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2006年7月13日 (木)

東京 3

8日の午後一時半から上野の国立博物館でジョー・プライスさんの講演会を聞いた。松本さんと湯島聖堂を見て、昼食をお茶の水駅前の高級おふらんす料理店前の庶民的な中華の店(ラーメンたんたんめん冷麺方面の)でゴマ味冷麺を食べ、ちからが湧いてきた所で松本さんは漢詩の会へ、わたくしめは上野へと別れた。

上野駅へおりて横断歩道を渡ると、左右に人波がわれている。さてどっちへいけばいいのか、松本さんが教えてくれたのになんにも聞いてなかった私は適当に左に行ったところ、間違った。

そこらを歩く為に歩いている感じの戦中派のおじさんに道を尋ねた。すると、上野のお山を越える散歩を毎日自分に課している・・とおっしゃり、ついて来なさいと先導して下さった。歩きつつ、ここらは昔、草野球場があったんだよと教えて下さる。なんとなく乙骨三郎のことを思い出し、訊いてみたくなったが、ぐっとこらえた。美術館や博物館や動物園が集中していて、博物館は岡の上だった。館の手前で散歩のおじさんとは別れ、ふと右をみると、何かの行列がぐるりと樹木たっぷりの一角を取り巻いていた。あれはなんだったんだろう。長蛇の列をみることがないので珍しく、最後尾に並びたくなったが、これもこらえた。

時間はちょうど。「若冲と江戸絵画展」だけの入場券を買い、平成館へ急ぐ。なんでというほど中は広い。お茶の水駅でちらりと見えたニコライ堂と同じ屋根の表慶館が工事中で北村薫の『冬のオペラ』中のトリックが確かめられず残念である。

講演はアメリカ人コレクター、ジョー・プライスさんが自身で編まれたビデオを見つつ「どうして若冲の絵に魅かれたのか」を説明されるもので、同時通訳付だった。私の耳で聞いたお話では・・自分はオクラホマで大学の工科の勉強ばかりしてきた。記憶、記憶、また記憶することの繰り返しが勉強の総てだった。或る日、父が塔を建てるのでその設計を父の友人で建築家のフランク・ロイド・ライトに依頼した。こまごまとした折衝を父が私にするようにいう。私は初めてこの高名な建築家と近く接することになる。ライト氏は私にいろんなことを教えてくれた。塔を建てるということは、自然の生きた樹木に学ぶということだよ。草木は、風が吹いても風に撓い、地震がきてもしっかり地面にへばりついている。根っこ、茎、はっぱの一枚一枚がそれを可能にしているんだ。私達はそれに学ばなければならない。自然は神と同じ頭文字を大文字で書くべき存在なんだ。

ロイド氏は東洋美術にも詳しかった。氏にくっついて行った美術商であるとき、誰の絵か分らないがとてもこころ捉える一枚の蒲萄の絵を見つけた。江戸の画家伊藤若冲の絵だったが、そういう知識は何もなかった。ただ、ロイド氏の言った言葉とその絵が自分のなかで一つに重なって見えた。まだ若冲の絵なんて誰も注目しない時代に私はせっせと絵を買い集め、気づいたらおのずから若冲のコレクターになっていた。

若冲の絵は確かに自然の写生だが、具象画とは微妙に違う。装飾的であり、作者の中の審美眼を潜り抜けたものを綿密な配慮のもと、再構築したものだ。自然そのものではないが、輝くような自然のいのちに充ちている。私はそこに涙があふれるような感動を覚えた。じっさい、若冲の絵の何枚かを見て、わたしは涙が自然とわきおこるのをおさえることが出来なかった。私のスポーツカーはすべて絵に消えた。

私はタヒチも愛する。タヒチの自然は生の自然だ。タヒチ女性が化粧もせず、生のままで美しいように、タヒチの自然はそのままで美しい。しかし日本の自然は、人の繊細な手が加えられた美である。日本女性の美もまたそうであるように。どちらも、私には同じ自然であり、どちらの自然も女性も私は愛している。(プライス氏の奥様は昔、氏の通訳だったかわいらしい日本人女性であった)。

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