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2006年8月 4日 (金)

サンダルとトランペット 2

あれから、茂木健一郎の『生きて死ぬ私』(ちくま文庫)を三日で読み、ふしぎに満たされ、勇気がわいてきて、きのう、もういちど、佐賀へ、夫の部屋へ、行った。(ほんとうは、たまっていた半年分の上下水道代を支払いにいったのだが・・基本料。)

夫とは、子どものことで相談することがあったので、月曜日に電話した。声をきいてすぐ、分かった。悪かったと思っているなあと。だから、もうなんにもきかなかった。

一階の事務所で水道代を支払い、エレベーターを上り、部屋の前に立つ。すぐ近くの「どん3の森」のクマゼミの蝉時雨が、しぐれどころかどしゃぶりの雨並みの力強さでのしかかってきた。このあいだも聞こえていたのだろう。

鍵をあける。

先日、女もののサンダルがあったところに、あの日私が夫に買って持って行ったサンダルがあった。鼻緒のところが痛くないように、内側に柔らかい皮がはってあるの。(夏物バーゲンで千円だった。)

ほっとして、上る。ーでも、また、すぐひるむ。

ふとんがふたつしいてある。しかもクーラーがつけっぱなし。

ガーンときて、打ちのめされる。彼女と住んでいるのかな・・

冷蔵庫をのぞくと、ビールがあったりしたが、女っぽいものは何もない。夫はアルコールが一切飲めないが、友達や後輩がきたときのためにいくらかはいつも置いていた。焼酎とか酒も流し場近辺にある。

掃除をして食糧を買って、何か作ろうと思っていたのに、すっかり心乱れて、もうなにもしないで部屋を出た。

来た時よりずっとみじめな気分。あたりの景色も目に入らない。こういうときに限って、信号信号で停車しなきゃいけない。三つめの赤信号で止まったとき、麻場利華さんが送って下さったアストロリコのタンゴのCDを思い出し、それをボリュームいっぱいに流した。

四曲目のレクエルドのところで、なぜか涙がこぼれてとまらなくなる。ただただかなしかった。そのまま感情の放出に身をゆだね、なみだがながれるままにして聴いていた。タンゴがからだにしみてこころにしみた。どこをどう運転したろう。一度も通ったことのない道を走り、背振山脈の脇道に出ていた。途中になんとかクリーク公園という珍しい標識が見えた。いっぽんの道の片側にだけ、街路樹がずっと整然と続いていて、その上にはひきちぎれた入道雲の一片が浮き、とても感情をかきたてられた。その感情がなにかはわからなかった。

ふと、夫はいまごろ、汗を流して仕事をしているのだろうなあというおもいがわいてきた。家族のために。わたしたちのために。

そうしたら、遊んでいる自分が、申し訳ないようなきぶんに、だんだん、なってきた。なってきたけど、このあいだからのことがまだ残っている。道に車をとめて、夫に、仕事中ではあったが、思い切ってメールを送信した。

  単身赴任をやめて帰ってきて 愛人とは暮らさないで 死ぬけ

さいごのことばはおどしだったけど、つい書いてしまった。こういうことばが、すなおにでてくるのが、自分でもふしぎだった。きっと、タンゴ効果なのかもしれない。

おりかえし、電話があった。

  愛人とかおらんちゃ。だあれもおらん。おまえの妄想にはつきあえん。女はお前一人でこりとるわい。結婚も一度でけっこう。きのうはまっちゃんがきて、とまったんよ。

ほらね。これですうっと気がはれた。

つくづく、人間って不可解だなあ。ひとはパンのみにて生きるにあらず。夫婦は性のみにて成り立つにあらず。

さっきの本に書かれてあったのだけど、自然界のものいわぬものたち、かぞえられないものたち、ことばになるまえのおもい、無数の無意識が、こころをおもいのほか穏やかに統率してくれている。それをいつもわたしもかんじている。

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コメント

もーお! 心臓に悪いよ。少し安心していい? ヨガ行ける様になったら言ってね。

はじめまして。時々読んだりしてます。
姓名(本名かどうか?)を晒して、夫君の下半身事情を発信し、老婆(大失礼)のヒステリックなジェラシーを赤裸々に綴っておられる。男に食わせてもらっている社会性の欠落した3食昼寝付きのまさに典型。飯の支度に子供の世話、その上親の面倒を見ているとおっしゃるかもしれんが、そんなもんは関わった関係者でこなせば良い話。屈辱を受け、奴隷のように隷属して生きていく。その行為に強引に社会性を持たせ、結局落ち着いた「隷属」に見苦しい正当化を貼り付ける。昔の芸者や妾が連綿と続けてきた「シノギ」を貴方も変わらずやっているだけ。深層心理がこのままの私じゃあ嫌だとばかりに句を詠ませる。ブログを公開なさっておられるのだからこういう私のような輩も現れる。覚悟の上であろう。全然一人で立っていない。まずそこからだな。

真紀子さん、こんばんは。先鋭的なコメントありがとうございます。返すことばもありませんが、一つだけきりかえしますよ。
女性性って、なんでしょうね。自立って、なんでしょうね。経済的に一人でやっていけることですか。私は違うと思います。
こういう下半身の話題を書きたければ、小説で書くべきかもしれません。でも、私は書きたかった。真紀子さんがどんな女性か存じませんが、こういう心に直に響く言葉を戴けたんだから、私は本望です。まさに、そういういまを生きる女性の肉声がほしかったんです。
俳句界では、みごとにこけてしまって、近代の俳句に逃げるしかありませんでした、現在のところ。
しかし、どんなに見苦しかろうと屈辱だろうと、守るべきは守りたいです。

多大の誤解を恐れずに申し上げるが、経済の自立も所有していない「思考」に健全性は私は感じません。未成熟でしかない。いわゆる「元気の良い井の中の蛙」ですね。社会で食い扶持を狩猟してこそ思想・心情は育まれると考えます。
無礼失礼。

まりさん、心配してくれてありがとう。
今回のことで、母がとても心配してくれ、初めて、行っておいで、といってくれた。真紀子さんから、隷属的とかかれたけど、確かに親からも夫からも自立していないですね、私は。考えたら、一度も佐賀にとまりにいったことがありません。いつも親の顔をうかがっている。
最近『海猫』という映画を見た。恋愛映画ではあるけど、根っこにある、まちの人間とムラの肉体労働者(ここでは漁師)との文化のどうしようもない違いを、じぶんと夫との関係に重ねてみてしまう。上野千鶴子さんが何かに書いてらしたことですが、イギリスでもどこでも、百姓は一夫一婦を守り、浮気もせず、人生をまっとうする。でも都市の貴族は享楽的な人生を送る。それが文化だ、と。なるほどお、と思って。
わたしが、儒者乙骨太郎乙に魅かれた理由が、なんとなくわかります。
ヨガ、金曜でしたね。いきますので。

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