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2006年8月31日 (木)

お見合い結婚

朝っぱらから、句集を探し回りました。片づけがにがてで、ごちゃごちゃしています。家中が本棚状態。笑

中村草田男の『長子』初版本(神田の古書店で買った)がどこかへいってしまった。とほほ。倉本朝世さんから最近「クサダオってにごるん?」と聞かれ、濁るんだよ!と答えたものの段々じしんがなくなり、句集最後のページに著者名の読みがなかったか、確認したかったのです。深大寺句碑の「萬緑の中や吾子の歯生え初むる」の作者が草田男です。

『長子』はなかったけど、草田男の概略の人生を紹介した本がありました。短くまとめられているので、その場でざっと読むと、意外なことがわかりました。

  中村草田男は十数回の見合いの後に、三十四歳で結婚した。その結婚によって、「愛妻俳句」と呼ばれる名句が誕生する。

  妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る  草田男

  妻二タ夜あらず二タ夜の天の川    〃

      (『愛の俳句 愛の人生』 谷口桂子・著より)

へええ。中村草田男は神経細やかにして知の人ゆえ、いくぶん精神を病んだようなところがあったらしく、それを結婚でクリアーしたようなのです。それにしてもお見合いを十数回!昔はそういうものだったのでしょうか。

さいきん、つんくという人がお見合いで結婚しましたよね。あれ、わかる気がします。

家庭のしあわせは、恋愛とは別ものなんですよねえ。

石橋秀野を読んでいたとき、随筆のなかに、「恋愛結婚を軽蔑する」と吐き捨てている箇所があり、どひゃっと思いました。熱烈な恋愛結婚をしたひとがそういうのですから、なんだか泣けてきます。

私の仲良しのともだちに、高校を卒業して二年勤めて、それから親の意思に従い、見合い結婚したKがいます。彼女はとても勉強ができ、みな進学すると思っていたので驚きました。本人もいやがり、見合い相手の悪口ばかり言って、自分はほかに好きな人がいるんだとこぼしていたので、私たち友人一同はしばしば会って、なんとかその結婚をやめさせようとしました。が、しかし、やっぱり、結婚しちまったんですよね。あのときのショック。ひとごとなのに、おんおん泣いた。Kのきもちがわからなかった。でも・・彼女も、とても繊細でしたし、知の勝る人ゆえ、その限界を人より知っていたのかもしれないと今では思います。ご主人はぜんぜん明るい人で肉体労働者、町工場経営。女の子が四人うまれて、その後はしあわせにくらしましたとさ。・・だから、やっぱり親のいうことは聞きなさいよってことなのですかねえ。ーそこがこのはなしのいちばんシャクにさわるとこです。

※ちなみに、句に詠まれている吾子は長子じゃなく、次女だそうです。(けっきょく、くさだおかくさたおか、まだ不明のまま。)

 

2006年8月30日 (水)

菊 2

  歌仙「菊」  起首 2006年8月29日

 発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉

  脇    赤とんばうを放ちやる空       姫野 恭子

 第三 三日月に「子とろ子とろ」が引つかかり  鍬塚聰子

   第三句目原案ー  鍬塚聰子

        イ 手を洗う子どもばかりが月を見る
        ロ 消えさらぬ五日の月のメヌエット
        ハ 三日月に「子とろ子とろ」が引っかかる

  選択:  第三を選ぶとき、発句脇の世界から大きく転じることがまず求められる。

発句はよく意味がつかめないよさが身上の句で、脇を付けたものが捉えた句の光景は、あるモノやコトが「生きたままで」すばやく脳に侵入してどんどん増殖して力を増してゆく。それはあたかも菊の薫りのようだーこれが表面的なよみ。うらよみをすると、靖国神社でも菊の紋章の扉が印象的だったように、菊ってそんなものものしいモノを歴史的にひきずっている。消えない記憶のようにまことに殉じた者たちの残像がある。「生きたまま」死んでいったものたち、まだおそらくは生きたままの死者たちのみたま。そういう真闇を内包する句だと感じ、脇を付けた。もともと「効く」だったのを植物の菊にしたことで精彩が生れた。牽強付会とはおもわない。これは芭蕉が初期のころやってた談林の手法だし、おなじく札幌の俳諧師窪田薫がずうっと晩年まで持ち続けたあそびごころでもある。 

第三は早速付けていただきました。脇はふつう、韻字どめ(名詞どめ)ですが、発句脇ともにそうですから、三では用言止め以外考えられない。したがって、どんなに私がメヌエットの句にほれたとて、これはとれない。手を洗う子どもばかりが月をみる、面白い句で明るく屈託ないけど、「月を見て」という形に変えねばならず(第三はかたちがいくつか決まっているので)そうしますと、発句の中で「て」が多用されてることが重なってきて、これもすてます。そこで、脇にはべた付きかもしれないけど、発句からは切れた子とろの歌の句をいただきました。やはり、連用形どめにかえました。きまりです。

四句目は雑(ぞう、季語なし)、川柳人の倉本朝世さんにまわします。
 

ほたる。

ほたるは蛍じゃなくてほったらかすって意味の方言。

夫も息子達もほたる。

かれらはそうされたがってることにやっといまごろきづいた。笑

さあ気合をいれて連句をするぞ。いや気をぬいて・・だった。

発句    生きたまま脳に届いて殖えて菊    蛉

         赤とんばうを放ちやる空       恭子

第三を朝一でくわつかさんにおねがいしてみました。http://satokono.littlestar.jp/

菊:http://www.harimaya.com/kamon/column/kiku.html

電照菊:http://www.okashin.co.jp/jiba/pdf/p006-007.pdf#search='%E9%9B%BB%E7%85%A7%E8%8F%8A'

ディレッタント:http://www2r.biglobe.ne.jp/~kosanhp/essay/essay049.htm

  同上(3/7付かささぎの旗「血のつながりということ」)

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_7a9d.html#comments

2006年8月29日 (火)

きのう、スーパーで

きのうの午後、近くのスーパーに買い物によりました。

入り口のところに、目の不自由な男性が立ってらして、大きな声で「どなたか、買い物に手を貸してくださいませんか。ちょっとの時間でいいんです。買いたいものがあるんです」と叫んでおられました。あたりには私しかいなく、近づいて私でよければ手伝いますと申しますと、すいません、肘を貸してくださいといって杖を持っていないほうの手で私の腕をとられました。

同店でその人をこれまで何度か見かけたことがありました。お店が暇なときには店員さんが誘導しておられたのをみたことがあります。口でこういう商品がほしいとおっしゃって、それを聞いたら希望の品を探して彼の手に持たせるのです。手で触れば、いつもの品かどうかがたちまちわかるようでした。昨日は、辛口ラッキョウがほしいんだといわれました。陳列棚を二箇所さがしましたが、希望なさるものは置かれてませんでした。おかしいな、いままでこの棚にあったのに・・と首を傾げられましたが、結局諦められました。

店の出口のところまで手を引いてゆきますと、お礼をおっしゃって、そこから先は独りで自分の家まで杖を頼りに帰られました。結構交通量の多い通りを渡って。晴眼者であれば働き盛りの年齢のかたです。よく独りで朝昼夕、散歩しておられる姿をみかけることがあります。一日が長いだろうなあ。

なぜか、マッカラーズの「心は孤独な狩人」という小説をおもいだしました。シンガーさんは盲目じゃなく聾唖者でしたが。短大生のころ読んだのですが、それからシンガーさんのことがずうっと心にひっかかり、彼と日本の天皇を重ねたりもしました。わかんないんですよね、こころのうちが。まわりのものが勝手に彼に理想像を描いて、その視線でしか彼をみないから。ほんとは・・

そういうことって、げんじつに、たくさん、ありましょうね。ことに福祉と名のつくものには。

(本日は息子二人の占領日で、時間がとれません。パソコンにすわれない!コメントの返事がかけない。すいません。15分だけもらって、忘れないうちにこれを書きました。)

2006年8月28日 (月)

攀じ下りる蟻

俳句に使った「よぢおりる」ですが、http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/diary/dr9810_1.htm#981009を読んで、そういえばそうだとおもいました。筆者の冬樹蛉さんが返信をくださり、書いておられましたが、たしかにスパイダーマンみたいに頭を下にしてがつがつと下りるときは、よじおりるということばしか浮かばないけど、岩登りの人みたいに腰に「ご安全紐」つけて頭は上にした正常な姿のままで下りるのは、よじおりるじゃどうもしっくりこないような気がします。あれは伝い下りでいいんじゃないかなあ。失礼でしょうか。

蟻の句を先日三句ひきました。並べてみて感じたんですが、横光利一の句は、最初に見たとき旧仮名旧漢字だったんですよね。三行の分かち書きです。よみくだせば漢詩っぽい。そして具象の句なのに抽象的、暗喩にみちた仕立だと感じます。それはひもじい戦時中の作品であるからと同時に、「台の上」に一匹の蟻が餓えているという。この台はステージそのものであり、邪馬台国から続く古神道のにおいもかすかにのこし、時間的にも空間的にも垂直軸を大きくとった句です。蟻は私には一匹しか見えない。なぜでしょう。

拙句の「垂直によぢおりる蟻」は一本の線となってぞろぞろと降りていくアリを詠んだものです。見て感じたのは、アリってほとんど体重がない(人に比べれば)から、さかさま向きに歩いても平気なのかな。吸盤もないのによく均等な間隔をとってゾロゾロ続けるもんだなあ。もしかしたら蟻酸ってのを出しながらよじおりてるんじゃないかな・・。とにかく人にはできないことです。頭を下に向けて、へいきへいきで平然とよじおりるなんてのは。

でも、見た目は平気そうでも、ほんとは高度な技術を要しているのかもしれない。これはアリに聞いてみなければわからないですね。なにしろ、この世的にはなにものも重力から自由にはなれないから。笑

冬樹蛉さん。ていねいな返信とトラックバック、ありがとうございました。今しか生きられない時間の法則があるけど、過去も未来も確かに今に入っていますよね。そういうことで、連句的ごあいさつ。冬樹蛉というお名前から連想したこと。

一つ、瀧春樹。(俳句誌の主宰です。季節ちがい。笑)

一つ、冥王星を発見した「くらいど・とんぼう」って天文学者。これはふしぎですよね。暗いど・とんぼう。(「とうぼうの肢も飢えたり二日月」恭子)cried 蜻蛉。蜻蛉は精霊ですからね。で、テレビでいろんな人がそれぞれ勝手な感想を言ってたのを五秒くらいづつ拾ったニュースがあり、ある占い師が「冥王星だからそういう時期もあるでしょう。でもまたそのうち惑星として復帰します」といっていた。おもしろいのは、ほかの惑星はみなギリシア神話だかローマ神話だかの名前から来ていて、それを中国の古代天文学者が漢字に訳したそうで、でも冥王星だけは日本人が訳したそうです。

ケイト・ハドソンの胸

ケイト・ハドソンが大好きです。

最初に見たのは何だったかなあ。とにかく、この一年で近所のレンタル屋さんにある彼女のは全部見ました。えーと、十日間で男を上手にフル方法、ル・ディヴォース、あの頃ペニー・レインと、貴女にも書ける恋愛小説、200本の煙草、サハラに舞う羽根。

