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2006年9月30日 (土)

永井菊枝歌集『日本哀歓』 1 

「君が代を国歌としたり太郎乙」の直系の孫にあたる三鷹の永井菊枝氏(「宇宙風」所属歌人)が、八月中旬に『日本哀歓』と題する歌集を上梓されました。突発的にはじめた連句にかまけ、ご紹介が遅れてしまいましたことをお詫びいたします。今日、拝読いたしまして、太郎乙の歌のながれが菊枝氏のうたのなかにも脈々と流れていると直感いたしました。

まず、歌の素材でございますが、名所旧跡を訪ねた吟行歌が多く、菊枝氏の歴史に対する造詣の深さを知ることが出来、見所を教えてもらうことができます。

旅されたのはとても多彩な地に亘っています。幾首かひいてみます。

    爪木崎

この海につらなる果てに戦ひし
      五十年(いそとせ)前を夫は語らず

海に向く斜面(なだり)を占めて一せいに
      野水仙の白き群落そよぐ

    北京・西安晩夏

仲麻呂も空海も見し長安の夏空に逢ふ
             はるけくも来て

玄奘が負ひて持ち来し経典を
      納めし大雁塔いま登る

    上高地にて

岸のべの樺(かんば)柳に触るるまで
      みなぎり溢れ梓川ゆく

這松の根元に小さきコマクサの
      紅かすませて霧浸しくる

※コマクサ:http://web.hakuba.ne.jp/potatoes/botanic/komakusa.html

ひは色のけしやう柳はさやぎをり
      夕川べりの逆光の中

     奈良の諸仏

たをやかに首(かうべ)かたぶけ語るがに
      天女は唇(くち)を僅か開けます

     ロンドンよりパリ

サルトルとボーボワールが逢ひしといふ
      カフェに我が居り氷菓(シャーベット)舐む

     殯宮伺候(もがりのみやしこう)

菊灯台ほのか灯せる寂莫の
        殯宮につつしみ参る

み柩の咫尺(しせき)のあなたましませば
         息づかひさへひそめさもらふ

さもらへば次第に浮ぶ戦争と
         共に経まししみ苦しみなど

国敗れマッカーサーとならぶ天皇の
        小柄の御影(みえい)悲しかりしか

       熊野

三つ足の八咫の烏の神(かむ)じるし
        妖しや神代のごときみ社(やしろ)

       お茶の水界隈

変らずにあるが哀しさ学び舎に
        近くニコライ堂湯島聖堂

クローバーの片敷く「センチが丘」に居て
        感傷(センチ)と言ふを知りそめしかな

そのかみの学生(がくじょう)たりし祖父(おほぢ)らも
        行き通ひけん昌平坂みち

「素読出精銀子三枚被下(そどくしゅっせいぎんすさんまいくだされ)」と江戸の世の賞状(ふみ)今に残れど

※ これは「小伝 乙骨家の歴史ー江戸から明治へ」(永井菊枝著、星雲社刊)の記載によれば、江戸城詰めの御家人だった乙骨家の十二代目乙骨太郎乙が子ども時代(昌平黌時代)にもらった賞状のことです。昌平黌しょうへいこう=昌平坂学問所。江戸でいちばんの学校。湯島聖堂あたりがその跡地なのかな。七夕に初めて訪れ、薮蚊にさされながら「学問成就湯島聖堂えんぴつ」を1ダースおみやげに買いました。こどもはいらんいうので私がつかっています。

界隈をなつかしみ辿りし夕暮や
                  明神下の酒樓に上る   

            ( この項、つづく )   

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コメント

永井菊枝さんは、乙骨太郎乙(君が代を国歌に発掘した)直系の子孫。この人の歌集を読んだわたしは、石段とかいて「きだ」とルビをふった歌を覚えていました。きだ。階段をきざはしと読むのはよく見かけますが、段で「きだ」のよみはこのときがお初でした。よくひびくことばです。

大雁塔(だいがんとう)↓

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