも聰子先生もずっと一緒にやってきた同志ですから、それとなく聞きやすかったのです。それは一応、おことわりしたと記憶していますが。経歴に敬意を表して、ということばで。

今回の杉浦先生の折端(おりはし)句は、さばきのはらをさぐられるような、ためされるような、なんともいえぬ句でした。そして、まさにこれこそが杉浦先生が、このメンバーのなかでは一番の古だぬきだと、もとい、連句歴を積んだベテランだとあかしする何よりの証拠物件でありました。初心者や若い人に花をもたせるのはなぜか。じつはそれがもっとも花あるところであるからと同時に、つかみどころがあるからだとおもうものです。恋句もそうです。だから、杉浦先生に苦い水をのんでもらって、折端のさりげない、しかし、それをみれば力がわかる句を担当してもらった。なめておられるようだったので、一発おみまいして正面を向いてもらった。先生、ほんとにごめんなさい。

都さんにどっちをとるときいたら、句についての意見、分析はほぼ同じだった。そうした上で、ベランダをとって、付け句してくれたのですが、これについても少々。観覧車の句は、以前彼女が詠んだ俳句で「かすかに揺れる観覧車」上五忘却。を覚えていたので、観覧車の句をつけてと頼んだものです。たしかにこれだと、人事句が多い重い流れの中で、気分を一掃し、はればれとした高みにでることができる。ところが、二句目にあった黒人霊歌。これに打たれてしまったのです。あのとき、口にはしなかったけれども、やはり都さんは、ベランダ句にある大きな不在を的確に感知し、それを壮大に響かせてくれていたんだと。

黒人霊歌:http://members12.tsukaeru.net/h-glee/reika.html
      :http://www6.ocn.ne.jp/~fleur/blessed_spirituals.html

犬の鼻の黒黒に不安を感じて拒否しながら、なぜベランダをとったのか、という思いがふつふつした。でも、この句をみて、おおそうだったと深くうなずくものがあった。黒人霊歌をソウルと呼ばせているけど、語呂がよかったのだろう。ゴスペルとかスピリチュアルとかいいますよね。でも一つです。すぐ浮ぶのは、アメイジンググレイスです。長男が博多の青松高校を見学にいったとき、アカペラ部の人たちがこのうたを歌ってくれたのを忘れません。ですが、最近ではグランドゼロでの詠唱がこころにのこっています。このようなことを、今朝になって考えました。とるときには勘です。理由はあとからついてくる。ああそうだったのかって。

そういうことに気づかせてくださった、杉浦先生に深く感謝いたします。そうそう。きのう引いた窪田薫の本に杉浦先生の書かれた文章がありました。

という前置きで、鍬塚さんの付け句です。

イ卓上にくるみ釦を並べたり
ロ酔客はただの茶漬けをご所望に
ハ真夜中の庭でトムは笑っている

前句が「やわらか戦車」なんですよね。とっても新鮮なことばです。それを蛉さんのブログのきのうのとこにみつけたとき、おおでかした!とおもった。さすがだ。蛉さんはかたいけど、じゅうぶんやらかい。色気はないけど、テレがある。だから、そこがいいんだよね。で、選句はもちろん、ロをいだだきます。酔客、茶漬け。この抜き加減。よいなあ、さすがだなあ。そして、なんと次の付け手は、よいどれ博徒のばどさん。なんというめぐりあわせなんだろう。神はわれをみすてたまはず。

次は、ばどさんに、花前の春の句をお願いします。季語がいりますが、早春のでも晩春のでもいいです。植物の季語は次が花だから控えてくださいね。ほかはなんでもどうぞ。雑の季語なしの句でもいいかと思いましたが、ばどさんにはあえて季語を入れて作ってほしいのです。おかあさんの句とかいいかも。おふくろ句。短句ですから、むずかしいですよ。では、まちます。

2006年10月 7日 (土)

コスモスと

コスモスと

コスモスと

コスモスと昨日中秋の名月が挟まってた松

歌仙「菊」 30

沢みやこさんから、昨夜届いた付け句です。

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳  山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて      たから(新年、自)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年、自)
七  むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉  (恋・半)
十    文字摺草のねぢれをとけば     聰子(恋・夏・場的自)
十一 有明にあなたが置いた月見草     bud  (夏月、恋・他)
十二   ベランダへ出るドア半開き
      清志(場) 

ナウ
一 あ  観覧車大きく振れて潮の風          都(雑・場)
  い  黒人霊歌(ソウル)流れ祈りは海の底に積む (神祇)
  う    遠い潮階段誰も降りて来ず 