どこが好きかというと、あの髪の毛と胸の小ささです。私は自分の息子達によくいいます・・いいかおまえらよくきけ。女は胸じゃないんだ!胸はちっちゃいほうが、あかちゃんができたときにおっぱいがよくでるんだよ!(するとやつらはいいますーあそう。んならおっぱいがよくでるおっぱいのおおきい女をさがそって。笑)

ケイト・ハドソンって、調べますと、女優ゴールディー・ホーンの娘さんでしたねえ。

自慢ではありませんが、ゴールディー・ホーンの映画は、まだ一本もみたことがありませんでした。イメージ的に団塊の世代ってかんじ。おくればせながら、みてみようとおもいます。

そうそう。夫の部屋に行くと必ずあります。巨乳何とか爆乳かんとか人妻のなんたらって題がいかにも笑えるdvd。このブログのトラックバックにも時々付けて頂いてるようですが、恐縮です。・・笑 

トラックバック、いちいち選別して消すのがだんだんめんどうになってきた。それっぽいのを消すとき、ちょっとこころがいたむのですね。劣情ってことばがあるでしょう。それをむげにすてたらいかんような気がして・・これ、人類みな平等、愛し合おうぜヘイ!ブラザー思想(そげなんあったや)の変形かな。それとも自分が俳句やってるからかな。ま、いずれにしろ、純情なおとめの更年期ヒステリーにとってはまぶしすぎます。笑

※「連句的」 ご推薦短編恋愛小説   「砂糖」野上弥生子。

2006年8月26日 (土)

よどまつり

昨夜はわが寺田村のよどまつりでした。例年、八月二十五日の宵となってます。

ヨドとはなにか。きちんと書かれた資料を読んだことはありません。ただ、漠然と感じるのは、季節的に夏が終わりこれから実りの秋を迎えるという、その季節の境目であることから、みのりの予祝行事かなと思えます。

もうずうっと昔からあります。村ごとにヨドの日付はそれぞれでしたから。こどものころは楽しみでした。よどには、よどまんじゅうを作って、よその村にも配りました。よどまんじゅうとは、いげの葉餅ともいいまして、大きないげの葉を近くの野山から採ってきて、かしわもちみたいにあんこ入りの餅を両面から包み、それを蒸し器で蒸して出来上がります。漉し餡から何からすべて手作りしてました。いげとは方言です。正式には・・わすれました。すみません。笑

いまは饅頭屋さんから買います。それを神棚やほとけさまにあげて、お神酒をあげて、夕方からお宮にこもって、おまつりをするんです。薄暗い境内にシートをしいて、そこでみんなで飲食する。まだ熱い地面と神社の木々の走り根の脈拍をかすかに感じつつ。大人はビールや酒をのんでますが、子どもには花火があったりお菓子やジュースをもらえたので、楽しかったのですね。派手な祭りと比べたら、なんと原始的で素朴なまつりでしょうか。

昨夜は父と次男がおまいりしました。中二の次男がよく照れもせず、毎年お参りに行くことです。けっこうはずかしいのです。車座になっている村の衆のなかをとおって、神前に参らねばならないから。長男はバイト、母と私は家の中からおまいりしました。

参照:http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/sanpo29.htm

   http://www.joyo-town.jp/mail_maga/2004/0720/oboro/oboro01.htm(この写真の婦人はわが母にそっくりです。)

「よどまんじゅう」で検索したら、葉っぱの正式名称がわかりました。http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/5286/syokubutu/sarutoriibara/sarutoriibara.html

しかし、サルトリイバラと山帰来はまったく同じものなんでしょうかねえ。

2006年8月25日 (金)

蟻の列中に弱卒無きごとし    横山いさを

蟻 台上に餓えて 月高し    横光利一

垂直によぢおりる蟻波郷句碑   姫野恭子

(横山いさをという俳人は北海道在住の人のようです。弱卒は弱いへこたれの兵士。ことわざには「勇将の下に弱卒なし」があります。)  

(横光利一の父方のふるさとはわたくしの夫の父方の里のすぐ近くでした。石橋秀野がらみで調べていたときにたまたま知りました。このひとは50歳でなくなったのですが、当時は川端康成などよりもずっと力のある新感覚派のリーダーだったのですよね。『旅愁』を読んでおりますと、風景の描写にものすごい筆力を感じ、慄然とします。そのうちまた引用したいと思います。)

(わたくしのへたくそな句は、先月訪れた深大寺での実景です。しかし、攀じ登るという言葉は使いますが、攀じ下りるが果たして日本語として使えるのか、わかりません。調べたら、こういう文章が一つありましたので、引きます。http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/diary/dr9810_1.htm このなかの10/9付けの記事です。)

※ 蟻は夏の季語です。暦の上ではもう秋なのに、残暑が厳しいですねえ。

2006年8月24日 (木)

ハゼ 3

まだありました。思い出してよかった。

これを書いておかなければ、画竜点睛を欠くところでありました。(そんなたいそうな。笑)

いつもふしぎでならないんですが、私がちょうどその「ぎぎ」のことを一心不乱に考えていたころ、目にした俳人の文章におもしろいシンクロがあったんです。おなじ福岡のおなじ天籟通信出身の俳人で、会ったことはありませんが、名前を存じ上げていました。こういう内容です。

 行(ゆく)はるや鳥啼(なき)うをの目は泪(なみだ)   芭蕉

有名な句です。句のよみも一通りしかありません。鳥がなき、魚の目には泪のあとがあるような、惜春の情をよんだ「奥の細道」の冒頭の句です。

それを筑網耕平という福岡の俳人はーこの句は「行く春や」で切れて、あとは「鳥啼き魚」という名のさかなをよんだものだと思う、というのです。というのも、むかし、自分は川でよくその啼く魚、ぎぎをつかまえて遊んでいたからだ。-と書いていたのです。私がどれだけ驚いたかわかりますか。心底、驚嘆し、それに間違いないと確信しました。そして、そのよみが例の「冬の日」第三歌仙の「はせ」(はけ、が誤記という証拠はないから)にまで繋がっていくような気がしたのでした。

アカデミックなよみでは、中国古典の詩の先例をふんでいる、とあるんですが、私を動かすのは、そういうきまりきったよみではなくて、自分の子ども時代の生き生きした実体験が、句のよみを多層化させ肉付きをよくする、そのことの至福感でした。正解・不正解にかかわらず、こういうよみもあるのだ・・ということが、句のもつ世界をなんと豊かにしてくれることでしょう。

そういう偶然に出合うと、俳句というとてつもない宇宙のひろがりの根っこにあるものと、確かに繋がったような気がして、偶然が必然に思えるのです。

いま一句、同じ芭蕉の惜春の句を引いて終わります。

 望湖水惜春

 行春を近江の人とおしみける  はせを(をしみける、が正しい表記。)

付記/ ぎぎについて、八女を流れる川にもいたらしく、昔、こどもだった人に尋ねるとそういえば、泣く魚がいたような。という返事が返ってきます。戦後、急速に魚は買うものの時代になってからは、川をのぞくこどももいなくなり、気づく人もいなくなりました。

 数年前、大分県の市町村合併で山国町が消滅するのを記念し、「山国町誌」が編纂され、ご一緒に連句を巻いたご縁のある山国町の連句人にいただきました。(国民文化祭の連句大会が以前、このやまぐにまちで開催されたというご縁。町民あげての非常に心のこもった気持ちの良いおもてなしでした。婦人会特製のお弁当がおいしかった!)それには、きっちり山国川の「ぎぎ」の生息が調べて書かれていて、感動しました。誰に伝えようもなく、一人で感動していましたが。(ここにちゃんと書けてよかった。)

参照:http://mudskipper.partials.net/tobihaze02.htm

   http://www.lbm.go.jp/emuseum/tour/aquarium/aq0203.html

   http://pochi21.exblog.jp/3064036

ハゼ 2

先日のハゼ句で思い出したのですが、数年前、芭蕉七部集「冬の日」五歌仙の真ん中に置かれた杜國(とこく)が発句を詠んでいる巻にある名残の折、裏のたて句(つまりあげくの六句前)にはぜの句(杜國)がありまして、それを読んでいたらひらめくものがあり、二枚ほどにまとめて、小学館の古典全集月報を書いておられた菊池昌治先生(ちょうど琵琶湖の魚について書かれていた)と、私と同じ福岡出身の文士であり連句人でもある眞鍋呉夫先生に「こんな読みはどうでしょうか」とお手紙をお送りしたことがありました。

当時はワープロを使ってまして、それが壊れてかなり経ちます。メモリーが残っていないのが残念です。自分でもかなり面白いよみでした。間違いでもなんでも一気に読ませるイキオイがあったんですよね。いま、それを再現しようとしても、同じものは二度と書けません。笑

でも、もう一度書いてみます。こういうことです。

「冬の日」第三歌仙

(おもて六句)

  つえをひく事僅に十歩

つヽみかねて月とり落す霽(しぐれ)かな   杜國

  こほりふみ行(ゆく)水のいなづま     重五

歯朶(しだ)の葉を初狩人の矢に負(おひ)て   野水

  北の御門をおしあけのはる        芭蕉 

馬糞掻(かく)あふぎに風の打(うち)かすみ  荷兮(かけい)

  茶の湯者お(を、のミス)しむ野べの蒲公英(たんぽぽ) 正平

  

ー初折の裏十二句と名残の折おもて八句は中略ー

(名残おもて九句目からなごりうら六句まで)

あだ人と樽を棺(ひつぎ)に呑(のみ)ほさん  重五

   芥子のひとへに名をこぼす禅      杜國

三ヶ月の東は暗く鐘の聲            芭蕉

   秋湖かすかに琴かへす者        野水

烹(に)る事をゆるしてはせを放(はなち)ける  杜國

   聲よき念佛(ねぶつ)藪をへだつる    荷兮

かげうすき行燈(あんどん)けしに起(おき)侘(わび)て  野水

   おもひかねつも夜るの帯引(おびひき)   重五

こがれ飛(とぶ)たましゐ(ひ、のミス)花のかげに入(いる) 荷兮

   その望(もち)の日を我もおなじく    はせを 

以上です。ナウ(なごりうら)の杜國の句に「はせを」とあります。それと挙句を詠んだ「はせを」芭蕉が重なるのは偶然とはおもえない。(濁点は昔は表記しなかったので)。これは岩波書店の黄色の文庫本から引用していますが、中村俊定校注です。その注意書きに「はぜー京大本は、はげと誤刻」とありまして、あっと思いました。というのは、ちょうど折りよく、「ぎぎ」という啼く川魚のことを必死こいて調べていたときで、図書館の図鑑に、ぎぎ、ぎぎゅうの別名として「はげ、はげぎぎ」というのがあったわけです。それで、そこが私のあさはかなところでして、「あ、これはきっとギギのことを詠んでいるんだ」と思ってしまったのですね。

すると、どうよめるか。

秋の湖で琴をおさらいしているかすかな音が聞こえる。(野水)

それはギギで、琵琶湖では今でもよくとれるが、下手すると噛み付かれて三年うずきがするほど痛い。しかもさかなはぎーぎーと啼く。あったまに来て、はげぎぎをまた、ぽいと水にかえす。(とこく)

その放免した理由は秋の放生会だったからで、はげあたまのおぼうさんの念仏が藪を隔てて聞こえる。(かけい)

