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2006年9月30日 (土)

永井菊枝歌集『日本哀歓』 1 

「君が代を国歌としたり太郎乙」の直系の孫にあたる三鷹の永井菊枝氏(「宇宙風」所属歌人)が、八月中旬に『日本哀歓』と題する歌集を上梓されました。突発的にはじめた連句にかまけ、ご紹介が遅れてしまいましたことをお詫びいたします。今日、拝読いたしまして、太郎乙の歌のながれが菊枝氏のうたのなかにも脈々と流れていると直感いたしました。

まず、歌の素材でございますが、名所旧跡を訪ねた吟行歌が多く、菊枝氏の歴史に対する造詣の深さを知ることが出来、見所を教えてもらうことができます。

旅されたのはとても多彩な地に亘っています。幾首かひいてみます。

    爪木崎

この海につらなる果てに戦ひし
      五十年(いそとせ)前を夫は語らず

海に向く斜面(なだり)を占めて一せいに
      野水仙の白き群落そよぐ

    北京・西安晩夏

仲麻呂も空海も見し長安の夏空に逢ふ
             はるけくも来て

玄奘が負ひて持ち来し経典を
      納めし大雁塔いま登る

    上高地にて

岸のべの樺(かんば)柳に触るるまで
      みなぎり溢れ梓川ゆく

這松の根元に小さきコマクサの
      紅かすませて霧浸しくる

※コマクサ:http://web.hakuba.ne.jp/potatoes/botanic/komakusa.html

ひは色のけしやう柳はさやぎをり
      夕川べりの逆光の中

     奈良の諸仏

たをやかに首(かうべ)かたぶけ語るがに
      天女は唇(くち)を僅か開けます

     ロンドンよりパリ

サルトルとボーボワールが逢ひしといふ
      カフェに我が居り氷菓(シャーベット)舐む

     殯宮伺候(もがりのみやしこう)

菊灯台ほのか灯せる寂莫の
        殯宮につつしみ参る

み柩の咫尺(しせき)のあなたましませば
         息づかひさへひそめさもらふ

さもらへば次第に浮ぶ戦争と
         共に経まししみ苦しみなど

国敗れマッカーサーとならぶ天皇の
        小柄の御影(みえい)悲しかりしか

       熊野

三つ足の八咫の烏の神(かむ)じるし
        妖しや神代のごときみ社(やしろ)

       お茶の水界隈

変らずにあるが哀しさ学び舎に
        近くニコライ堂湯島聖堂

クローバーの片敷く「センチが丘」に居て
        感傷(センチ)と言ふを知りそめしかな

そのかみの学生(がくじょう)たりし祖父(おほぢ)らも
        行き通ひけん昌平坂みち

「素読出精銀子三枚被下(そどくしゅっせいぎんすさんまいくだされ)」と江戸の世の賞状(ふみ)今に残れど

※ これは「小伝 乙骨家の歴史ー江戸から明治へ」(永井菊枝著、星雲社刊)の記載によれば、江戸城詰めの御家人だった乙骨家の十二代目乙骨太郎乙が子ども時代(昌平黌時代)にもらった賞状のことです。昌平黌しょうへいこう=昌平坂学問所。江戸でいちばんの学校。湯島聖堂あたりがその跡地なのかな。七夕に初めて訪れ、薮蚊にさされながら「学問成就湯島聖堂えんぴつ」を1ダースおみやげに買いました。こどもはいらんいうので私がつかっています。

界隈をなつかしみ辿りし夕暮や
                  明神下の酒樓に上る   

            ( この項、つづく )   

歌仙「菊」 27

杉浦先生から恋句三句いただきました。入試とか出張とかでとてもお忙しいみたいです。
そんななかご無理を言ってすみませんでした。初めての句をつけてくださったときと同じ、深夜でした。厚くお礼もうしあげます。とともにほんとにすみませんでした。

しかし、いただいた三句は、どれも私の求める句ではありませんでした。知でつけてある句です。あたまからでたことばたちです。そうじゃなく、思いの深いこころのたましいの恋句がここにはなければいかん、とおもうとです。

私は学はありませんが、これまで前田圭衛子先生から連句とはなにか、その真髄を、手をとって一から教えていただきました。いちばん大事なことは、やはり「こころでうけて、こころでつける」でした。どうか知ではなくて愛をください。

今一度、夏の月をばどさんにつけてもらいます。杉浦先生へ失礼をしたとは思いません。
ここだけはゆずれないとおもいました。
ばどさん、よろしくおねがいします。まちます。

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋・自)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋・自)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋月・場か半)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑・半)
五  紺袴はらり自転車から下りて   杉浦 (雑・自か他)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬・場)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬・場)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前・半)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋・半)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ・自)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事・他)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑・場)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月・場)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋・半)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋・場)
十    言へないことば少年にあり     たから(雑、恋前・他)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝     bud (花・春・恋・半)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦  恭子(春、恋・場的半)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳  山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて      たから(新年、自)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年、自)
七  むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉  (恋・半)
十    文字摺草のねぢれをとけば     聰子(恋・夏・場的自)
十一                        bud(恋・夏月)
十二                        清志
 (恋離れの雑) 

2006年9月29日 (金)

歌仙「菊」 26-2

鍬塚さんの恋句は、もじずり草をいただきたいと思います。ことばの響きと内容と一句のもつ余情が、いちばんでした。やさしい心の恋の句だとおもいました。それに蛉さんの句ともよくついています。もじずり、ねじばなは夏でした。

ついでに、今月の「樹」あとがきで主宰の瀧春樹先生が書かれた文章を引きます。

〈陸奥(みちのく)の忍ぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに〉という源融(みなもとのとおる・通称・河原左大臣)の心の乱れと捩じ花の有様がマッチしているという主旨のエッセーがあった。これに対して夏田風子は、このもぢずりは陸奥の国の織物の名前ではないかと便りを寄せた。鍬塚聰子からも同様のメモが寄せられた。
 文献を見るとこのしのぶは①信夫郡から産出したものだから、②しのぶ草を摺りつけたものだから、③乱れた模様が忍ぶ草に似ているからなどの説があるが、どれも定説ではないらしい。
 しかし、しのぶ文字摺りの石というのが信夫郡(福島市)の文知摺観音の境内にある。この石は小高い丘の上にあって、麦の青葉を摺りつけると意中の人の姿が現れるというので、物好きな人たちが試みた、という事が伝わっている。加えて実しやかに、麦を荒らされて困った百姓たちがこの石を下の谷へ突き落とした、ということになっていて、これには芭蕉も疑問を呈している。従って今は石は裏返しになっていて、模様のある方は土に埋まってみえないらしい。そんなロマンのある石を一度訪ねてみたいものである。(瀧春樹主宰)
参照:
http://www.jtw.zaq.ne.jp/tanakun/watch2/nejiba.htm
    http://www2.ttcn.ne.jp/~tabi/axmojizuri.htm
    http://www.bashouan.com/pnShinobu.htm

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋・自)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋・自)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋月・場か半)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑・半)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑・他)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬・場)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬・場)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前・半)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋・半)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ・自)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事・他)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑・場)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月・場)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋・半)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋・場)
十    言へないことば少年にあり     たから(雑、恋前・他)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝     bud (花・春・恋・半)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦  恭子(春、恋・場的半)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳  山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて      たから(新年、自)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年、自)
七  むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉  (恋・半)
十    文字摺草のねぢれをとけば     聰子(恋・夏・場的自)
十一                        清志(恋・夏月)
十二                        bud (恋離れの雑) 

付け順ではこうなります。とても大事なさいごの恋とおぼしめして、心情のせつせつとつたわってくるような句をお願いいたします。 じつは、まよいました。経験豊かなばどさんへふるべきか、それとも、えらい学者さんだけれども、たぶんおそらくきっと恋愛経験はこころもとない杉浦先生にふるべきか。(すみません想像です)。八月の末に始めまして、まだひとつきとちょっとしか経っていないのかと、時間感覚がへんなかんじです。付け句をお願いするときは、それぞれの方の家頁に参じておりますが、この杉浦先生がおられるおかげで、どれだけ助かっているかしれません。うるさいことはおっしゃらない。質問には短く的確に答えてくださる。知らんことはあっさり知らんていわれる。年が自分と一つしか違わないから、あまり気を遣わず聞きやすいのもありがたいです。

ここ、けっこうむずかしいところだとおもう。身体用語はウチコシにもう出ている。そして、前句が由緒にちなむような歴史のあつみを負った恋句です。時間かけてくださってけっこうですので、どうかひとつよろしくおねがいいたします。ウチコシの蛉さんと杉浦先生とは、しごとで扱うコトバの種類こそ違え、主知派に属するカタイカタイ星人ということで、すでにさわってるのかもしれないなあとおもいつつ。

 

歌仙「菊」 26

名残おもて(ナオ)

七  むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九   学歴とか家柄とか太腿とか      蛉  (恋前)

  イ 君を殺めん檜扇あやめ        聰子(恋)
  ロ 文字摺草のねじれをとけば
  ハ ブラジル原産含羞草なり

鍬塚さん。すごい恋句ですね。想像するだに大勢の前で挨拶とか、社会的な肩のこるシゴトではありますねえ。それをやっつけたあとでこれを出していただけたことが、やけにうれしいです。いやあ、蛉さんの鋭くて新鮮な感覚の恋前があったればこそかな。都さんの前句に細い糸でついていて、なおかつ恋に転じるには、これが一番だと私も感じます。ほんとに固い文章しかなくて、エッセイ集の題をざっとみて、「ラブレター」ってのがあったから、やれよかったと開けば、これがもう、ぜんんぜん色気がないことおびただしい。笑。どうしようっておもったまじで。でも、よかった、機関銃のようなことばのなかにそれがさりげにあったのを、すかさず発見したときは、まるで、まるで何十枚も重ねたフトンの下の豆に気づいたみたいなきぶんだった。やれやれよかった-

きのうあさ、お寺にいかなくちゃならず・・八女で一番古いお寺なんですよね。490年つづくお寺です。みんなで精進料理作って、おぼうさまのお話を聞いて、そして、おいしくいただいて帰りましたが、そのあいだもずっと菊歌仙のことばかり考えていた。やっぱ太腿だろなって。そいじゃなきゃ[発情しました]かのどっちかだろうと。手塚治虫の戒名にも心が動いたけど、弔電があり、寺がありで、同じ面に三つも釈教はいらないからですね。

ということで、しあわせなきぶんで選句いたします。下線部は季語です。
イは君をあやめんと、とアヤメも入っている。ひおうぎあやめ、ってどこかで最近みた。鍬塚さんのブログだったか、おととい来た樹(たちき)でだったかな。うん。扇をパチンと閉じるっての。鐘下さん演出の舞台に立たれたときのおはなしでしたね。肉体を通した表現のすごさってこと。そうだった、そしてその声にならない沈黙の肉声が、役者さんの連衆のカラダにいきわたり、みごとな連帯感が生まれる・・という得がたい体験をなさったんでございましたね。鍬塚さん。石牟礼道子さんとのお写真もきれいでした。あそうそう。おもいだしました。以前わたしのまいた恋歌仙で、「美貌の石はすでに発情」というのけぞるような短句を出してくださいましたね。あれは忘れませんとも。それと、しみじみした「凍てし夜は足の萎えしをむぞうがる」というのも名句でした。

もじずりそうは春じゃなかったっけ。しのぶもじずりと花の関係がどうのとかあったね。ちょっとしらべまさ。ひるすぎまで。

参考: 演出家・鐘下辰男http://www5d.biglobe.ne.jp/~cottone/KanesitaDou.htm

道士郎でござる

道士郎でござる

八巻まで集めたでござる。自分のお金で。(こどものを横取りじゃなく。

丸山豊と西東三鬼

きのう読んでいた本で、「水上源蔵という言霊」(5/7付かささぎの旗)に取り上げた久留米の母音派の詩人で、私がこの世界に入る機会を作ってくださった故丸山豊先生のことが書かれている箇所にばったり出合いました。『証言・昭和の俳句』上巻(角川選書333)の鈴木六林男(むりお)インタビュー(聞き手・黒田杏子)より引用します。(p64)

 新聞社によっては記事に書くことと書かないことがあります。丸山豊という詩人に『月白の道』という単行本があるんです。全集も創元社から出ています。そこでは「退却ばかりやった。戦争のことは書けないことに書かないことがある」ということを言っています。大岡昇平の「野火」のなかで、日本人の敗残兵が日本兵を射殺して焼いて食う話が出てきますね。それに類するものじゃないでしょうか。「書けないことと書いてはならないことがある」というのは。そういう書きづらいところがありますね。それを正直に書くと検閲に引っ掛かる。いまでもちゃんとした検閲のコードがありそうでね。(西東三鬼についての鈴木六林男の一連の談話)

鈴木六林男氏は最近亡くなりましたが、山本健吉の評論などでもたびたびお名前をおみかけする長老俳人でした。それで、気になることもあって、ぼつぼつ読んでおりますが、当の健吉への文句が書かれている箇所もございました。引きます。

 西東三鬼が難に遭う(※京大俳句事件。新興俳句運動にかかわる多くの俳人が特高に捕まった事件。だが、三鬼は最後に捕らえられた。そのことで三鬼は検察側のスパイだとする嫌疑をのちに負う)二日前の昭和十五年八月二十九日、石田波郷、山本健吉と秀野夫妻らは三鬼らと葉山で海水浴をやった。そんな仲ですから山本健吉さんにも証言(三鬼は無実だとする証言)を頼んだんですけど、あの人は文芸家協会会長でして、「会費をもらっている人の反対側にはなれない」と言って断ったんですね。その手紙は捜せば残っています。ぼくは捨てないから。親展できました。
 それを聞いた藤田弁護士はものすごく憤慨して、「会費をもらっているからグループの仲間を相手にして闘えないなんて、何のために山本健吉は文学をやっているんだ」と言っていましたが、いやなものを拒否するのは自由ですからね。
 ところが、その話を聞いた安東次男氏が、山本氏は京都でいてるときに三鬼に家をこしらえてもらったというのにと、これも憤慨したようです。
 初めて住んだところは家の中に吹雪が入ってくるような家だったようです。そんなんで夫人の石橋秀野さんは風邪をひいて結核になったんでしょう。敗戦直後で食うものもないし、栄養失調もあったのでは。それで三鬼さんが奔走して、出町柳の近くへ、少しましな家を世話してあげた。
 山本健吉が石橋秀野と娘さんを連れて神戸まで訪ねてくると、三鬼さんは自宅の畳を上げて、神戸元町のヤミ市へ売りに行って金をこしらえてきて、三人にメシを食わせたと言うんです。これは、関西では周知の話です。そのことも安東次男氏が三菱の神戸支店におったから知っているわけですよ。山本さんと三鬼は戦前からの知己ですから、それくらいのことは三鬼はしたでしょう。 

以上は一部の引用であるが、ここまで書いて、このインタビューがいつ行われたのか気になり、本を見てみるものの、どこにもその記録がない。平成14年に出た本だが、もともとは俳句総合誌に連載されたのをまとめたものであるから、こういう肝心なことが不明なのは惜しい。→これはちゃんと記載あり。平成であり、健吉の死後であった。

というのも、私は秀野を調べていたころに健吉の本を読んだので、健吉が証言を断ったということはともかく、西東三鬼への健吉の愛情、友情は本物だと知っているからである。それは「石橋秀野ノート」にも引用している。健吉は晩年「往時渺茫」という題の自伝を書いたがその中でちゃんと書いている。秀野の葬儀の写真にも三鬼は写っている。ともかく西東三鬼はふしぎな魅力のある俳人で、極道のような怪しいお医者でもあり、結婚しておるのに、その生活から時代のどさくさまぎれに逃れて、神戸の異人たちや娼婦やらが暮らす洋館で気ままな暮らしをした。去年「夜の桃」という西東三鬼自伝を読んだが、そのなんともいえず好い加減な暮らしぶりには感動を覚えた。まだ離婚もしていないときに、年増の看護婦に頼まれて、自分は彼女の一世一代の願いをかなえてやった・・つまり、子種を宿してあげたという。それで当の看護婦の田舎へ、彼女の老いた親を安心させるために、婿どのの顔をして、はるばる二人ででかけてゆくのだが、長崎だったかとにかく九州の田舎だった。そこの方言交じりの克明な描写が、のどかでなんともおかしかった。事態の深刻さなんてこれっぽちも伝わってこない。スケールがちがうのだ。まさに、
  四月馬鹿三鬼この日に忌を合はす (佐野まもる)
という追悼句(三鬼は昭和三十七年四月一日六十二歳歿)に合致するユニークで懐の深い俳人であった。

なぜか丸山豊の話から、西東三鬼の話になってしまいました。
26日は秀野忌でした。
  

2006年9月27日 (水)

歌仙「菊」 25

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋・自)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋・自)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋月・場か半)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑・半)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑・他)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬・場)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬・場)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前・半)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋・半)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ・自)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事・他)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑・場)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月・場)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋・半)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋・場)
十    言へない一句少年にあり     たから(雑、恋前・他)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝     bud (花・春・恋・半)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦       恭子(春、恋・半か場)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳    山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの       聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて        たから(新年、自)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年、自)
七  むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九 1  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉  (恋前)
   2 いやしかし人工方言癖になる          (雑)
   3 三時間ごとにリセットする記憶    (雑、病態)
   4 伯藝院圓蟲聖大居士[*1]に感謝する  (雑)

