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2006年8月 8日 (火)

立秋

毎年のことながら、広島原爆忌、立秋、長崎原爆忌・・とつづくこの流れには、なんともいえない無常感を感じる。神が俯瞰する視線での考えられうるもっとも効果的な音楽とでもいうべき流れ。もっとも美しい音楽は、もっとも悲惨でおぞましく苦痛にみちたものを裏に秘める。強く輝くひかりは、真の闇をだく。

風立ちぬ。いざ、生きめやも。(これはほんとは文法的に完全な間違いだそうです。いきめやも、というところは反語で、なんで生きるだろうか、いいや生きはしないという逆の意味になるらしい。いつかれぎおんで川野りょうそう先生が書かれていた)。こういう有名なフレーズが、よおく吟味すると文法的間違いだったということに、感動を覚える。同じく、自鳴鐘の俳人でかつて現代俳句協会長もつとめた医師俳人故横山白虹の「ラガーらのその勝ち歌のみじかけれ」の「けれ」もほんとは「かれ」が正しいようで、でも、感性的には圧倒的に間違いの方の「けれ」がよく、こういうところは実にふしぎなところである。ほとばしる水のいきおいの前に、文法はあっさりなぎ倒されてゆく。

西日本新聞を心配している。以前、反創価学会派乙骨正生氏への下品な個人攻撃本の広告を、第一面に打っていたのを見たときから、心配していたことだ。否、それより前、平成15年秋、私が初めての本を出したときの扱いにも疑問を感じていた。記者が自分では本を読まず、八女の文化人に取材して、その人の意見でもって私の本を黙殺したのだ。四年もかけて書いた自分の命とも思える本を黙殺されて、しんじつ悔しかったが、それは自分の横着な性格に起因することを重々承知してもいたので、諦めがついた。しかし、今日の朝刊に全面広告の創価学会系雑誌を再び見て、暗澹たる思いをどうしようもないでいる。

金がすべてか。

参考:六月一日付かささぎの旗「乙骨一族の骨」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_1949.html#comments

   六月三日〃「塩を贈る」

  原爆忌もつとも遠き黒鍵鳴る    恭子

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