二      やはらか戦車退却します        蛉(場かな?)
三                             聰子(雑)
四                              bud

五                              たから
六                              清志 

杉浦先生の三句のうち、さっさと捨てた一句目の「散歩の犬の鼻黒々と」についてもうすこし。この句は映像的な句で、句のすがたとしては何気ない日常の一場面ですけども、犬の鼻に焦点を絞ることで、一種の不安感がただよう。この句をとれば、前句とモンタージュ的にきれてつながった。太腿やむらさきが近くにあるからという理由であっさり捨てましたが、ほんとうは不安感がこわかったし、それをみたくなかった。さばきの心理もまた、ためされる。

次のラジオ体操とベランダとどっちをとるかで、流れのスピードが全然かわるが、どちらもそれなりの魅力があり、それぞれの展開をしそうだった。

「ラジオ体操する人の列」をとると、転じがぱっとできるが、余情など生じるすきはない。しかし、「ドア半開き」だと、スピードがゆるやかになり、余情が生じる。問われているのはスピードと世界の明度だった。

都さんから付け句が届いたのが昨夜です。都さんが選句したのはベランダ、そして場の句を三句くれた。

素材的にこれまで、ドメスティックな句ばかりでしたから、黒人霊歌が欲しいところです。これをいただきます。ただ、これですと通底する音は変らないです。ソウルですし祈りですし、社会性があるぶん、いよいよ重い。それでもこれをとる。これがいい。

で、次は蛉さんとこからことばを頂いて帰りました。「やわらか戦車」って脱力系のネット漫画がはやっているそうです。かわいらしいいとしいやつです。さあさおひまなかたはみてちょうだい。これがやわらか戦車だよ。(http://blog.livedoor.jp/yawaraka_sensha/・作者のラレコ先生インタビューhttp://anime.livedoor.com/feature/198e8d6b75b7f166_2.html

ここに蛉さん置くことは決めてた。観覧車を採れば、蛉さんのエンジェル句をもらおうとおもった。しかし、これでいきます。蛉さんありがとうございました。ことばのあつめかたが独特のセンスありますね。そしてふとっぱら。ありがとお。やわらか戦車さんもありがとよ。

次は、鍬塚さんにお願いいたします。雑の長句です。

2006年10月 6日 (金)

松の中の月

松の中の月

月の座 2

「連句とは一口にいえば月花をたねにした遊である。」とは、安東次男の至言です。

芭蕉捌「冬の日」第一歌仙の初折裏七~九句目(月)

田中なるこまんが柳落(おつ)るころ   荷兮  場
  霧にふね引(ひく)人はちんばか   野水   他
たそがれを横にながむる月ほそし    杜國   自

この杜國の月の句がこころを離れない。ダンディーな月だなとおもうから。荷兮のむづかしい句はよくわからないけど、零落したんだろうな、こまんという芸妓かそういう花柳界の花が・・というようなかんじは伝わる。柳というと、昨春に行った京都の木屋町や祇園の高瀬川沿いにあった柳しか思い浮かばないくらいだから、そういう情緒をうたったものだろう。
霧のなかに舟をひく人のすがたがぼんやり見え、その姿は前に傾いたり後ろに反り返ったり身をしなわせて舟を引いている。いまなら差別用語としてさっさと片付けられるちんばという情け容赦のない語も、ここでは却って一幅の山水画のなかの仙人みたいな詩語として昇華される。そして杜國の夕月。舟に揺られているおとこの視線がとらえた細い月。たそがれを横にながむる。こんな抽象的でドライな表現、いまの俳人はだれもできやしない。すごくモダンで気障で、感心します。

ところで、先日来、菊歌仙のナオの月で、もたつきましたが、いくらなんでも、きっちりと整理をしておかなければ、はじめて歌仙を巻くのに付き合ってくださった方々に申し訳が立たないと、調べていました。あいかわらず、東京堂の連句辞典が行方不明で、詳細なことをきちんと引用して説明することができません。こういう神隠しはしょっちゅうです。また出てきたら、引用いたしますが、とりあえずとりいそぎ。

函館の杉浦先生から、ばどさんの「朝の月あなたが置いた月見草」にたいして、「月の文字はとても重いです。二度も繰り返すのはくどい。有明の、と一語でよいのでは」との助言をいただきました。そのときは、なにげなく、ばどさんは川柳人だし、有明のようなみやびなことばでは、即物的な味わいがなくなりますから、このままでいきます・・なんて横着なことを申し上げてしまったのです。けれども、今日、『1990年の獅子料理』(窪田薫編)を読み返しておりますと、窪田宗匠が式目について書かれた文章がたっぷりとありました。そのなかで、月の件、マンスの月が出たら、異名の月にする・・というところがでてきました。一月二月などがマンスの月です。すっかり数字にばかり気をとられていて、肝心の二月のって文字を忘却していました。これはいくらなんでも、たしかにくどい。