・・というふうに、ま、戯画タッチに野生的なおもしろさが眼前にひろがったわけですよね。

付けと転じで進める連句の味わいは、ことに古典ともなると、当時、常識として読めた「暗黙の了解事項」が消えてしまっていて、いまのものにはどこが面白いのか、ぜんぜん見えなくなっています。だから、私のこのようなよみも、アリかなあと思いました。

さすがに、菊池先生は現在の琵琶湖の事情からの資料をたくさん送付してくださり、また、眞鍋先生は、私が忘れたころ、つまりその年の年末に、きちんとしたお返事をくださいました。それには、おもしろいので、どこかに発表なさったらどうでしょうか、とありました。笑

いそがしくて、すっかりわすれておりました。おもしろいですね。

参照:ハゼの名称はどうしてはぜなのか。http://www.manabook.jp/zacko06-haze-goby.htm 

2006年8月23日 (水)

オリーブの。

オリーブの。

お昼から佐賀へ出かけ、アイロンがけ拭き掃除洗濯をしてくる。で、これはなんだろうか。

まんなかの木のこどもは、榊みたいですが、ぐるりのは・・?へやの中に置いていたポトスの鉢も四年たち、とても大きくなっている。ひょっとして、夫は私より園芸の才能があるかもしれない。でもタバコの吸殻を鉢に捨てるのはちょっと。(私はすぐ枯らしてしまう特技あり。)

オリーブの。

オリーブオイルとローリエオイルだけで練った石鹸ですが、これが驚きです。からだも髪の毛もきれいに洗えて、しかもなんていうかな、しっとりします。今までにない使い心地です。あわ立ちもきめこまやか、髪をあらってもリンスしなくても大丈夫なんですよ。このごろ、抜け毛がひどくて、気になってましたが、これに換えてから落ち着いてきたかんじです。・・って、なんか「通販のCMっぽい」ノリですね。(別にどこからも宣伝費はいただいておりませんので、念のため。)一個800円。高いような気がするけども、高くないと感じる。使ってみたらわかります。ひとつ、難点。あぶらくさい。

※下にしいている本は、湯川裕光『明朝滅亡』です。歴史物好きの夫が読んでました。

ハゼ

きょう、ゆうたくんがきました。宿題はほぼおわったようです。英語のサマードリルがあったのをしました。終わってから、ひさしぶりに俳句を詠ませました。

さいきん、なにかたのしかったこと、ない?

うーん、なにもないよ。

さかなつりは?

いったかな。うみに。

おとうちゃんと?

うん。はぜしかとれんじゃった。

あ、それ。それ詠もうか。ハゼが秋の季語だから。

でも小さかとしかとれんかった。

よかじゃんー夏休み・・でまず最初の五文字が埋まるね。

うん、夏休み小さいハゼしかつれなかったーあれ。字があまる。

んだねえ。ここに何をもってくるかで、めいさくにもださくにもなるね。それ、食べたの?

いいや。けっきょく食わんかった。おとさんが天ぷらにしようっていいよったけど、バケツにほったらかしとったら、死んでしもうた。けん、捨てた。どうせ捨てるとなら、いきとるときに逃がしちゃればよかったとにちおもうた。

そうか。んなら、それを句にしちゃろうよ。そらごつになるばって、よかじゃん。

うん。(急に目を輝かせる)夏休み小さなはぜを逃がしてやる。ありゃまた字があまる。

じゃ、みじかくしよっか。きどるよ。にがしたりとにがしけりはどっちがいい?

逃がしたり!

・・・という次第で、名作が一句できたのだった。ハゼも成仏することだろう。

 夏休み小さなハゼを逃がしたり    藤本ゆうた

推敲句(てかもとの句)  夏休み小さなハゼを逃がしてやる

(後でみたら、小さな、と、たりが口語と文語。夏休みは夏、はぜは秋だという突っ込みもきこえそう。逃がしたりだと取り逃がしたように読めてしまう。けっきょく、元の字あまりのゆうた句がよかったことになる。いつも大人がいじるとろくなことないねえ。)

2006年8月22日 (火)

先月末、「サンダルとトランペット」という題で書いたことのつづきです。

師と仰ぐ先生に、こういうしゅらばをブログに書いたら、こういう反響がありました・・とお話しましたところ、女である先生はとても感情を乱されて、私があなたなら、その女性と対面して、けじめをつける。許さない。それが夫婦の筋じゃないかとおっしゃいました。

その場はそういう考えもあるのだ・・と思ってお電話を切りましたが、翌朝、先生から再び電話があり、きのう寝るときによくよく反芻してみたら、やっぱり私もあなたと同じ行動をとっただろう。昨日は取り乱して、わけもなく腹をたててごめんなさいね。私、そういう男が苦手なものだから。・・実はこどもにもだれにもいってないけど父がそうで、母がそれでずいぶん苦しんだのを見て育ったから、ずっとこころに傷があった。だから。とっさにああいう返事をしてしまって・・とおっしゃるのでした。

律儀で正直な先生らしいお言葉だなあ。ありがたいなあと感動しながら、もう一人、彼女ならどんな答えが聞けただろうと思う、年上の友人のまあるいお顔が浮かびました。

想像するだけです。たぶん、彼女なら、「それはあなたがわるいわよ。どうして電話をしてから出かけないの。男の遊びにいちいち泣いてたんじゃ身がもたないに決まっているじゃないの。ばかねえ」と言うんじゃないかと思えました。そう思ったとたん、すうっと楽になりました。

七夕に詣でた九段の靖国神社拝殿(正式名称はなんていうのでしたっけ。先日小泉総理が詣でたところです)の正面に置かれていた鏡が、なんの脈絡もなく、ふっと心に浮かびました。

それは、他のどんな神社にある鏡より、ずっと研ぎ澄まされています。

だれもそこにいなければ、しげしげと中をのぞいてみたくなるような鏡でした。

2006年8月21日 (月)

誰よりもママを愛す

日曜夜九時からのドラマ「誰よりもママを愛す」をみています。

とっても面白くて、大好きです。

登場人物、みんないいよなあ。あのオカマもすごくいい。

田村正和パパの決め台詞「ねえ、そんなこと言って誰がハッピーになるんだ」が、泣かせる。だれかが愚痴をいったり、マイナス思考に走ったりしたときに出ることばです。うちの母がまさにそのぐじぐじ言うタイプで、それが出るたび、最近は私もまねしてる。効果絶大。主題歌もいいなあ。

2006年8月20日 (日)

俳諧集「秋天」 2

  俳諧集「秋天」 

      二上 貴夫・著

1 習作/ 平成元年~三年

  小田急線下北沢駅前

 寒の雨下北界隈路狭し

 花しどみ籬の角に覗かるる

  新宿西口

 駅前の乞食演説日傘売り

 野分来て鉄塔雲に流さるる

最初のページにならぶ四句。季語がしぶい。寒の雨も、花しどみにも驚かされた。(参考: http://www.asahi-net.or.jp/~ap6y-umd/kusaboke.html)まがき(籬)は雅語の雰囲気をまとう。しかし、このマイナーさは新鮮で、貴重だと思った。いわば、はきだめにつる。

2 習作/ 平成四年~七年

 寒鯉のあぶくひとつに動きけり

伝統俳句ご推薦ふうの句。細心の気が行き届きすぎてかたまっている。どうでもいい景をなでくりまわしたけども、やはりどうでもいい景だったというか。時間が固まっていて、うごかない。絶対俳境をめざした句

  長崎夜景

 矢太楼へ稲佐山より星流れ 

やたろうは修学旅行や塾の合宿などで利用される宿です。肩がはらなくてよい。季語は流星、夏。

  安曇野

 彩色の道祖神あり花石榴(はなざくろ)

前書つきの吟行写生句が並ぶ。どれも的確な視線だが、さりとて格別のことはない。忘れる句群。

 木瓜の鉢みていて日ぐれひろがれり

 病人のふとんの上の初明り

 おもしろう花の散ります足の裏

ここまで来て、おや・・とすこしこころが動く。ボケの句。花しどみは草ボケという別名があったが、これは本物の木瓜である。しかも、鉢の花。ということは、室内に置かれているに違いない。だれのために?日ぐれひろがれり、の翳りが気になる。

 山茱萸(さんしゅゆ)の花や回廊雨ざらし

 岐阜提灯吊ってくらやみととのいぬ

我慢できず、最後のページにある著者の履歴をここで見る。すると、1994年、妻智恵子、癌により死すーとある。

大きく、息を吸う。吐く。

 星月夜青電球を点けにけり

これは、胸のつまる句だとおもった。なんて遠慮がちなかなしみだろう。

 風の空てんとう虫におしえられ

この句もすごくいい。この人の昆虫の句はどれも不思議な魅力がある。すなおでやさしい気分になれる。それにどこか木下夕爾の詩「内部」と通じるものがある。参照:http://www5f.biglobe.ne.jp/~silencium/datahtml/yuuji.html

 エノラゲイ炎熱の空帰りしか    二上貴夫

 エノラ・ゲイ夜の皮ジャン水しぶき  奥田艶子

ついならべる。二上句はやさしい。相手に配慮しすぎていないか。奥田句はぜんぜん違う。evilと一体化したかのような抗いがたい魔力がある。私はこの夜の皮ジャンの怖さに並ぶ句を、まだ、みない。ちなみに奥田艶子は元天籟通信賞受賞俳人、非常な美人だった。この句は句集未収録、十年ほど前の「俳句ざうるす」(野間幸恵編集発行)掲載句。

3 模索/ 平成七年~八年 

 夕焼の人の死んでもふまれても

 烏瓜いつよりそこにぶらさがる

すこし、句にゆらぎが加わった。句の世界が時間空間、多重に展開しだす。

 渋谷道先生の「秋ですよ地下の百葉箱がいう」に無意識に唱和

 秋ですよまらるめ漬けている暖簾

 なんとなく相克冬陽落ちてゆく

 めそめそもできぬと冬のオリオンに

どっとした感情の爆発もないし、静かな鬱が流れているだけ。でも、少し口の端をあげてかすかに笑ったような。

  平成八年二月十一日、妻智恵子の三回忌

 雪帽子かむり智恵子の影法師

 アネモネのあヽでもないといごかない

「いごかない」の烈しい説得力を俳諧と呼ぶ。

4 自得/ 平成九年~十五年

 あやふやの次はくらやみ夾竹桃

 すすき見て海見てⅩ解けぬなり

 さやのままどんぐりおとす甲斐はいま

急に句に生気が出てきたのが見える。色気といってもよい。

 あざむけば冬になってもいのちがけ

ぜんぜん意味不明、でも冬があざやかにいきづく。

 べつべつの梅雨なりプラットホーム・ベル

恋句。ちかづいてきたかんじ

  報国寺

 竹青く秋天見えずなりにけり

恋の成就の報告句です。秋天は亡き妻のこころか。

 白もくれん利休鼠の空となり

白秋がいたり。

 夕凪の赫絲纏う四畳半

 馬追の透きとおるなり掌に

 六匹の犬いて寝屋に蟋蟀も

小学生がいたり。

 平成十一年七月三十日、其角研究の今泉忘機氏逝去

 夕立やバス待つように人死にし

俳諧では無常の句をとてもだいじにしますね。

 葉桜や風神さびしくなりにけり

 くわがたの少年みつめられて虫

 冬凪ぎのタンカー行く気なきごとし

表記が現代表記であることがふしぎだ。冬凪でいいし旧仮名がいい。なぜ俳諧を現代表記でやるのか、わからない。

 一畝は竹の行方に添わせけり  

 灰色の梅雨凸面鏡を曲る

 水銀の滴少年裸

  芦ノ湖 

  湖をうつす鉄紺無月なり

この芦ノ湖は印象的で鉄紺が効いている。岩絵の具の色、鉄紺。黒を紺までの明るさにするのは無月ということば。俳諧を行じるまなざしが生んだ佳吟だ。一回読んだときには見過ごしていた。