([*1]は手塚治虫の戒名だそうです。)参考:http://www.web-toku.com/~ihai/data.html
    

十                             聰子  (夏)
十一                            

鍬塚さとこ様。

とてもおいそがしいとは重々承知しておりますが、ほっと一息することが出来るのも、連句の功徳でございます。
きっと、選句もお楽しみいただけるんじゃないかなあとおもって、選句ごと、お願いいたします。九句目の冬樹蛉さんの句ですが、きょう、彼岸のお寺のお接待から帰って、冬樹蛉ブログを見て、必死で探したことばたちです。ほかに「チぃ~ボぉ~!「発情しちやつた」いいですね」というのもありますが。杉田かおるネタ。(これもとぼけていて、いいですね。5番目に入れてください。この固い人のやらかい部分をさがしたんですが、ななんと皆無じゃった。こんなひともめずらしい。一つ、「ほんものの真中瞳ヌード写真」ってあったので、開いたら、鬼太郎のめだまのおやじが入浴してる写真だったよ。)

夏の句か雑で短句でおねがいします。たのしみにしております。

2006年9月26日 (火)

「冬の日」第二歌仙

  おもへども壮年いまだころもを振はず
 はつ雪のことしも袴きてかへる   埜水(やすい)  自、冬
   霜にまだ見る蕣(あさがほ)の食(めし)  杜國  自、冬
 野菊までたづぬる蝶の羽お(を)れて   芭蕉     場、秋
   うづらふけれとくるまひきけり      荷兮(かけい) 自、秋
 麻呂が月袖に鞨鼓(かつこ)をならすらん  重五 他、秋月
   桃花をたをる貞徳の冨(とみ)      正平 他、春
ウラ
 雨こゆる淺香(あさか)の田螺ほりうへ(ゑ)て 杜國  場、春
       奥のきさらぎを只なきになく        埜水 場、春
床ふけて語ればいとこなる男          荷兮 恋、半
   縁さまたげの恨みのこりし         はせを(芭蕉) 半、恋
 口お(を)しと瘤(ふすべ)をちぎる力なき    野水  恋離れ、自
   明日はかたきのくび送りせん        重五  雑、半
 小三太(こさうだ)に盃とらせひとつうたひ   芭蕉  雑、半
   月は遅かれ牡丹ぬす人           杜國  夏月、他
 縄あみのかゞりはやぶれ壁落て        重五  場、雑
   こつこつとのみ地蔵切(きる)町      荷兮  場か他、釈教 
 初はなの世とや嫁(よめり)のいかめしく   杜國  春、花、他
   かぶろいくらの春ぞかはゆき       野水   春、他
名残オモテ
 櫛ばこに餅すゆ(う)るねやほのかなる   かけい 新年、場
   うぐひす起(おき)よ帋燭(しそく)とぼして  芭蕉 春、場か自
 篠(ささ)ふかく梢は柿の蔕(へた)さびし    野水 秋?、場か自
   三線(さみせん)からん不破のせき人(びと)  重五  雑、他
 道すがら美濃で打(うち)ける碁を忘る      芭蕉   雑、自
   ねざめねざめのさても七十           杜國  雑、自、老、述懐
 奉加(ほうが)めす御堂に金(こがね)うちになひ  重五  雑、場、釈教
   ひとつの傘の下(した)擧(こぞ)りさす     荷兮   雑、半
 蓮池に鷺の子遊ぶ夕ま暮(ぐれ)         杜國    夏、場
   まどに手づから薄様(うすやう)をすき     野水   雑、冬、自
 月にたてる唐輪(からわ)の髪の赤枯(がれ)て  荷兮  秋月、他
   戀せぬきぬた臨済(りんざい)をまつ   はせを  秋、恋、釈教、他
ナウ
 秋蝉(しうぜん)の虚(から)に聲きくしづかさは   野水 恋離れ、秋、場か自
   藤の實(み)つたふ雫(しづく)ほつちり     重五 秋、場
 袂より硯をひらき山かげに             芭蕉  雑、自
   ひとりは典侍(すけ)の局(つぼね)か内侍(ないし)か 杜國 雑、半
 三ケの花鸚鵡(あうむ)尾ながの鳥いくさ     重五   春、花、場
   しらかみいさむ越(こし)の獨活(うど)苅(かり) 荷兮  春、他、老

「芭蕉七部集」 冬の日 より第二歌仙

わたしは、このような古典(三百五十年くらい昔かなあ)をよみますと、いまやっているものが、どうもちがうような気がしてしようがありません。転じが、ぱっぱっと場面がかわることをさすんじゃなくて、もっとなんというか、じっくりしている。ゆったりしている。前句をきっちり受けて、次の句が出ている。時代のスピード感覚といってしまえばそれまでですが。この時代の歌仙を原点として、雪だるま式にふえていったに違いない無駄な式目(ほんとの意味での式目じゃないのかも)を考えてみたいのです。

歌仙「菊」 24

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋・自)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋・自)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋月・場か半)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑・半)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑・他)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬・場)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬・場)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前・半)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋・半)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ・自)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事・他)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑・場)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月・場)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋・半)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋・場)
十    言へない一句少年にあり     たから(雑、恋前・他)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝     bud (花・春・恋・半)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦       恭子(春、恋・半か場)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳    山本伽具耶(春、恋離れ、自)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑、場)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの       聰子(雑、無常、自)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬、自)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて        たから(新年、自)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年、自)
七  むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞         恭子(雑・場)
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  (雑・場・釈教)
九                             蛉 (雑)
十                             聰子  (夏月)

沢みやこさんの八句目案

 1  風の声立つ野仏の道
   2 水の匂ひの消えぬ古寺
  3  里の神楽に笛が加はる

つぎの句をかぐやさんにお願いしましたが、国文際(国民文化祭)募吟作品集の校正が入って忙しいそうで、ほかからのお誘いもお断りしている以上、一句で勘弁してほしいとのこと。で、これまた、当分いそがしいからといわれておりましたが、都さんに依頼しました。都さん、ありがとう。無理をいってごめんなさい。でも、どれもとてもいい句です。沢都さんは場の句、景色の句を出させたら天下一品です。凛としたこの世界は、他の追随を寄せ付けない。脱帽です。

選句は、まず私の句の選句から。三つのうち、みなさんはどれを選句なさいましたか。正解不正解がある世界ではありません。人様の巻かれた作品をたくさん読みまして思いますことは、どんなに流れが滞ってもさわりがあっても、どこかに印象深く刻まれる優れた付合があれば、それは成功した作品なんじゃないかなあということです。

とはいえ、それはいいわけでありまして、何の用意もなく見通しもなく、急に連句がしたくなって、いきなりだんごみたいに思いついた人たちに声をおかけしていきなり始めたので、あたたたたと途方に暮れるはめになりました。ルール教えてなかったぞ、と気づいたときはすでに名残のおもてではないですか。しかも、見知らぬ読者からの指摘で、あ、そういえばそうだった・・といううかつさ。倉本朝世などは烈火のごとくイカルし、もう、なんてこったい!状態でしたねえ。

ネットで連句、どうやってするのか、を、そういえば誰にも聞いてないし、ひとさまがやっておられるのも覗いたことありません。手探りです。知らないということは、やすらかなものですね。

話をもとにもどしまして、選句は、キャリアに敬意を表して都さんにお任せしました。場の句を採られました。笑(ここで私なら自や他の句をとったかもしれない。)

都さんの付け句、1か2だと思います。3は秋。じゃなかった冬。水のにほひのきえぬ古寺・・いいなあ。なんていい句なんだ。そこはかとなくかそけくて幽玄のあじわいです。お能をみたことないんですが、お能のようなそんなかんじ。ありがとうね、沢ちゃん。

それと、やはり、数字の多さが気になるとのこと。で、彼女は気を遣って、自分の句「ひと声啼きし」を「嘈々(そうそう)啼きし」と換えてもいい、とまで書いていました。代理のことばを辞書で必死で探したそうです。うう・・連句人の鑑です。ありがとうございました。まだ調べておりませんが、おわるまでに考えます。

えーと。つぎは、おや、また蛉さん。「いそがしいからどんどんとばしちゃっていいですよ」、と書かれてましたが、そうはいきません。きちんとまわします。おもしろい人みたいです。句が、(って私が勝手にいただいてきたというか盗んできたんですが)全く詩的じゃないとこが、いいんだ。ぜんぜん別世界のことば。がさがさしてて、もろ現実的。しかも現代の最先端ってかんじで、疾走している。でも荒れていないし、乾いている。そこを買った。

なんでもいいから、前句から転じてくだされ。それこそ、なんでもいいです。

お彼岸なので、母が昨日から自家製の小豆で漉し餡をつくり今朝、わたしがおはぎにまるめました。おいしいです。独り者には、身にしむ秋ですね。 

2006年9月24日 (日)

歌仙「菊」 23

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
十    言へない一句少年にあり     たから(雑、恋前)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝        bud (花・春・恋)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦       恭子(春、恋)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳    山本伽具耶kaguya(春)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの       聰子(雑、無常)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて        たから(新年)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年)
七 1 むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞       恭子(雑・場)
   2 カラウジテ第三乙種合格ス           (自)
       3 君が代を国歌としたり太郎乙          (他)
八                             都  (雑)
九                              (雑)
十                               (夏月)
 

註:昇仙峡: http://www.shosenkyo-kankoukyokai.com/b/ 

  第三乙種合格:http://www.geocities.jp/showahistory/history3/19a.html

  君が代と太郎乙

参照『海軍七十年史談』:http://tvarjanka.la.coocan.jp/TVARJANKA/KIMIGAYO/kimigayo.html

大学から

大学から

大学から

大学から

長男の通う大学の保護者会がありました。年に一度ありまして、とても景色がいいところなので、出かけます。二階の窓から、一本のやわらかな線として横たわる海がかすかにみえました。

2006年9月23日 (土)

歌仙「菊」 22

ばどさんから届いた付句、です。はじめの内は、なにをどうつけるのか、わからない。というのも、連句作品の読みかたがよくわからないから。今はまってる漫画に「道士郎でござる」ってのがあって、「今日から俺は」の人が描いたやつですが、もんのすごくおかしい。三ページに一回は大笑いします。あのなかで、ネバダ州から来た武士道の男道士郎が出会うワルガキに、「袖すりあうも他生の縁」の説明をするとこがあって(第三巻)、とてもおかしい。人をみて勝手に思いついたストーリーで過去生の縁を語り、人をくっつける。テレビによく出る霊能者みたい。でもそれがけっこう説得力あって聞いたやつらは囚われる。なんかぜんぜん関係ないけど、それをおもいだした。・・・ごめんなさい。関係ない話をしました。

べたつきの句を親句(しんく)、うんと離れた句を疎句(そく)といいますが、親句と疎句の中間を投げてくださった。

二月になって書く初日記

蹴り起こされた元日の朝

春着ぶかぶか孫のおねだり

下線部が新年の季語です。初日記、これが断然いい。前句との付け味がいい。固くなってから切る餅は、ぜんざいに入れる餅かもしれないが、そんなに力を入れなくても切れるうちに餅は切っておくはずだ、先走った嫁、あるいは姑なら。前句の人物の人となり、それでつけた句。ーってんで、正月もひと月すぎてやっと書く初日記。
蹴り起こされた・・は、サラ金句に戻る。ばどさんがつけた句にとって、サラ金の句は打越(うちこし)句にあたります。連句のきまり、前句とは付き、打越句からは切れること。春着は場面設定としてはいいけど、ぶかぶか、ということばが蛉さんのどろどろぐちゃぐちゃと同じたぐいのことばだし、あの句がめだっているだけに控えたい。孫にねだられるもサラ金に容易に戻る。しかし、春着は新鮮、あまり最近の俳人は使わない季語だとおもいます。
「われ春着乳足らふ獅子の仔を前に   石橋秀野 昭和16年2月」
ばどさん、すばやくつけ句をだせるなんて、すごいよ。連句向きです。感がいい人なんでしょう。さすが、あさよさんのおみたての人。

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
十    言へない一句少年にあり     たから(雑、恋前)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝        bud (花・春・恋)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦       恭子(春、恋)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳    山本伽具耶kaguya(春)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの       聰子(雑、無常)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて        たから(新年)
六    二月になつて書く初日記           bud(新年)
七                              朝世(雑)
八                               伽具耶(雑)
九                               蛉(雑)
十                               都(夏月)
十一                              恭子(夏)

十二

二年前まで、連句を十年もあきることなくやってきて、句のつけ方はどうやって案じていたかといえば、なんにも方法がなかったわけじゃなく、無に架ける座標がちゃんとあった。それのひとつが、句を「自、他、場」にわけるやりかた。

なんだジタバとは。たとえば、名残おもて(ナオ)の1はちちがはっておもいなあいたいなあとおもっているのは、その人ですから、主語は自分。だから「人情句の自」、2はただのオノマトペ、擬態語だから場の句。3は自。4は誰がと書かれてないが、自。5はこれも書かれてないが実感あることから自。
という目でみれば、自分を詠んだ句が四つも続いた。それを打ち破らなければいけない。連句人なら、三句目で別の視点の句を出す。自、自、他、とか自、自、場とかになるよう、最初から(句を案ずる前から)足かせを設けて句を作る。
でも、まったく初めての人が、なにもないところからどんな句を出されるか、みてみたかった。付け味だけで、連句を巻き進めてみたかった。式目をなにもいわずに。

これまで式目のはなしをわざと避けてきました。初めての人ににげられたらヤだなという一心です。それと、単にめんどくさかった。まじで。笑
でも、いわなきゃいかんとおもって。先だって見知らぬ人からコメントいただいたし。

ウチコシというコトバがあります。打越と書く。第三は発句と打越、四句は脇句と打越、五句目は第三と打越、みたいに前前句との関係がうちこしです。連句のつらなる句のうち、アトランダムに三句取り出し、その関係をみると、隣り合う句は太い糸でかかぼそい意図でか結びついていますが、一句隔てた関係は赤の他人です。何の関連もない。三つの句が並んでも、話が続いてはいません。
こんなふうに、連句は延々とつづくけど、目的があるわけじゃない。ひとの人生のように、挙句(あげく。あがり)にむけて、四季のめぐりを経ながら、月と花という、彼岸と此岸に架け渡す季語の王様をことさらに愛でつつ、愛と憎、虚と実をないまぜにして、自然界と人間界のあらゆるものをうたっていく過程が連句のおもしろみです。変化のためにすべてが奉仕する。とどまってはいけない。おなじところにいてはいけない。数学的だし、時間論みたいだし、言霊をあつかう唯識論みたいでもある。文学っていうと、紙に書かれてじっとしているものだけど、俳諧は、じっとしていない。読む人にとって常に動いている虚空が整然とつづく行間にある。そこが、かけねなく、おもしろい。

次は、私を予定していたのですが、自の句が四句も続いてしまいました。・・ありえん。少々のわざでは転じられない。最後の手段は、あさよさん。こまったときの朝世さん頼みです。いそがしいんだったね。お墓まいりだったね。でも、待つから。あなたのふわっと地面一メートルの浮揚感がここにほしい。二日ほど待つから。

2006年9月22日 (金)

白き彼岸花

白き彼岸花

歌仙「菊」 21

たからさんから付が届きました。大工さんが夜の八時半まで、とはお疲れ様です。台風もきたし、仕事が押しているのでしょうね。うちのお風呂のときも、最後の日は八時過ぎまでされてました。黙々と。気の毒で、ありあわせで弁当を作ってもたせた。博多の人だったからですが。

付案)

ああ僕の弔電四時に着くはずの  
  吹雪の中をサラ金に行く

1 呼ぶ声も百万ドルの灯も凍れ(しばれ)
2 餅を切る手に包丁の食い込んで(新年)
3 冬惜しむ日付変更線飛べば

選句)
年末・新年の句の2がとても面白いと感じました。堅実で頑固な日常生活。新年を迎えるために、おっかさんが固くなったのしもちを切り分けている。それは金策に走る人の妻かもしれない。あるいは母かもしれない。前句とのあいだに、高倉健がでる映画みたいな味がある。こういう体感的な句は、とてもリアリティがありますね。前に引用した、眞鍋天魚先生の「山鳥歌仙」第三句「春深きサーカスの綱踏みしめて」とその点でおなじです。(句柄は天魚先生のは虚にして実というすれすれのところを、まさにサーカスの綱渡りのように、気をぐっとたわめて詠んでおられますが・・。)たからさんのは真正面から実をうたって、それがそのまま俳諧になっている。ウチコシ句とも切れている。

3ですが、「冬惜しむ」なんて季語はないとおもうよ。確か、春と秋しか惜しまない、伝統の世界では。夏がおわるころいつもうらめしい気分になるので、夏惜しむという季語があればと思ってましたが、歳時記にはない。春秋偏重じゃないかと思うわけです。連句での春秋偏重といっしょで。なにか、そこのところに、秘密があるんだとおもうようになった。暦をしらべて、そうおもった。ずっと大昔は、半年が一年だったんだろうと。その切れ目が春秋にあったんだろうと思います。八女の天文年間の百首和歌の中に、

      氷室
   春秋をわけぬはかりか松かさき
       氷室も夏をほかにこそもれ   松寿

という読めそうで読めない不思議な歌があって、これがずううっと気に引っかかっているわけです。わたしのめちゃくちゃにおかしなよみは、

 春と秋を分ける秤は、それは松の先です。待つあいだ春と秋たがいの季節は仮の冥界にあって出番をまっている。それとおなじように、氷室も、暑い夏をどこか異次元の世界にこもっていなさい。

