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2006年8月19日 (土)

俳諧集「秋天」

俳諧集「秋天」上巻 (発行 ふとまにあ) 

      二上 貴夫・著  

神奈川県秦野(はだの)市在住の連句人、二上貴夫(ふたかみ・きふう)さんの句集を読みます。さいしょにおことわりいたします。句集名、ほんとは火偏に禾の字ですが、パソコンでは変換不能ですので、とりあえず雰囲気ぶちこわしではありますが、普通の秋の文字で失礼いたします。島に嶋や嶌が、松に枩の異体字があるみたいなものですね。

この方を「連句誌れぎおん」で知りました。お名前が奈良の二上山に通じるので、印象に残っていたんです。実際句集をよみますと、最初の奥様を病で亡くされて、そういうことも含めて、わたくしのなかでは大和国中の石橋秀野と結びつくイメージの人です。

おととい、一月遅れで「れぎおん夏号」が届きまして、巻頭に函館の杉浦清志先生の「方丈記は随筆か」という興味深い論考がのってましたが、そのなかで杉浦氏は俳句と俳諧はぜんぜん別物だから、もう俳諧の発句を俳句と呼ぶのはやめにしよう・・と声を大にして訴えておられます。芭蕉も俳人ではなく、俳諧師だと。

それを思い出させる句集名です。俳諧集、とありますから。二上さんの序文に俳諧との出会いが書かれていて、それは昭和の末、神田の古書店で見つけた「其角全集」に始まるそうです。俳句と出会うより先に古俳諧と出会って、そこからこの道に入られたという。珍しいです。

では、すなおに俳諧集を読みたいとおもいます。好きな句をひきます。(この項、つづく)

 ※このところ、パソコンを息子二人のいずれかが占領しており、私の自由になる時間はちょっとでございます・・。笑 

今号のれぎおんで印象的だったのが、水沢周さんの「季語と連句とその周辺」です。主に夕月について書かれていたのですが、最後、時計草についての記載があり、私の、以前、湾岸戦争勃発直前のころ時計草を見て感じたある種の強烈なゆらぎと共通するものがあり、その印象はことばにしがたい自分でも不分明のものだっただけに、打たれました。博多にいたころのことで、はじめて時計草を見たんでした。そのゆらぎを何かに書こうとしましたが、表現できなかったので記憶に残りました。西洋では、受難、殉教を意味するパッションを呼び名にもつ花らしく、なるほど・・と思います。きのう、白秋の初期の歌を十首あげましたが、一首目のとんぼがどのネギの茎にもとまっていておそろしいような思いがすると述べている、あれはほんとによくわかります。ネギの茎にではありませんが、家の空いっぱいに(いえのそらという表現はへんですね)沢山のトンボがうじゃっと飛び回るのをみたことがあります。恐ろしいような不安なような光景でした。でもまあ、白秋のあの歌は、姦通罪の贖罪という大きなテーマがこころの中心にまずあって、その導入部としての連句的働きをになわせられているものですし。

自然界の生き物や風景が人に与えるモノは、はかりしれないです。そのいみでは、それらはじゅうぶん人のことばたりうる。

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