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2006年8月20日 (日)

俳諧集「秋天」 2

  俳諧集「秋天」 

      二上 貴夫・著

1 習作/ 平成元年~三年

  小田急線下北沢駅前

 寒の雨下北界隈路狭し

 花しどみ籬の角に覗かるる

  新宿西口

 駅前の乞食演説日傘売り

 野分来て鉄塔雲に流さるる

最初のページにならぶ四句。季語がしぶい。寒の雨も、花しどみにも驚かされた。(参考: http://www.asahi-net.or.jp/~ap6y-umd/kusaboke.html)まがき(籬)は雅語の雰囲気をまとう。しかし、このマイナーさは新鮮で、貴重だと思った。いわば、はきだめにつる。

2 習作/ 平成四年~七年

 寒鯉のあぶくひとつに動きけり

伝統俳句ご推薦ふうの句。細心の気が行き届きすぎてかたまっている。どうでもいい景をなでくりまわしたけども、やはりどうでもいい景だったというか。時間が固まっていて、うごかない。絶対俳境をめざした句

  長崎夜景

 矢太楼へ稲佐山より星流れ 

やたろうは修学旅行や塾の合宿などで利用される宿です。肩がはらなくてよい。季語は流星、夏。

  安曇野

 彩色の道祖神あり花石榴(はなざくろ)

前書つきの吟行写生句が並ぶ。どれも的確な視線だが、さりとて格別のことはない。忘れる句群。

 木瓜の鉢みていて日ぐれひろがれり

 病人のふとんの上の初明り

 おもしろう花の散ります足の裏

ここまで来て、おや・・とすこしこころが動く。ボケの句。花しどみは草ボケという別名があったが、これは本物の木瓜である。しかも、鉢の花。ということは、室内に置かれているに違いない。だれのために?日ぐれひろがれり、の翳りが気になる。

 山茱萸(さんしゅゆ)の花や回廊雨ざらし

 岐阜提灯吊ってくらやみととのいぬ

我慢できず、最後のページにある著者の履歴をここで見る。すると、1994年、妻智恵子、癌により死すーとある。

大きく、息を吸う。吐く。

 星月夜青電球を点けにけり

これは、胸のつまる句だとおもった。なんて遠慮がちなかなしみだろう。

 風の空てんとう虫におしえられ

この句もすごくいい。この人の昆虫の句はどれも不思議な魅力がある。すなおでやさしい気分になれる。それにどこか木下夕爾の詩「内部」と通じるものがある。参照:http://www5f.biglobe.ne.jp/~silencium/datahtml/yuuji.html

 エノラゲイ炎熱の空帰りしか    二上貴夫

 エノラ・ゲイ夜の皮ジャン水しぶき  奥田艶子

ついならべる。二上句はやさしい。相手に配慮しすぎていないか。奥田句はぜんぜん違う。evilと一体化したかのような抗いがたい魔力がある。私はこの夜の皮ジャンの怖さに並ぶ句を、まだ、みない。ちなみに奥田艶子は元天籟通信賞受賞俳人、非常な美人だった。この句は句集未収録、十年ほど前の「俳句ざうるす」(野間幸恵編集発行)掲載句。

3 模索/ 平成七年~八年 

 夕焼の人の死んでもふまれても

 烏瓜いつよりそこにぶらさがる

すこし、句にゆらぎが加わった。句の世界が時間空間、多重に展開しだす。

 渋谷道先生の「秋ですよ地下の百葉箱がいう」に無意識に唱和

 秋ですよまらるめ漬けている暖簾

 なんとなく相克冬陽落ちてゆく

 めそめそもできぬと冬のオリオンに

どっとした感情の爆発もないし、静かな鬱が流れているだけ。でも、少し口の端をあげてかすかに笑ったような。

  平成八年二月十一日、妻智恵子の三回忌

 雪帽子かむり智恵子の影法師

 アネモネのあヽでもないといごかない

「いごかない」の烈しい説得力を俳諧と呼ぶ。

4 自得/ 平成九年~十五年

 あやふやの次はくらやみ夾竹桃

 すすき見て海見てⅩ解けぬなり

 さやのままどんぐりおとす甲斐はいま

急に句に生気が出てきたのが見える。色気といってもよい。

 あざむけば冬になってもいのちがけ

ぜんぜん意味不明、でも冬があざやかにいきづく。

 べつべつの梅雨なりプラットホーム・ベル

恋句。ちかづいてきたかんじ

  報国寺

 竹青く秋天見えずなりにけり

恋の成就の報告句です。秋天は亡き妻のこころか。

 白もくれん利休鼠の空となり

白秋がいたり。

 夕凪の赫絲纏う四畳半

 馬追の透きとおるなり掌に

 六匹の犬いて寝屋に蟋蟀も

小学生がいたり。

 平成十一年七月三十日、其角研究の今泉忘機氏逝去

 夕立やバス待つように人死にし

俳諧では無常の句をとてもだいじにしますね。

 葉桜や風神さびしくなりにけり

 くわがたの少年みつめられて虫

 冬凪ぎのタンカー行く気なきごとし

表記が現代表記であることがふしぎだ。冬凪でいいし旧仮名がいい。なぜ俳諧を現代表記でやるのか、わからない。

 一畝は竹の行方に添わせけり  

 灰色の梅雨凸面鏡を曲る

 水銀の滴少年裸

  芦ノ湖 

  湖をうつす鉄紺無月なり

この芦ノ湖は印象的で鉄紺が効いている。岩絵の具の色、鉄紺。黒を紺までの明るさにするのは無月ということば。俳諧を行じるまなざしが生んだ佳吟だ。一回読んだときには見過ごしていた。

 秋燕の阿夫利峯にあり頻りなり

「い」の母音が耳に快い音楽性ある句で、この韻律には地味ながら惹かれる。

  平成十五年三月六日、秦野市役所へ再婚の届け

 天赦日という日がありて春かみなり

いつも亡きひとのまなざしをどこかに忘れずにもつことが、俳諧だったんだろうし、俳諧なのだろう。

 ※ 二上貴夫  

1947年佐賀県生れ 神奈川県在住。1988年、其角全集により俳諧を知る。            

1996年澁谷道主宰『紫薇』同人。            

2001年『わいわい連句遊び・連句文芸賞への誘い』出版。

2006年 宝井其角三百回忌の記念シンポジウム、追善法要、俳諧興行を催す。

 

 

 

  

  

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