 秋燕の阿夫利峯にあり頻りなり

「い」の母音が耳に快い音楽性ある句で、この韻律には地味ながら惹かれる。

  平成十五年三月六日、秦野市役所へ再婚の届け

 天赦日という日がありて春かみなり

いつも亡きひとのまなざしをどこかに忘れずにもつことが、俳諧だったんだろうし、俳諧なのだろう。

 ※ 二上貴夫  

1947年佐賀県生れ 神奈川県在住。1988年、其角全集により俳諧を知る。            

1996年澁谷道主宰『紫薇』同人。            

2001年『わいわい連句遊び・連句文芸賞への誘い』出版。

2006年 宝井其角三百回忌の記念シンポジウム、追善法要、俳諧興行を催す。

 

 

 

  

  

2006年8月19日 (土)

俳諧集「秋天」

俳諧集「秋天」上巻 (発行 ふとまにあ) 

      二上 貴夫・著  

神奈川県秦野(はだの)市在住の連句人、二上貴夫(ふたかみ・きふう)さんの句集を読みます。さいしょにおことわりいたします。句集名、ほんとは火偏に禾の字ですが、パソコンでは変換不能ですので、とりあえず雰囲気ぶちこわしではありますが、普通の秋の文字で失礼いたします。島に嶋や嶌が、松に枩の異体字があるみたいなものですね。

この方を「連句誌れぎおん」で知りました。お名前が奈良の二上山に通じるので、印象に残っていたんです。実際句集をよみますと、最初の奥様を病で亡くされて、そういうことも含めて、わたくしのなかでは大和国中の石橋秀野と結びつくイメージの人です。

おととい、一月遅れで「れぎおん夏号」が届きまして、巻頭に函館の杉浦清志先生の「方丈記は随筆か」という興味深い論考がのってましたが、そのなかで杉浦氏は俳句と俳諧はぜんぜん別物だから、もう俳諧の発句を俳句と呼ぶのはやめにしよう・・と声を大にして訴えておられます。芭蕉も俳人ではなく、俳諧師だと。

それを思い出させる句集名です。俳諧集、とありますから。二上さんの序文に俳諧との出会いが書かれていて、それは昭和の末、神田の古書店で見つけた「其角全集」に始まるそうです。俳句と出会うより先に古俳諧と出会って、そこからこの道に入られたという。珍しいです。

では、すなおに俳諧集を読みたいとおもいます。好きな句をひきます。(この項、つづく)

 ※このところ、パソコンを息子二人のいずれかが占領しており、私の自由になる時間はちょっとでございます・・。笑 

今号のれぎおんで印象的だったのが、水沢周さんの「季語と連句とその周辺」です。主に夕月について書かれていたのですが、最後、時計草についての記載があり、私の、以前、湾岸戦争勃発直前のころ時計草を見て感じたある種の強烈なゆらぎと共通するものがあり、その印象はことばにしがたい自分でも不分明のものだっただけに、打たれました。博多にいたころのことで、はじめて時計草を見たんでした。そのゆらぎを何かに書こうとしましたが、表現できなかったので記憶に残りました。西洋では、受難、殉教を意味するパッションを呼び名にもつ花らしく、なるほど・・と思います。きのう、白秋の初期の歌を十首あげましたが、一首目のとんぼがどのネギの茎にもとまっていておそろしいような思いがすると述べている、あれはほんとによくわかります。ネギの茎にではありませんが、家の空いっぱいに(いえのそらという表現はへんですね)沢山のトンボがうじゃっと飛び回るのをみたことがあります。恐ろしいような不安なような光景でした。でもまあ、白秋のあの歌は、姦通罪の贖罪という大きなテーマがこころの中心にまずあって、その導入部としての連句的働きをになわせられているものですし。

自然界の生き物や風景が人に与えるモノは、はかりしれないです。そのいみでは、それらはじゅうぶん人のことばたりうる。

網笠考

 太葱の一茎ごとに蜻蛉ゐてなにか恐るるあかき夕暮     白秋

 君がピンするどに青き虫を刺すその冷たさを昼も感ずる    

 百舌啼けば紺の腹掛新らしきわかき大工も涙ながしぬ      

 いつのまに黄なる火となりちりにけむ青さいかちの小さき葉のゆめ   

 どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし    

 鳴きほれて逃ぐるすべさへ知らぬ鳥その鳥のごと捕へられにけり  

 網笠をすこしかたむけよき君はなほ紅き花に見入るなりけり    

 どん底の底の監獄(ひとや)にさしきたる天つ光に身は濡れにけり   

 夕されば火のつくごとく君恋し命いとほしあきらめられず     

 市ヶ谷の逢魔が時となりにけりあかんぼの泣く梟の啼く    

 

北原白秋第一歌集『桐の花』より。作者は二十代後半。隣家の人妻、俊子と事をおこし、その夫に「姦通罪」として起訴され、二人そろって服役す。・・・

このうたのなかにみられる鋭く痛いような感受性は、先だってここで取り上げた同じ筑後の俳人、中村マサコのうたと句の原型をなすものだとわたくしはおもう。俳句と短歌では、方法も素材もまったく異なってはいるものの、余韻の味わいにおいては通じるものがある。

それにしてもこれは明治末年のことだが、たしかに姦通罪という罪があったのだ。

網笠の歌は、石橋秀野の『櫻濃く』のなかにも異例の長い前書つきの句があったのを思い出させる。当時の罪人は、人目から保護するために網笠をかぶる慈悲が与えられていたのだろうか。

師走某日、この日判決の下りたる島根県庁焼打事件の被告達の家族、徒歩にて刑務所に帰る被告を目送のため、裁判所横の電柱の陰にたヽずめるに行きあひて 三句(以上、前書)

 網笠に須臾の冬日の燃えにけり  石橋秀野昭和20年

 冷さの手錠にとざす腕かな       

 凍雲や甲斐なき言をうしろ影      

※島根県庁焼討事件は、右派の若者達による、戦争をまだ続行せよという主張のクーデターであったようだが、失敗した。秀野が詠んだ句には、思想犯に対する共感が透けてみえる。学生結婚した年の昭和四年ころから七年ころまで、夫の山本健吉(石橋貞吉)とマルクス共産主義思想にかぶれ地下活動をやって特高につかまり監獄にいれられた、若き日の苦い記憶を蘇らせているのだろう。「須臾(しゅゆ)の冬日」の句の厳しくも美しい韻律は、秀野天性のものだと思う一方、ここまで苦しい思いをしなければ、これだけの句は得られないのだなあ・・とも思う。

 

 

  

  

2006年8月16日 (水)

おくりもの

これまで、もらって一番うれしかったものは、小さなタオルハンカチです。樹の俳句大会で大分のある主婦からその人の選句一位の賞品としていただきました。紺色で、くまの刺繍がしてあって、ぐるりを黄色の糸でチェーンステッチしてあるのです。ミニタオルは市販のものでも、刺繍は手をかけたものとすぐわかります。バッグにいつも持ち歩いて愛用していますが、くださったひとのこころばえがしのばれて、落ち込んだときにもしあわせな気分になります。ひるがえって、私はこういう気遣いをぜんぜんやってこなかったなあと、反省させられます。

似たことですが、次男がサッカーではく長いソックスをたびたび破きます。それはとても消耗が激しくて、しょっちゅう買うのももったいない、足先のとこだけ穴があくんです。で、おばあちゃんが見兼ねてお針箱をもってきて、夜にささっと穴かがりをしてくれました。これもまた、こころにひびきました。こどもはイヤそうでしたが。

2006年8月15日 (火)

おはかが三つ

うちはいわゆる養子じゃないけど(姓が夫の姓ですから)、実質は養子みたいな家です。しかも、互いの家がどちらも養子の家でして複雑です。結婚を決めたときから、どっちの姓を名乗るかでまずもめました。親が互いに譲らないのでした。こちらは養子じゃなきゃだめだと言い張る。あちらは長男は絶対養子にはやれないという。どこまで行っても平行線で、うんざりでした。いまどき、こんなことでこじれるなんて・・と思いましたが、じっさい、ほんとに、本人同士じゃなく親が必死でしゃしゃりでてきました。その結果、おとなの知恵というか、政治的判断というか、姓はあちらでいいから、こちら(八女)に住むこと、最初の子をこちらの姓にすること、を条件にして結婚を許してもらいました。根底には弟が死んでまだ3年しかたってなかったことがあるのだろうと今は思います。

25年たったのですが、結局は養子じゃないし、かといって私も嫁にいってないし、こどももうちの姓を継いでいません。あれほどうるさく苗字が苗字が・・と言っていた親も年をとって、落ち着いてきました。農業をたつきとして生きねばならない生活から2年まえにようやく解放されて、やっと奴隷解放に近い感情を味わいました。いちご農家だった30年近くは、ほっとする時間がなかったのですよね。ずうっといちごに追われているような感じで。いちごの苗からランナーというつるがしゅるしゅると延びてきて、それにからだじゅう巻きつかれているような感じと申しましょうか。それは博多に別居していても、たえず気になってました。信じがたいことに、うちの親は、二週間に一度は必ず私を家に帰らせてましたから。こどもをつれて帰っては、いちごの作業の労働を手伝いました。そのきつさは、やった人じゃないとわからないですよね。いまでこそ、自分は親にかなり異常に従属していたということが見えますが、当時は、それが自分にとって、普通のことでした。今も、その延長線上で生きているところがあります。

夫が、佐賀へ単身赴任をして、それでようやく、自分達の結婚生活の異常さに遅ればせながら、気がついてきた次第です。「サンダルとトランペット」を書いてのちも、実質はなにも変わらないのではありますが、それでも、おかしいということだけは、わかります。その原因は私の家族関係にあるんだということも。

農業は、家族で営むものだから、どうしてもそうなってしまうのです。でも、夫はそうじゃありません。かれは、ちゃんと働いているのです。外には七人の敵をもっているかもしれない。そんななかで働いているのに、家に帰れば奥さんがいつもいつも実家実家と言っては子どもをつれて帰るんでは、気が休まる暇もなかったでしょう。いまはこうして、時間も余裕ができましたので、そういうことも見えるようになりましたが、当時は育児と生活と農業とでめいっぱいでした。その上、夫と父の男としての文化的差異にとまどい、何も見えず、いらいらばかりがつのりました。

これはまったく表面にはでないことですが、いちご農家のひとの自殺はおおいのです。2年に一人は亡くなっていたから。あまり書きたくはありませんが。

「海猫」という恋愛映画を見て、そういう文化の違いによるすれ違いの悲劇をしみじみと感じ、こころうごかされました。まだまだこの世には、ことばになっていない世界が、たくさんあるとおもいます。そういう世界は、金輪際ことばにしないほうがいいのかもしれません。

