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2006年8月 9日 (水)

中村マサコ句集『左手の約束』

美しい中村マサコ句集を今日あすと二冊読みます。

「左手の約束」  詩遊社刊

この句集は、倉本朝世さん(川柳家)がご主人と二人でやっておられる出版社・詩遊社から出版されるということで、去年から朝世さんが編集作業をなさっていたのを存じ上げていた。昨夏、朝世さんがその件で九州に見えた時には、私もちょっとだけ柳川駅で朝世さんにお会いし(初めて会ったのです)、駅構内のミスドで編集途中の句稿を見せてもらったりした。「この句いいでしょう。この茗荷村の句」とあさよさんが言って、「ご本人はそういうのはわからないっておっしゃるのよ」と見せてくれた。「え、どれ。うん、いいね。筑後は荒神とか結構まつってあるから、実感あるいい句だと思う。」「ね、そうでしょう。これ、見出しに使おうかな」・・彼女は大変そうだったが、とても楽しげに句稿の束と筆記具を仕舞った。そのときのやりとりが、ちゃんとこうしてモダンな句集になって収まっていることを見て、一人の俳人が句集を世に出す意味と、編集者と作者との運命ともいえる紐帯に思いを馳せた。

そんな風にして、倉本がかなりの数の作者本人の自選句リストから句を更にしぼり、章だてにして見出しを付けて編集したのが、『左手の約束』となって結実したわけである。私の聞くところによれば、中村マサコ氏が句集を思い立たれてから、かなりな年月かかったようだ。しかし、それだけの内容のものができているのではなかろうか。

中村マサコ氏を私は大牟田の俳人谷口慎也先生の出されている俳句誌『連衆』で知った。倉本朝世さんもそうだったのじゃないだろうか。朝世さんはマサコ句のファンだったそうである。好きな俳人の句集が自分の思い通りに編集できるなら、本望だったに違いない。その意味では、これは中村マサコ句集であると同時に、倉本朝世句集でもあろう。

   ゆるめてみる

 前略の豪雨となりし春の土   中村  マサコ

 黄砂くるすこし左手ながくして      〃

 ベビー帽置かれし土のおちつかぬ   〃

 横たわる高さが好きな春霞    〃

第一章冒頭の四句。一連の句を「ゆるめてみる」という見出しでくくる手のやさしさ。

ここではからずも倉本朝世の『硝子を運ぶ』が同様の構成からふっと思い出されるのであるが、たしかにマサコ句の世界は朝世の川柳というには美しすぎる詩的浄化世界と一脈通じるものをもっている。違うのは、季語があることだけだ。その一点の違いは大きいだろうか。

 あざみ剪る玄界灘に膝をつき

 青葉闇だきしめてみるゆるめてみる

この二句、みごとにきまった。色彩ゆたかな日本画の味わいがある。輪郭がくっきりしていて省略が効いているので、それぞれの季語がくっきりとした残像を結び、みずみずしい叙情性を獲得している。

 河口嘶くあなたも眠れぬ刻ですか

 産道につづくは青い麦畑

これらはわたくしの現在取り組んでいる「張形としての俳句」(九州俳句誌連載中)で紹介したことがあるが、そういうエロスや煩悩をうちにひめつつ、とてもうつくしい姿でたっている。ことに、河口の句はわたくしに、福岡から佐賀へ抜けるあたりで目にする、筑後川が有明海へと注ぐ汽水域の独特の風景を連想させる。あの風景はいつ見ても敬虔なきもちにいざなってくれる。黒い砂州から生え出た葦の繁りがずっと続いていて、その葦の足元のすうっと清潔な感じは、印象に強くきざまれる。そう、どこまでも孤独で清潔で、なきたいほどに切なくなる景色。言葉だけがつむぐ抽象的な世界で、ある種のはっきりとした景色を連れてくることができるというのは、才能だとおもう。

   青葉繁れる

 キャベツの結球はじまる頭癈(しい)たるよ

 土壁のすこし水吐く桜どき

 ふるさとは顔に張りつく青葉闇

 青蛙やわらか骨壷まだぬくい

 闇にまた一頭の闇嘶けり

 忘れた頃の青葉繁れる膝をつく

  茱萸うれる黒い運河も熟れてくる

 眼帯のゆるみやすくて干潟に出る

 風の骨ときどきささりあちこちささり

 父の忌の群青の魚立ちねむる

 いのちの灯ゆするぴくるすの瓶ゆする

この中で、青葉闇の句、 茱萸と黒い運河の句、干潟の句には筑後の地霊をはっきり感受できる。北原白秋を生みだした土地のすだま。中村マサコの句には労働のにおいは皆無であるが、古来、地のたつきである米づくりにおいて無数のクリークが穿たれ、それが無意識の風景となってしまった地だ。白秋の薫り高き一節をこの二句から導き出す。