半年が一年というのは、二毛作だったからだと思う。だから、「かり」は刈り取りのかりかもしれない。よくわからない。さっぱりわからない。ああなやましい。ちなみに、菊という題で詠まれた歌は、

     菊
作りなす砌(みぎり)の菊のした水は
      くむともつきじ万代のかげ    鑑述(この人がボスで、源姓)

話がとりとめなくなってすみません。気になって。3の付け句は、日常のちまちました景を転じるという意味ではとてもいいけど、季語を「年明ける」などに変える必要があります。1は作りすぎた。ということで、まことのある2をいただきます。全体の中でみます。

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
十    言へない一句少年にあり     たから(雑、恋前)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝        bud (花・春・恋)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦       恭子(春、恋)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳    山本伽具耶kaguya(春)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの       聰子(雑、無常)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬)
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて          たから(新年)
六                              bud(雑か新年)
七                               恭子(雑)
八                               伽具耶

次は、ばどさんです。
たからさんの句の、うんと力が入って手に包丁の痕がつくようなふんばりをなにか別のものにずらして、この景を翻訳しつつ大きく転じるような句をおねがいします。はじめてのひとになんてむずかしい要求だと自分でもおもう。笑

なんでんよかです。なんでんよか。ばどさんがすきにつけちゃり。
新年の季語をいれて、七七のみじかい句です。

※「冬惜しむ」が歳時記にありました。最近のことらしい。「年惜しむ」といってたのを「冬惜しむ」というようになった、とあります。(しかしこれですと、ウチコシに四時という時間用語があるので、ひかえます。)

ものや場面がつぎつぎに出て変わってゆく。そんななかで、どれだけ「風雅のまこと」をうたうことができるのだろうか。きのう、写した高木さんたちとの歌仙を読み返して、一箇所か二箇所、句が真正面を向いているのがあった。結局、そういう箇所をいくつ獲得するかだろうとおもう。

2006年9月21日 (木)

歌仙「着ぶくれて」

四吟歌仙「着ぶくれて」
             
   平成11年1月10日首 
           3月1日尾 文音 衆判

着ぶくれて耶蘇の愁ひを思ふかな  佛淵 健吾
 摘みし毛玉に青き野うさぎ    高木 咲耶
長い坂チ、ヨ、コ、レ、イ、トと六つ跳んで 明坂 小箔
 グーしか出せぬ妹を連れ     姫野 恭子
待宵のとびらを固く漆むろ      咲
 颱風圏に入る半島        健
ウラ
出荷には糖度不足の林檎ゆゑ   恭
 交換日記めらめらと燃え     箔
母の血を受け継いでゐる別れ癖  健
 名代の牝馬引退させます    咲
山高帽山高帽また山高帽     箔
 歌詞忘れても北島三郎     恭
船降りてパチンコ店を振り出しに  咲
 涼しき月に蛇頭現れ       健
蘇州にはまだ燦爛と虫送り     恭
 遊行上人呟きけるは       健
あらもたいナの花の酒こぼるるよ  咲
 巣箱になったメイル・ボックス  健
ナオ
折りもせず蝶は恋文FAXで   箔
 にはたづみそっと掻き混ぜてみる 恭
水漬きしは王女かきみの良心か    咲
 黒曜石の斧の一閃          健
へーっくしょいてやんでばあろう洟啜る  恭
 仕掛人ども薬喰ひ喰ひ         箔
蓑笠を着せられアームストロング砲    健
 万国博に髪ゆひの婆          咲
風笛の音かしましく角過ぎて      箔
  又甘皮を剥いてゐるなり       健
はじっこのベッドの僕に繊の月     恭
 興信所から鶲(ヒタキ)尾行し    箔
ナウ
澄みすぎる秋はその瞳を信じたく   咲
   引けば輪っかにもどる組紐     恭
縁側に旅芸人の知恵袋         健
   吉野十津川租税はいらぬ      咲
花ふぶき若鮎の影消すほどに     箔
   園児の傘に撥ねる春泥       恭

 注記 

漆むろ  http://homepage3.nifty.com/aiuken/page090.html

蛇頭  http://www5a.biglobe.ne.jp/~ailiao/japan/torisirabe/kakure_j.htm

虫送り http://www1.neweb.ne.jp/wb/shonanjcfa/guanguang.html

遊行上人 http://www.ecf.or.jp/bunkaehime/tokusyuu/tokusyu49/tokusyu1.html

ナオ一句目  
        蝶
二つ折りの恋文が、花の番地を探してゐる  
    (ジョルジュ・ルナール 『博物誌』岸田國士訳より引用)

「荒木田守武没後四百五十年記念連句大会作品集」
  受賞作品
俳祖・荒木田守武
http://www.kirari1000.com/base_data/base_data.php?kirari_cd=00552


 平成11年8月8日朝顔忌 伊勢市教育委員会    

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歌仙「菊」 20

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
十    言へない一句少年にあり     たから(雑、恋前)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝        bud (花・春・恋)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦       恭子(春、恋)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳    山本伽具耶kaguya(春)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと   蛉(雑)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの       聰子(雑、無常)
四    吹雪の中をサラ金に行く           清志(冬)
五                              たから(冬)
六                              bud(雑)
七                               恭子(雑)
八                               伽具耶(雑)
九                               

ナオ四はサラ金でやります。 実感がこもっている。ご祝儀もお香典も先立つものは金なりき。イエによっては係累がうじゃっと多くて、しょっちゅうお包みしなきゃいけないので、こういうこともあるかもしれない。
つぎはあさよさんにお願いしましたがいただけませんでした。都さんも、目下仕事が取り込み中なので、たからさんにおねがいします。おうちが工事中でパソコンを覗く暇がないかもしれないけど。 ここ、むずかしいとこだとおもいませんか。 どんな句がすわればぴたっとおさまるかの詰め将棋。いーっぱい考えてくだされ。前句とはどこかでつながり、前の前句からは切れていなければいけない。・・考え甲斐があるとこです。待ちますので。   
            

2006年9月20日 (水)

歌仙「菊」 19

名オ
一  亀鳴くや張りて重たき右の乳    山本伽具耶kaguya(春、恋離れ)
二   どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと 蛉(雑)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの   聰子(雑)
四   玄関凍り付いて開かない     清志(雑か冬)
    吹雪の中をサラ金に行く
    ホトケは河豚に当たったらしい

 名オ一が恋かどうかのお尋ねですが、私には恋ではないように見えます。恋心というのが感じられませんから。別に国文学の世界に恋かどうかを判定する物差しがあるわけではありませんよ。私がそう感じるだけです。

 ついでに無常とも思いません。思いめぐらせば死に繋がる事がないわけではないでしょうが、これが無常なら生き物が出て来たらみんな無常になってしまうと思います。

 経験がないのでわかりませんが、授乳の時って左右の乳が時により右が重たかったり左が重たかったりするもんなんですか?(杉浦)

無常の句は、先生のこのお答えを読みますと、死にまつわる句という意味みたいですね。教えていただきありがとうございました。読み次第ということでした。
それと、右と左は、一つしか授乳できないときもあるから残ったほうが痛むという意味です。残ったら捨てなきゃいけない。だから石橋秀野句にも「乳しぼり捨てヽ吹雪となりゐたり」(昭和17年2月)がある。赤ちゃんが小さいときの母親の苦労を男親はあまり知らない。ー杉浦先生から聞かれるとは。私の夫も、今もたまにうらめしく思い出しますが、三人目の子を遅くにもったとき、とてもきつかったのに、自分は毎日やまかさ行って、洗濯物を山のように出して、私はなきたかった。祭りの初日に生まれた子だったから。男と女はぜんぜんちがうというのは、そこです。(夫がいうには、信仰がまず大事ですって。こんなとこで夫婦喧嘩してもなあ。笑)

ということで、選句します。どれも南国のものにはめずらしくておもしろい。一と二とどっちにしようか。吹雪の中をサラ金に行く。玄関凍りついて開かない。全体の中に置いて考えよう。

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
十    言へない一句少年にあり     たから(雑、恋前)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝        bud (花・春・恋)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦       恭子(春、恋)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳    山本伽具耶kaguya(春)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと      蛉(雑)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの          聰子(雑)
四    玄関凍りついて開かない             清志
      吹雪の中をサラ金に行く
                    

 さばきは、こんなとき、何をまようかな。冬の代表的季語である雪は、一巻に一つだ!っと決めているさばきもいるかもしれない。でもそういうことは二次的なことです。 朝世さんはいそがしいっていったけど、も一度たのんでみます。       

2006年9月19日 (火)

歌仙「菊」 18

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
十    言へない一句少年にあり     たから(雑、恋前)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝        bud (花・春・恋)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦       恭子(春、恋)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳    山本伽具耶kaguya(春、恋離れ)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと      蛉(雑)
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの          聰子(雑)
四                            清志(雑か冬)
五                               (雑か冬)   
六                                (雑か夏)
七                                (夏月を九までに)

鍬塚聰子付け句案

名残おもて

一亀鳴くや張りて重たき右の乳 
二 どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと      蛉(雑)

イああ僕の弔電4時に着くはずの
ロ清潔な長方形のなかにいて
ハしばらくは貝釦が落ちてます 

北九州市長立候補者の支援団体「笑顔の北九州をつくる会」の代表になったもので、その重責で昨夜は眠れませんでした。明け方とろとろっと眠ったのが気持ちよかった。(鍬塚)

けさ、この付け句とコメントをみまして、うおおっとうれしかった。
くわつかさんは阿頼耶識がひらいておられるとおもう人の一人です。
連句会亜の会の宗匠・前田圭衛子先生もすごいですが、くわつかさんもすごい。
こういう霊的な力というのは、太古のむかしからおんなのちからではあるなあ。
と、感心してないで、選句しよう。そうじゃなくても多忙な人なのに、大変な役を引き受けられましたね。でも、案ずるより生むが安し、うまくいきそうな予感です。

イがいいですよね。前句が空ダメ句?意味不明の擬態語。でも、かぐやさんの授乳期の女性のじつにリアリティーある句につけてあると、あかんぼ相手の日々が鮮烈によみがえる。あかちゃんはそこらにあるものなんでもつかんで、ぐちゃぐちゃどろどろにしてしまうし、そんなものしかうけつけない。あれが口唇期っていうんですかね。・・をうけて、それを涙でぐちゃぐちゃのかんじに一転させた。すごい。
しかも、なんとなく意味がズレているとこが「椿山課長の七日間」を思い出させる。といいますのは、

 ああ僕の弔電四時に着くはずの

「僕の弔電」って、へんじゃありませんか。省略のはての奇妙さとばかりは思えんのじゃよ。自分が死んでて、葬儀を中空から見ているような。単にひとさまに打った弔電が間に合わなかったということなのかもしれませんが。

ロの清潔な長方形は、これもまたとてもいいです。こういう句は、あさよさんが得意とするところで、つまりは現代川柳の得意とするところで、また、鍬塚さんのなさる現代俳句の得意とするところでもある。この部分で両分野は重なる。かぐや句とれいさん句がもつ生理的な原風景を濾過したような、そんなかんじの、自分の位置がくっきり見えている人の句です。これでもいいんです。あつくるしい句やおもたい句がつづいたら、これでぬく。

つぎの杉浦先生にお尋ねしてみよう。ちょうどのときに国文の先生にまわるという幸運。

質問その一
  句の分類ですが、ナオ一の出産や授乳などにかかわる句は恋扱いでしょうか、それとも生死にかかわるから無常なのでしょうか。たしか芭蕉の歌仙の

   いつはりのつらしと乳をしぼり捨て

というのは恋でしたが、それは句柄が恋なんですよね。でもかぐや句は恋じゃありません。考え次第でしょうか。きまりはないんでしょうか。無常句ということばが私はいまいちわかりません。

  授乳期の女性を正反対にたとえていえば、死後四十九日をむかえるまでの霊みたいなものでしょうが(どこがじゃ)、打越に弔電という生死の句があっても、 かまいませんよね。むしろ、前句を軸に回転するおもしろさがあるから。むかし窪田郵便連句で回ってきた作品に、鬼と神か仏だかが打越だったのがあった。その人は今は亡き俳諧学者の白石悌三氏だった。さわってるじゃんとおもったけど、むしろ堂々としているところがきもちよかった。

句の分類なんて知識が増えれば増えるほど、どうでもいいことばかりに気がいって、肝心のことがみえなくなります。だから、、あまり、ルールはこまかく知らないほうがいいような気がします。

しかし、こうしてうちながめていますと、こども関連がおおいです。しらないうちに。なんでだろう。では、よろしくお願いいたします。函館はとおいなあ。
 

2006年9月18日 (月)

歌仙「菊」 17

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)

四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
    言へない一句少年にあり     たから(雑、恋前)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝        bud (花・春・恋
)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦       恭子(春、恋)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳     山本伽具耶kaguya(春、恋)
二    どろどろどろっとぐちゃぐちゃぐちゃと      蛉(雑)
三                           聰子(雑)
四                            清志(雑か冬)
五                               (雑)   
六                                (夏)
七                                (夏の月)

冬樹蛉さんのところから、ことばを引用させてもらいました。ブログの文中に前句にぴたっとはまることばが、ちゃんとかかれていた。うれしかった。かみはわれをみすてず・・っておもった。http://ray-fuyuki.air-nifty.com/blog/

それと、あさよさんのあざみのとげに収録していただいた文章(れぎおんの転載。根源川柳への道、その一)を先日読み返して、発句にいただいたれいさんのお句は、以前自分も書いたことがあることばだったことに思い至りました。(根源川柳、あるいは根源俳句とは、作品それ自体が、生きたまま、脳にすばやく侵入してきて、時を永らえる。なぜだ、どうしてだと、おもうひまもなく・・)。

つぎは、くわつかさんにおねがいします。どうぞ、なんでも結構ですのでお願いいたします。前回の十露盤句、最初みたときはごちゃごちゃとして見えた。それでさばきとして妙ないろけごころをおこし、しらつゆの句にかえたり、したのですが、でも、ばどさんからのつっこみで、腰がすわり、そろばんにもどしてからは、とても光ってみえます。一句だけで連句なんじゃない。流れのなかで句の位置がきまる。オモテ五句目もそうです。最初いただいた時は、ゆるいと感じた。二人からもそういわれた。しかし、よくみれば、無心な句なんです。省略の技法もあり、のびのびとしている。だから都さんの冬の早朝の六句目が付くと、きっちり少女の位置がきまりました。信頼して読み手にまかせること。これがなによりいちばんたいせつなんだなっておもいます。

こんなのんびりしていられん。大工さんがみえた。

台風13号

すごかったです。

去年の台風は待ち構えていたわりにぜんぜんたいしたことなくて、きっと目に入ってたんだろうって言い合いましたが。

でも、きのう夜のかぜは、すごかった。夕食後、何度も停電しました。ろうそくと、懐中電灯とつけて、しばらくするとまた点いて、又消えて、の繰り返しでした。

けさ、家のまわりをみてみると・・やはり小屋のほうの屋根瓦が何個も落ちていました。百年以上たっているから、もうだめかもしれない、と父母がいっております。これまで、台風がくるたび小屋の瓦はおちて、父と二人で瓦葺き作業をやったことが何度かあります。秋の風物詩というにはちょっとキツイですね。

台風の俳句で一番気に入ってる句。

 颱風の暗き家鳴りに帰り来る   飯田 孤石

昭和29年、水原秋櫻子選特選句。飯田孤石は故人です。
この句を読むと、帰り来るのはだれか、台風か、それとも家霊か、混然として、冥いきもちになります。作者には戦争体験がうしろにあって、戦死者への供花のおもいがこういう句にも溶け込んでいるのだろうと想像するのですが、台風が来るたび、なぜかこの一句が身のうちから沸き起こり、お座敷に飾られた兵隊おっちゃんの遺影を必ずおもいいだすのです。そういうちからをもった句です。私にとっては根源俳句の一つです。『飯田孤石全句集』(1999年ジャプラン発行)収録句。

短歌行「肢も飢えたり」

   四吟短歌行・「肢も飢えたり」

        平成十年三月十二日起首 〃四月二十九日満尾

          衆判、亜の会(宗匠・前田圭衛子)作品、現代仮名 
 麦笛や空までゆきし乳母車        原 しょう子(夏)
      蓋(きぬがさ)のごと朴の花持つ    姫野 恭子(夏)
 戸口には走り井の水売りにきて     三木 祥子(夏)
   新涼にくる降格辞令           貞永 まこと(秋) 
 ウラ
 とんぼうの肢も飢えたり二日月        恭子(秋・月)
   円形劇場秋を惜しみぬ           しょう子(秋)
 虹色の文の宛名はうりこ姫          祥子(恋前)
   淵覗くたび着痩せしており         まこと(恋)
 火宅なり鱶ひれスープ啜るとき         恭子(恋)
   大工仕事をなおざりにして         しょう子(雑)
 抱一の山を動かす八重桜           祥子(春・花)
   春愁という牛頭馬頭の唄          まこと(春)
 ナオ
 吐魯蕃の皿うらうらと陽炎える         しょう子(春)
   風切羽にしまう冒険             恭子(雑)
 長老のルーツくずれぬ酒のあり        まこと(雑)
   ペニーで釣銭勘定が合う          祥子(雑)
 つつましく君に打たるる土なりき        恭子(恋)
   綿虫舞う夜泊まってください        まこと(冬・恋)
 月凍るキャビンに古りし航海図        しょう子(冬・月)
   中也の詩集にはさむ青春          恭子(雑)
 ナウ
 洋弓を引く少年は身を反らし          祥子(雑)
   木陰の椅子にいつか微睡む        しょう子(春か雑か)
 花の雨模造の町は音もなく           まこと(花・春)
   アニメーターが写すひこばえ        恭子(春) 