ああそうだったのか。杉浦先生はそれに気づいておられてあんな助言をなさってくださったんだなあ。それじゃなくても、は一巻に三個も出ることばです。菊歌仙の場合、月見草にまで月がでる。であれば、先生のおことばどおり、有明にと変えたほうがすっきりします。 次の部分を変えます。

ナオ十一句目  有明にあなたが置いた月見草   bud

それと、雑の月はありませんでした。ただ、うわさの月といって、実体のない月はあります。紙の月とか。でも、それを使っても、ことばとして月がでるわけですから、やはり月の座になるでしょう。たしかにたしかに、月はなにより重いです。

こんばんは中秋の名月?でしたっけ。それとも十六夜の月でしたっけ。風が強いですね。昨夜はきれいな月がでていました。

砂の器

丹波哲郎さんが亡くなった。映画おたくといってもいい、一回り年少のおともだち、マリオットの盲点のあっさむさんのブログで、彼が「砂の器」に出ていたことを知る。ずいぶんむかしの映画だし、記憶のなかでは寒そうな海べりを、巡礼姿の貧しい父子がさすらっているシーンと、主演加藤剛のいかにも正統派ハンサムってかんじのワガエイリョウ像が残っていただけだった。だから、えっ丹波哲郎とか出てたっけ、とおもった。公開当時19そこそこの私は、なにも見ていなかったし、みえていなかったなあ。

去年、スマップの中居くん主役のテレビドラマで見た「砂の器」は、平和時の厳しい言論統制により、もっとも肝心な殺人にいたる動機を解く鍵であることばが、とうとう最後まで発せられず、これはいったいなに・・とことばをなくしてしまった。しかも、だれもそれに異を唱えないので、だんだんおそろしくてたまらなくなり、連句の同人誌にそのことを書かずにおれなかったくらいだ。ちょうど映画の字幕を翻訳するのが生業のひとが、そのあまりの言論封殺の厳しさに音をあげている文章を西日本新聞で読んだのもある。そのひとは、ドストエフスキーの「白痴」までさしかえよといわれた日には、こんな仕事やめてやる!という決意すらつづっておられた。(さすがにそこまではいかなかったようだが)。そういう文章を読むまで、あるいは中居版「砂の器」を見るまで、言論統制が厳しさを増していたことに気づかなかった。

さて、昨晩「砂の器」(昭和49年野村芳太郎監督)のデジタル版を一人深夜にみた。
場面の一こま一こまが、まさに連句的モンタージュ技法でつながり、気迫みなぎる画面構成に強い感動をうけた。丹波哲郎はもっとも出番の多い今西刑事役だった。そのこばんざめが森田健作。紙ふぶきの女を追って、線路の周辺をしらみつぶしに猟犬のごとく探し、血のついた布のワンピースを発見する役。ものがたりのなかで、印象に強く刻まれるのは、ことばをひとことも発しないで流される主人公の回想シーン。三十年たっても忘れることがなかった寒そうな海べりの場面は、竜飛岬だということを、今回のdvd版の特別付録で知った。

それぞれの裏方の強い個性とこだわりがぶつかりあって、あのような美しくも悲しい激しい真実のドラマが出来上がったのだと知る。一例では、オーケストラを使うシーンを一回撮れば、百万かかったそうで、それなのに、映像担当者は満足できず、も一度撮りなおしたという。あるいは、ひでおのやまいの父を馬車に曳かせたリヤカーで病院へ運ぶ、父子別れの胸をしめつけられる場面。あそこにどんな音をかぶせるか、効果班の一技師が二晩も徹夜して、馬が砂を蹴散らす音まできっちりていねいに音を拾ったのにもかかわらず、デモテープを二種類聴いた監督が、効果音ナシの音楽だけの映像でいくと決定。効果技師の苦労が報われなかった無念も、すべてあの映画には入っているというはなし。

そして、連句人の私がもっとも感銘を受けたのが、日本の四季の美しさを織り込みたかったという映像人の執念である。冬の雪、春の花(さくら)、秋の紅葉。夏のクーラーなどない刑事部屋の汗。日本にうまれるとは、こういうことなんだと、映像自身ががものを熱く語ってくれる。

らいの父が唯一はっする息子への愛情あることばが、そんなやつ知らない!という悲鳴にも似た否定のせりふである残酷さ。まっしろな障子の獄のなかから、車椅子の父が看護婦に運ばれてくる。そのときの加藤嘉、名演であった。すばらしかった。

