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2006年8月 6日 (日)

築港の李さん

二十七歳のころ、博多保健所で一人の美しい韓国人女性と知り合った。定期的にある赤ちゃん検診で、男の赤ん坊を抱いた彼女がいつも私の後ろだったので、自然と話をするようになる。思わず目を奪われてしまうような、魅力のある女性だった。

私は当時、仕事はしていなかったが、近所の中学生数人の家庭教師をしていた。こどもを寝かせて、あるいは胸に抱いて授乳しながら、ともかく私なりに働いていた。この仕事は、那珂にいる間、ずっとやっていた。仕事をお金を得る為の行為とするなら、これはそうだ。でも、それ以上に、こどもがすきだった。(独身時代も八女から天神まで通勤して、帰宅したあと、塾をしていた。週に二回。)

保健所で知りあった女性は金本さんという日本名だった。でも、私の中では李さん。ある意味、私は彼女にホレていた。だって本当にきれいだったから。互いの家を行き来するようになり、家庭の事情も見せてくれた。というか、築港の彼女の婚家に行ったとき、見えてしまったのだ。築港本町というところは、今でこそ整備されて美しいが、当時はまだごちゃごちゃしたところだった。海のすぐそばで、彼女はとれたてのキスをたくさんてんぷらにして、ご馳走してくれた。後にも先にも、あれほどおいしいきすを食べたことはない。日本語はたどたどしかった。日本へ来て二年もたたないようだった。在日の夫とは見合いで結婚したという。そのご主人もとても美しい人だった。ご主人の母上との同居だったが、或る時訪ねると、彼女がなにか激高してハングルでそのおかあさんに対っていっていた。どうしたんだろうと思ったが、すぐに冷静になり、私にちょっとね、といった。言葉がスムーズに出てこないと、いろいろ大変だろうなあと同情した。

彼女とは赤ん坊を連れて、近くの図書館に絵本を借りに行ったり、私のアパートへ来て韓国風キンピラゴボウを作ってくれたりした。韓国では兵役があることもその彼女から教えてもらった。英語が上手で、四年生の大学を卒業していたが、高卒で日本のお金持ちの夫と見合い結婚した・・というような話だった。こう書けば、ひどくドライな感じだが、彼女が言うと、そうは思えなかった。ひそかに夫の過去の恋愛について心をいためているようだった。何かを見つけたらしかった。はじめは言葉がわからないのが、段々わかってくるにつけ、気になりだしたという。たぶん、昔つきあっていた女性からの手紙か何かを見たのだと思う。誰も相談する人もなく、かわいそうに思えて、私は精一杯想像もまじえて、ご主人をかばった。心配しなくて大丈夫、昔のことは全然関係ないからといって。

そんな風にしてつきあっていたけど、それから検診も間遠になるし、何かの事情で疎遠になってしまった。いつか、電話がかかってきて、ご主人とはうまくやっているといい、お礼に夫と出てくるからという。私はそういうのが妙に苦手で、ドアでチャイムが鳴ったのに、なんと居留守をしてしまった。

きっと、差別だと思われたかもしれない。でも、ちがう。そういうんじゃない。説明しにくい。これ、私にしか分らない感情だとおもう。あれっきり、別れてしまったけど、ときどき、彼女を、あのころのままの姿で、恋しく思い出す。

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