連衆  原 しょう子、三木祥子、貞永まこと、姫野恭子 

『わいわい連句遊び』 (東京文献センター平成13年刊) 所収

※ 短歌行(たんかこう)
        オモテ四句ウラ八句。二花二月
、ほかは歌仙に準じる形式。

   蓋(きぬがさ)
    わが背子が捧げて持てるほほがしは
       あたかも似るか青き蓋   
                  (万葉集歌より一語の引用)
 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/nineteen/m4204.html
 http://www.asukanet.gr.jp/sanzan/hana14.html
  発句を受けて脇に「朴の花」を出してしまいました。今の自分ならこんな大胆な付けはできません。連句には花の座が二つあり、花ということばにはとても神経質になっているからです。しかしながら、宗匠に見ていただくと、それが付け句としてはよかったので、ウラで花の座があるとしても、これでいこうと。ウラの花が「八重桜」となっているのは、そういう意味です。オモテの脇で出た、「朴の花」に気を使っているかたちです。宗匠に形の指導をしていただきました。初期のころの記念すべき作品であり、ひさしぶりに読み返してみて、あまりにも自分の句が若く単純なことに恥ずかしさを感じる。と同時に、その当時はまるきり見えなかった、天籟通信のベテラン俳人だった原しょう子さんや小説家三木祥子さんや貞永まことさんといった錚々たる俳人の気遣いと個性が、いまはよく見えます。連衆のみなさまへはことわりなく転載いたしました。どうぞ今後の勉強のためにご許可くださいませ。

   抱一(ほういつ)
          酒井抱一、江戸時代中期画家。繊細かつ優美な写生画である。
    http://www.city.itabashi.tokyo.jp/art/collection/ntb001.html

   牛頭馬頭(ごずめず)
     釈教用語。http://www.tv-asahi.co.jp/kozure2/contents/words/0003/

   吐魯蕃(トルファン) http://www.asahi-net.or.jp/~ti6t-mri/memory/china/tulufan.html                                                      

2006年9月17日 (日)

歌仙「菊」 16

台風がちかづいていますね。風が大きくなってきましたが、みなさまのところはどうでしょうか。

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)

四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
    言へない一句少年にあり     たから(雑、恋前)
十一 黄昏におさげひつぱる花篝        bud (花・春・恋
)        
十二   ひらきひもとく春潮の渦       恭子(春、恋)

名残おもて

一  亀鳴くや張りて重たき右の乳     山本伽具耶kaguya(春、恋)
二                          蛉(雑)
三                         聰子(雑)
四                         清志()

ウラ十二句目(春、恋)

1  ひらきひもとく春潮の渦
2 春の蔵にはハメルーンの笛(追悼・阿部謹也)
3 藻(も)伏し丘伏し獅子狂ふ春(追悼・山中智恵子)

ばどさんの花模様の恋を、花篝(はなかがり)というちゃんとした花の季語に代えました。花模様はこれまで使ったことがなくて、季語ではないんじゃないかとおもいました。ちょうど月の句に書割の月といって、絵に描いた月があるように、こんな偽物の花でもいいのかなと思いましたが、花篝はきれいなことばだし、これにかえました。ばどさん、ご承知くださいませ。

歌人山中智恵子氏が亡くなられたそうです。れぎおんを読んでおりましたら、伊勢の歌人・喜多さかえさんの書かれた連歌のとめがきでそれを知りました。

  ゆめごころいかなるものぞ夕ぐれは
          藻伏し丘伏し獅子狂ひゆく  山中智恵子
              「虚空日月」ー夢みるものきたる より

私はこの人の歌を、連句で何度かご一緒させていただいた、森山光章さんから教えてもらって知りました。森山光章さんは小説家箒木蓬生の弟君で(というのはずっと後で知った)、語彙の巨人です。寡黙で、しずかで、穏やかな風貌からはうかがい知れぬ謎を秘めた、文学者というよりは有徳の僧侶のように思える人です。お元気でしょうか。また連句をしましょう。知らないことばを、またおしえてください。(パソコンやら、されなさげ)。

阿部謹也氏の死は、あさよさんのノーマーク住民のサイトで知りました。「自分の中に歴史を読む」と「ハーメルンの笛吹き男」が、とても面白かったです。

ご冥福をお祈りいたします。

ということで、選句ですが、次の名残の折の立て句も春で恋やりますから、渦潮の句でいきたいとおもいます。うずしおは春の季語。

つぎから、名残の折に入りますが、立て句は順番だと発句のれいさんです。が、たまたまおととい電話で、もと亜の会の同志だった山口の山本伽具耶さんにちょうどここにぴったりの句をもらったので、それを使います。これは俳句なんです。切字もあるし、ほんとに切れているんだけど、その間がいいので使おうとおもいます。切字論を入力しながら、だんだんと変わってきたからです。思い込みから少し自由になってきました。

次は蛉さん。すみません。長句をお願いしますからと予告してましたのに、勝手に変えて、ごめんなさい。えーと、山本伽具耶さんは家具屋さんじゃなく、パンとかケーキを注文をうけて焼くぜいたくな職人さんで、かぐやひめみたいにかわいいよ。ただし子持ちの四十台の主婦です。笑

七七の句で、春でもいいし、季語なしの雑でもいいです。チョコビの句でもいいですから、七七のリズムでお願いいたします。前回だしてくださったHAL(2001年宇宙の旅の人工頭脳の名前)の句も、短くして出してくださいませんか。冬樹蛉さんはSFの批評家だそうです。なんだか「へえー」ですよね。今度こそ出していただくまでちゃんと待ちます。

※かぐやさんの句、季語は「亀鳴く」で春です。じっさいは亀はなかない。きこさまのご出産に際して詠める句だそうです。赤ちゃんがおちちがほしくて泣くころ、母体はそれに呼応するかのように、おちちがはっていたみます。あれはほんとにふしぎです。

ヨガの先生が骨盤がひらくと阿頼耶識がひらくっておっしゃったのですが、それ、女は出産で骨盤をひらき、すでにひらいているよね。・・とおもいました。

あさよさんが、いそがしいみたいで、抜けられました。でも、運よく折りよく伽具耶さんの句が天から降ってきて、助かりました。かぐやさん、ありがとう。

※阿部謹也:http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/german/abe.htm
       :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E8%AC%B9%E4%B9%9F 
   山中智恵子:http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/essais/chiekoch.htm
                   :http://www.izu.co.jp/~jintoku/yamanaka.htm

2006年9月16日 (土)

歌仙「菊」 15

budさんから花句がとどきました。
はじめて詠んでくださった花、そして恋句です。
はじめての人らしく、ルール違反の句もありますが、それもかまわない。
きれいに前句をうけて、自分なりに焼きなおして、全く違うものをお出しするという練習です。

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)

四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
    言へない一句少年にあり     たから(雑)
十一 黄昏におさげひつぱる花模様        bud (花・春・恋
)        
十二

ばどさん花句(恋)

1「淡き恋遠き空とぶ大桜」
2「黄昏におさげひっぱる彼岸花」
3「やさしくも裏道を行く花模様
4「ドア叩くさくらはらはら昼下がり」
5「真っ直ぐにあなたを想う桜狩り」
6「さくら揺れ昼行灯の妾かな」

選句:ほかの句はどうでもいいくらい、2がよいです。でも、彼岸花じゃなかろう。彼岸花は秋じゃないですか。(いま、ひょろひょろと茎が出始めてます。)花の座はさくらだし、春だし、ことばも花といわなければいけないというきまりがあります。さくらという語で詠んだのは、ないことはないですが特殊例で、ほぼ「花」です。ですので、彼岸花を他の花の季語とすり替え、これをいただきます。ばどさん、今日から「恋句のばどさん」とよびましょう。びっくりしました。他の句もみんないいですよ。4とか、1とか。3はあさよさんの月のへ急ぐ馬の群れがなければ、これもまたいい。いちばん俗っぽい6だって、時と場合によっては面白い。花揺れて昼行灯の妾なる・・とかのかたちで使えると思いました。こういうときにたくさんできた句はノートにためておけば、又、いつか花の座で使えますので、ぜひそうなさってください。(これを「こじきぶくろ」というらしいですよ。座で巻くとき、ひそかに用意して、何にも即興で浮かばないときとかにそれをこっそり見て、句を案じる人は多い。はらみ句ともいいます。)いちおう、花模様をいれましたが、これ、花になるだろうか。よくわからない。花の下、とか花の色、とか、花いかだとかじゃないといけないか。

  次は姫野でした。あすまでになんとか。(子においはらわれた。)

ヨガをはじめて

誘ってくださる人がいて、先月からヨガというものを習いはじめました。

公民館で中高年向けに週二回開かれています。

先生は七十歳で、菊の文字がはいった姓の男性です。じつにゆっくり、話されます。生徒は五十代以上八十代までの女性35人ほど。

畳半畳くらいのスペースに自分のマットを敷き、そこに座って足裏を指圧するところから始まります。最初にからだの末端をほぐして、それから徐々にきついポーズになり、もっともきつい動作のあと、サバーサナという短い昼寝をして、又、歌仙でいうなら名残の折みたいな流れの動作をして静かに終わります。この間、先生のつれづれなる世間話もふくめて一時間半です。

はじめて自分のからだとまともに向き合いました。膝を伸ばし閉脚ですわり、額を膝につけ爪先を握ることは、できました。でも、先生のように、百八十度開脚ができません。百十度くらいしか開かない。(分度器ではかってないけど、たぶんそれぐらい)。完全な開脚のまま上半身を前にペタリとおりたたむなんて、しんじられないことです。それを先生はやすやすとなさいます。骨盤がひらくと、こころがひらくんだと助手の先生がおっしゃったことがあります、ひとりごとのように。「きっと阿頼耶識はこのこととつながっているんだと思いますよ」・・・と。

阿頼耶識:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%A0%BC%E8%80%B6%E8%AD%98

〃:http://www.plinst.jp/musouan/yuishiki08.html

切字論、川本皓嗣 4-1

                                    4

 和歌の切字というものは別として、連歌の切字に関するくわしい議論は、南北朝時代の二条良基に端を発し、救済、宗砌(そうぜい)、心敬らを経て、『専順法限之詞秘之事(せんじゅんほうげんのことばひのこと)』(写本、専順著か。専順は室町から戦国時代にかけての連歌師)に至って、その形を整えたという。専順の「発句切字十八之事」は、伝宗祇の「白髪集」に受け継がれたが、その後、時代を下るにつれて、切字の数はだんだん増えていく傾向を示す。

 専順のいう十八の切字を品詞別にまとめると、「かな」「もかな(もがな)」「か」「よ」「そ(ぞ)」「や」が助詞、「けり」「らむ(らん)」「す(ず)」「つ」「ぬ」「じ」が助動詞である。しかし一方、「し」は形容詞終止形の語尾(青)、そして「せ」「れ」「へ」「け」は、いずれも動詞命令形の語尾(尽く、氷、散りそ、吹)にすぎない。そして「に」も、助詞ではなく「いかに」の「に」、つまり疑問の副詞の語尾である。

 今日の目から見れば、あまり分類の統一がとれているとはいえないが、用例に照らせば意図は明らかである。また動詞命令形の語尾ならば、この四つの他にいくらもあるが(立、歩、往)、もっとも頻度の多いもの四つに代表させた形だろう。言うまでもないが、この十八字はいつでも切字になるわけではなく、用法や位置によって、そうならないこともある。またこうした「てには」以外に、名詞を切字のように用いることもできるが、近代以前には、それを切字とは呼んでいない。

 ここには、いくつかの問題がある。まず浅野氏は、芭蕉の「蕣(あさがほ)昼は錠(ぢやう)おろす門(もん)の垣」に見られるような、詠嘆の間投助詞「や」を切字と認めるが、

  物ごとに道あらたまるけふの春   晶叱(しょうしつ)

のように、疑問の意をもつ係助詞の「や」は、切字ではないとする。というのはむろん、「道や」の直後に大きな意味の切れ目がなく、「や」の係り結びによって、「あらたまる」までそのまま文が続いていくからである。だから、この句は「例としても適切でなく、この例をあげた切字観もおだやかでない」という。この句例は江戸時代の『暁山集(ぎょうざんしゅう)』(元禄一三、1700)から引かれたものだが、ただここでふしぎなのは、伝専順の『詞秘之事』や編者未詳の『白髪集』でもやはり、「や」の用例の代表として、わざわざ係助詞と見えるような句(「露や色花の木ぬれの朝ぼらけ」。二書に小異あり)が挙げられていることである。そして『白髪集』の切字解説の部分にも、「や。うたかひの詞」と記されている。

 「や」については、伝統的に「七つのや」と呼ばれる詳細な分類が行われているが、『白髪集』の解説には、この「疑utagaiのや」のほか、同様に係助詞に類するいくつかの「や」が、例句とともに列記されている。むろん、浅野氏が認める詠嘆の間投助詞に当たりそうな「切kiruや」も挙がっているが、これについても、「うたかひものにもかよふべし。又知らぬにも似たり」とあるのが注意をひく。つまり詠嘆の「や」にさえも、係助詞のような疑問の語気を感じ取っているらしい。(4-2につづく。)

※ ここを入力中、芭蕉の句、「蕣(あさがほ)や昼は錠おろす門の垣」に、石橋秀野がにおいづけのようにして詠んでいる句をおもった。昭和16年「菖蒲湯へ罷りし留守のかどの錠」「朝顔の咲き放題にいつも留守」。ほかにも秀野の句には芭蕉の句と蕪村の句の面影がある句がいくつもあり、夫の山本健吉の影響もあったんだろうなあと思ったりする。純粋な古典の血統をまっすぐにひく魅力。それが俳人石橋秀野の最大の魅力である。

2006年9月15日 (金)

歌仙「菊」 14

たからさんが昨夜メールに付け句を送信してくださっていたのに、今まできづかないなんて。すみませんでした。携帯電話をもってはいますが、身につけないで動くので、よくこういうことがあります。本当にごめんなさい。

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)

四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
    言へない一句少年にあり     たから(雑)
十一                       bud(春・花)
十二                       恭子(春)

  すみ たから句案

 1  黄色い帽子連なり弾む

 2  子の弁当はぎゅうぎゅう詰めに

 3  言えない一句少年にあり

選句

  こどもの句をつけてくださって、ありがとう。私のさばきが流れまかせで、あっと気づけば、もうすぐ花の座です。その花前の句をつけるのに、雑(無季)で行くなんて、初めてのような気がします。たいがい、初折裏のここあたりは、月を秋以外の月で出して、花前から春でやっていたような記憶がよみがえってきました。

かといって、春の季語をいれてよめば、秋のすぐあとに雑をはさまず春となり、それはとても難しいわざをようすると、以前前田宗匠から教えていただいたので、ここは、季語なしの花前句となりました。

1 黄色い帽子、ですが、「帽子」は夏の季語でした。こういうところが、俳諧と普通の感覚とずれているなと思うところです。季語登録のあることばは、その季節以外で使うときは添え物扱いで、主となる季語をべつにたてます。以前、ベテランの連句人とごいっしょさせていただいたときに、雑のつもりでうめぼしをだしましたら、梅干は夏よ、といわれました。年中あるじゃんと申し上げましたが、季語というのはそういう意味のものではないから、と。わかるようなわからないような。黄色い帽子は、世間的には小学低学年のかぶるものです。べつに季節もない。でも帽子が夏なので、パスしますね。

2 子の弁当はぎゅうぎゅう詰めに 

  すっごい実感がある一句ですね。これをいただけば何も説明いらないですね。前句のがっついてるカチとつながっているとこがおかしい。育ち盛りの子をもつおかあさんならではの一句。なごみました。笑

3  言えない一句少年にあり

 これもいいんですよね。前句との距離がほどほどにあいていて。恋の句だと思うのは私だけかな。これにしようか、弁当にしようか。迷いましたが、この面には発泡酒があるから、飲食はしゅうぶんだろうと、少年の秘めた思いに一票を投じました。

つぎは、ばどさんに花の句をお願いします。
俳諧での花はさくらです。発句ににおいのつよい菊があります。でも、それはまったく別で、花ということばを使ってさくらをよみます。前句からいろんな連想をして、まずべた付けで一句つけ、そのべた付け句にさらに付けたくらいの花句をおねがいします。(・・初心のころ、前田先生から教えてもらった付け方のヒントでした。要するにべたつきよりは、ちょっとはなれているほうがいいって意味でしょうね)。

