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2006年7月20日 (木)

部下を庇い連行された小隊長 2

今朝の投稿欄に、今月初めに引用した記事(http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_6962.html)についての反響が載っていました。

 「抑留の悲劇に亡き父を重ね」

         北村 かずゑ(61、熊本市、主婦)

 十六日の「五十九年ぶり涙で握手」の記事のお二人の笑顔に、涙が止まりませんでした。先日の「こだま」(西日本新聞投書欄の名前です、姫野注)の投書に胸打たれ、おふたりの再会を心から祈っておりました。しかし、極寒のシベリア、それも冷酷を極める収容所。小隊長は無事に帰国されたのだろうかと、胸を痛めておりました。

 私の父は五島列島の福江で終戦を迎えました。父の部隊に、仙台出身の星さんという下仕官がおられ、実に部下思いだったため、誰からも慕われていたそうです。復員準備で忙しいなか、その下仕官が、遠く離れた上官に敬礼をしなかったというので軍紀違反に問われ、留め置かれることになったそうです。既に軍隊は瓦解しているのに。

 父が会いたいと言うので、河北新報(仙台市)に問い合わせたり、仙台に旅するたびに調べたりしましたが、探し出せないまま父は逝きました。今回の再会を喜びつつも、おふたりの悲劇が二度と繰り返されないことを祈ります。

 ※この投書を読んで、ハッと気づいて7・16付け同紙を探しましたら、34面に「極寒のカザフでソ連兵から守ってくれた小隊長に礼を言いたい・・」「新潟の男性、筑後の吉山さんと再会」「59年ぶり 涙で握手」の見出しで、肩を組み、手をつなぎあう二人の元日本兵の姿が大きく報じてありました。生きておられたのですねえ!よかったですねえ!あの記事を読んでから、家族とも話したのですが、きっとソ連兵に殺されたのじゃないだろうか・・と。ところが、ちゃんと生還されていて、写真のお二人をそのままご紹介できないのがもどかしいくらい、とてもお若いし、お元気なのです。驚きました。以下、簡単にご紹介します。

小保さんと吉山さんは、旧満州に駐屯した日本陸軍部隊の関東軍13044部隊に所属。終戦直後、旧ソ連カザフスタンのウスチカメノゴルスク収容所に連行された。冬は氷点下40度にもなり靴下は凍って足に張り付くほど。採石作業などの過酷な労働を強いられた。食事はミカンの缶詰に注がれたえん麦のかゆ。栄養不足で仲間は次々に減り、埋葬する際「いつか自分もこうなる」と覚悟を決めていた。

二年目の冬、60キロあった小保さんの体重は40キロに。衰弱した部下を見て、吉山さんは作業を中止させ、体を温めるよう指示した。気温は氷点下39度。監視役のソ連兵の銃を取り上げ、「部下を死なすわけにはいかん。無事に日本へ帰すのがおれの使命なんだ」。連行された吉山さんは准尉で階級が高かったこともあり、特別の罰は受けなかった。

抑留者の引き揚げが始まった翌年の1947年、小保さんら下級兵士が先に帰国、翌年帰国の吉山さんとはそれが最後になった。

小隊長としか呼べなかったので、名前を知らず、「准尉で九州なまり」の記憶しかなかったが、今年、国会議員の口添えで厚生労働省から当時の軍名簿を入手して名前を知る。その後に本紙(西日本新聞)に投稿した。

筑後市の料亭で再会した小保さん(80歳)は「私が今幸せに生きているのはあなたのおかげです」と59年間言いたかったことばを吉山さんに言って感謝した。二人が口をそろえたのは「収容所は生き地獄だった」。「乗り越えるには、みんなが一丸となるしかなかったですからね」と吉山さん(現在90歳)はいって、しっかりと手を握り合った。

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コメント

戦争なんて、いやなこと辛いことがいっぱいのはずなのに、それでもこういう話がちゃんと出てくるのはそれぞれのお人柄なんでしょう。お二人の無事、他人事ならず嬉しく思います。昭和天皇の靖国発言のメモでまたぞろいろんな意見が出るだろうけど、「心の問題」と言われれば確かにその通りだし…。それぞれが一生懸命考えるしかないのでしょう。

そうですね。一人ひとり立場が違うし、背負うものも違います。昭和天皇のご苦労は私たちにはとても分らない次元のものだと思いますし、安易にその発言だけを取り上げてものをいうべきじゃないんでしょう。
とはいえ、最初はえっと戸惑いましたが、それでこそ人間天皇と思い直しました。宗教的には私は合祀するべきと思いますが。
その時代を苦悩して生きた人じゃなきゃ、わからない感情だとおもう。
それと、乙骨一族の戦記三つのうち二つに、紙一重の危機を逃れて運よく生還された体験を書かれていましたよね。あれも、このシベリア虜囚の話も、それからずっと昔に読んだ『宗教時代』(晶文社)にあった危機をすりぬけて生還した人の話も、すべて何か共通する精神を感受します。ことばではいえないけど。神が生かしたもう人は、みな、共通するものがあるようです。新聞で見たお写真のおかお、二人ともとってもいいおかおでしたよ。小隊長って90歳って書かれてましたが、見た目、70くらいにしか見えなかった。笑。
奇跡ってあるんですね。

2009.10/8アンビリバボーテレビ見ました。
小隊長かっこいいです。こんなリーダーだったらどんなことも乗り越えられる。殺させてしまったのだろうと思いましたが生還されていてとてもうれしかったです。いろんな話聞きたいです。長生きしてほしいです。そして若者にご指導お願いします。

アンビリバボー見ましたよ。
今月末、世界各国からの研修生相手に「リーダーシップ」についての講義をするので、講義原稿を思案していたところでした。
心に沁みました。
ところで、収容所があったカザフスタンのウスチカメノゴルスクですが、雪の季節に訪問したことがあります。
生きるに厳しいところです。

アンビリバボー見ましたよ。
90才の小隊長さんが筑後とあったのであれ?と思いましたが、こんな記事があったんですね。
いつも思うことですが、今の人が想像できないような体験しているのに、さらっとしてるところが素敵だなぁと思います。
あのような体験した年代の男の人は、亭主関白で頑固なイメージありますが、違うんですよね。
おとなしくてやさしくて不言実行型の人が多いんですよね。それに今の人よりずっと家事をやる。
自分の身は自分で守ることが身についているので、妻に手をかけさせず身辺を奇麗にしてる。
あの経験してれば戦後どんなことに直面しても柔和に対処できたんじゃないかな?
知ってるおじいさんに聞いた話、戦争から帰ってきて、焼け野原で考えたことは、まず妻と子供にご飯を食べさせなければならないと決意したそうです。
それ聞いて私はうらやましかった。
今の家庭は男の人がそんな決意なんかしなくても何とか食べていけるから結束も愛情も薄い。

シベリア抑留についてはいっぱい本読みました。
すごい話あるんですよ。
俳句は命を救う話もあります。

過去のアクセス解析を今やっていますが、この日、といっても2006年のこの記事をアップした日ではなく、2009年の10月9日に突如としてアクセス数が千を超してます。んで、その日を検索したら、ここへでました。
ふしぎな回路ですね。

小隊長のご冥福をお祈り申し上げます。
ウスチカメノゴルスクの雪原を思い出してしまいました。

ウスチカメノゴルスクの雪原。

景色を見たくて検索しますと、↓が出ました。


ここへ導かれました。
みやこさんはそのまま成仏して天使になったのかなあ。
えにしってすばらしい。
ありがとう。

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