夫と私にお墓がみっつ。これをこの先、どうやってもりしていくのでしょう。

たらおさ

八女ではお盆にだけ食べるといっていい料理があります。たらおさの煮物です。

たらおさというのは、こういうもんです。http://www.oita-press.co.jp/oitaippin/taraosa.html

たぶん、鱈長と書くんじゃないかと思いましたが・・腸→長としゃれたんじゃないかな。

むかしむかしの小学校でのお便所掃除ブラシみたいな。またはゲド戦記の竜みたいな。笑

俳句をやって何にいちばん驚いたか、それは鱈が冬の季語だって知ったときでした。なしてーなして夏じゃなかとー。って、しんからたまがったとです。

さかなに縁のうすい土地で、なぜか知らんけど、棒鱈とかたらおさが重宝がられたのですね。

それにしても、たらおさって高価ですねえ。二千円しました、便所掃除ブラシ二本がですよ。笑

んで、料理に見事しっぱい。せっかく三日三晩もかけてもどしたのに、うまく炊けなかった。とほほ。来年はうまくいきますように。(大なべいっぱい炊いてた。もったいないので母が味を足して温め直したら、やっと食べれた。味がしみてなかったのですね。最終的にはおいしかった!)たらおさ、春に母が作った干し竹の子、ざりがにおっちゃんの作ったごぼう、買ってきた里芋とにんじん、こんにゃく。それらを切って軽く炒めて、干し椎茸をもどしただし汁を入れ、味付けは酒、さとう、しょうゆ、みりん。

お盆に作るもの、ほかには迎え団子と送り団子です。これはお供え用。戸畑でも作りますから、全国共通かも。

えーと、ほかには、筑後地方だけあるみたいですが、七夕に、七歳の子に「七夕すいか」というものを贈る風習があります。ことしは若松すいかをいただきましたが、とても大きくておいしかったです。ちなみにうちにはだれも七歳の子はいませんが・・。

 鱈胃(たらおさ)をもどす臭ひもお盆かな   恭子

 とし守るや乾鮭(からざけ)の太刀鱈の棒  蕪村

2006年8月14日 (月)

張形としての俳句(その五)

 現代俳句と女たちー張形としての俳句(その五)

      九州俳句誌143号(平成18年夏号)掲載

                  姫野 恭子

 昭和三十年六月、滋賀県琵琶湖北、今津町にて夫二児と別る。―

 山田みづえ第一句集『忘』の書き出しだ。はや十年近く前にもなろうか。石橋秀野顕彰俳句大会が八女で興行された折、八人の選者の一人として東京からおいでになり、講演をなさったのを昨日の事のように思い出す。

 山田孝雄(よしお)という国文学の泰斗を父に持つこの俳人は、小柄ながらも背すじをしゃんと伸ばし、まず御自分の俳句の出発点から隠す事なく語り出された。強い響きの声であった。

 私は子ども二人を婚家にのこして夫と離縁しました。そのことが自分を俳句へと向かわせました。師石田波郷から「秀野を書けるのはあんたしかいない」と言われ、秀野の句に横っ面を張られるような衝撃を受けて、書いたんです、石橋秀野論。―

  生きて秀野に逢ひたし風の吾亦紅   みづえ

 死を前にした秀野の二十句余りの作品が放つ一分の隙もない生の輝き。それに魅せられた者は、なまなかな覚悟では句に対(むか)えなくなる。

  ふくろふの眼ひらく音や雪の檻   みづえ

  底冷となる憎しみや火を落す    〃

  雪卍うたてや子らを置き去るか   〃

  荒梅雨や抱きて噎ぶ膝頭     〃

  夏袴父をいたはる母羨(とも)し     〃

  野分すや鏡中に放つ泪顔     〃

 『忘』の序文は波郷が寄せている。

  「よく表現が大切か内容が大切かといふことが論じられる。本来不可分で、いづれをより大切とすることはできないが、俳句は強いて何れをといへば、私は表現と答へたい。」

      (序  昭和四十年  石田波郷)

 そうして、次の二句を採り、俳句表現の面白さは散文訳できるものではないとも説く。

  麦こがし煩ことごとく噎せかへる  みづえ

  「雨(あめかんむり)」のごと時雨来るなり坂の上 

 山田みづえの句は、石橋秀野の毅然とした韻律を更に厳しく調律した印象で、女らしい華やぎや色を放つ事を自らに固く禁じているのが見える。「煩ことごとく」の煩(はん)など漢語を遣ったり、初めて目にするような語が混じっている句を読むと、辞書を編むのを生業とする家に生い立った作者の負っているものの大きさ重さが実感され、胸が塞ぐ

  白桃や弱音を吐かば寧(やす)からむ  みづえ

  時雨大路かたまり渡る修道尼    〃

  爽やかに乳房の創を二つ持つ   〃

  愛慾に似し句歴なれ花八つ手   〃

  おのれ賺(すか)すに梅雨の蘖もてあそぶ   〃

  女の中の女疲れや日向ぼこ     〃

  荒鵙をよろこぶ血汐かくし得ず    〃

 梅雨の蘖(ひこばえ)の句、意図せぬエロチシズムがあるのは、「賺(すか)す」という俗語のせいであろう。

 昭和四十年の句集に表現された女性の生。離縁による不幸が、俳句という魂の張形を求める。それを著者はあとがきにこう記す。

 「この短く美しく、不思議な魅惑に満ちた十七字の詩、俳句。早さ、重たさ、勁さを持ち、ひるがえるような調べを醸し出す魔もの、伝統と言霊のしろしめす俳句に、心を澄ませ、熱を出し、緻(こま)やかにつき合ってゆく。」    

  

2006年8月13日 (日)

魂迎え

魂迎え

戸畑の高峰霊園です。ここに立つと、くきの海(洞海湾)や若戸大橋などが一望できて、女学生時代、小倉の女学園からいつも見ていた景色と重なり、胸がいっぱいになります。

魂迎え

この少年は次男であります。さっさと一人でいっちゃうのですね、最近は。笑

魂迎え

毎年、夫とその母と、このところは次男と私の四人で霊園を二つめぐり、たまむかえをします。これは午後五時近くですが、まだ日が高くてとっても暑かったです。でも夕暮れですと混雑するので、いつも早めに出かけます。うっかりライターを忘れて、お線香に火をつけられず、困っていたら、近くのお墓の人が貸して下さいました。「これもご縁ですから」とおっしゃって。ありがたかったです。(姑がいうには、元戸畑市長さんのご家族だったそうです。どうもご親切を感謝いたします。)

2006年8月12日 (土)

矢部川

矢部川朝、軽トラに不要な衣類と本を積んで、矢部川沿いにある○○紙業まで出しに行ってきました。その途中、宮野の生目神社の手前のほうから写しました。

 ここから見る矢部川はきれいです。川が大きく蛇行しているのが見えて。近くにはべんがら村があります。べんがら村へおいでのときは、一度川べりを散歩されるのもいいかと存じます。

  べんがら村ホームページ:http://www.mfj.co.jp/bengalamura/default.asp

 

草の男

 俳句誌「拓」(長崎市、前川弘明発行)第14号特別作品  

   草の男

             瀬川 泰之

 ロボットが立ち止まっている砂漠に夏

 菜の花や時々連帯交差点

 冷したトマト艶々と携帯電話

 峠を越え橋を渡って草の男

 牛眠りねむりつづける麦の秋

 無人駅呟くように春から夏

 葉桜の向こうを男横切った

 この人と野いちご摘む恋ではない

 梅雨晴れや年がら年中妻の声

 奇声を上げ老人一団青葉の中

 手と手が触れる一瞬お前も生きている

 グリンピースが弾丸に見える非常識

    留書   「草」   瀬川泰之

 五月六月、木も草も萌えて花よりも何よりも、この緑が美しい。

 この十年来身辺の心配ごとで、俳句することに集中できない日々が続いている。

 この忸怩たる思いのなかで俳句だけでもと、作っても駄作を羅列するばかりである。

 十七歳で俳句と出会いほぼ五十年俳句と拘わっている。

 駄作の羅列であっても、ほんの少しの時間でも、俳句と向き合っている時が、自分に正直である。

 草深い所に生まれ、草深い所で育ち、草深い所で生活している。

 この草の中で俳句する喜びをもっともっと書きたい。

※無断引用をお許し下さい。作品にも留め書きにも非常に胸を打たれました。編集者に感想文を依頼されたことが、有難かったです。こういうのが縁だと思うのです。草の男。トウハクで七夕に聴いたジョー・プライスさんのお話につながっています。

俳句は一句独立、連句ではありません。ならばなぜ、ならびにこだわるのでしょうね。それは俳人自身が時間の法則から逃れられないでいるからです。でもそれでいいではありませんか。

 

2006年8月11日 (金)

アンソロジーと映画

北村薫がすきだ。この人の『六の宮の姫君』には芥川龍之介と菊池寛の深い読み方を教えてもらった。もう一人、芥川の読み方を教えてくださった人がいて、それは千葉の花見川にお住まいの星野石雀さんが隔月発行されてる俳句誌『摩天楼』で長いこと随想「カプリチオ」を書かれていた鈴木助次郎先生である。・・・もう亡くなられてしまったが。

んで、久留米図書館でよく北村薫の文庫本を借りる。こんどはじめて彼の編集した短編アンソロジー「謎のギャラリー 愛の部屋」(新潮文庫)を借りた。梅崎春生の戦争体験を彷彿とさせる猫の死をあつかった一編に涙し、シャーリー・ジャクスンの「これが人生だ」に小学五年の少年の心のナルホドな機微をおもい、阪田寛夫の「歌の作り方」にわらった。(まだそこまでしかよんでいない)。

たしか同様のアンソロジーで読んだ物語なのだった。ー『押絵と旅する男』江戸川乱歩。妙に忘れられず、時々こころによみがえるのだったが、レンタル屋さんで一番たかい棚に置かれた「押繪と旅する男」のビデオと目があった。

借りました。みました。鷲尾いさ子という女優さんがでていた。ごつい名前なのに、そそとした可憐な女優さん。なんともふしぎなあじわいの、魚津の蜃気楼のような(とゆうても、本物をみたことはないけど)映画だった。ときにこういうのって異次元にさまよう感じでよい。でも、やっぱり、原作のあの緻密で抜けられない魔空間めいた香りには太刀打ちできていなかったなあ。言の葉が映像よりも如実にものをかたるのが、文学なんだと改めておもった。

2006年8月10日 (木)

中村マサコ句画集『風の骨・・』

  句画集『風の骨ときどきささりあちこちささり』(星雲社)