加藤嘉:http://web2.kjps.net/~mn4812/katoyosi.htm

このひとの経歴をみますと、反戦思想にかたむき・・とある。ああ、石橋秀野の文化学院時代の同級生に、反戦映像監督の亀井文夫がいたなあ。と思い出した。文化学院は当時のおかねもちの子弟がいく、文化的に最先端の思想も最先端の、もともとは資産家西村伊作が自分のこどものために作った学校だったのだが、秀野はそこへ少女時代から通う、大学は共学で、集合写真に亀井文夫と秀野が一座して写っている写真がある。そうそう、眞鍋呉夫先生も文化学院を出ておられました。八女の郷土史家杉山洋さんは亀井文夫と秀野の関係を調べておられて、秀野の家が没落して、学費が払えなくなったとき、亀井文夫が学費を援助してくれたという一件をどこからか取材してこられました。私が調べたはなしではありませんので、詳しいことはわからないのですが、健吉とであうまえに、亀井さんと恋愛があったのかどうか。わからないけど、物語的には、あってほしい。だって、その亀井文夫というひとをちょっと調べましたが、ひよわなおぼっちゃんにみえて、気骨のある映像人として、お蔵入りになったけれども、反戦映画をあの時代に撮っていたようですから。そういう勇気ある男、いかにも秀野がこころをひかれそうなタイプとおもうから。

亀井文夫:http://www.yidff.jp/news/01/010807-2.html

と、こういうふうに、私のはなしはすぐ、石橋秀野につながっていきますね。笑

2006年10月 4日 (水)

歌仙「菊」 29

十   文字摺草のねぢれをとけば    聰子(恋・夏・場的自)
十一 朝の月あなたが置いた月見草    bud (夏月・恋)
十二  散歩の犬の鼻黒々と       清志(雑・場)
    ラジオ体操する人の列        雑・場に近い他
    ベランダに出るドア半開き        雑・場

昨夜いただいていた杉浦先生のつけ句です。ありがとうございました。
一句目、犬がいいなと思いましたが、鼻が大打越(ふたつまえの句)の太腿とおなじ身体用語です。それと黒々は赤も紫もあるし、ラジオ体操の句かベランダ句がいいとおもいました。ラジオ体操は夏の季語ですかね。夏三句は、許容範囲いっぱいいっぱいですね。ベランダ句は、きっちり前句をうけて、しかも次への余白を残している。ラジオ体操はゆたっとした日常の安心感を高いとこから俯瞰している視線。半開きのドアは非日常へのドアでもある可能性を秘めます。こういうさらりとした次へつなぐ句は、たやすそうでむずかしいのですよね。杉浦先生、なんどもありがとうございました。さばきがおくれてすみませんでした。不幸があって、手伝い方々、ばたばたしています。なんともいえない運命をかんじます。

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳  山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて      たから(新年、自)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年、自)
七  むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉  (恋・半)
十    文字摺草のねぢれをとけば     聰子(恋・夏・場的自)
十一 朝の月あなたが置いた月見草     bud  (夏月、恋・他)
十二                      清志() 

ナウ
一                          都(雑)

都さんに選句とナウ一、おねがいします。

きょうは、お葬式でした。ひさしぶりであう懐かしい親族のかお、かお。みんな、年をとってました。それなりに。それにしても、弟の命日に、弟のふたつ年下のいとこが亡くなるなんて。この世で一番の不幸は逆縁だといいますが、なんといってなぐさめようもない。でも、弟と違って、半世紀生きたし、子どもも三人いた。そういう意味では、しあわせだったろう。私のほうの血は、男が弱くて、女が強い。離婚した奥さんがきていて、ずっと泣いていた。愛しているんだなあとわかった。だれがわるいんでもない。ただ、嫁姑の仲がうまくいかなかっただけ。いとこは、どっちにつきようもなく、心では妻を愛しながら、母をすてることができなかった。離婚してからは寂しさのあまり、アルコールにはしった。中毒になるくらい。でも、こんな逃げ方をするくらいなら、ははをすてればよかったのに。でも・・それができるなら、しにはしなかったろう。ほんとうにかわいそうでかわいそうで、なみだがとまらない。