前句を恋句ととれば、花で恋句をつけてください。この少年は俳句少年で、内気な少年みたいです。こうして徐々に親離れしていくんでしょうね。ではよろしくおねがいします。

前回の恋のところがよかったので、また今度は思いの深い恋句をお願いします。

切字論と寺山修司

「切字論」川本皓嗣・著を書き写しております。切字きれじというわりには、共通の認識がないような気がずっとありました。俳句をはじめて十五年ほどたちますが、最初に知る切字の「かな、や、けり」、批評のときによく目にする「句に切れがないから深みがない」ということば、はたまた、たった17音の俳句の途中に切れを作るということの意味。そういえば、いつか書いた川柳家・倉本朝世についての文に、川柳と俳句についての素直で深い意見を述べていた青森高校三年生だったころの寺山修司の文をかなりの量、引用した記憶がある。ちょっと待って、さがします。http://www.geocities.jp/nomark6061/toge8.htm(倉本朝世「no mark」あざみのとげ7と8の8のほう)。この冒頭の二十行ほどが修司の書いた文章ですが、彼は高校生ですでに切字とは何か、そこらのちゅうくらい有名な俳人よりわかっていて、というよりむしろ切字とはなにかを必死で考えたあとが歴然と認められることに、たいそう驚かされます。十七歳の彼は文字ではなく、断層そのもの、虚空そのものを切字ととらえている。

私も切字とはなにか、さっぱりわかりません。

それを深く考えて、腑分けして、きっちりつめてくださった川本皓嗣 という人の仕事を、とても素晴らしいと思います。ということで、ぼちぼち続けます。(朝世さん。引用ありがとうございました。)

2006年9月14日 (木)

切字論、川本皓嗣 3-2

9/9からのつづきです。間があいてしまいました。おまたせしました。

 試みに『菟玖波集つくばしゅう』(延文一、1356)に収められた発句を例にとって見ると、句末に切字がくるもの、たとえば、

  風ふけば花にちりそふ心かな    道生(どうしょう)法師
    さゆる夜は風と月とにふけにけり  救済(きゅうせい)法師
  水をせき月をたたへて夏もなし   二条良基(よしもと)

 などは、一句のなかに、いかなる文体上・意味上の対立や矛盾も見られない(「夏もなし」は、〈夏の暑さも忘れてしまう〉の意)。言い換えれば、「情緒の複雑さ」も「重量感」もない。

 また、句の途中に切字があるものについてさえも、事情はほとんど変わらない。

  日にそへて青葉になりぬ遅ざくら    道生法師
  雲かへり風しづまりぬ秋の雨      救済法師
  なけばこそ名はのこりけれほととぎす   同

ここでもやはり、切字を境として、その前後ではっきり文脈が変わるわけではない(「なけばこそ」の句は、〈時鳥は鳴くから尊いのに、なぜ鳴かないのだ〉の意)。また、『新撰菟玖波集』(明応四、1495)に目を転じても、切字の種類や用法は『菟玖波集』よりずっと多彩になるとはいえ、切字があるから句が二段構えになるとか、切字がないからことさらに意味が重層化されるということはない。切字の目的は一句の完結性を保証することにあるが、それはあくまでも形式上の問題で浅野氏のように、「内容の重量感」の問題を持ち出すのは、やはり切字にこだわるあまりの本末転倒だという他はない。

 それでは、なぜこういう論理の矛盾をおかしてまで、切字と二句一章の相関性がたえず力説されるのだろうか。その要因は発句を独立させるという切字本来の任務が見失われたためではけっしてなく、むしろ切字が句中と句末の両方に出現するという、ふしぎな事実のせいだろう。たとえば、「風ふけば花にちりそふ心かな」の「かな」のように、句末にくる切字が一句を後続の句から「切り離す」働きをもつことは、すぐにわかる。しかし、「日にそへて青葉になりぬ・遅ざくら」の切字「ぬ」が、句の途中にありながら、この句を「切る」というのはいったいどういうことか、うまく説明がつかない。ここに、切字がその名のとおり、一句を二つに「切り分ける」ものだという、はじめから内部に矛盾をはらんだ解釈が生まれる素地がある。

 しかもこの解釈は、近代に始まったものではない。すでに江戸時代の俳論書にも、ときおり同じような思い込みが見られ、議論の混乱に輪をかけている。切字が発句の独立を支えるという、ひろく認められた事実を明らかにするためには、ぜひとも句中の切字という奇妙な現象を説明しなければならない。これは逃れようのない問題であって、その点があいまいにされているために、切字論がはなはだ歯切れの悪いものになるか、あるいは浅野説に見られるような矛盾を招くことになる。もっとも浅野氏は、内部の齟齬はともかく、一方の見方を厳密に突き詰めたという点で、貴重な貢献を果たしたと言えるだろう。 

※ 文中、何度も浅野氏の、と出ておりますが、浅野信『切字の研究』(1962)を指します。

歌仙「菊」 13

連句はじめのころ、自分が感じた法外さ、窮屈さを、はじめて連句にふれた人に思い出させてもらい、なつかしく思いました。

一生懸命、句を案じて出すと、さばきが「ここがさわってる」とバッサリ切り捨て、他のことばに変えられる。式目の前の人格の否定というか、そんな無念のきもちで一杯になります。その後いろんな人といろんな連句を巻いてきて、全く初めての人とも一座する機会が何度かありました。式目はともかく、自分が出した句をさばきの感性で変えられるのですから、そのつらさに耐えられず、「もういいわ」と連句から手を引かれる人もありました。ちゅうくらい名のある俳人ほどそうです。「・・俳句は俳諧とはまったく別なんだな」と感じるのは、そういう次元のことも含めてです。おもえば、ここが連句にはまるかどうかの一里塚かもしれません。私の場合は、そのわずらわしいルールがものめずらしくてたのしかった。時代があまりにもルーズだから、逆にしめつけの厳しい連句という型が美しく思えたのかもしれない。そんな感じです。

さて、菊歌仙、次の付け句を依頼した沢都=さわ・みやこ(俳号。宝塚みたいだったと本人の弁)は、はたしてどっちの流れにつけてきたでしょうか。私は指示をしなかった。彼女は仕事婦人だし、いそがしかろうと。ただ、ここのブログを読んでくれることを祈って。一つは、連句人である彼女の意見をそれとなく聞きたかったんで。

白露の流れにつけて、三句出してくれた。私が依頼したとき、その流れでしたから。

 白露のの十露盤の 
満月のうしろへ急ぐ馬の群れ
 刈田狼藉許すまじいぞ

案)  1 もの落ちて水の音を立てにけり
    2 風止めばベンチ左に傾きぬ
    3 啄みてひと声啼きしかちがらす (村がらす)

みやこさんは、学校の学童保育教師です。いま、いろいろとガッコは昔と違っていてたいへんそう。しょっちゅう話し合いとかあっているみたいです。で、この付け句はファクスで貰いました。二年前まで私たちは同じ連句会でファクス文音(ぶんいん)でしたので。(いちばん最初、窪田薫宗匠時代は郵便連句。)連句文音にも時代のながれがあるなあ。いつかはテレパシーでできる時代がくるだろうか。

下線部は都さんが気にして自分でひいていたとこです。朝の字、オモテで「早き朝」と出してた、と。そうだったか。でも離れているからぜんぜんかまわないよ。

この三句、どれもすごいいい句だねえ。都さんは私がころころ流れをかえたのに、ついていけてなくて(たぶんそうだとおもってた)、もとの句に付けてくれたんで雑の句なんですが、わけを言って、すこしぐらいものがですぎていても都さんが鎮めてくれれば・・と。で、三句目の村がらす(これが原句でした)を秋の季語のかちがらすに変えたら、使えるじゃないですか。このなかで一番味があるしね。よかった。これをいただきます。ごちゃごちゃしてたけど、このかささぎのおかげでサッと気が静まりました。ちなみにかささぎの啼き声きいたことありますか。グエとかガアとかガ行音じゃなく、カチカチのカ行音です。下品なくせに澄んでいるというかな。(笑) だけど、色がすんごくきれえ。醤油いろというのか瑠璃色というのか翠で碧で青で蒼で藍で黒で黝・・なんざますのよ。自然はすごいんだじぇえ。光のあたりかたで色がかわる。風切羽のとこだと思うのだけど。いつか父がいちごをあまりに食い尽くすので怒って、とらえてすてたことがある。(保護鳥です。だから絶対まねしないでくださいね。)とても頭がよくて性格がわるいから。一番大きいイチゴからちょっとづつ食べるやりかた。百姓としては最大にあったまにくるわけ。いつもみかける、ここらへんではもっとも身近な鳥です。カチガラス、カチ、かささぎ。秀吉が朝鮮出兵のときつれて帰ったという説がありますが、私は古代から日本の西日本にいたとおもう。勘です。

つぎはたからさんです。月から刈田狼藉(杉浦先生の補注で、古典にはよく出ることばだそうで、合戦のとき収穫時のたんぼをあらすことだそうです。さっきのイチゴどころじゃない狼藉ですな。これは補注をつけなきゃ)が出て、カチがなにかついばんでカチカチと啼いた。それは米粒かもしれないし、人の死体かもね。

季語のない雑の句でたからさんに短句をつけてもらい、花にいきます。花はだれかな。花は蜻蛉さんだ。発句をいただいてますが、練習問題として花をよんでもらいたいです。(花ということばを入れて、櫻のイメージで句をいくつか考えておいてください。五七五)

ん。一番若いのがこの人かな?においの花は若い人にということですから、発句はあそびだったけど、あとの花をまじめに詠んでもらいますか。ナゴリウラの花は、じゃ冬樹さんに回すことにして、最初の花はbudさんによんでもらおう。budさんは句を作るのお上手です。やはり川柳をなさってるからとおもいます。たからさんの次に花ですから、こころの準備をよろしく。

たからさん。花前句はかるく花をひきたてるきもちでつけてください。まちます。

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)

四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都(秋)
                        澄 たから(雑)
十一                       bud(春・花)
十二                       恭子(春)

こうしてながめますと、ものがですぎてると感じたぶぶんが、序破急のはにもきゅうにもなっていて、スピードあるジョブをくりだされてるかんじで、いいな。そんで都さんのかささぎのまぬけな声で、たしかに静かな時間が生じた。

馬、字面の狼、烏。三句つづけて生き物がでた。これは、気にしない。うちこしの馬とからすは異生類だし。

参照:そろばんの数え方=挺:http://www.bayaqua.com/benri/kazoekata.htm
刈田狼藉:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%88%E7%94%B0%E7%8B%BC%E8%97%89              
       

2006年9月13日 (水)

菊その他

菊その他

いま、大豆や里芋やさつまいもやナス、が育っています。あ、そうだ。ほうれんそうも種をまいたばかりです。日本アグリスの楽太郎と恵太郎。とてもおいしいし、日が過ぎても茎が徒長しないし、りっぱなほうれんそうです。(宣伝料もらってない。種をタダでくれないかなあ。笑)一昨年私が初めてネットで購入した種です。高いけど品質がいい。

先日は胡麻を収穫してました。あれは青いうちから引っこ抜いて、数日陰干しして弾けさせ、それを敷物の上に大きな容器を置き、胡麻を叩き落します。手間暇かかるけど、もうぜんぜん買ったものと味と香りがチガイマス。

菊その他

歌仙「菊」 12

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 (秋)
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 (秋)
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 (秋・月)
四    シナモン味のパンをください     倉本 (雑)
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 (雑)
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 (冬)

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 (冬)
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世(恋前)
三  短髪のうなじは白き指睦び    bud(恋)
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏・恋離れ)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子(時事)
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子(雑)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八  1 刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
    2 秋の狩場に集う若武者
    3  紅葉を翳す老将の皺

  


ばどさんへきる仁義

ばどさん。コメント欄に入らなかったので、ここに書きます。

ばどさんの書かれた句の選択をした文章がとんだ(一生の不覚)ことも含めて、私はばどさんにどうやっておわびしていいかわかりません。
でも、二年も連句をしなかった時点から急にこんなパソコンで連句をしようと思い立って始めて、ばどさんが入ってくださったことがどんだけうれしかったか。あっさむさんや矢島さんや蝶野さん、くろさん、それといまわしさんやけいぼうさん。みんなみんないっしょに連句が巻きたいんだよね、実をいえば。

以前思い切りばどさんに失礼なことを言った。それをずっと悔いていました。だから、いっしょにできることがすなおにうれしかったのです。
式目と句のみさだめと、作者のきもちと、どれをいちばん尊重するか、作者のきもちです。ばどさんの句の「白」にこだわりたいとおもった。ふつうは、あさよさんもコメントくださったように、雪が前の前(これを打ち越しといいます)にあるので、そのイメージを損なわないように雪を思わすようなものは「雪にさわる」といって慎むから、さばきは別のいろをだすとおもいます。でも、別にかまわないじゃないかとおもった。で、そうやって進んでいたら、これが座じゃない悲しさ、時間のずれと偶然で、こういうことになってしまった。あさよさんの魅力的な句が付いたとき、鍬塚さんのブログや発句をいただいた蜻蛉さんのブログをよんで、ノイズの魅力、ありのまま、偶然、そういうことすべてひっくるめて全部肯定することにきづかされ、ええくそもうサワリとかしったこっちゃねえと、いったん、もとにもどしたんです。おぼえておられますね。あれはそういうきもちでした。
ところが、そうやると、先がどんつまることも頭のどこかにはあった。秋と春を俳諧では大事にしているのか何なのか、夏・冬より多く続けるのですよね。といっても、意味不明かな。秋も春も普通三句以上続けなきゃいけない。夏・冬の句は一句か二句ですてるのに。季語のある句と季語のない雑(ぞう)の句が交互に織りなされるときのきまりなんです。
それをおもうと、裏の十一句目でよむ花(一巻で二番目に重要な花、しおりの花といいます)があることをさばきは常に意識していなければならない。なのにそれをぼおっとして怠った。
杉浦先生は偶然か意識的にか、なにもかかれていませんが、それを危ぶまれて、秋が早く始まる一直のほうに御自分の句をつけてこられたのだと思いました。
これが座でやるのなら、こんないやなおもい、ぜったいさせないのになあとおもいます。どうかおゆるしください。
ことばでは、おもったことかんじることのちょっともつたわらない。
ばどさん、どうか恥をしのんでお願いします。さばきの未熟を助けるとおもって、最後までつきあってください。こういう抜けた横着なさばきではありますが、最後までみすてないでやっておくんなさい。これに失敗したら、ネットで連句、やれないとおもう。

2006年9月12日 (火)

歌仙「菊」 11

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 恭子
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 聰子
四    シナモン味のパンをください     倉本 朝世
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 清志
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢  都

ウラ  
一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 たから
二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世
三  短髪のうなじかぼそき指睦び    bud
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉(夏)
五  「親王誕生」こんなところに祝ひ旗 恭子
六    白露の朝の十露盤の玉      聰子(秋)
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世(秋・月)
八  1 刈田狼藉許すまじいぞ      清志(秋)
    2 秋の狩場に集う若武者
    3  紅葉を翳す老将の皺
 

おお。杉浦先生だ。やはり。格調と教養がちがうもの。

もとのままにつけていただいてました。
そうじゃないと来るべき花の座があやういからです。十一句目には花(春)が控えている。こんなところで普通は秋なんて出さないのが普通のさばきなんですよね。なのに説教もされず、ありがたいことです。・・さすがです。ちょっと感動。笑

選句

1.刈田狼藉許すまじいぞ 
    スサノウの面影句。生き剥ぎ逆剥ぎの狼藉をおもわせる。でも、刈田を狼藉するって、
どういうことかな。ミステリーサークル。あれは刈田じゃできないですよね。  
http://www.kenkenfukuyo.org/reki/kogojyui/

2.秋の狩場に集ふ若武者
3.紅葉を翳す老将の皺
  老態。このカザスということばですが、恋の語感がありますよね。花翳しとか連想。これは花が近いことですし、遠慮いたしましょう。 

※前からずっと気になっていたので、一応「かざす」という古語を古語辞典で調べました。

挿頭=かざし=翳   
初めは草木の枝葉や花を髪にさすことで、草木の生命力を人の命に取り込むという呪術的な意味をもっていた。のちに、装飾のための髪飾りとなり、金属製の造花や玉も用いられるようになった。こんにちの「かんざし」のもとになるものである。類義語に髻華(うず)がある。 

翳す
顔や頭の上に手などをさしかけて光や雨をさえぎる。                                        

2006年9月11日 (月)

歌仙「菊」 10

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 恭子
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 聰子
四    シナモン味のパンをください     倉本 朝世
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 清志
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢  都

ウラ   

一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む    澄 たから

二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世

三  短髪のうなじは白き指睦び       bud

四    発泡酒までおまけで釣るか       蛉(夏)

五   「親王誕生」 こんなところに祝ひ旗     恭子(時事)

六     一挺二挺五つ玉十露盤      聰子(雑)

七   満月のうしろへ急ぐ馬の群れ      朝世(秋・月)

八                           清志(秋)

十一   

 株のトレードにいそがしげなあさよさんにご無理をいって、一句いただきました。ほんとにありがとう!こういう、どんな付け句をつけてもよさげな無心の句って、だれにでもできるものじゃないです。やっぱすごいです。つぎは、はこだての杉浦先生に虫の句をつけてもらおうとおもうのですが、もちろん、虫の句じゃなくてもご自由に。無常の句がでていません。  

あさよさんの句をながめていましたら、鍬塚さんの句は原句のほうがずっといいので、へたにミヤビな添削で改悪するのはやめました。それにともない、ばどさんの句ももとにもどしました。笑                  