        俳句・短歌  中村  マサコ

        絵       山下 達也

                 楯  宏子

これはまた小さくてとてもうつくしい。

こんどは短歌をみていこう。

  車掌まで同じ訛の小さきバス麥の熟れたる村路を走る

  垂れし髪に吸われてつぎつぎに消えし雪われに棲みいるつね冬の人

  そばかすだらけの晩年もよし白と名づくものへの憎悪ながくて

  曇天へカラカラと嘲い去った巨鳥のこと白痴の少女のよくする噺

  疲れやすく片目をすぐにあかくする青空犯しビルふえる日々

  放ちやりし小禽とらえんと空に開く鏡は蒼き空をうつして

  ヘッドライトに曝されて絶つ傷口を舐めいるごとしと指摘されしよ

  複数への葬送曲は奏でられる茶房の隅でのしずかなる喪あけ

  吾の愛にかかわりもなく降りてくる風荒き日のあかき壁土

  歩幅のろきを振り返りては待ちくれしあなたも富士もさようなら

ちょうど十句、これだけだ。これらのうたにある繊細でしぜんな「うたをたくらむこころ」。それは作為というにはおおげさすぎる。白秋の感覚に通じるものがはっきりみてとれるのが、まず片目をあかくするうた。壁土のうた。白痴の少女のうた。白を遠ざけ恋うるうた。きづくのは、このころの作者にはまだ季語への目は開かれていなかったことだ。若き日の習作だという。・・わたくしには、しるすべきことばがない。だけどもなにかをまだここに書きたい。白秋の短歌をしるしたい。手元に久留米図書館で借りたものがある。

  おのづからうらさびしくぞなりにける稗草の穂のそよぐを見れば

  父の背に石鹸(シヤボン)つけつつ母のこと吾が訊いてゐる月夜こほろぎ

  夕されば閻浮檀金(えんぶだこん)の木の光またかうかうとよろめきにけり

  蛙(かはず)鳴くくらき水田の夕澱(をど)み電柱に沿ひて月のぼる見ゆ

  唐辛子花咲く頃やほのぼのと炎天の畝に歪(ひず)む人かげ

中村マサコの若き日の短歌作品が、まっすぐその後の俳句作品へとつながっていく、その芯にあるもの、自然への同化。というよりは、自分のなかの野生をたしかめたしかめして、ことばをつむぎだす作業をしなければおれなかった。それは白秋のもつ野生とおなじものだ。

さて、この小さな愛らしい本には、数枚の絵が掲げられていて、その絵を描いた人の一人をわたくしは知っていると思った。楯宏子さん。たしか、十年ちかく前、博多へ、西宮は甲子園の前田圭衛子先生が連句を指導にみえたとき、一度だけ同座したことがある。俳人はるのみなとさんのご紹介だった。藤崎の神社近くの西公民館だったと記憶する。(ほかには鍬塚さとこさんや森山光章さん、貞永まことさんがいらしたかもしれない。)まさに句の感性も絵と同じく澄明でロマンティックだった。詩的だった。・・でも知らなかったなあ。画家だってこと。中村マサコ氏とも一度、八女の堺屋で連句を巻いたっけ。あさよさんとは結構、ファックス文音で巻かせてもらったから、旧知の人みたいに感じていたけど、まだ一度しか会ったことはないのであった。(私的なことですが、岐阜の斧田さんとも、まだ会ってはいなくて、一度お会いしたいとずっと思っている。)

もう一人の画家は、紹介をみると、もう亡くなっている。54歳ほどで亡くなった坂本繁二郎の弟子である。「言葉ありき」「樹からのことづて」「喉より水仙花」の三作が収められている。「樹からのことづて」は繁二郎の色彩を連想させる。喉より水仙花ーこのタイトル。抽象性がたかく、みていて、ちょっと苦しい。重い。色調が、ついこのあいだ見てきた伊藤若冲の最晩年の鷹と松の図のように、簡素である。そういえば、この土の色、アースカラーは、昨日とりあげたもう一冊の『左手の約束』表紙の写真とも通う。あれは、装丁家の高橋善丸氏がご自宅の庭にできたひびわれを面白く感じられて、写真にとられたものだという。

こういうひびきあいにきづくと、おのずと縁のかさなりあいがみえてきて、句集を一冊だすことのシンフォニー的意味合いが、うれしく、ここにあらためて祝辞を申し述べたくなった。

はじめての句集出版、二冊も、おめでとうございます。みんなから祝福されて、お人柄がしのばれます。わたくしのようなものにまで、ありがとうございました。

最後に、引用をはばかった句がひとつあって、それは以前、連衆誌で見たときから、わたくしのなかで強い忌避感がある句なのだが、今回もとうとうここにとる気になりませんでした。お許しください。

  

  

                               

2006年8月 9日 (水)

中村マサコ句集『左手の約束』

美しい中村マサコ句集を今日あすと二冊読みます。

「左手の約束」  詩遊社刊

この句集は、倉本朝世さん(川柳家)がご主人と二人でやっておられる出版社・詩遊社から出版されるということで、去年から朝世さんが編集作業をなさっていたのを存じ上げていた。昨夏、朝世さんがその件で九州に見えた時には、私もちょっとだけ柳川駅で朝世さんにお会いし(初めて会ったのです)、駅構内のミスドで編集途中の句稿を見せてもらったりした。「この句いいでしょう。この茗荷村の句」とあさよさんが言って、「ご本人はそういうのはわからないっておっしゃるのよ」と見せてくれた。「え、どれ。うん、いいね。筑後は荒神とか結構まつってあるから、実感あるいい句だと思う。」「ね、そうでしょう。これ、見出しに使おうかな」・・彼女は大変そうだったが、とても楽しげに句稿の束と筆記具を仕舞った。そのときのやりとりが、ちゃんとこうしてモダンな句集になって収まっていることを見て、一人の俳人が句集を世に出す意味と、編集者と作者との運命ともいえる紐帯に思いを馳せた。

そんな風にして、倉本がかなりの数の作者本人の自選句リストから句を更にしぼり、章だてにして見出しを付けて編集したのが、『左手の約束』となって結実したわけである。私の聞くところによれば、中村マサコ氏が句集を思い立たれてから、かなりな年月かかったようだ。しかし、それだけの内容のものができているのではなかろうか。

中村マサコ氏を私は大牟田の俳人谷口慎也先生の出されている俳句誌『連衆』で知った。倉本朝世さんもそうだったのじゃないだろうか。朝世さんはマサコ句のファンだったそうである。好きな俳人の句集が自分の思い通りに編集できるなら、本望だったに違いない。その意味では、これは中村マサコ句集であると同時に、倉本朝世句集でもあろう。

   ゆるめてみる

 前略の豪雨となりし春の土   中村  マサコ

 黄砂くるすこし左手ながくして      〃

 ベビー帽置かれし土のおちつかぬ   〃

 横たわる高さが好きな春霞    〃

第一章冒頭の四句。一連の句を「ゆるめてみる」という見出しでくくる手のやさしさ。

ここではからずも倉本朝世の『硝子を運ぶ』が同様の構成からふっと思い出されるのであるが、たしかにマサコ句の世界は朝世の川柳というには美しすぎる詩的浄化世界と一脈通じるものをもっている。違うのは、季語があることだけだ。その一点の違いは大きいだろうか。

 あざみ剪る玄界灘に膝をつき

 青葉闇だきしめてみるゆるめてみる

この二句、みごとにきまった。色彩ゆたかな日本画の味わいがある。輪郭がくっきりしていて省略が効いているので、それぞれの季語がくっきりとした残像を結び、みずみずしい叙情性を獲得している。

 河口嘶くあなたも眠れぬ刻ですか

 産道につづくは青い麦畑

これらはわたくしの現在取り組んでいる「張形としての俳句」(九州俳句誌連載中)で紹介したことがあるが、そういうエロスや煩悩をうちにひめつつ、とてもうつくしい姿でたっている。ことに、河口の句はわたくしに、福岡から佐賀へ抜けるあたりで目にする、筑後川が有明海へと注ぐ汽水域の独特の風景を連想させる。あの風景はいつ見ても敬虔なきもちにいざなってくれる。黒い砂州から生え出た葦の繁りがずっと続いていて、その葦の足元のすうっと清潔な感じは、印象に強くきざまれる。そう、どこまでも孤独で清潔で、なきたいほどに切なくなる景色。言葉だけがつむぐ抽象的な世界で、ある種のはっきりとした景色を連れてくることができるというのは、才能だとおもう。

   青葉繁れる

 キャベツの結球はじまる頭癈(しい)たるよ

 土壁のすこし水吐く桜どき

 ふるさとは顔に張りつく青葉闇

 青蛙やわらか骨壷まだぬくい

 闇にまた一頭の闇嘶けり

 忘れた頃の青葉繁れる膝をつく

  茱萸うれる黒い運河も熟れてくる

 眼帯のゆるみやすくて干潟に出る

 風の骨ときどきささりあちこちささり

 父の忌の群青の魚立ちねむる

 いのちの灯ゆするぴくるすの瓶ゆする

この中で、青葉闇の句、 茱萸と黒い運河の句、干潟の句には筑後の地霊をはっきり感受できる。北原白秋を生みだした土地のすだま。中村マサコの句には労働のにおいは皆無であるが、古来、地のたつきである米づくりにおいて無数のクリークが穿たれ、それが無意識の風景となってしまった地だ。白秋の薫り高き一節をこの二句から導き出す。

  肥後路より、或は久留米路より、或は佐賀より筑後川の流を越えて、わが街に入り来る旅びとはその周囲の大平野に分岐して、遠く近く瓏銀(ろうぎん)の光を放ってゐる幾多の人工的河川を眼にするであらう。(『思ひ出』北原白秋)

   茗荷村

 かたつむり折檻の音ふるさとは

 梅太るときどき鬨の声あげて

 満潮の扉を閉す亀甲店

 ぎしぎしと骨が鳴る日の蚊柱よ

 草食の腸をもつ憂さ夏畳

 大またに荒神が過ぐ茗荷村

 青いよりほかなし青い虫つぶす

ふるさとは折檻の音。たしかに。実感です。同感です。筑後地方はことに封建性が根強く残っていて、胸がくるしくなります。それと、草食のわたをもつ憂さとは、女としてのかなしみですね。これもどうかんです。あおいむしをめでながらもころすほかないのは、つらく、みじめなことです。茗荷のにおいのほのたつゆうぐれに。

    砒素こぼしあう

 群青の釘打つ春の訣れかな

 空港に膝つき赤んぼ抱きなおす

 柱より柱へ渡るおぼろの夜

 麦の秋家に帰って水を煮て

 さくらさくら鼓膜の海へちるさくら

 もも熟れてうすい空気が啜られる

 ひっそりと砒素こぼしあうぼんのくぼ

 チャイナマーブル転げし畳を荒野とす

 眠たい湾岸百円ライター消して灯して

最後の句の具象のしぜんさ。こんなさりげない句、連句人でも書けそうでかけない。

     はずさない

 双葉なす夫を映して水たまり

 左手の約束だから春霞

 人格と耳掻きをまた見失う

 循環線に乗るむらさきの猫ぞろぞろ

 草餅の指のくぼみを相続す

 けもの語が解る罠です はずさない

 風の貌になる約束を南風の中

 命終の枕につづく麦畑

 うす紅の骨とおもえりきさらぎは

 雪こんこ手足ひろげて落ちるなり

 手に掬うのみの光となりにけり

風の貌になる約束を南風の中で誰とかわしたのだろう。双葉なす夫・・か。

引用をしながら、だんだん、なにもなにも、ことばを吐きたくないとおもった。句の世界に完結しているものがあるからだ。

  中村マサコ  1932年福岡県うまれ

           1982年「天籟通信」ほか三誌を経て

           2006年現在「国」「豈」「九州俳句」同人 

    共著に「現代俳句の女性達」 アンソロジー「俳句百景4巻」 

    福岡県久留米市在住  

2006年8月 8日 (火)

さぁ帰還

 大量の男根積んでさぁ帰還   渡辺隆夫

いただきものの句集がたまってきました。少しずつ全部ご紹介いたす所存でございます。まずは、昨日いただいたばかりの川柳句集から。

『川柳 黄泉蛙』渡辺隆夫著ー蒼天社刊より。

 核家族から核を接収する国家

 拉致拉麺脱北レーメン夜鳴き蕎麦 

 ラーメンとイケメンの相互不可侵

 流木を神と見るか世紀と見るか

 府せの流木は脱北者だと思う(府せで俯せと読めるのか?)

