無料ブログはココログ

« アレルギー治療 | トップページ | 田水引く »

2006年6月15日 (木)

『小伝 乙骨家の歴史』刊行

去年、冬至に始めた当ブログの中心にすえた「君が代研究ノート」に、最も多く引用させていただいたのが、乙骨一族の交友誌「円交五号」です。昨年十月、沼津の明治史料館でコピーをとってもらったのは、そのほんの一部でしかなかったのですが、乙骨太郎乙の没年の確認を問い合わせたり、君が代を国歌に進言した太郎乙の真価に気づいてからはその人となりを知りたい旨ご協力を仰いだりしましたので、資料提供者で太郎乙の子孫である永井菊枝氏が手許の貴重な一冊をお譲りくださり、その全貌を知ることができました。内容があまりに公的で、歴史的、文化的、資料的価値を有するものであることに思い至り、全文を書き写してでも広くご紹介をしなければいけないという思いに駆られ、迷わず「本の丸写し式紹介」を小分けしながらこれまでの半年でほぼ終えました。非常識なことだったと思います。しかし、著作権法がどうの、プライバシーがどうのと、そういうことはあまり考えたくなかった。いろんな人たちに知って欲しいし、国の歌君が代について、これまでの狭いイデオロギー論争とは違った視点で、長い日本の歴史の中において真剣に考える核石としたかったのです。

去年、このブログを始めるまえに、自分が以前まとめた俳人の石橋秀野についての研究書と、暦論と題する日本の暦と八女に残る戦国時代の百首和歌のよみを一冊にまとめて出版しようと思っていたのですが、乙骨資料ととりくむうちに、そちらのほうが全然手付かずになってしまいました。何かを始めて熱中してしまったら、ほかのことが全く手につかなくなるのです。でも、いくらなんでも、無責任だと反省しました。天文年間の和歌の読みはブログで紹介すると言うわけにはいかないです。紙に書いたものでなければ、当時の武士たちにも、読みを手伝ってくださった今は亡き先生がたにも礼を失すると思います。

本日、『小伝 乙骨家の歴史ー江戸から明治へ』永井菊枝著、フィリア刊(星雲社)をご恵贈いただきました。手に取り、頁をひらき、内容のすばらしさに驚いております。写真資料や色んな珍しい歴史的資料がたくさん挿入されており、円交五号(君が代研究ノートにほぼ所収)を本ブログでご覧頂いた方々には、それを小見出しとして、あっと驚くような挿話が、奥行のある歴史的事実に照らされて、この中身の濃い一冊のなかに浮上してきます。日本史研究者にとってはこの上ない面白さの必読の一書です。どうぞみなさま、手にとってご一読されますようにお祈りいたします。何もわけのわからぬままに、かくも大きなご縁をいただけましたことに、深く感謝いたします。ありがとうございました。

(ちょっと考えましたことは、乙骨家は清和源氏の流れをくむ諏訪郡乙事の五味氏が先祖とあります。西暦二千年に解読した岩戸山古墳の伊勢社に伝わる西暦でいえば1555年頃の100首和歌を奉納した武士のリーダーの名前が美濃守源鑑述だったこと、なんとなく符牒みたいです。そういえば、先日からコメントいただいたタンゴバンド・アストロリコの麻場利華氏の文章に五味こうすけの名が入ってたのを今思い出しましたが、ひょっとして収斂されていくのでしょうか。同じ時代の同じ地へ。ーこんなこと考えたら、たのしいですね。だれもみな、もとをたどれば、ただ一本の血筋に連なるのです。いまさらながら、人類みなきょうだい・・を実感します。)

この本とご主人の本のご紹介を、またゆっくり致したいと思います。とりいそぎ、乙骨菊枝様、念願の御著書の刊行を心よりお祝い申し上げます。かつてなく、すばらしいご本です。

ざっと一読後、思いついたキャッチコピーを本書に捧げます。

「白洲正子を超えたー乙骨という強靭で無骨な一本の蚊帳つり草」

« アレルギー治療 | トップページ | 田水引く »

コメント

私は乙骨太郎乙の子、三郎のひ孫乙骨真人です。やはりこういった自分自身のルーツには昔から興味ありましたので貴方のブログを興味深く拝見させていただきました。ある程度の歴史詳細は知っていましたが、自分への情報は祖母からの伝えと円交会(最後の円交会は96年だったような・・・)に参加したときの会話や資料だけでしたので新たな発見もありました。また、本が出版されるとは知りませんでした。できれば是非読みたいです。今現在の乙骨家は親戚付き合いが非常に薄いため、他の遠い親戚と会話することはほとんどありません。円交会もよそよそしかった記憶があります。もっとつながりがあれば良いんですがね。。

初めまして。
本当に初めて、あこがれの『乙骨一族』の子孫の方からコメントを頂きました。夢みたいです。笑
私がなぜ、円交五号を丸写ししたかったか、今わかりました。それはきっとあの中には、昔々の懐かしい人肌のぬくもりがある付き合いがきっちりとえがかれていて、いやそうじゃなく、「語られていて」、なんの作為もないからです。乙骨一族は確かに普通の日本人よりはるかに頭がよくて優秀だけど、親戚付き合い、むかしはどっこもああだったよなあ・・と、私は思いながら、書き写したものです。昔って、私の思うむかしは昭和三十年代からですが。子供はもう少なくなっていたけど、ハハや父の兄弟がばかに多かったので、なにかというと集まって、わいのわいの楽しかった。遊びもなかったし。・・と感慨にふけってても、しようがないか。笑
書いてよかったです。いろいろご批判もあるかとおもいますが、打たれる覚悟は出来ていますので。
乙骨真人さま、どうか大伯母様の御本、読まれて下さい。すごい本です。色々本を読んできましたが、こういう内容の濃い、歴史的に価値を持つ本には出合いません。永井菊枝という人は、おそるべき才人です。
(どうも、本はアマゾンから注文できるみたいですよ。知人の歴史の先生がそうされたそうですから。)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/6513/2231962

この記事へのトラックバック一覧です: 『小伝 乙骨家の歴史』刊行:

« アレルギー治療 | トップページ | 田水引く »

最近のトラックバック

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30