カルチェ・ラタンの労働歌

土曜の深夜、ふと思いついて「死ぬなと泣きし」を打ち込み、ずいぶん遅く寝た。それでも朝、ちゃんと目をさますはずだった。ところが明け方、はやく目がさめすぎて、困っているうち二度寝してしまい、ハッと目覚めたときはすでに八時になっていた。しまった。次男を七時に起こす約束だった。

大慌てで起こし、朝食もとらず身支度をして、ネットで場所を確認し、出かけた。サッカーの試合会場である筑後の中学校に。グランドで練習が始まっていた。

なにはともあれ試合に間に合ってよかった、と車を運転しながら、その時点でもまだあたまのどこかに残っていた、二度寝したときに見た倉本朝世さんの夢を思い出していた。

私はほとんど夢を記憶しない人間だし、人の夢をみることもあまりない。それがなぜ倉本朝世の夢をみたのか。もちろん、寝る前にうちこんだ歌仙のせいだ。うちこみながら、その句をだしたひとのこころをたどっていた。

みな、すごくうまい。ここまで人を真剣にさせる前田圭衛子宗匠の力に圧倒される。じつはあの歌仙を巻いた当時は、高木一恵氏の句のうまさばかりが目に付いた私だった。ところが、時間を置いて距離をおいて眺めると、それぞれがそれぞれの持ち味の句を出していて、眞鍋・岡井・高木三吟の「山鳥歌仙」にも負けないものを、ちゃんと持っている。

倉本あさよはうまい。そう、思ったのだった。彼女は都合六句だしているが、どの句も見事だ。ことに私の好きな句は「息つめてやがて切ない水の婚」。匂いの花の句(挙句の前にある、歌仙一巻の正花となる句)もすごくいいけど、この水の婚は絶品だ。句の内容や意味するものは漠然としているが、表現の持つ質感が清潔でうつくしい。これが彼女の生地だとおもう。

貞永まこと。この人もあらためてすごい俳人だと感じた。それは、連句を巻くときいつも感じていたことだが、前句を受けて、自分の句をだすとき、自分の位置がちゃんと誰よりも見えていた人だった。亡くなったのはこの歌仙を巻いた三年後の平成十四年夏だが、翌年一周忌が済んだころに、私は行きたがっていた天真実(てん・まこと)を乗せて、車で大分の彼のお墓に詣でた。産婦人科医であり多忙な奥様に前もって連絡していたので、仏前におまいりさせてもらったのち、先生の指示でお手伝いの人がすぐ裏の高台にある墓地まで案内してくださった。奥様のお話を聴き、かなしみのふかさをしる。

貞永まことは東京の人だった。私が会ったのは、全部で何回だろうか。亜の会の連句会では夏に合宿をやっていたが、それをいれてもおそらく六回くらいしかあってはいないだろう。なのになぜか兄のような親しみを感じていた。他の同志もみなおなじことをいうのがふしぎな気がする。

はじめて会ったときに、貞永さんは一冊の本をくれた。古本屋で買った本だといってた。「私のように黒い夜」という題の翻訳小説で、なぜか、とうとう読まないままだ。この想いは鍬塚さんにも感じることであるが、団塊の世代といわれる人たちの独特の感性を、貞永さんほど持った人はいなかった。社会性があり、いつも何かおおきなものに強い怒りをもち、句を詠んでいた。

 忘れないカルチェ・ラタンの労働歌  まこと

この句、貞永まことの本領発揮の句だとおもう。この歌仙にこれがあることが誇りなのだ。季語は労働歌。メーデー、五月五日、晩春の季語であり、彼の生きた青春の歌でもある。「姉のいた夏、いない夏」という映画があるが、あれをみると時代に生れることの意味がわかる。石橋秀野の政治性ともおそろしく繋がってくる。

「まことは何冊もノートを残していました。毎日十句以上詠む事を自分に課していたんです」・・と奥様はおっしゃっていた。「・・そのままにしてあるんですよ。彼が生きた部屋、そのままに。」・・と。

きょうは、九月十一日。

忘れていた。天真実くんの誕生日だった。かれは二十四歳にもなるのか。長らくあっていないが、元気だろうか。

※映画「姉のいた夏、いない夏」http://www.gaga.ne.jp/invisiblecircus/

2006年9月10日 (日)

恋賦物歌仙「死ぬなと泣きし」

  恋賦物(こいのふしもの)  

  脇起歌仙(わきおこりかせん)

       「死ぬなと泣きし」

    起首平成十一年六月十八日 満尾同年八月十日  文音

                  捌 ・  前田 圭衛子

 初夢は死ぬなと泣きしところまで    眞鍋 天魚(呉夫)

   しぼり柱に揺るヽ餅花        前田  圭衛子

 わだつみの凪あでやかにたゆたひて    姫野 恭子

   原石そつとほどかれてをり      倉本 朝世

 月光を踏みつつ逢へば春寒し      椿  紀子

   蚕飼(こがひ)の村に入る長持    高木 咲耶(一惠)

ウラ

 忘れないカルチェ・ラタンの労働歌    貞永 まこと

   柔らかな壁大好きなのね        鍬塚 聰子

 ミシンからずり落ちてゆく昼の姉         朝世

   黄泉戸喫(よもつへぐひ)の蜜を舐めあふ   恭子

 姥神(うばがみ)の腿の太きを焚きつけに     咲耶

   馬をなだめる草の穂の先            紀子

 待宵は海明るくて隠せない             聰子

   酒とうるかで間夫(まぶ)の醍醐味       まこと

 一節切(ひとよぎり)・尺八・銅簫(どうせう)みな通じ   恭子

   絶対音感わしづかみされ            朝世

 早房の瀬の山ざくら淋しいよ            咲耶   

   姫虻となり誰を追ひゆく             紀子

ナオ

 前髪をあげし乙女の弥生尽           聰子

   閨の丸みは雲の借りもの          まこと

 汚されたゲルマニウムの夜であり       朝世

   十三文の下駄がはみ出す         恭子

 もて余す割目のありて寒卵           紀子

   巳之吉さまへ雪のことづて         咲耶

 締め込みはもう紅色の擦過傷         まこと

   代々木公園猫に招かれ          聰子

 息つめてやがて切ない水の婚        朝世

   歌の終りは泡か真珠か          紀子

 別宅へ満月の塀のり越えて          まこと

   卍くづしの胸に溢れ蚊           咲耶

ナウ

 嘘つかね嫁こがほしいよ秋の暮       恭子

   自転車の鍵抜けなくなれば        聰子

 甘いもの酸つぱいものに苦いもの      紀子

   のどかに傾ぐからつぽの墓        まこと

 花明りかき鳴らすたび熟れる琵琶      朝世

   霜のなごりの小野炭をつぐ        咲耶 

註 

 カルチェ・ラタン http://www2s.biglobe.ne.jp/~cama/

 うるか http://www.town.misato.shimane.jp/nanzokanzo/waza/uruka_w.htm

 一節切 http://www.n-brabra.com/bura/info/sky/2004_04.html

 銅簫  http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index95/index.html

 早房の瀬 http://www.ic-net.or.jp/home/rinet/yymphybsns.html

 黄泉戸喫 「へ」は竈の意 黄泉の国の竈で煮炊きした物を食べること これを食べると現世には戻れぬと信じられていた

 姥神  http://www.h2.dion.ne.jp/~esashi/08jinjya/ubagami.htm 

 姫虻  http://ponta.at.webry.info/200607/article_10.html 

 巳之吉  L・ハーン著『雪女』の主人公

    http://teru.twincle.net/kokunai_4%202006/koizumi_yakimo/1.htm

 卍くづし http://www.kanwa.jp/xxbungaku/Miscellany/Taii/Taii.htm  

 小野   大原小野 〈小野炭や手習ふ人の灰せせり〉 芭蕉

   http://www.geocities.jp/hieisankei/stage02_03.html

   http://www.musubu.jp/jijimondai30.htm#sumi

連衆  前田圭衛子  貞永まこと

     高木咲耶(一惠) 椿紀子 倉本朝世 

     鍬塚聰子  姫野恭子

『馬の仔に』 高木一恵句集(ふらんす堂刊)     

『現代連句集Ⅱ』 (連句協会編)         所収      

2006年9月 9日 (土)

切字論、川本皓嗣 3-1

今年中にすべて打ち込もうと思っているのですが、川本皓嗣のヒット作「切字論」、9/5付、当ブログ記事続きです。右のカテゴリー欄の「切字論」をクリックすると、これまでに打ち込んだ分が読めます。

                  3

  連歌時代からの沿革をたどってみると、発句に切字が要請されたのは、明らかに発句の完結性・独立性を保証するためである。なぜ発句に限ってそういう手立てが必要かというと、もしはっきり句末で完結したという形を整えなければ、発句はそのまま脇句と結びついて、和歌と少しも見分けのつかないものが出来上がる恐れがある。そうなれば、長句(五・七・五)と短句(七・七)を別人がかわるがわる「付けて」いという、連歌の独自性そのものが損なわれるからである。

 すでに平安後期の源俊頼『俊頼髄脳(としよりずいのう)』永久一、1113以前か)には、こう明記されている。「そのなから(歌の半分。上句の五・七・五)がうちに、言ふべき事の心[表現内容]を、いひ果つるなり。心残りて、付くる人に、言ひ果てさすはわろしとす」。これは短連歌(五・七・五+七・七またはその逆)についての注意だが、長連歌の発句では、発句の完結性への要求が、なおさら強くなる。したがって切字は、和歌とは異なる連歌・俳諧というジャンル自体の存立にかかわる重大な約束であり、どうしてもはずせない絶対要件である。この点は、俳諧辞典のたぐいにも、つねに明記されているところである

 そこで問題となるのは、切字がどのようなやり方で発句の独立をはかるかという点である。これについてはさきに触れたように、切字のもっとも重要な働きは、一句を二つに切り分けることだというのが、一般の見方であるように見える。浅野氏の言い方を借りれば、一句をそうして両断することで、「内容の重量感」ないし「とりあわせの複雑さと妙味」が増し、その重みによって、発句が一篇の詩として独立することができるのだという。しかしそれならば、よくあるように切字が句末にきて、浅野氏のいう一句一章の句ができるときはどうなるのか。この場合、切字は句を二分するという本来の、もっとも重要な役目を果たせないことになる。浅野説によれば、だからこそ一句一章の句には、なおさら「内容の重量感」や「情緒の複雑さ」が必用なのだという。だがそうだとすると、そもそも切字が本来の任務をおろそかにしてまで、なぜわざわざ句末に置かれることがよくあるのかという、当然の疑問が残ることになる。

 実は取り合せや二句一章論に代表される発句の修辞論、意味論は、俳諧史の上から見れば、いわば芸術としての発句の〈詩〉を濃密にするための工夫のなかで、主として芭蕉以後にだんだん練り上げられていったものである。したがって、ジャンルとしての発句の存立に、どうしても欠かせない基本条件ではない。現に連歌時代の発句には、二段構えの構成をもたない、一句一章的で平坦なものがきわめて多い。

          3-2へ、つづく。

源俊頼『俊頼髄脳』・・・http://oak.zero.ad.jp/teru/gakusyu/karon/tosiyori/

藤原定家筆『俊頼髄脳』発見・・・http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200608100019.html

和歌論・・・http://www5b.biglobe.ne.jp/~kamunaki/kokubun/wakaron.html

歌仙「菊」 9

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 恭子
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 聰子
四    シナモン味のパンをください     倉本 朝世
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 清志
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢  都

ウラ   

一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む   澄(すみ)たから

二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世

三  短髪のうなじかぼそき指睦び       bud

四    発泡酒までおまけで釣るか       蛉(夏)

五   「親王誕生」 こんなところに祝ひ旗     恭子

六     白露の朝の十露盤の玉      聰子(秋)

七                           (秋・月)

ウラ六、くわつかさとこ案。

イ 肥後の守で色鉛筆削ぐ

ロ 一挺二挺五つ玉十露盤

ハ 洗面器ならタンバリンよ

選句    

     なぜか洗面器ならタンバリンよが洗面器ならタリバンよにみえた。笑

  ものが出すぎじゃないかなあ。深い思いを述べる句がほしい。

  くわつかさんは本気だしたらこんなもんじゃない。

とふつつかにもおもっているところに、鍬塚さんのおもしろいコメントがはいりました。

親王の句にして、十露盤がいいと思わない?昨日劇団MAMの第一回打ち合わせで、黒崎の商店街に野菜の出店があって、「今日は安いよ、赤ちゃんが生まれたから」と言ってたから「あら、お孫さん?おめでとう」「いやうちじゃなくて、東京で・・・」という一幕がありました。イチジクを4パック一箱750円。劇団MAMへの差し入れにしました。美味しかった。皮も食べました。

かんがえてくださってありがとう!

ということで、時事句をおいて、そろばん句をつけて、おみせのひとにもうけてもらいました。おかげでちゃんとついて、しかもおもしろいです。私の目はふしあなだ。やれやれ。

なりゆきでつぎは月の句です。出勝ちというやりかたはどうでしょうか。詠みたいひとが月を詠んでみる。・・・いい月をお待ちしています、どなたでも。おもてのみかづきとはちがう、満月のがいいです。

   

2006年9月 8日 (金)

歌仙「菊」 8

当方の手違いから、きのう打った記事ー 歌仙「菊」 8ー が消えてしまいました。ひどいです。泣きたいです。

どこを見ても、記録は残っておりません。どうしよう。自分がわるいんですが。間違って削除をクリックしたからです。まさか保存記事が消えるとは・・あたまのなかでは、おなじものがいつでもいくつも無尽蔵にあるというイメージだったのにい。なんてこったい!

どうしたらいいでしょうか。もしどなたか、何かやりかたをご存じであれば、ご教示願います。管理画面で探したら、一度削除したら、二度と元に戻りません。ってな薄情なことが書いてあった。そげんだいじかこつははよ言ってばい。とほほ・・

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 恭子
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 聰子
四    シナモン味のパンをください     倉本 朝世
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 清志
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢  都

ウラ   

一  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む   澄(すみ)たから

二    よく似た痣を見せ合つてをり      朝世

三  短髪のうなじは白き指睦び       bud

四    発泡酒までおまけで釣るか       蛉

記録が消えてしまいましたが、budさんの付案は、

   すれ違いまたすれ違う回れ右

   年上に憧れるきみ正常

   短髪のうなじは白き睦まじい

でした。どれをとっても味のある恋句でしたが、三句目を座五の一部のみ変えていただきました。ありがとうございました。

座五を「睦まじい」から、「指睦び」にかえるときに、鈴木しづ子という伝説の俳人の有名な句を引用しました。

   花の夜や異国の兵と指睦び  鈴木しづ子

http://homepage1.nifty.com/B-semi/library/koiku/12suzuki.htm

↑このなかのしづ子句は、「指睦み」となっておりますが、原句は「睦び」が正しいそうです。この頁を書かれた詩人の正津勉氏に確認していただきました。早速きっちりとした返信をいただき、ありがとうございました。実は、私は鈴木しづ子が好きで、資料を集めていたので、睦みとなっているのを見て、すぐおかしいなと気になった次第です。でも、原典を一度も見たことがないんですよね。今回つらつらと考えてみましたが、「むつび」だから印象に食い入るのであって、むつみでは迫力がぜんぜん違います。最初にこの句をみたとき、ものすごく残りました。それは、句の内容というより、「睦び」一語の異物感だったと思います。すごい句を書く人だなあとおもって。気迫が並じゃない。不幸な女だなって。

つぎは冬樹蛉さんにお願いしてみました。すると、更新されたブログの題名にちょうどいい短句があります。これをいただきます。れいさん、ありがとうございました。そういえば、れいさんを、私はほとんど存じ上げない。ふしぎですが、こういうことも連句にはあるんでしょう。かさぎ連句ならぬ、かささぎ連句だ。笑

つぎは、私でした。  

五 案 

 みどり子のゆめ翠なる夏は来ぬ

 ヘリ防除操縦日誌積まれゐて

 親王誕生 こんなとこにも祝ひ旗

ヘリ防除とは、稲の害虫防除を専用ヘリでやるもので、ここ数年のあいだに主流になってきました。季語としての登録はあるのかないのか、稲が早稲かおくてかでも違うでしょうが、晩夏から初秋の季語です。二度はやります。このヘリ操縦がやりたくて農協職員になる人もいると聞きました。まったくかわいいなあ。おとこのこは。

発泡酒はビールとしたら、季語的には夏でしょうから、一応夏でつけてみた。三句目は時事句です。次は、ようやく、こどもの日記のひろばの、戸畑のベテラン俳人・鍬塚聰子さんです。雑の短句をおねがいします。

追伸) くわつかさんへ。

   二句目を少し変えます。ことばがこなれていなかった。

  無人ヘリ操縦日誌積まれゐて

このなかでは一番いいかな。積まれているのは、農協支所の机の上か、それとも、軽トラに備品として置かれているのか、そんなかんじ。 

  

 

2006年9月 7日 (木)

花の名前

花の名前

が知りたい。さいきん、なにかの車のCMに、この花が一瞬だけ出てきます。

あさ、ひらいたむらさきの花が、ひるすぎにはちります。ちりかたも花がそのまま落ちるかたちで、ふぜいがあります。まだなまえをしらべていません。

          とおのはな

かぞえると、いつもきまって十のはなをつけている。

ゆうぐれがちかづくと、ひとつのこらずあしもとにおちている。

けさもかぞえた、つゆをふくんだむらさきのとおのはな。

ゆっくりとかぜに身をゆだねてゆれる、むらさきのとおのはな。

ゆうぐれにはおちて、そのいちからいなくなってしまう、とおのはな

2006年9月 6日 (水)

