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2006年8月30日 (水)

菊 2

  歌仙「菊」  起首 2006年8月29日

 発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉

  脇    赤とんばうを放ちやる空       姫野 恭子

 第三 三日月に「子とろ子とろ」が引つかかり  鍬塚聰子

   第三句目原案ー  鍬塚聰子

        イ 手を洗う子どもばかりが月を見る
        ロ 消えさらぬ五日の月のメヌエット
        ハ 三日月に「子とろ子とろ」が引っかかる

  選択:  第三を選ぶとき、発句脇の世界から大きく転じることがまず求められる。

発句はよく意味がつかめないよさが身上の句で、脇を付けたものが捉えた句の光景は、あるモノやコトが「生きたままで」すばやく脳に侵入してどんどん増殖して力を増してゆく。それはあたかも菊の薫りのようだーこれが表面的なよみ。うらよみをすると、靖国神社でも菊の紋章の扉が印象的だったように、菊ってそんなものものしいモノを歴史的にひきずっている。消えない記憶のようにまことに殉じた者たちの残像がある。「生きたまま」死んでいったものたち、まだおそらくは生きたままの死者たちのみたま。そういう真闇を内包する句だと感じ、脇を付けた。もともと「効く」だったのを植物の菊にしたことで精彩が生れた。牽強付会とはおもわない。これは芭蕉が初期のころやってた談林の手法だし、おなじく札幌の俳諧師窪田薫がずうっと晩年まで持ち続けたあそびごころでもある。 

第三は早速付けていただきました。脇はふつう、韻字どめ(名詞どめ)ですが、発句脇ともにそうですから、三では用言止め以外考えられない。したがって、どんなに私がメヌエットの句にほれたとて、これはとれない。手を洗う子どもばかりが月をみる、面白い句で明るく屈託ないけど、「月を見て」という形に変えねばならず(第三はかたちがいくつか決まっているので)そうしますと、発句の中で「て」が多用されてることが重なってきて、これもすてます。そこで、脇にはべた付きかもしれないけど、発句からは切れた子とろの歌の句をいただきました。やはり、連用形どめにかえました。きまりです。

四句目は雑(ぞう、季語なし)、川柳人の倉本朝世さんにまわします。
 

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コメント

脇の「赤とんぼう」が「赤んぼう」に読めてどきっ。金子兜太さんのに「父母をほうらば」とか言うのがあったでしょ。
久しぶりの連句で、やっぱり忘れています。いろんなこと忘れます。夜出かけるので野菜スープをつくっているのですが、大きな大きなあなたから頂いた玉葱、そういえばお礼も言わずと、思いました。CDもよく聞いています。これも思いがけないプレゼントでした。ありがとう。エクエルド、やっぱりいいですね。はじめてこれをトリオロス・ファンダンゴズで聞いたとき、涙が出ました。

うわあ。赤とんぼうが赤んぼう。
中村マサコ句にあったっけ。
 寒夕焼け千の赤ん坊舞い上がる

時々は連句しましょうね。俳句ではよめないことがよめるから。
えくえるど?れくえるど!
ふぁんだんごず?だんご?

タンゴは、かなしい音楽ですね。どうも涙がでてしようがない。

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