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2006年10月14日 (土)

歌仙「菊」 36

挙句について、杉浦先生のご意見をお聞きしました。

一つ、韻字(漢字)止めの打越(ばどさんの目刺のる卓の句)に同じ韻字止めを避けた。
一つ、挙句はねばってはいけない。あっさりおさめるのがいい。

というご意見でした。

このご意見を読み、赤面しました。いちばん痛いとこを突かれたからです。

とめかたのことは余り問題ではないのです。自分で杉浦先生に挙句を頼んでおきながら、それを不服とし、自分の気に入るように変えたこと、それも問題じゃない。それはさばきのいる連句文芸では周知のことだからです。

そうじゃなくて、「ねばるのはよくない」というこのことばにやられてしまった。

なぜ、あっさりしすぎている、余情がたりない、なんて思ったのだろう。
ぶっきらぼうに感情をこめる、つんのめるように突然おわる、そんなのもありってなぜ思えなかったんだろう。きしょくわるいきざはしだなんて、いかにもひとむかしまえのフォークシンガー(たとえば谷村新司)がもってきそうなコトバをもちだしてきて、一人悦にいってたのが、超はづかしい。

浅知恵を軽く一蹴されてしまいました。もっとも、浅知恵の持ち主じゃなきゃ、こんなおっちょこちょいのネット文音なんてことは最初からしやしません。

歌仙「やわらか戦車」  

  起首平成18年8月29日(火)  満尾〃年10月14日(土)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 恭子
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 聰子
四    シナモン味のパンをください     倉本 朝世
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 清志
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 都

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む   澄 たから
二    よく似た痣を見せ合つてをり     朝世
三  短髪のうなじはほそき指睦び     bud
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉
五  親王誕生こんなところに祝ひ旗    恭子
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都
十    言へないことば少年にあり   たから
十一 黄昏におさげひっぱる花篝     bud       
十二   ひらきひもとく春潮の渦     恭子

ナオ
一  亀鳴くや張りて重たき右の乳       山本伽具耶
二    どろどろどろつとぐちやぐちやぐちやと   蛉
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子
四    吹雪の中をサラ金に行く       清志
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて    たから
六    きさらぎになり書く初日記      bud
七  紫の魚棲む昇仙峡の瀞         恭子
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉 
十    信夫(しのぶ)もぢ摺ねぢれをとけば 聰子
十一 朝の月あなたが置いた月見草     bud
十二   ベランダへ出るドア半開き      清志

ナウ
一 黒人霊歌(ソウル)流れ祈りは海の底に積む  都
二    「やわらか戦車」退却します        蛉
三 酔客はただの茶漬けをご所望に      聰子
四    ぶつきらぼうに目刺のる卓       bud
五 初めてのやうにいくたび花待つや     たから
六    卒業生を昨日見送り            清志

仮名遣いですが、偶然、きのう難波津宮跡から発掘された「はるくさのはしめのとしは」という万葉仮名の木簡までが旧仮名を後押ししてくれました。冬樹蛉さんの発句を思えば現代表記かな・・という迷いを、この一件が払拭してくれました。七世紀からまっすぐにつながる一本のひかりの線です。題名にいただいたやわらか戦車だけは、漫画の題名ですからそのままです。

思いやりなんてないに等しいさばきに、一月半もお付き合いしていただきました。ほんとうにありがとうございました。この連句作品は、「連句誌れぎおん」冬号に掲載していただく予定です。
        

※ いまひとたび挙句ですが、なんども、原句ときざはし句と置き換え置き換えしてみて、どうしてもやはり、きざはしのほうがよいように思えます。確かに気障でくさいことばではあるのです。しかし、明日のほうを向いている。それが、花を待つ句のこころに添っているからだとおもいました。うん。きっと、そうだとおもいます。ゆれていたのは、昨日ということばにひっかかっていたからなのでしたね。もう、これでゆれません。漢字じゃなく、きざはしと書けばはっきりしますが、きざはしはきざしと似ていて、音自体によきことのきざしみたいなそんな予兆があることに、今気づきました。それにこの語だと、見送る人、送られる人、どちらも同じ途上にいるのですよね。「セーラー服と機関銃」も始まったことだし。って関係ないかな。

けっきょく、丸二日迷いました。自分の美意識を押し付けてはいけない。なぜ強要したくなるんだろうかなあ。しかし、杉浦先生の原句をいただきます。これにはこれの絶対的なよさがあるからです。

なんどもゆれながらも、言葉を敲く(たたく)こと、それが心ゆくまで出来たとおもいます。 
おもえば、連句の入り口を教えてくださった窪田先生、連句の文芸としての厳しさと文学としての深みとを教えてくださった前田先生。そして、句を通して、人のいきざまを教えてくださった連衆のみなさま。ただただありがたいです。私は相変わらずきざはしにいて、のぼったりさがったりさがったりしています。いい作品ができたと思います。たくさんの偶然がありがたい歌仙でした。ありがとうございました。

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