無料ブログはココログ

« アンソロジーと映画 | トップページ | 矢部川 »

2006年8月12日 (土)

草の男

 俳句誌「拓」(長崎市、前川弘明発行)第14号特別作品  

   草の男

             瀬川 泰之

 ロボットが立ち止まっている砂漠に夏

 菜の花や時々連帯交差点

 冷したトマト艶々と携帯電話

 峠を越え橋を渡って草の男

 牛眠りねむりつづける麦の秋

 無人駅呟くように春から夏

 葉桜の向こうを男横切った

 この人と野いちご摘む恋ではない

 梅雨晴れや年がら年中妻の声

 奇声を上げ老人一団青葉の中

 手と手が触れる一瞬お前も生きている

 グリンピースが弾丸に見える非常識

    留書   「草」   瀬川泰之

 五月六月、木も草も萌えて花よりも何よりも、この緑が美しい。

 この十年来身辺の心配ごとで、俳句することに集中できない日々が続いている。

 この忸怩たる思いのなかで俳句だけでもと、作っても駄作を羅列するばかりである。

 十七歳で俳句と出会いほぼ五十年俳句と拘わっている。

 駄作の羅列であっても、ほんの少しの時間でも、俳句と向き合っている時が、自分に正直である。

 草深い所に生まれ、草深い所で育ち、草深い所で生活している。

 この草の中で俳句する喜びをもっともっと書きたい。

※無断引用をお許し下さい。作品にも留め書きにも非常に胸を打たれました。編集者に感想文を依頼されたことが、有難かったです。こういうのが縁だと思うのです。草の男。トウハクで七夕に聴いたジョー・プライスさんのお話につながっています。

俳句は一句独立、連句ではありません。ならばなぜ、ならびにこだわるのでしょうね。それは俳人自身が時間の法則から逃れられないでいるからです。でもそれでいいではありませんか。

 

« アンソロジーと映画 | トップページ | 矢部川 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 草の男:

« アンソロジーと映画 | トップページ | 矢部川 »

最近のトラックバック

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31