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2006年8月 6日 (日)

費え覚え

新婚時代は毎日こくめいに家計簿をつけていた。スーパーのレシートもきっちりと余白に貼り付けて、十年近くは付けていたと思う。でも物価モニターをやるときには便利だったが、あまり意味がないように思え、二度目の引越しのときに、それらをすべて捨てた。

きのうの続きである。十万円では生活できないことにやってみて気づく。私はそれまで寮生活の経験が一年ほどと、短大時代に友達と二人で自炊生活を一年半やったことがあった。だから、なんとなくやれそうな気がしたのだが、夫のお小遣が予想外にいることに気づく。営業という仕事柄、交際費がいるのだった。お弁当をつめて、米野菜は実家からもらって、買い物は二日おきくらいにして、二人の食費はそれでも月に最低三万はかかった。夫へ三万、食費が三万、家賃が四万、新聞代や公益費で一万円ーでは、あとのお金がない。それなのに夫は、時に付き合いでゴルフや接待やをしなければならないのだった。一回行けば、一万五千円。(今なら分るのですが、接待には風俗絡みの接待もあったようです。-そのたびにいちいち傷心していた。ばかみたい。)

働くことにした。結婚直前やっていた幼児英語教室の先生をやった。事務所は博多駅前にあって、そこから福岡市内の幼稚園や個人宅へ派遣されるパートタイマーだったが、絵本教材とネイティヴのテープが付いており、楽しかったし、子どもは可愛かった。それにお給料もとてもよかった。当時で一時間千五百円だったから。交通費も全額出た。

そうしているうちに、妊娠にきづく。生理かと思うような出血が遅れてあって、へんだなと婦人科へ行けば、妊娠八週目で流産のおそれがあるといわれた。そこで、思い切って仕事をやめる。いまにして振り返れば、半年くらいしかこの仕事は出来なかった。自分の意識のすべてが、はじめての出産に向けられてたような気がする。新婚時代の記憶はほんとうにそれしかないのだから。

結婚して一年後、無事に娘がうまれた。・・なにものにもかえがたい感激だった。夫も私も27歳だった。

当時のお給料っていくらだったろう。結婚当初は、入社後三年くらいで手取り12~13万円くらいだったと思う。保険とかいろいろ引かれて。毎年ちょっとずつあがって、子どもが生れたら育児手当とか付いたけど、車を買ったりガソリン代がかかったりして、毎月家計は苦しかった。でも、ふしぎと助けられて、どんなときでも、なんとかなった。余りはしないけど、足りないことは、なかったから。実際、毎月赤字だったけど、貯金から借りたりボーナスで補充していた。ぜいたくはしないし、毎月、項目ごとに予算を封筒に振り分けてちまちまとやった。それが私は結構たのしかった。もう、できないけど。

一度、二人目が生れたころに、子どもを預けて働こうと思ったことがある。教育費が気になったから。福祉事務所に行き、保育園のことを尋ねると、映画の「市役所の星」じゃないけど、「あなたはすでに働いておられるの?そうじゃなければ、預けることは出来ませんよ。おかあさん、こどもはせめて三歳まではご自分でみられたらどうですか。」ーなどといわれ、そうなのかとすっかり信じてしまった。だって、預けられないなら、働けないでしょう。ほかのみんなは、どうしていたのだろう。

交渉の仕方が、あったのだろう。私の世間知らずだったのだろう。余りお金がないこと以外はとても幸せな年月が賑やかに流れた。・・そうそう。クーラーが買えずに、親子でこんなに暑い熱帯夜には、車に乗って、あちこちウロウロしていたものであった。しばらくたつと子どもがスヤスヤと寝入り、それでやっと家に帰ったものだ。西日がもろにあたる部屋の前の通路に、打ち水をしたり、朝顔を沢山這わせて日覆いにしたり。なつかしいなあ。いまにしておもえば、貧乏は楽しかったし、すべてが若かった。

  

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