  肥後路より、或は久留米路より、或は佐賀より筑後川の流を越えて、わが街に入り来る旅びとはその周囲の大平野に分岐して、遠く近く瓏銀(ろうぎん)の光を放ってゐる幾多の人工的河川を眼にするであらう。(『思ひ出』北原白秋)

   茗荷村

 かたつむり折檻の音ふるさとは

 梅太るときどき鬨の声あげて

 満潮の扉を閉す亀甲店

 ぎしぎしと骨が鳴る日の蚊柱よ

 草食の腸をもつ憂さ夏畳

 大またに荒神が過ぐ茗荷村

 青いよりほかなし青い虫つぶす

ふるさとは折檻の音。たしかに。実感です。同感です。筑後地方はことに封建性が根強く残っていて、胸がくるしくなります。それと、草食のわたをもつ憂さとは、女としてのかなしみですね。これもどうかんです。あおいむしをめでながらもころすほかないのは、つらく、みじめなことです。茗荷のにおいのほのたつゆうぐれに。

    砒素こぼしあう

 群青の釘打つ春の訣れかな

 空港に膝つき赤んぼ抱きなおす

 柱より柱へ渡るおぼろの夜

 麦の秋家に帰って水を煮て

 さくらさくら鼓膜の海へちるさくら

 もも熟れてうすい空気が啜られる

 ひっそりと砒素こぼしあうぼんのくぼ

 チャイナマーブル転げし畳を荒野とす

 眠たい湾岸百円ライター消して灯して

最後の句の具象のしぜんさ。こんなさりげない句、連句人でも書けそうでかけない。

     はずさない

 双葉なす夫を映して水たまり

 左手の約束だから春霞

 人格と耳掻きをまた見失う

 循環線に乗るむらさきの猫ぞろぞろ

 草餅の指のくぼみを相続す

 けもの語が解る罠です はずさない

 風の貌になる約束を南風の中

 命終の枕につづく麦畑

 うす紅の骨とおもえりきさらぎは

 雪こんこ手足ひろげて落ちるなり

 手に掬うのみの光となりにけり

風の貌になる約束を南風の中で誰とかわしたのだろう。双葉なす夫・・か。

引用をしながら、だんだん、なにもなにも、ことばを吐きたくないとおもった。句の世界に完結しているものがあるからだ。

  中村マサコ  1932年福岡県うまれ

           1982年「天籟通信」ほか三誌を経て

           2006年現在「国」「豈」「九州俳句」同人 

    共著に「現代俳句の女性達」 アンソロジー「俳句百景4巻」 

    福岡県久留米市在住  

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コメント

とてもいい句を紹介してくれて、ありがとう。私はいつも不思議に思うのだけれど、創作者はどうやって自分のジャンルを選ぶんだろう? 私はあれもこれもやってしまうので、(結局虻蜂取らず…)これ、というのを最初から迷いなく決められる人が羨ましいし、なんとなく不思議でもある。あなたはどうやって、決めたの?

それは、むこうからえらばれるのですよ。たぶん。
わたしもおのださんとおなじく一応ぜんぶやってみて、どれがいちばん魅力的かといえば、やはり俳句だと思います。それも自分で詠むより人のを読むのが好きですねえ。きっちりとしたうつくしい調べの格調たかい韻律の句が、読みたいのです。
ところで、おのださんは昔より格段に俳句が締まってきましたね。緊っている。見違えた。俳句でいけばどうよ。

姫野さん、中村マサコ句集をしっかり読み込んでくださって本当にありがとうございました。とても嬉しいです。
思えば、「連衆」で中村マサコさんを知り、堀本吟さんのお宅で初めてお会いしたのが始まりのお付き合いでした。縁とはつくづく有難いものだと思います。
連句を通じてあなたとお知り合いになれたのも嬉しいことでした。
九州は私にとって特別な場所になりつつあります。またそのうちに行きそうな気がします。

あさよさん。どうもありがとう。
九州にお出でのときは、いつでもお声をおかけくだされ。今ならお百姓も免除してもらってて時間じゆうになりますから。

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