三吟歌仙「山鳥」の巻

三吟歌仙「山鳥」の巻

   高木一惠句集「馬の仔に」所収

   平成八年三月七日起首  同年九月二十三日満尾

          捌: 眞鍋 天魚

連衆  天魚(眞鍋呉夫) 省二(岡井省二) 一惠(高木一恵)

 山鳥の骨敲(たた)く宵蔵王堂        省二

   明日は鬱金(うこん)にひらく楤(たら)の芽  一惠

 春深きサーカスの綱踏みしめて       天魚

   破れ饅頭食ふはやすけし         省二

 満月が三つ昇つて覚めました        一惠

   糊のききたるシャツのやや寒       天魚

裏 

 菊畑の畝のあはひに水引いて        省二

   ためらひ傷に触れず寄り添ふ       一惠

 翼預けてきたのは駅のロッカーか       天魚

   槐(ゑんじゆ)並木の向う犀をり      省二

 核実験あと一回でやめると言ひ        天魚

   みんな忘れてしまふ熱燗          一惠

 月冴えて倶利伽羅谷(くりからだに)に空のある  省二

   ダイダラボッチの足跡を追ひ        一惠

 オジジシス」オババヲツレテ」スグカエレ    天魚

    上下に振つて篭の銭まき         省二

 花守のそろそろ雨がほしき頃          一惠

    あかりを消せば浅蜊呟く          天魚

名残おもて

 ふらここの板の低きに座りかね         一惠

    老いらくといふ重ね硯ぞ          省二

 さりながら早桃(さもも)のやうなひとのゐて   天魚

    暗号名を変へてサハラへ         一惠

 かけおりて井戸掘唄に加はるも         省二

   眼をあけたまま眠るいろくづ         天魚

 行く年の浮世の反故をとり散らし        一惠

   憶良の屋敷門のなかりき           省二

 釘隠  良夜の釘を隠しをり          天魚

   束ねてあまる髪の冷やか          一惠

 籍入れておかうか鹿の声がする        一惠

   ふしだか付きし靴をぬぎすて        天魚

名残裏

 インターネットあやつるときも秋の色      省二

   粘菌の名はムラサキホコリ          省二

 零点の答案用紙もちかへる           一惠

   父にかはつて口上を述べ           一惠

 そぞろ神ゆらめく花の影を踏み         省二

   「こだま」の中を翔びまはる蝶         天魚

 註 裏十句目「篭の銭まき」は、伊勢、熊野地方にある野辺送りの風習

   名残表折端「ふしだか」は「牛膝(ゐのこづち)」の古名 

  「馬の仔に」  高木一惠句集 ふらんす堂(平成14年刊)

※ やまどり・http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/003.html

        ・http://www1.ocn.ne.jp/~tamura-g/topix4/yokoyama/tori6-7.pdf     

  引用しながら、何度も鳥肌たちます。すごい、としか、いいようがない。どの句も、うまい。転じ、移り、ひびき、におい・・日本人に生れて良かったと、しみじみ想う深く豊穣な世界です。天魚先生も省二先生も、鎬を削って句を出されている。それが、行間に見える。どこにこんな熱い世界がありましょうか。一惠さんを尊敬してやまないのは、これがあるからです。喉頭癌で亡くなられた岡井省二先生にとっては、生涯一度の歌仙となった・・と留め書きにあります。ここにあらためてご冥福をお祈りもうしあげます。俳縁のはじっこにて。合掌。

粘菌 ムラサキホコリ:http://lifeform.coomaru.com/kin/001/index.html

ふしだか=牛膝(いのこづち):http://www.hana300.com/inokoz.html    

    

 

歌仙「菊」7

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉
脇   赤とんばうを放ちやる空       姫野 恭子
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 聰子
四    シナモン味のパンをください    倉本 朝世
五  スカートがはらり自転車から下りて 
  杉浦 清志
六    早き朝には冴ゆる橋げた         沢 都

ウラ 一  

    背振山ちぎれちぎれに雪降り初む 澄(すみ)たから

 二(案) シャッフルされてカード重なり  倉本 朝世

       きれいな嘘を映す手鏡

   ○  よく似た痣を見せ合っており

あっさむさん(マリオットの盲点の主)に振ったところですが、残念ながらあっさむさんに出してもらえませんでしたので、ちょっと早いのですが、倉本さんにまた短句をだしてもらいました。あさよさん、ごめん。恩にきるけん。

あさよさんの三句、あさよさんらしい三句。一番好きなのはカードの句です。次に出る句のために自分を捨てている句で、これは最初に出してもらったオモテの四句目も似てるんですが、呼び水の働きをする句です。スピード感があり、急展開しそう。きれいな嘘の句は、それに比べれば、むしろ凡庸といえるかもしれない。恋と嘘は凡庸な取り合わせですよ、とどこかでマエダ宗匠の声がする。で、最後の、

「よく似た痣を見せ合っており」

ファスナーをおろす きれいな棘である    朝世(「硝子を運ぶ」所収句)

これは本人の原典を思い出させるけれども、私には、眞鍋天魚捌(さばき)、高木一惠、眞鍋天魚、岡井省二三吟歌仙『山鳥』のなかの「ためらひ傷に触れず寄り添ふ」を思い出させる句です。この山鳥の巻は非常に文学的で密度が高く、三者三様の行間の芸を堪能できる、いわば純文学連句とでもいいたい作品でした。連句誌「れぎおん」に四回か五回にわたって連載されたのはもう十二年くらい前でしょうか。岡井省二さんは亡くなられました。一度、そのころ、私の企画を前田編集長が採ってくださって、「近代文明アンケート」(んなたいそうなもんじゃないほんのあそび)をやらせてもらったことがありました。まず、ガス(厨とか風呂とか)。次にトイレ(厠)。れぎおん読者にアンケートを送って、回答を集計したものです。昭和、ことに戦後の生活の激変をしることができる、れぎおん関係者の私生活の原点も知ることができる、面白い企画だったよなあ。・・と、しばし感慨にふけり、自画自賛。

岡井先生はふるえる字を残しておられた。つまり書痙が出ていたのに、自筆で、ちゃんと回答を下さっていたんです。沢都と二人で集計をしたのですが、有名無名の俳人たちが、生き生きとした自筆の回答を寄せてくださっていて、それは読み応えがあった。昔の便所のはなしとか、風呂場や台どこのはなしですからね、おもしろくないはずがない。うーん、なつかしいなあ。ああいうことを、もっともっと、やりたいんですよね、連句で。先へいくばかりで脳がない時間を、ちょっとリアルに巻き戻してみたいよ。ー

暇をみつけて、連句の名作を紹介したいです。さっきの引用句、三人のうちのどなたの句だったかを記憶しておりません。また、前後の句も表記も確かめていない。笑

はなしが、完全にずれました。さて、選句。よく似た痣を見せ合っており、でいきます。

ウラ二句目  よく似た痣を見せ合つてをり    あさよ   

つぎは同じ川柳家の矢島くみこさんにお願いしましたが、あっさむさんと同じくあっさりふられてしまいました(笑)ので、こころやさしき博徒ばどさんにお願いしてみます。ばどさんは、no mark 倉本朝世さんとこの住民です。おまちください。ばどさんに句をおねがいするに際して、最初に採るはずだった「シャッフルされてカード重なり」のほうが付けやすいかもしれず、どちらにつけるか、ばどさんに任せてみます。初めての連句だし、逃げてほしくないから。それにしても、あっさむさんと矢島さんってどこまでも似てるね、なんかしらん。

(なお、次からは発句からの順にもどります。長短が逆になります。 )  

※ なお、なお、あっさむさんも矢島さんも、私はあきらめない人間なので、しつこくまたさそいます。ーそこんとこよろしく。

2006年9月 5日 (火)

椿山課長の七日間

椿山課長の七日間

浅田次郎 ちょ

http://www010.upp.so-net.ne.jp/iraija21/dokushohome/tubaki.html

切字論、川本皓嗣 2-2

(きのうからの続きです。かなり前に八女図書館蔵書で読み、とても感動してコピーを取り、人にも送った記憶があります。こういうのこそ、著作権のどうのとけちなことをいってないで、ひろく公開すべきです。)

 とはいえ、こうして切字の位置ひとつに頼って一句を二分したり、すべての発句を構成の上で二種に大別したりするやりかたが、本当に適切だといえるだろうか。たしかに「病雁の夜さむに落て旅ね哉」には句中の切字がない。しかしよく見ると、「夜さむに落」ちるのは「病雁」であり、一方「旅寝」をするのは語り手の「私」である。あっさり「落て」と言い渡されてはいるものの、むろん病雁が落ちたから、だから私が旅寝をするというわけではなく、したがって意味の上では、「旅ね哉」と上の+二字との間に大きな飛躍がある。すぐには意味の続かないこの二つの字句の強引な連辞化にこそ、この句の力がひそんでいる。この両者の間の断絶を、切字のある「六月や」と「峰に雲置あらし山」の間の断絶と比べてみるとき、どちらがより大きいと言えるだろうか。また、もし「秋風や」が独立体だというならば、「旅ね哉」も同様に、「私はー旅ねをすることだ」と、文の形に言い換えることができるはずである。

 切字さえ問題にしなければ、「病雁の」の句と「六月や」の句との間には、一篇の俳句として、いかなる本質的な違いも認めることができない。どちらも「二句一章」的な、あるいは「取り合せ」的な二段構えになっている点では同じことであり、ただその分かれ目が、必ずしも切字の位置とは一致しないだけである。

 私見では、主として芭蕉以後の発句について「二句一章」論を一般化すれば、句は文体と意味の上で「基底部」と「干渉部」に二分される。前者は表現の誇張(重複)や矛盾(対立)によって読み手の意表をつく部分(病雁の夜さむに落て)、後者は基底部への重複的あるいは対立的な干渉によって、意味を完成する部分(旅ね哉)である。「病雁の夜さむに落て」は、それほどに厳しい寒さという誇張(そして、ふだんなら羽根を列ねて月の面をかすめていく優雅な雁が病んで墜落するというショッキングな矛盾)を含んでいる。そして「旅ね哉」はそんな寒い夜にひとり(病雁のように群れを離れて)旅寝をする心細さという意義への方向づけを果たす。

 そしてその場合、切字の位置は、かならずしも基底部と干渉部の境界の目印とは重ならない。たとえば、

 <蛸壺やはかなき夢を>夏の月    芭蕉

では、面白い対立を内に含むのは、どう見ても< >でかこんだ基底部であり、「夏の月」はそこに背景を添える(そして夏の短か夜を暗示することで、はかなさの含意を補強する)ものである。この句を、切字に頼って「蛸壺や」と「はかなき夢を」 以下に切り分けたりすれば、基底部の文体的興味がすっかり失われることになる。かりに芭蕉がどうしても意味上の切れ目を切字の位置に一致させたかったとすれば(そして句の出来ばえさえ気にしなければ)、おそらく「蛸壺のはかなき夢や・夏の月」とでもしたことだろう。そもそも切字ひとつを盾にとって、俳句というジャンル全体を、一句一章と二句一章の二種に区分するのは、本末転倒というべきだろう。

    3へつづく。

花の名前

花の名前

が知りたい。

写真ではよくわかりませんが、白い小花の集団がモミジの木の上でほっこりと咲いています。「あ、あの花だ。」きのう、とある公民館の玄関に飾ってあった花でした、水盤に花だけを浮かべるやり方で。かずらのように這い上がって咲く花だったんですね。

ひさしぶりにホリエモンをみましたね。激やせしてたのが戻ってます。新聞やテレビ報道で、法廷での姿の似顔絵をみましたが、なんであげん似とらんとじゃろう・・とおもいました。

追伸:調べました。花の名前。わかりました。まず、「野に咲く花」で調べ、ボタンヅルとセンニンソウのどっちかだと知り、葉っぱを確かめますと、仙人草、センニンソウでした。

http://www17.ocn.ne.jp/~nikohana/senninsou.html

2006年9月 4日 (月)

歌仙「菊」6

歌仙「菊」(仮題)

初折オモテ

発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉

  脇    赤とんばうを放ちやる空       姫野 恭子

第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん   鍬塚 聰子

 四     シナモン味のパンをください     倉本 朝世

 五  スカートがはらり自転車から下りて    杉浦 清志

 六     早き朝には冴ゆる橋げた       沢 都

ウラ

   一  案      冬の句              澄(すみ) たから

    積雪やツゲの丸みのまま閑か

    雪嶺に再会するや初の雪

  ○  背振山ちぎれちぎれに雪降り初む

あっという間に三句作ってくれました。ありがとう。大工さんのお茶だしで忙しいのに、ありがとう。立句といったので、ほんとに発句みたいな切字のある句が二つあります。初心のころは、発句以外に切字を出さないことと習いました。この歌仙の場合、ほんものの発句がオトシマエつきみたいな感じの与太句ですから、どうしたもんでしょうねえ。うーん。うーん。うーん。無難なとこで切字は避けましょうね。(じっさいの歌仙では捌きによって切字を付け句にOKとする場合もあります)。

次あたりで恋句のよびだしをやりたいのです。で、背振山でやりましょう。せふりやま。福岡県と佐賀県にまたがる山脈です。背振山ちぎれちぎれに雪降りそむ。ちぎれちぎれということばが、とってもいいです。とぎれとぎれと微妙にちがうのよね。背振というどことなく哀感ある薄情なひびきの地名もいいですよね。歌仙名を「背振山」としたいくらい。

つぎは、誰にお願いしましょうか。七七で恋の呼び出し句、季語はいりません。あと、あっさむさんと矢島さんとばどさんが残っているんですよね。-私の勝手なリスト。

あっさむさん、いってみますか。初めて句を作るとき、長い句と短い句ではどっちが難しいだろうか。どっちも同じようなものじゃないかなあ。七七って、いろいろリズムの決まりもあるんですが、指折り数えて自由に作ってみてください。恋の呼び出しなんていっても、よくわからないとおもいますので、これも自分のイメージするかんじの薄い恋句を適当に三句作ってみてください。では、健闘を祈ります。テキトーてきとーにね。期限は二日以内。

※いちばん簡単なルールは、これまでに出てきたことば、素材はよまない。あっさりよむ。別に人そのものを出さなくても、映画の半券とかはずれ馬券とか、ものに語らせてもいいです。笑

でも恋情が入っている句をお願いします。・・などというから、むずかしいんだよね。

追記)  9月5日記す

「切字論」を打ち込みつつ、上記のたからさんの句について、考えてみました。「や」というのは、「かな」「けり」と並ぶ三大切字の一つですよね。ふつう、俳諧では発句にしか使われません。でも、古典を読んでいると、付け句のなかにも平気で「や」が出てきます。感動したとき、調子を整えるときに自然と出ることばで「・・だよなあ!」みたいな感じなんだろうと思います。

私たちのあたまは偏見でこりかたまっていて、ことに俳句などの伝統文化は、それぞれの流派でこりかたまっていて、あまり行き来がありません。でも、なにかの拍子にその垣根がとっぱずれると、なあんだそうだったのか!ってことも多いですよね。こころのコリをほぐすこと。それができそうな気がします。連句であそんでいると。  

    

   

歌仙「菊」5

歌仙「菊」(仮題)おもて6句目

発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉

  脇    赤とんばうを放ちやる空       姫野 恭子

第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん   鍬塚 聰子

 四     シナモン味のパンをください     倉本 朝世

 五  スカートがはらり自転車から降りて    杉浦 清志

 六句目案 (冬)    沢 都

    冬海原に大鳥(おほとり)の影        沢  都

  ○ 早き朝には冴ゆる橋げた  

    秒針の音消ゆる凩(こがらし)

六句目に何を置くかで、前句の女学生もおもて全体も決まる。ここは大事なところでした。そこで、景の句がとても上手で、生まれながらの俳人格だと常々仰いでいる、連句会亜の会の同志にして、わがご近所の底力でもある沢都(さわ・みやこ)に依頼しました。はい、歩いて三百歩?くらいの距離です。我が家から、南へいけば澄たから、東へいけば沢都・・ってなもんです。私の大事なありがたい俳縁仲間です。

さて、選句ですが、どれもよく引き締まった景気(けいき、叙景句のこと。場=ばの句)の句ばかりです。この人に頼んで間違いなかった。おもて五句を反省すれば、すこしく人情句(にんじょうく、人間が出てくる句。人情自=にんじょうじ・自分が主語の句、人情他=にんじょうた・自分以外の他人を詠んだ句)が多いので(第三は叙景に近いけど、子どもの声が聞こえるので、やはり人情句だろう)さらりと景気の句を出して、裏へ流したい。

早き朝には冴ゆる橋げた

これをいただきます。大鳥の影、これは大景でゆったりとしてイメージゆたかな句柄です。最初、これかと思って六句うちながめておりましたが、それですと、あまりに強いのですよね。これ一句で前五句が全クリ状態になりそうなくらいの沈黙量をもって立ってます。私にとってこの冬海原の大鳥の影は、発句以上に発句だと感じる句でした。