俳諧師・窪田薫追悼

きょうは、俳諧の連歌こと連句とは何かを私に初めてご伝授下さった札幌の俳諧師・窪田薫師(俳諧寺芭蕉舎宗匠)の八回目の命日です。窪田先生は、連句の裾野を広げるために、私財をなげうちさまざまな著書を出され、また日々全国を小鳥のように飛び回る郵便連句文音(ぶんいん)に、その生涯後半の情熱のすべてを傾けられました。数学や地質学・化石の研究、ドイツ語などの学者でありながら、そのなされた仕事の最大の功績は、連句を通じて芭蕉を伝え、芭蕉のなしたほんとの意味を現代の、「俳句」と正岡子規が名づけた狭義の俳諧しか知らぬ狭量な俳人たちに伝える仕事ーつまり本当の俳諧から切れてしまっていた私たちに、生き生きとした俳諧精神を吹き込んでくださったことです。まだまだ彼の業績は、全体像がつかめません。今後も彼のなした仕事は、称えられこそすれ、色褪せることはありません。連句協会登録連句人の多くが、一度はかれの文音に名を列ねたことがあったはずなのに、その大樹の木陰に身を休めたことがあったはずなのに、現在彼が忘れ去られたかのような日をおくるのは、かつての愛弟子としてさびしいかぎりです。窪田師に初めて出合った、『俳句ざうるす』(野間幸恵編集発行の月刊俳句同人誌)に書いたはずの窪田薫に関する文章を、さがしましたが、見つからず、しかし、連句協会報に連句誌「れぎおん」の前田圭衛子編集長のご依頼で書かせていただいた拙いながらもまっすぐ書いた文章が出てきました。それを引用させていただき、窪田先生をしのびたいとおもいます。  

「連句協会会報」 第112号 
            (平成12年2月1日発行)より転載させて頂きます。  

 俳諧師・窪田薫追悼

     「バナナの如き温故かな」

                     姫野恭子

 窪田薫師が亡くなられた、と知ったのは、十月四日から優に二十日も過ぎていた。その朝机周りを整理していると、窪田師からの手紙がハラリと落ちてきて、その中から連句誌「れぎおん」(編集発行・前田圭衛子)の紹介文が出てきた。旧漢字・旧仮名遣いの薫師自身が書かれた文章であった。懐かしくて床に座り込んだまま、何度も読んだ。亜の会前田圭衛子氏の電話で窪田師の死を知らされたのは、その日の昼のことだった。

 窪田薫師なぞと言うと堅苦しい。以前呼んでたように、窪田サンと呼ぶことにしたい。窪田サンと初めて出会ったのは、『俳句ざうるす』(編集発行・野間幸恵)誌上で、平成六年のことだ。四十代俳人十人ほどの同人誌で窪田サンは異彩を放っていた。私はその年まで、連句のれの字も知らなかったのだ。これは何?この人は何の話をしているのだろう・・・。そんな謎でいっぱいになり、いろいろと手紙で質問しているうちに、窪田サンは次々にご自分の著書を送って下さった。一冊ずつ読んだ。破天荒に時折まじる純真さ。並行するように、楽しくも恐るべき連句文音が、次から次へと郵便で回ってくるようになる。ほぼ一週間に二便ほどの早いペースだったと記憶する。この文音から、私は非常に大きな示唆をいただいた。

 窪田薫の数ある著書の中でも『モーツァルトが俳諧を巻いたなら’91』はすぐれて霊的な本であった。アンソロジーとしても、予言の書としても、批評書としても読めた。おそらくこの本が、彼の最高傑作ではなかろうか。ここでは大勢の連衆が主役で、彼は黒子として控えている。だが、随所に窪田薫ならではの配慮が伺えた。ちゃらんぽらんしながら、彼はいつでも考えていたと思う。私が一番感化を受けたのも、そこなのだ。無心に遊ぶことの楽しさと、無心に遊ぶことの寂しさと。

 窪田サン。二年前、なぜあんなものを依頼してきたのですか。札幌市民文化賞の推薦状。あれには目の前が真っ暗になりました。兼好法師が、「人間四十までに死ぬのがよろしい。なぜならそれ以上生きれば欲ばかり出てくるからだ」と徒然草に書いていたのは、本当だったと暗澹たる思いに駆られました。馬鹿正直な私はあの時つい、狙うならノーベル文学賞だ!と、一喝しました。事実、窪田薫の成した仕事は、それだけの価値があったと思います。

 子どもみたいな純真さは、連句を世界中に広めるためにあったと思います。亡くなられたと知ったとき、この二年の不義理を悔やみもしましたが、今は嬉しいのです。窪田先生があの世でせっせと文音を巻いておられる姿が浮んでくるからです。

 この秋福岡博物館にポーランドから浮世絵が里帰りしたのを見てきました。これはまさに「見る俳諧」でした。無数の橋脚を持つ俳諧は、人類がはるけき時空へと架け渡す偉大な虹色の橋です。