 ミナミのママが脱北の仕掛人

 仰向けの流木はママだと思う

この流れるような句のでかた。スピード感があって、疾走感があって、作者本人も読んでるわたくしも、すこしもものをおもわざるままに、句の雌伏を私腹を至福を感受し、意味より先にそのリズム感をきもちの良いものとして受け取る。

 国思う禁止の煙草吸いながら

 へリ飛来フトンを叩くこと一分(芭蕉の面影が一秒)

 ベランダマンをパンパン叩く隣の嫁

 飛行機のように電車も突っ込んだ

 煎餅のような遺体だナンマイダ

毒で切り込み遺族の感情や加害者の痛みにはこれっぽっちの配慮もしておらぬ。そこがまさにその一点が、川柳人の気骨である。わたくしはこれを読んでここにいちばん感動をおぼえた。これをやりおおせるには、なんて偉大な勇気とど根性がひつようなことか。

これは由緒正しきオッサンのラップである。

冒頭に置いた句だが、最初思い込みのはげしい俳人は「大根」だとばっかりてっきり読んでた。何でまた大根をーと思ってよくみたら、男根だった。笑

自衛隊の帰還のことでありますね。それをこういうふうに詠む芸は、さすが川柳家だと思う。

「水際に兵器性器の夥し」(作者名どわすれしました。ごめんなさい。) という、有名な無季俳句と並びおかれることで、その位置を不動のものとする川柳だと思いました。この句の延長線上には、なぜかロボットによる代理戦争までが連想され包含され、わらいのあと、暗澹たるきもちになります。

鹿又英一の連句的序文、繊細で詩的な吉田健治の跋、が川柳の読み方がわからないものにも丁寧な解説となっている。じっさい吉田健治の跋を読み、同じ作者の前作「亀れおん」を引っ張り出してきて、松林尚志の序文を改めて読んだりしました。

 憚りながら母は早メシ  隆夫

 母なくして水母空母は生まれない    隆夫

 (空母ゆく億の水母を従えて  倉本朝世)

 お夏オナニー清十郎はせんずれり  隆夫

 バネが発情してどうするんだ    隆夫

 (死んだこころをどうするんだ忘れたふりして覚えてんだろ えーっとだれだっけ。歌のカシなんだよね)

はばかりながらの母句ですが、トイレに座ってまでメシをかっくらってるせわしないおっかさんが浮かびませんか。それでちゃんと頭韻まで踏んどるからすごい無意識の芸。阿頼耶識の域にとうたつしておる。それと、これだけは書いとかなきゃ。この私でさえ引用をはばかるような卑猥な俗語をたんまり使った句がいくつかあって、ちょっとうれしい。昔はけっこうあったよねえ。今はみんなお上品になって、そういうスラングは絶滅してしまったけど、まだあるんだ。この間うちの田植えのとき、通りかかった隣村のファットなおっちゃんが、忘れたけどとびきり卑猥な冗談を言って自分で受けていたのを見て、「おおまだこんなんがおるんかー」とひそかにこころがふるえたのでした。えろいことばって、人を怒らせるだけじゃない、元気にするね。それと、引用句の「せんずれり」ということばは、こどもが小さかったころバスに乗ってて、その落書きを見て大きな声で「おかあさん、ねえねえせんずりってなあん」って。静かな車内が一瞬凍りついたのはいうまでもない。そんだけ威力があるってことは、原始的な力がそこにあるってことで、そういうのを非難にひるむことなく書くとこに、わたなべさんの真のえらさがあるとおもいました。

 手を振って落ちてくるのはお父さん   隆夫

 お父さんはお母さんだった    隆夫

  ぼくはただ水に映った父と母   野間幸恵(句集「WOMAN」所収)

ここまでくれば、哲学的で深い森です。でも、いいたいことは、確実につたわります。

著者紹介:渡辺隆夫 1937年愛媛県うまれ 1995年第一句集、1998第二、2002第三、2005「渡辺隆夫集」発行。神奈川県在住。

 

 

立秋

毎年のことながら、広島原爆忌、立秋、長崎原爆忌・・とつづくこの流れには、なんともいえない無常感を感じる。神が俯瞰する視線での考えられうるもっとも効果的な音楽とでもいうべき流れ。もっとも美しい音楽は、もっとも悲惨でおぞましく苦痛にみちたものを裏に秘める。強く輝くひかりは、真の闇をだく。

風立ちぬ。いざ、生きめやも。(これはほんとは文法的に完全な間違いだそうです。いきめやも、というところは反語で、なんで生きるだろうか、いいや生きはしないという逆の意味になるらしい。いつかれぎおんで川野りょうそう先生が書かれていた)。こういう有名なフレーズが、よおく吟味すると文法的間違いだったということに、感動を覚える。同じく、自鳴鐘の俳人でかつて現代俳句協会長もつとめた医師俳人故横山白虹の「ラガーらのその勝ち歌のみじかけれ」の「けれ」もほんとは「かれ」が正しいようで、でも、感性的には圧倒的に間違いの方の「けれ」がよく、こういうところは実にふしぎなところである。ほとばしる水のいきおいの前に、文法はあっさりなぎ倒されてゆく。

西日本新聞を心配している。以前、反創価学会派乙骨正生氏への下品な個人攻撃本の広告を、第一面に打っていたのを見たときから、心配していたことだ。否、それより前、平成15年秋、私が初めての本を出したときの扱いにも疑問を感じていた。記者が自分では本を読まず、八女の文化人に取材して、その人の意見でもって私の本を黙殺したのだ。四年もかけて書いた自分の命とも思える本を黙殺されて、しんじつ悔しかったが、それは自分の横着な性格に起因することを重々承知してもいたので、諦めがついた。しかし、今日の朝刊に全面広告の創価学会系雑誌を再び見て、暗澹たる思いをどうしようもないでいる。

金がすべてか。

参考:六月一日付かささぎの旗「乙骨一族の骨」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_1949.html#comments

   六月三日〃「塩を贈る」

  原爆忌もつとも遠き黒鍵鳴る    恭子

2006年8月 7日 (月)

夏の夕暮れ

夏の夕暮れ

夏の夕暮れ

夏の夕暮れ

座布団干す

座布団干す初めてこのちさいサイズの写真ができた。うれしい。偶然とはいえ。

いまごろ、夏物と冬物ざぶとんの入れ替えをしているのであった。

こんなに十何枚もいるのか!と思いますが・・ざぶとんしかり、その他もろもろ、我が家は「過去の遺物」で占領されていて、せっかく広いイエなのに、でっどすとっくのため人間様はかわいそうな目にあわされるのです。なーんにもないちさい家に住みたい。

2006年8月 6日 (日)

築港の李さん

二十七歳のころ、博多保健所で一人の美しい韓国人女性と知り合った。定期的にある赤ちゃん検診で、男の赤ん坊を抱いた彼女がいつも私の後ろだったので、自然と話をするようになる。思わず目を奪われてしまうような、魅力のある女性だった。

私は当時、仕事はしていなかったが、近所の中学生数人の家庭教師をしていた。こどもを寝かせて、あるいは胸に抱いて授乳しながら、ともかく私なりに働いていた。この仕事は、那珂にいる間、ずっとやっていた。仕事をお金を得る為の行為とするなら、これはそうだ。でも、それ以上に、こどもがすきだった。(独身時代も八女から天神まで通勤して、帰宅したあと、塾をしていた。週に二回。)

保健所で知りあった女性は金本さんという日本名だった。でも、私の中では李さん。ある意味、私は彼女にホレていた。だって本当にきれいだったから。互いの家を行き来するようになり、家庭の事情も見せてくれた。というか、築港の彼女の婚家に行ったとき、見えてしまったのだ。築港本町というところは、今でこそ整備されて美しいが、当時はまだごちゃごちゃしたところだった。海のすぐそばで、彼女はとれたてのキスをたくさんてんぷらにして、ご馳走してくれた。後にも先にも、あれほどおいしいきすを食べたことはない。日本語はたどたどしかった。日本へ来て二年もたたないようだった。在日の夫とは見合いで結婚したという。そのご主人もとても美しい人だった。ご主人の母上との同居だったが、或る時訪ねると、彼女がなにか激高してハングルでそのおかあさんに対っていっていた。どうしたんだろうと思ったが、すぐに冷静になり、私にちょっとね、といった。言葉がスムーズに出てこないと、いろいろ大変だろうなあと同情した。

彼女とは赤ん坊を連れて、近くの図書館に絵本を借りに行ったり、私のアパートへ来て韓国風キンピラゴボウを作ってくれたりした。韓国では兵役があることもその彼女から教えてもらった。英語が上手で、四年生の大学を卒業していたが、高卒で日本のお金持ちの夫と見合い結婚した・・というような話だった。こう書けば、ひどくドライな感じだが、彼女が言うと、そうは思えなかった。ひそかに夫の過去の恋愛について心をいためているようだった。何かを見つけたらしかった。はじめは言葉がわからないのが、段々わかってくるにつけ、気になりだしたという。たぶん、昔つきあっていた女性からの手紙か何かを見たのだと思う。誰も相談する人もなく、かわいそうに思えて、私は精一杯想像もまじえて、ご主人をかばった。心配しなくて大丈夫、昔のことは全然関係ないからといって。

そんな風にしてつきあっていたけど、それから検診も間遠になるし、何かの事情で疎遠になってしまった。いつか、電話がかかってきて、ご主人とはうまくやっているといい、お礼に夫と出てくるからという。私はそういうのが妙に苦手で、ドアでチャイムが鳴ったのに、なんと居留守をしてしまった。

きっと、差別だと思われたかもしれない。でも、ちがう。そういうんじゃない。説明しにくい。これ、私にしか分らない感情だとおもう。あれっきり、別れてしまったけど、ときどき、彼女を、あのころのままの姿で、恋しく思い出す。

費え覚え

新婚時代は毎日こくめいに家計簿をつけていた。スーパーのレシートもきっちりと余白に貼り付けて、十年近くは付けていたと思う。でも物価モニターをやるときには便利だったが、あまり意味がないように思え、二度目の引越しのときに、それらをすべて捨てた。

きのうの続きである。十万円では生活できないことにやってみて気づく。私はそれまで寮生活の経験が一年ほどと、短大時代に友達と二人で自炊生活を一年半やったことがあった。だから、なんとなくやれそうな気がしたのだが、夫のお小遣が予想外にいることに気づく。営業という仕事柄、交際費がいるのだった。お弁当をつめて、米野菜は実家からもらって、買い物は二日おきくらいにして、二人の食費はそれでも月に最低三万はかかった。夫へ三万、食費が三万、家賃が四万、新聞代や公益費で一万円ーでは、あとのお金がない。それなのに夫は、時に付き合いでゴルフや接待やをしなければならないのだった。一回行けば、一万五千円。(今なら分るのですが、接待には風俗絡みの接待もあったようです。-そのたびにいちいち傷心していた。ばかみたい。)

