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2006年6月 3日 (土)

塩を贈る

五月末日付、西日本新聞一面広告で見た、増補改訂版『「ガセネタ屋」乙骨正生の正体』ー幾度、司法断罪されようともデマを吹き続ける男がいる。― 佐倉敏明著、鳳書院刊、のことがまだあたまからはなれない。

ガセネタ屋だなんてことばは聞いたことがなかった。業界用語なんだろうか。(何の業界?)それに、この文章自体がなんだか奇妙だ。幾度断罪されてもデマを吹き続ける男がいる・・この言い回し、普通はいい意味でしか使わないのではなかろうか。奇妙な感覚がずっと残るのは、そういうへんてこさがこのコピーにはあるからだ。

この「幾度も司法断罪された男」の乙骨正生氏が、たとえここに喧伝されてるように本当にデマを吹き続けているとして、お金も気力も湯水のように使うようなデマ、普通の人間なら一度で十分だ。それを何のために吹くのか、そんなに何度も・・・と思うのが普通の常識ってものだ。どうも並の感覚では考えられない世界のようだ。新聞広告の一面を使ってまで一個人をののしるというのも、なんだか胸が重い。一国の政治指導者とか軍部を批判するというのとは次元が違いすぎる。せっかく大金をかけて宣伝するのなら、もっと生産的な価値をもつ本に注いでほしい。それにそんな胸が悪くなる見出しの本を第三者が買ってまで読むはずがないではないか。発泡酒しか売れないこのせちがらい世の中に。

大体の察しはつく。でも、これはあきらかな失敗だろう。まるでテキを褒めているかのような按配だからだ。ほんとうにへんなの。

それと似ていてちょっとおかしいが、これをご覧下さいまし。

http://www.forum21.jp/contents/03-2-15.html

この中には池田会長の飾らない姿と周りの人々の姿が活写されていて、ほんとうに面白い。どういう風に誌面が作られていくのか、まさに阿吽の呼吸である。ついおかしくって声をあげて笑ったほどだ。乙骨氏はこの文章を論敵を糾弾するために書かれているのだが、意外にもその逆の効果を挙げてしまったようだ。私はこれを読んで、池田会長のほんとうのこわさを思い知らされた気がした。それは会長が「憎めない」キャラクターであるということで、実際にさぞ魅力ある人物であろうなあと伺わせるのに充分であった。あれだけの集団を率いるのである。カリスマとはそうでなければなるまい。

おととい引用参照した乙骨氏の文章だが、あの中で氏は創価学会への人々の対処法を四つに分類されていた。そのうちの二番目に見てみぬふりをする人々というのがある。私はそれだ。だがそれを恥ぢてはいない。むきになって全力をかけて闘うものではないと思うから。それぞれに価値観が違う。命を救われている人も多いのだということも知っている。人の恋路を邪魔するつもりはない。

つまるところ、「正反対はおなじもの」という格言を思う。

どうか、どなたさまもご安全にいきまっしょい。(しょい。)

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