  一本のバナナの如き温故かな    窪田 薫

                               合掌

俳諧師:窪田 薫(札幌在住の数学者、化石学者、独語学者)
     平成十一年十月四日 歿 

 獅子 冠字  『普段着で』  
           作品番号 k-96-15

                            窪田 薫 捌

普段着でふらり甘縄初詣(はつまうで) 窪田 薫
  團地サイズの初夢の中   野間 幸恵
行儀よく未墾の畠追ひ求め   姫野 恭子
 電信柱に頭ぶつけた     阿部 みち子

風船は手もとを抜けて川の上      三栗 健
  ランチメニューに木の芽和へ有り  前田 亜弥
龍眼の菓子楊貴妃に花の散る     小出 きよみ
  あっといふ間に過ぎし千年      宮下 太郎

先づ一杯うまいお酒を夏の膳      中野 嘉弘
  なほも馳走は目に青葉なり      永田 圭介
我儘と思ふが御簾は揚げたまま    河村 まさあき
  激しき戀は荒き瀬のごと       平吹 史子

つんのめる姿で歌へ天城越え        恭子
  待てど暮らせど忍びよる秋      澁谷 道
海底(うなぞこ)に月の屍があるといふ   別所真紀子
  出ました鯊が法螺を出任せ       窪田 薫 

註:獅子は四句×四連の短い形式。ソネット風。
  冠字(かむりじ)とは一句の頭韻(句の出だしの音)に発句の中の音を順にのっける詩型。
  頭韻を上から順によめば、発句になる、一種のしりとり(あたまとり)。

  平成八年元旦起首 六月四日満尾 文音
 『郵便的、薫風連句年鑑98・99  薫槐』 第三号所収
                                     

2006年10月 2日 (月)

月の座

俳諧歌仙36句のなかには、花の座が二つと月の座が三つあります。
歌仙一巻のなかで大事とされるのは、この五つの座と、ほかに恋、無常、神祇、釈教の句です。芭蕉さばきの歌仙では釈教の句を芭蕉自身が詠んでいることが多いことを思うと、仏事をとても大事におもっていたことがわかります。

花と月がなぜこうも大事に歌われてきたのか、それはうつつと夢幻にまたがる象徴的なものだからだと思うものです。先日筑後地方に天文年間から伝わる氷室の歌を紹介しました。よく意味がつかめない歌です。春秋を分か(け)るはかりか松かさき。これがその上半身。マツがなぜ重要なのかはお能の影向の松(ようごうのまつ)でも象徴的なように、この世とあの世とを隔てる仕切りとしてのメタファーだからです。であれば、あの読めそうで読めない歌のこころも先日読んでみたとおりでいいんじゃないかなあと思うものです。陰暦においては、月、太陰中心ですし、時空間が一致します。方角と時間が重なる。その仕切りは、秤は、松がさきだということばのしゃれ。

さて、月です。歌仙では三箇所に月をあげる。月といえば秋の代表的季題ですから、当然秋の月なのですが、三箇所あるうちの一箇所は別の季節の月でもいいことになっています。そして、長句で三つともそろえずとも、一つは短句があってもかまわない。中には二つ短句で月を出している芭蕉の歌仙もありますが、それはまれです。

きのう、ばどさんの月見草の句を月の座にとってしまいました。しかも前句にねじばながあります。草に草でつけた。月本体じゃなく、月の字の入った草を。式目的には幾重にも難問が重なる句を選んだものです。おなじようなのがないか、見てみました。芭蕉七部集。すると、月はちがうけど、ちょっと似たかんじで前句と同じ草が続けて出ているのを見つけました。ひきます。

灰汁桶の巻(猿蓑、去来・凡兆編集、芭蕉監、元禄年間)。

ナオ 五 すさまじき女の知恵もはかなくて   去来
    六   何おもひ草狼のなく        野水
    七 夕月夜岡の萱ねの御廟守る     芭蕉

これは秋の月です。ですが、おもい草に萱ね(かやね・すすきなどのかやくさに寝ると根方を想像させることば)でつけている。これは縁語なのでしょう。おもい草、しのぶ草。恋句であります。芭蕉がやはり無常、釈教の句、そして恋もかねている句をだしています。ほんとうに芭蕉は恋がうまいなあ。「娘を堅う人にあはせぬ」(「梅が香に」の巻)なんて、天才的だとおもうもの。たったこんだけの文字で、厳格な父親と箱入りの大事な娘とのきっちりとした愛情が伝わるものね。

参照)

