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2006年9月15日 (金)

切字論と寺山修司

「切字論」川本皓嗣・著を書き写しております。切字きれじというわりには、共通の認識がないような気がずっとありました。俳句をはじめて十五年ほどたちますが、最初に知る切字の「かな、や、けり」、批評のときによく目にする「句に切れがないから深みがない」ということば、はたまた、たった17音の俳句の途中に切れを作るということの意味。そういえば、いつか書いた川柳家・倉本朝世についての文に、川柳と俳句についての素直で深い意見を述べていた青森高校三年生だったころの寺山修司の文をかなりの量、引用した記憶がある。ちょっと待って、さがします。http://www.geocities.jp/nomark6061/toge8.htm(倉本朝世「no mark」あざみのとげ7と8の8のほう)。この冒頭の二十行ほどが修司の書いた文章ですが、彼は高校生ですでに切字とは何か、そこらのちゅうくらい有名な俳人よりわかっていて、というよりむしろ切字とはなにかを必死で考えたあとが歴然と認められることに、たいそう驚かされます。十七歳の彼は文字ではなく、断層そのもの、虚空そのものを切字ととらえている。

私も切字とはなにか、さっぱりわかりません。

それを深く考えて、腑分けして、きっちりつめてくださった川本皓嗣 という人の仕事を、とても素晴らしいと思います。ということで、ぼちぼち続けます。(朝世さん。引用ありがとうございました。)

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