働くことにした。結婚直前やっていた幼児英語教室の先生をやった。事務所は博多駅前にあって、そこから福岡市内の幼稚園や個人宅へ派遣されるパートタイマーだったが、絵本教材とネイティヴのテープが付いており、楽しかったし、子どもは可愛かった。それにお給料もとてもよかった。当時で一時間千五百円だったから。交通費も全額出た。

そうしているうちに、妊娠にきづく。生理かと思うような出血が遅れてあって、へんだなと婦人科へ行けば、妊娠八週目で流産のおそれがあるといわれた。そこで、思い切って仕事をやめる。いまにして振り返れば、半年くらいしかこの仕事は出来なかった。自分の意識のすべてが、はじめての出産に向けられてたような気がする。新婚時代の記憶はほんとうにそれしかないのだから。

結婚して一年後、無事に娘がうまれた。・・なにものにもかえがたい感激だった。夫も私も27歳だった。

当時のお給料っていくらだったろう。結婚当初は、入社後三年くらいで手取り12~13万円くらいだったと思う。保険とかいろいろ引かれて。毎年ちょっとずつあがって、子どもが生れたら育児手当とか付いたけど、車を買ったりガソリン代がかかったりして、毎月家計は苦しかった。でも、ふしぎと助けられて、どんなときでも、なんとかなった。余りはしないけど、足りないことは、なかったから。実際、毎月赤字だったけど、貯金から借りたりボーナスで補充していた。ぜいたくはしないし、毎月、項目ごとに予算を封筒に振り分けてちまちまとやった。それが私は結構たのしかった。もう、できないけど。

一度、二人目が生れたころに、子どもを預けて働こうと思ったことがある。教育費が気になったから。福祉事務所に行き、保育園のことを尋ねると、映画の「市役所の星」じゃないけど、「あなたはすでに働いておられるの?そうじゃなければ、預けることは出来ませんよ。おかあさん、こどもはせめて三歳まではご自分でみられたらどうですか。」ーなどといわれ、そうなのかとすっかり信じてしまった。だって、預けられないなら、働けないでしょう。ほかのみんなは、どうしていたのだろう。

交渉の仕方が、あったのだろう。私の世間知らずだったのだろう。余りお金がないこと以外はとても幸せな年月が賑やかに流れた。・・そうそう。クーラーが買えずに、親子でこんなに暑い熱帯夜には、車に乗って、あちこちウロウロしていたものであった。しばらくたつと子どもがスヤスヤと寝入り、それでやっと家に帰ったものだ。西日がもろにあたる部屋の前の通路に、打ち水をしたり、朝顔を沢山這わせて日覆いにしたり。なつかしいなあ。いまにしておもえば、貧乏は楽しかったし、すべてが若かった。

  

2006年8月 5日 (土)

十万円

『生きて死ぬ私』(茂木健一郎)にこうもこころ動かされたのは、書かれていることが、森羅万象すべての領域から私的な記憶まで、自分のこころの赴くままに筆が走っていて、その視点には深みと優しさと希望があったからです。今までにないタイプの学者の文章だと思いました。いまの自分がほっとできるのは、こういう文章なんだなときづきました。偏っていない。総合的でありつつ、一天を仰ぐ求道心があります。とてもきもちがいいです。このきもちのよさは、マリオットの盲点のアッサムさんの世界ともどこかでつながっているようです。

昨夜いただいたコメントに答える意味もあり、セルフカウンセリングみたいに、自分の結婚生活を振り返ることにしました。

昭和56年春にけっこんしたのですが、ハカタで暮らし始めたとき、夫がわたしに渡してくれた生活費は十万円でした。白い封筒に入れられたそれを持って、家賃3万八千円の2DKで、どうやってしのいでいけるだろうかと不安でいっぱいだったのを覚えています。

2006年8月 4日 (金)

サンダルとトランペット 2

あれから、茂木健一郎の『生きて死ぬ私』(ちくま文庫)を三日で読み、ふしぎに満たされ、勇気がわいてきて、きのう、もういちど、佐賀へ、夫の部屋へ、行った。(ほんとうは、たまっていた半年分の上下水道代を支払いにいったのだが・・基本料。)

夫とは、子どものことで相談することがあったので、月曜日に電話した。声をきいてすぐ、分かった。悪かったと思っているなあと。だから、もうなんにもきかなかった。

一階の事務所で水道代を支払い、エレベーターを上り、部屋の前に立つ。すぐ近くの「どん3の森」のクマゼミの蝉時雨が、しぐれどころかどしゃぶりの雨並みの力強さでのしかかってきた。このあいだも聞こえていたのだろう。

鍵をあける。

先日、女もののサンダルがあったところに、あの日私が夫に買って持って行ったサンダルがあった。鼻緒のところが痛くないように、内側に柔らかい皮がはってあるの。(夏物バーゲンで千円だった。)

ほっとして、上る。ーでも、また、すぐひるむ。

ふとんがふたつしいてある。しかもクーラーがつけっぱなし。

ガーンときて、打ちのめされる。彼女と住んでいるのかな・・

冷蔵庫をのぞくと、ビールがあったりしたが、女っぽいものは何もない。夫はアルコールが一切飲めないが、友達や後輩がきたときのためにいくらかはいつも置いていた。焼酎とか酒も流し場近辺にある。

掃除をして食糧を買って、何か作ろうと思っていたのに、すっかり心乱れて、もうなにもしないで部屋を出た。

来た時よりずっとみじめな気分。あたりの景色も目に入らない。こういうときに限って、信号信号で停車しなきゃいけない。三つめの赤信号で止まったとき、麻場利華さんが送って下さったアストロリコのタンゴのCDを思い出し、それをボリュームいっぱいに流した。

四曲目のレクエルドのところで、なぜか涙がこぼれてとまらなくなる。ただただかなしかった。そのまま感情の放出に身をゆだね、なみだがながれるままにして聴いていた。タンゴがからだにしみてこころにしみた。どこをどう運転したろう。一度も通ったことのない道を走り、背振山脈の脇道に出ていた。途中になんとかクリーク公園という珍しい標識が見えた。いっぽんの道の片側にだけ、街路樹がずっと整然と続いていて、その上にはひきちぎれた入道雲の一片が浮き、とても感情をかきたてられた。その感情がなにかはわからなかった。

ふと、夫はいまごろ、汗を流して仕事をしているのだろうなあというおもいがわいてきた。家族のために。わたしたちのために。

そうしたら、遊んでいる自分が、申し訳ないようなきぶんに、だんだん、なってきた。なってきたけど、このあいだからのことがまだ残っている。道に車をとめて、夫に、仕事中ではあったが、思い切ってメールを送信した。

  単身赴任をやめて帰ってきて 愛人とは暮らさないで 死ぬけ

さいごのことばはおどしだったけど、つい書いてしまった。こういうことばが、すなおにでてくるのが、自分でもふしぎだった。きっと、タンゴ効果なのかもしれない。

おりかえし、電話があった。

  愛人とかおらんちゃ。だあれもおらん。おまえの妄想にはつきあえん。女はお前一人でこりとるわい。結婚も一度でけっこう。きのうはまっちゃんがきて、とまったんよ。

ほらね。これですうっと気がはれた。

つくづく、人間って不可解だなあ。ひとはパンのみにて生きるにあらず。夫婦は性のみにて成り立つにあらず。

さっきの本に書かれてあったのだけど、自然界のものいわぬものたち、かぞえられないものたち、ことばになるまえのおもい、無数の無意識が、こころをおもいのほか穏やかに統率してくれている。それをいつもわたしもかんじている。

2006年8月 3日 (木)

課題句「魚」

 課題句「魚」  『樹』8月号より

      太田 一明・選

特選

   魚棲めぬ郷川となり草矢とぶ  井上 ちかえ

   海の家魚の家を借りている   阿部 禮子

   雲海を抜ける金魚のペンダント  小森 清次

佳作 

   蠅生る松の実生の魚箱に     木村 賢慈

   足萎えの魚匿まふ蚊帳釣草   姫野 恭子

   颱の眼の中魚拓が泳ぎだす    堀井 芙佐子

   夏風邪に魚の擂り身のほの白し   依田 しず子

   高級魚となりし鰯や海明ける     宮川 三保子

   墨匂う魚拓の目玉梅雨明ける    佐藤 綾子

  魚屋の松ちゃんの嫁水を打つ     広重 静澄

  懸命に稚魚留まりて五月川       澄 たから

  紫陽花へ泳がせている干し魚    竹原 ときえ

入選

  夏山や思い巡らし雑魚寝かな    田中 恵

  着信あり眠れる金魚動き出す    林  照代

  白雨かな魚太らせる悪口      鍬塚 聰子

  梅雨寒や店に魚拓と手書きメニュー  神無 月代

  魚焼く大根おろしの付かない日    島 貞女

  過疎の店魚拓の額のかけてあり    太田 つる子

選者吟

  梅雨出水拾った魚が雲になる   太田 一明

主宰吟

  胎内を魚眼で通る青嵐     瀧 春樹

ゲスト吟

  稲光魚棲む淵の深さかな    斧田 千晴 

※斧田さん、この句もすごくいいですね。原爆忌と敗戦日の魚の句は、もし行けたら、ナガサキへ行き、当日句として出してくる。これらもいい句だったから・・捨てるに忍びない。

 九月号「口」

 十月号「飾」

 十一月号「散」 

2006年8月 2日 (水)

しらなかった

今日は、理科をしました。植物のはたらきです。

草木の葉っぱにある「気孔」から、なにが出入りするか、という問題。

こたえは、酸素と二酸化炭素でした。

葉っぱのなかの葉緑素に光があたると、光合成ででんぷんと酸素ができる。だから植物は昼間は酸素を吐き出している。・・というのは、知ってました。常識ですよね。

じゃ、夜はどうでしょう?

夜は、植物も普通の動物なみに二酸化炭素を吐き出しているんですって。これを呼吸というそうです。うわあ、知らなかった!とっても新鮮だった。

知らなかったといえば、社会科の地理。

日本の国土の大きさは、決して小さいほうではないんですね。ヨーロッパの国々と比べたら大きいんだって書かれていて、これにもびっくりです。

2006年8月 1日 (火)

ぼよよんグモがいない

これまでの風呂場はところどころ木で出来ていた。そこここに「ぼよよんグモ」と名づけた(命名者わたくし)蜘蛛が巣をはって蚊や小さな虫を捕らえていた。

それが、いまやどこにも姿をあらわさない。

風呂場の壁、天井、どっこもつるつるで、足がかりとなるものがない。たまに天井が湿けて、そこに網戸の隙間から入ったとおぼしき小さな小さな蚊がへばりついているくらいです。

ちょっと、不安です。くもがいたほうが、よかったような気がします。

追伸:

きょうの夕焼け、ばさらかきれえじゃったけん、ケータイで撮ろうとしたら、昨日、むすこさんがともだちんちに忘れてこらっしゃったけん、うつせんじゃったとです。むすこに貸したらろくなことになりまっせん。・・わたくしのプライバシーはどげんなるとー?

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