おもひ草:http://www2.odn.ne.jp/cbm54970/nanbangiseru.html
しのぶ草・わすれ草・萱:http://www.asahi-net.or.jp/~zz8k-tmng/plants/sinobu.html

梅が香にの巻 (炭俵、野坡他二人越後屋手代の選、元禄)
ウラ 
一  御頭(おかしら)へ菊もらはるるめいわくさ  野坡
二    娘を堅(かと)う人にあはせぬ       芭蕉
三  奈良がよひおなじつらなる細基手(ほそもとで)野坡  
  

と、それはおくとして。私は『連句辞典』を探しているんですが、どこかへいってしまって不明です。知りたいのは、雑で月を出すとき、どんなコトバがあるのか。(そもそも雑の月ってあったっけ。わすれちゃったよ。)娥眉、西王母、桂男、玉兎などの月の異名は杉浦先生のご指摘のように、秋の月なんです。でも、たとえばそれを絵に描くとか、あるいは音楽のムーンリバーとか、はたまたpaper moon とかできないこともないけど、ものすごくくどくなる。ばどさんが書かれていたように、月に本来特定の季節はないと思いたい。けれども俳諧では月とかけば、すぐさま秋の季語と特定されます。だから、とてもむづかしい。かなり考えましたが、私の貧弱な頭脳では解決できず、ばどさんのドアを朝の月に変えさせていただきました。せいいっぱいやりましたが、すみませんでした。これで勘弁してください。また、なにか代案があればどうぞおっしゃってください。  

 学歴とか家柄とか太腿とか       蛉 ・恋
  文字摺草のねぢれをとけば      聰子 夏・恋
 朝の月あなたが置いた月見草    bud 夏月・恋

杉浦先生、これでよろしいでしょうか。夜おそくなってしまってすみません。ではよろしくおねがいいたします。

月見草:http://www23.big.or.jp/~lereve/saijiki/167.html

月は、形而上だとつくづくおもった。たましひの世界。

告悔口上

    告悔口上 

                 姫野恭子

 主よ 
  あなたが彼に負わせた荷は
 重すぎて  彼には
 潰れてしまうほどに重すぎて。

 二千年もの時を隔てても
 決して色褪せる事のない
 一人の男の 鮮明で
 大いなる死が
 この小さな星の上で
 際限なく繰り返される  人々の
 修羅の歴史を塗り変えゆくように

 私には彼の  みじめな死こそが
 これまで無意味に生きてきた私の
 うす汚れた歳月を拭(ぬぐ)う
 確固とした  手形となる。

 この方は  まこと神の子であったと
 自分達の手で屠った  その男を
 人々が悼んだように
 主よ  お聞き下さい
 私も彼を屠りました!
 自らの安穏な生と引き替えにー

 されど  主よ
 彼は死を投げたその手で命を摑み
 年ごと  私の心の廃園に
 杳(くら)い緋色の実を結ぶ。

 〈 選評 〉 丸山 豊

 宗教的な視点から人間存在の本質を問うのが宗教詩であろう。姫野さんの詩は告悔のかたちをとり、宗教詩のカテゴリーに入る。あまたの宗教があり、おびただしい入信者をもつにかかわらず、今日の日本には宗教詩がすくない。宗教詩の価値判断については、宗教性と美学との二つの立場があって容易でないが、もっと宗教に関与する詩が作られてよいはずである。そういう意味で今月は姫野さんの作品をとりあげてみた。(1987年2月2日、西日本読者文芸詩欄)

 きょうは弟の命日です。福岡大渇水があった昭和53年のきょうの昼、シンナーによる急性薬物中毒で死にました。

2006年10月 1日 (日)

歌仙「菊」 28

お求めの句を付けられなくて 杉浦清志 (09/30 15:15) NEW
削除
ごめんなさい。それで結構です。

 スカート句や片仮名句については、私は姫野さんとは考え方が違います。というか、感覚が違うのでしょう。あんまり気にしません。というか、なりません。

 新総理が所信表明演説でカタカナ語を多用したのは、国民にわかってもらう姿勢とか、美しい国とか言いながら何で美しい日本語を使わんのじゃ、と思いますが、彼のようなカタカナ語でなく、現代の日本人の生活に溶け込んでいるようなカタカナ語なら全く差し支えない、というのが私の考え。

 1巻を捌くのは捌き手の裁量でよいと思いますが、私が捌く場合は、自分の感覚や思考で染め上げるのではなく、付句してくれる人個々の思考や感覚を出来るだけそのまま生かしたいと思っています。だって自分と他人の思考や感覚が違うのは当たり前で、そういう個性の違う人同士が言葉のキャッチボールをするのが連句の面白さなんじゃないか、と思ってますから。

