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2006年8月15日 (火)

おはかが三つ

うちはいわゆる養子じゃないけど(姓が夫の姓ですから)、実質は養子みたいな家です。しかも、互いの家がどちらも養子の家でして複雑です。結婚を決めたときから、どっちの姓を名乗るかでまずもめました。親が互いに譲らないのでした。こちらは養子じゃなきゃだめだと言い張る。あちらは長男は絶対養子にはやれないという。どこまで行っても平行線で、うんざりでした。いまどき、こんなことでこじれるなんて・・と思いましたが、じっさい、ほんとに、本人同士じゃなく親が必死でしゃしゃりでてきました。その結果、おとなの知恵というか、政治的判断というか、姓はあちらでいいから、こちら(八女)に住むこと、最初の子をこちらの姓にすること、を条件にして結婚を許してもらいました。根底には弟が死んでまだ3年しかたってなかったことがあるのだろうと今は思います。

25年たったのですが、結局は養子じゃないし、かといって私も嫁にいってないし、こどももうちの姓を継いでいません。あれほどうるさく苗字が苗字が・・と言っていた親も年をとって、落ち着いてきました。農業をたつきとして生きねばならない生活から2年まえにようやく解放されて、やっと奴隷解放に近い感情を味わいました。いちご農家だった30年近くは、ほっとする時間がなかったのですよね。ずうっといちごに追われているような感じで。いちごの苗からランナーというつるがしゅるしゅると延びてきて、それにからだじゅう巻きつかれているような感じと申しましょうか。それは博多に別居していても、たえず気になってました。信じがたいことに、うちの親は、二週間に一度は必ず私を家に帰らせてましたから。こどもをつれて帰っては、いちごの作業の労働を手伝いました。そのきつさは、やった人じゃないとわからないですよね。いまでこそ、自分は親にかなり異常に従属していたということが見えますが、当時は、それが自分にとって、普通のことでした。今も、その延長線上で生きているところがあります。

夫が、佐賀へ単身赴任をして、それでようやく、自分達の結婚生活の異常さに遅ればせながら、気がついてきた次第です。「サンダルとトランペット」を書いてのちも、実質はなにも変わらないのではありますが、それでも、おかしいということだけは、わかります。その原因は私の家族関係にあるんだということも。

農業は、家族で営むものだから、どうしてもそうなってしまうのです。でも、夫はそうじゃありません。かれは、ちゃんと働いているのです。外には七人の敵をもっているかもしれない。そんななかで働いているのに、家に帰れば奥さんがいつもいつも実家実家と言っては子どもをつれて帰るんでは、気が休まる暇もなかったでしょう。いまはこうして、時間も余裕ができましたので、そういうことも見えるようになりましたが、当時は育児と生活と農業とでめいっぱいでした。その上、夫と父の男としての文化的差異にとまどい、何も見えず、いらいらばかりがつのりました。

これはまったく表面にはでないことですが、いちご農家のひとの自殺はおおいのです。2年に一人は亡くなっていたから。あまり書きたくはありませんが。

「海猫」という恋愛映画を見て、そういう文化の違いによるすれ違いの悲劇をしみじみと感じ、こころうごかされました。まだまだこの世には、ことばになっていない世界が、たくさんあるとおもいます。そういう世界は、金輪際ことばにしないほうがいいのかもしれません。

夫と私にお墓がみっつ。これをこの先、どうやってもりしていくのでしょう。

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