また、秒針の句は、次からの波乱を暗示するはたらきをしており、これもいい句です。

ところが、橋げたは、そうじゃありません。前句にしっかりついている。都さんはこの女学生の雰囲気を早朝の河風景のなかの橋げたへ転じてくれました。季語は「冴える」冬です。さすがと思う名句です。都さん、忙しく体調もよくないところ、いい句を、ありがとうございました。

※歌仙形式 初折(しょおり)おもて6句、うら12句。

        名残の折おもて12句、うら6句。 

もともと、懐紙を二つに折って、そのおもて、うら二枚に句を連ねたことから発する。初折のオモテはおだやかにはこぶ。発句以外は、神祇(じんぎ、神)・釈教(しゃっきょう、仏事)・恋・無常(生死にかかわる句)・述懐・懐旧などは慎む。ただし、発句が恋なら脇はそれを受けて恋。脇句だけはこの禁忌の番外地扱いである。

ふつう、五句目あたりで月をよむことというきまりがあります。秋ではじめましたので、三句目にだしました。秋の句に月がないのは、素秋(すあき)と言って嫌います。この件に関しまして、以前、私は、宗匠の前田先生に、どうしても自分のさばいている作品で素秋を通したい箇所があることをお尋ねしたことがありました。どうしてもそうしたい必然性があったんです。ところが先生は、これまで素秋とか聞いたことがない、だめです、絶対に秋の句には月を出さなければいけません、との一点ばりでした。ほとほと困ってしまって、私も頑固だし未熟だったし、頭に血がのぼっていたいきおいで、当時くづし字について時々たずねものをしていた猫みの連句会の東明雅先生に相談したところ、言下に「そりゃ、あんたがわるい!!」と一喝されたのを、おもいだしました。素秋はいけない。以後、わたくしの脳裏には、たとえ何があっても秋には月だ!と、こびりついております。連句とは、そういう世界です。

次の裏一句目(折立句)を澄たからさんにお願いします。樹の俳人ですが、ぼんぼり連句に参加してくださいました。きちんとした句をかける人です。裏で、何を詠んでもいいとはいえ、立て句ですから、きっちりいきたい。冬を二句つづけます。いそがしそうですが、声をかけてみます。

切字論、川本皓嗣 2-1

  (以下は川本皓嗣 の「切字論」から引用しております。)   

                   2

 切字については、近代以後に現れたほとんど唯一の系統だった論考として、浅野信『切字の研究』(1962)がある。これは、和歌の時代から芭蕉前後に至るまでの理論と実践を一望のもとにおさめる野心的な研究で、ことに資料の博捜ぶりと、文法論にも及ぶ分析の周到さにおいては他に類をみない。ここではその浅野説を直接の対象としながら、ひろく行われている切字論の再考を試みたい。したがって、扱う資料の一部は『切字の研究』に仰ぐものであることを明記して、浅野氏に感謝の意を表したい。(以後、他に明記のない数字は、同書の頁数を指す)。

 切字には句中にくるものと、句末に置かれるものとの二種類がある。そしてこれら二種類の切字の働きを、一応はっきり区別して、別々に考えようというのが一般の見方であるように見える。以下の浅野氏のことばは、そうした通念を代表するものである。

 切字が十七字一句の末端(これを座五ざごという)にある場合は、一句一章をなし、それ以外は二句一章をなす。二句一章の場合は切字が上五じょうごか中七なかしちかを中心として適宜随所に入る。(・・・・・)一句一章の場合はその構成が単体であるためにできるだけ含蓄ある詩情をこもらせて、一句の風格をととのえる。(二四一)

 二句一章というのは、句が切字を境として二部に分かれ、その両者の対立と呼応のなかに、暗示ゆたかな発句の「詩」が生まれるという考えかたで、発句が極端な短詩型でありながら、複雑な意味をもつ「まじめな詩」serious poetryとして成り立つわけを説明する試みの一つである。大正の初めに大須賀乙字おおすか・おつじが提唱したが、浅野氏によれば、すでに江戸時代、原田曲斎が『貞享式海印録じょうきょうしきかいいんろく』(安政六、1859)に説いているという。(二四三)

 発句が二段構えの構成をもつという観察は、いわゆる「取り合せ」と「句神くしん」の説(中村幸彦、二三一以下)、あるいは西脇順三郎の「二つの相反するものの融合」説(西脇、四一以下)、などをも含め、ひろく認められているところである。とはいえ、浅野氏に代表される一般的な切字論の上に立てば、世の発句のすべてが、切字の置かれる位置によって、構成上一句一章のものと二句一章のものと、大きく二種に分類されることになる。

 浅野氏によれば一句一章の句は、たとえば「病雁の夜さむに落て旅ね哉」のように句全体が「一つの独立体」となり、また二句一章の句は、「六月や・峰に雲置(く)あらし山」や「ほろほろと・山吹ちるか・瀧の音」のように、切字の直後で分かれた二つの部分が、それぞれに一個の独立体をなすという。ここで独立というのは、「ひろい意味での叙述(陳述)の完結」を意味する。たとえば、「秋風や」という上五は、見かけはどうであれ、「秋風がー吹いていることだ」というれっきとした文(主語+述語)と、文法学的に「等価」だという。(七-九)。

2006年9月 3日 (日)

切字論、川本皓嗣 1-2

(1からのつづきです。)

 だがそれならば、そういう二種類の切断のうち、切字本来の役割としては、どちらが本質的なのか。というのは、切字が途中にあって句を両断しているときには、むろん一句全体を他から切り離すという任務が果たせないし、逆に句末を固めているときには、句の切り分けという仕事がおろそかになる。その両方の役目を一挙に果たすことは、どう見てもむりなように思われるからである。そもそもこのように、かなり性質の違う働きをするものを、無差別に切字と呼んでいいものだろうか。また発句は連句の第一句としてではなく、それだけで独立して詠まれ、かつ読まれることも多い。この場合、一句全体はいったい何から切れているのだろうか。これは、おそらく俳句に親しむ誰しもが一度は抱くに違いない重大な疑問だが、この問題に正面から取り組んだ論考は、まだ見当たらないようである。

 これらの疑問は、せんじつめれば同じことに帰着する。問題の核心は、切字の「切れ」という語のあいまいさにある。連歌の時代から、切字はごく表面的な切字のリストと簡単な解説を除いて、秘伝とされてきた。去来でさえ、芭蕉から秘伝を授かりはしたが、ことの性質上、すべてを明かすことをはばまれたからこそ、これまで切字論があまり振るわなかったと見ることもできる。しかし、これも連歌の時代から残された数々の言説の性質から察するに、そうした明示的な説明の背後に、切字の働きの根幹に触れるような重大な秘密が隠されていたとは思えない。

 つまり、連歌というジャンルが成立したごく初めから、切字という語についてはある種の用法の混乱があり、その意味のあいまいさが人々を悩ませてきた。その上、切字に用いるときは四十八字みな切字という蕉門の伝承があって、なおさら話が厄介になる。そのもどかしさが、このように神秘めかした、あるいは奥歯にものの挟まったような物言いを強いたのであろう。秘伝の中身が拍子抜けするような些事だったという例としては古今伝授の「三木三鳥sanbokusantyo」を挙げるまでもない。

切字論、川本皓嗣 1-1

川本皓嗣という人の「切字論」を、全文引用したいきもちがある。

こういうのは、誰かにお断りしなければいけないのだろうか?

自分が読んでなるほどと思ったものを、多くの人に紹介したい。

先日から、連句の第三のかたちがどうのとこだわっているのは、切れ字論ともかかわりがあるので、やはり、めんどうでも、全文引用してみよう。学者ってすごいなあと思うのは、その読む本の圧倒的な物量なのだ。それは、北海道の杉浦清志先生にも感じる。それが学者の仕事だから、と言われては、仕方ないが。

ーーーーと、朝っぱらからまた写経みたいに写し始めたけれど、だんだんきつくなる。読む人いるかなあ・・というきつさ。どこからか、論はいいから、という声がしそうな気がして。

検索をしてみると、この面白い論文はネットでは読めない。

そこで、やはり、面倒でも、数日かけて全文写経することにした。それだけの価値があると思うからに他ならない。

       「切字論」     

                川本 皓嗣

                                  1      

 発句の基本条件が季語と切字であることは、誰でも知っている。この二つの要件のうち、季語(あるいは和歌以来の季の詞kotoba)に関しては、これまでにおびただしい研究の堆積がある。ところがもうひとつの切字については、文学辞典や俳諧辞典などのごく型どおりの説明を除けば、本格的な論考をめったに見かけないのはなぜだろうか。

 また、これもよく知られているように、同じく切字とはいっても、たとえば、

  病雁の夜さむに落て旅ね哉    芭蕉

の「かな」のように、それが句末にくる場合と、それから、

  六月や峰に雲置あらし山     芭蕉

  ほろほろと山吹ちるか瀧の音   同

の「や」と「か」のように、どこか句の途中に置かれる場合とがある(芭蕉の句は、すべて中村俊定校注『芭蕉句集』から引く)。もしふつうに考えられているように、切字が句を切断するものだとすると、まず切字が句の途中にある場合には、何も問題がない。たしかにその切字を境目として、句が前後二つに切り分けられるからである。(ここでは、「句」の語を、つねに一句十七字の意味で用いる。したがって「句末」とは、一句全体の末尾を言う)。しかし一方、句末にくるときには、途中のどこにも切れ目ができないので、まるまる一句全体が、その末尾で「切れる」という妙な事態になる。この場合には、その一句全体が、その後にくる何ものかから切断されると見る他はなく、連句ならば当然、その何ものかは発句に続く脇句(第二句)ということになる。  (つづく。長い論文なので、十日か二週間かかるかもしれません。毎日ちょっとずつお付き合いください。国文科の授業を受ける感じです。)

引用元:http://www.otemae.ac.jp/gaiyo/gakucho/chosak.html

19.シリーズ俳句世界別冊1:芭蕉解体新書
シリーズ俳句世界別冊1:芭蕉解体新書
共著 平成
9年
4月
雄山閣出版 芭蕉俳句の今日的意義をさまざまな角度から考察する論集(228p.)
担当部分:編集と座談会「芭蕉の永久革命」pp.12-62、および「切字論」pp.197-208
「切字論」は発句の必須条件として句中や句末に置かれる切字が、どのような機能を担っているのか(発句独立の保証か、句の両断か)という問題を、連歌以来の発句論を検証しながら明らかにしたもの。

2006年9月 2日 (土)

娘と仕事とボーイフレンド

昨夕、娘が博多からひょっこり帰郷しました。

お盆休みがやっと取れたみたいで。中くらい大きい総合病院の食事を作っています。ふしぎなことに、その病院の同じ職場に、わが村の長老の娘さん(私の家と同姓ですから、ずっと昔をさかのぼると同族でしょう)がいらして、世の中はほんとにせまいとつくづく驚きます。おかげで、娘の評判を知ることができます。意外なことに、よく仕事ができるし、すぐ仕事を覚えてくれたとほめてもらいました。料理の学校に二年も行ったのは無駄じゃなかったようです。長老の娘さんは私より年上ですが、こうおっしゃいました。「ただ、格好が・・」ーえ、なんですか。「私やらはわかるけど、お年寄りにはずいぶんとかっとんだカッコだと顰蹙を買っているみたい。娘さんに何かいうとしたら、それだけね。」とのこと。なるほどお。親の私でも、娘はいったい誰に似たのかと驚く派手なスタイルをしているものね。でも、それは娘の趣味だしなあ。そういえば昨日も、もともと濃い顔に濃い化粧をしてミニワンピースにブーツだった。この暑いのにあんた何考えとうとーと聞くと、おしゃれはがまんだ!なんてアホなこたえ。しかしあのタイプの女の子は、本質はまじめなんです。二度目の下宿で一緒に生活した友達が、そうでした。派手な外見は、なにかこう、自分の弱さを隠すための武装みたいな気がします。

娘は、去年と比べると、ずいぶん大人の女になりました。ボーイフレンドとの関係にも変化がみられるような気がして、それとなく尋ねてみますと、いま仕事で頭がいっぱいで体もきつくて、それどころじゃないと、冷却水みたいな返事が返ってきました。

ほらね。やっぱり恋はさめるから。・・こうなったら時間の問題かもしれません。

「菊4」追伸

杉浦清志氏は第三のかたちは慣用であり、式目ではない、と書かれてます。

私はその慣用こそが式目と思うのですが、そこは疑問の残るところです。

ただ、私の中で、第三の句のくらさがずっと気になっています。ひっかかり、というのが引っかかるのです。途中ではございますが、

 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん

と一直させていただきます。

これで、五句目の「てどめ」も平気です。

歌仙『菊』 4

歌仙「菊」(仮題)

発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉

  脇    赤とんばうを放ちやる空       姫野 恭子

 第三 三日月に「子とろ子とろ」が引つかかり  鍬塚 聰子

 四     シナモン味のパンをください    倉本 朝世

 五句目案 

  スカートがはらり自転車から降りて 清志
   そういえば牛乳飲んでないな俺
   客足の落ちた駅前商店街


 
返信が、ご旅行中の杉浦清志先生からとどきました。↑

わらってしまった。どれもとれんじゃん、とおもって。一句目はなんとなく拒否、二句目は前句の口語調と内容にべた付き、三句目は転じはいいけど文字通りウラぶれていて、初折おもての句向きじゃない。まったく先生でもなんでもとれんものはとれんよなあ・・とぼやきながら、じっとみておりましたら、おやふしぎ。スカート句がだんだん発光してきました。あれ。いい句じゃん。映像的で、自然で、動きがあって。ただ、ふつうの連句人は目をむくだろうなあ。だって、これは第三のカタチだから。「て」留め。

うーむ。杉浦清志のハラがよめたぞ。このひともそうとう骨あるお方みたいですねえ。ということで、スカート案に決定します。次は、だれにしようかな。

雑(ぞう、季語のない句)が二句続きました。

※ 第三についての先生のご意見など知りたいかたは、ご自分で杉うら清志の連句の部屋へ行かれて、そこのゲストブックを開いてごらんくださいませ。ここにアドレスをはりつけることができませんでしたので、お手数でもそうして下さい。http://ksugiura2.hak.hokkyodai.ac.jp/myweb/ayumi.htm←ここから入って、何度かクリックして、適当にまよいながら別荘にたどりつくと、そこにゲストブックがある。

2006年9月 1日 (金)

歌仙「菊」 3

昨夜もまた、むすこに占領されてパソコンに向かえず。チュウボウのほうは八月いっぱいの天気図とか検索してたなあ。いやあごくろうごくろう。たぶん、あさよさんが付け句を案じてくれてるだろなあって気にしながら、山中智恵子歌集を読んでいるうちに寝てしまった。ごめんね。

今朝、五時おき。朝世さんのno markのページhttp://blog.livedoor.jp/nomark6061/に行ったら、おおっ!ちゃんとやっぱり昨日のうちに付けてくれとう!!こころのともよー(とゆうてしばし泣く。)ありがとね。写します。

発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉

  脇    赤とんばうを放ちやる空       姫野 恭子

 第三 三日月に「子とろ子とろ」が引つかかり  鍬塚 聰子

 四句目案  シナモン味のパンをください    倉本 朝世

         電子レンジであたためている

         ボタンを押せばすぐに食べ頃

         牛乳瓶に顔が映って

        南の角がダンス教室

         忘れた頃にベルが鳴り出す

選句:四句目は軽くつける、というのがルールで、あさよさんが書いてた通り、私もパンをくださいがいいと思いました。前句が夕方のこどもたち(わたしは「子とろ子とろ」を知ってましたが、みなさんはどうでしたか。http://www.kochinokita-e.ed.jp/warabe/kotokoto.htm)、それから、日常のさりげないシーンにスイッチします。

しっかし、付け句、どれもいいなあ。ただ、付け足しの三句は裏の恋句あたりで使いたいようなタイプの句柄です。さすがだ。あたま、なでなで。

あさよさん。発句、ヤクルトの宣伝かよー。あたしゃ、芭蕉を思い出したよ。どこがって、生きたまま脳に届いて殖えて効く・・これ、「ものの見えたる光、いまだ心に消えざるうちに言い止むるべし」って有名なことばの現代版みたいに感じた。ま、句としてはてんでサマになってないし、発句としての格以前の句柄ですが、そんなことより大事なことがあった。だから、あさよさんが感じた、パロディってのは、そのとおりだとおもう。窪田薫先生のお顔(ついに一度も会えなかったけど、雰囲気やお顔、すぐに浮かびます)を思い出しつつ。あそびごころを大事にしようとおもった。

 ということで、五句目はどなたにお願いしましょうか。第三を決定するとき、その形のことで実はちょっと悩んだんです。連句をなさってるかたはおわかりでしょうが、第三のかたちというのがあって、さいごを「にて、て、もなし、らん」などでとめること、というのですよね。これまで十年ほどのぼせたように来る日も来る日も連句してたんですが、上記のようなふつうの動詞の連用形でとめたことって、二回くらいしかなくて、圧倒的に「にて」「て」でとめる形が多かったのでした。

それを聞きたいのもあって、このところご無沙汰しておりますが、北海道の学者・杉浦清志先生(連句誌「れぎおん」の巻頭論文筆者、方丈記について今書いておられます)にお願いしてみます。お忙しそうですが、大学って九月いっぱい夏休みだったりする(うちのむすこはそう)ので、お願いしてみますね。(こうしてみると、パソコンで連句できる連句人をあまり存じ上げない。新規開拓しよう。)

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