杉浦先生からいただいた返信です。
あのようなぶしつけで無礼きわまるようなことをいったさばきにたいして、このような穏やかで、やさしい、でもほんとはきつい本質的なことをおっしゃってくださいました。あたまがさがりました。ことに最後の数行、胸をうちます。先日家裏の仙人草を見て詠んだ句、「一喝の声もやさしき仙人草」をおもいださせる先生のことばたちでした。あのまま、先生のとてもよく付いていた、とてもいい句たちから選句して置いていたら、このような先生の肉声がはたして聞けたでしょうか。

まっすぐ、真剣に、勝負するようなかたちで、本音を聞きたかった。不意をついて、ころがりでる本音を、職業や性別やもろもろの人間としてのしがらみを脱ぎ捨てたところにある本質的なはだかのぶぶんを、しりたいとおもった。それが一巻をまくあいだにできなきゃ、何もしないほうがましだとおもった。風のなかにはだかで立つのですから。

あなたが求める句を想像するのは難しい。
月に季節を求めるのは無理なような?
夏の月なんて思い浮かばない。恋と月だけで考えてみました。

ためらいに立待月がついてくる

しのびあう朝露に濡れ月が泣く

朝のドアあなたが置いた月見草

上記は、ばどさんから届きました。たいへんなときにご無理を言って、失礼いたしました。
一句目、「立待月」は仲秋の季語、月の出が午後七時ころの月で庭などで立って上る月を待つという、とても風流な季語です。川柳人であるばどさんが、月をどうみておられるのかが少しわかります。私はこのばどさんを、川柳人倉本朝世さんのブログ、ノーマークで知りました。いまどきこのようなはだかのむきだしの純粋な人がおられるってことが驚きでした。あまりのことにずけずけと言って、傷つけたこともあります。人はじぶんの理解をはるかにこえる人にたいして、攻撃的になるか無視するか軽蔑するかのいずれかでしょう。わたしは、ばどさんをわからないけど、知りたいとおもいました。そうおもったのは、「しまった傷つけてしまったぞ」と思ってからです。(農業土木参照)

  見てるかな小さなぼくをお月さま   bud

たしか、こうだったとおもいます。いつかノーマークで見たばどさんの月です。三人の子と妻と別れて、、一人、はちゃめちゃ無軌道無頼の暮らしをなさっている人の句です。なんとなみだがでそうな月の句でしょうか。これが五十を五つもすぎた大のおっさんのよむ句でしょうか。こころがふるえました。

はだかで風のなかにたつのです。人はみな。

一句目はばどさんのいまのためらいそのまま。二句目、いただきます。三句目、これが一番のできでした。これをいただきたかった。しかし、草がまえにでています。すぐ前ならすりつけでウツリ手法でいいかともおもいましたが、。

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋・自)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋・自)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋月・場か半)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑・半)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑・自か他)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬・場)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬・場)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前・半)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋・半)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ・自)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事・他)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑・場)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月・場)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋・半)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋・場)
十    言へないことば少年にあり     たから(雑、恋前・他)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝     bud (花・春・恋・半)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦  恭子(春、恋・場的半)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳  山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて      たから(新年、自)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年、自)
七  むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉  (恋・半)
十    文字摺草のねぢれをとけば     聰子(恋・夏・場的自)
十一 しのびあふ朝露に濡れ月が泣く     bud(恋・夏月・半)
    朝のドアあなたが置いた月見草
    
十二                         清志(雑) 

置いてみました。なんて月見草の句のすばらしい。余白があり、情感があり、おもいやりそのもののかたちで、一句が存在します。はたして、こんな句が、連句人に出せるか。出ないでしょう。式目があるからです。月の座に草はないだろうと。または、月がさわるからと宵待草にチカンするか。でもこれは月見草だからいいのだ。

杉浦先生。ご相談ですが、前句を受ければつきみそうがよく、さわりをおもえば、朝露句になります。こういうとき、さばきはどうすればいいんでしょうか。わたしは草をいただきたい。そして、次の先生に書割の月をあげてもらいたいとおもいます。お考えをお聞かせください。

あさ早くから、たぶん四時くらいから、五句目のスカートの件を再考し再考し、もうわからなくるくらいに再考し、はたと浮んだ「紺袴」に飛びついて代えてみたけど、だんだん自分のやってることが、ちっぽけな瑣末なことにおもえてきて、ああもうスカートのどこが悪いんじゃ、どこが軽いんじゃ、いうてみいというきもちになってきました。だから、また、もどします。ここまでやって、はじめて、自信をもってこの句を世に出せる。じっと、オモテブリについて考えてました。

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