無料ブログはココログ

« 乙骨一族の骨 | トップページ | 塩を贈る »

2006年6月 3日 (土)

円交の末尾に連なって

        乙骨太郎乙の子孫の交友誌『円交』五号より

 円交の末尾に連なって

           小山 由紀子

 十一人兄弟の九番目に生まれた五郎の長女である私にとっては、物心のついた時には祖父、祖母は勿論、伯叔母は全部この世になく、残った半二、三郎、両伯父も余りにおえらくかけ離れた存在であったので、父の世代は伝説によって語り伝えられたような気がするのです。そんな半二伯父さんが、一度色々と世話をして下さった事がありました。放課後、花ちゃん(高野花。半二の末子)と連れ立ってぶらぶらと牛込まで歩いて出掛けました。学校前の大野屋脇の急な坂を下り、江戸川あたりより赤城神社の境内を抜けて賑やかな通寺町の通りに出、又、横寺町の通りにまがって牛込の家までは、上がり下りは多くとも「官許にごり酒や」「浅田宗伯邸」「尾崎紅葉旧宅」等史跡も多く変化に富んだ楽しい道でした。何時も電気のついていたお茶の間で、上機嫌の伯父さんは花ちゃんと私とを相手に珍しく色々と昔話を聞かせて下さいました。酔って猿股一つでマラソンに出かけ、北町交番のお巡りさんに「どちらまで?」と聞かれて「ちょっとアメリカまで」と言った有名な逸話を御本人から伺ったのもあの時でした。一番びっくりしたのは、まき子伯母さんがお茶の水の女学校時代、学芸会で英語の大演説をぶち、たまたま来合わせた江崎政忠氏がすっかり感心して、結婚を申し込んで来たという事です。鹿鳴館時代の才女だった伯母さんの面影と何時もは取り付く島もなかった伯父さんの洒脱な反面を見たような気がして懐かしく思い出されるのです。

 三郎伯父さんも隣に住みながらこれといったお話もせず済んでしまいました。しかし小学校三年の時でしたか、ピアノを買うのから先生まですっかりお世話をしていただきました。ピアノがはこび込まれるとふらりとお見えになって、素敵な名演奏を聞かせて下さいました。何の曲だか全く覚えていませんが、ピアノをゆるがすような強いタッチで陶然と弾いて居られました。何も知らない私はとてもこんなにはなれそうもないと不安になったものです。その不安が的中して不勉強と相まってとうとう物にならず終わったのですが、伯父さんのピアノは田口さんの家に居られた時に独習して会得されたものと聞き二度びっくりしたものです。大体乙骨兄弟は音楽に優れていたらしく、皆、師匠にもつかぬのに色々楽器をあやつったようで、父は長唄を好みレコード等を沢山買って来て居りましたが、とうとう或る日安物の三味線を手に入れて来ました。おとく、おろく両叔母がやっているのを(これとても特に習ったのではないらしい)見聞きして覚えたとかで、越後獅子や吾妻八景を弾いて居りました。弾きだすと夢中になって口をとがらしているのがおかしいと私共は笑ったものです。少々稽古した事のある原の祖母が聞いて、本当の音が出ているとびっくりしたり、又、小さい頃、かん高い声で唄っているのを聞いた太郎乙祖父さんがおつぎ祖母さんに「五郎は清元の師匠にするといいかもしれないな」などと冗談を言ったそうですから、音楽が日常茶飯になっていたのかも知れません。

 右を向いても左を見ても飲兵衛ばかりの間で、父は酒を飲みませんでした。元来は飲める体質なのでしょうが、ひどい蓄膿症と酒飲みへの反省がそうさせたのでしょう。それで大の甘党で、小遣はみなお菓子に使うといわれた位、今日の食べ歩きの元祖のように、あちらこちらとうまいといわれた店の菓子を買い、自分も食べ、子供たちにも食べさせて呉れました。おかげで、先天的、後天的にもしこまれた私は今でもお菓子屋の前だけは素通り出来ません。そのように菓子にうるさい父もお正月のお菓子は皆様のお書きになったように蒸羊羹と切ざんしょうなのです。私は何であの余りおいしくない切ざんしょうが登場しなければならないのかと不平を言いましたところ、「お正月のお菓子は昔からあれに決まっている」と、すましたものでした。江戸っ子のご多聞に洩れず、おそばが大好物でこれ又あっちこっちと連れ歩かれましたが、中でも連雀町の藪が大好きで、神田の古本屋を廻って藪に行くのがいつものコースでした。

 巴さんの文に半二伯父さんが鳥をむしって料理なさる事が見えて居りました(2/28付「乙骨家の人々8」)が、父も鳥や魚を上手に作るのです。横でちょこんと見ている私に「ここは肺臓で食べられない」「ここは肝臓で一番うまい」等と問わず語りに説明しつつ手際よく片付けて行きました。おかげで私も見よう見真似で人手のない時は何とかおっつけられるようになりました。或る時余り鮮やかにこなすものですから、「一体どこで覚えたの?」と聞いた所、「何、江戸っ子っていうのはこういう事が好きなのさ」と大照れに照れて居りました。

 半二伯父さんも三郎伯父さんも父も乙骨兄弟は、よしくもあしくも典型的な山の手の江戸っ子であったようです。晩年の或る日慨嘆していわく「乙骨の長女ってどうしてこう、かまわない、男の子みたいなんだろう。半二兄の処の巴がそうだ。三郎兄の処のみち子がそうだ。それにうちの由紀子だ」傍らで聞いていたお千代伯母さんが「それでも亭主がいい女房だと言っているんだから構わないじゃないか」と間髪を入れずあざやかに切りかえして下さいましたが・・・ご主人様方いかがでしょうか?巴姉、みち子姉の立派な思い出の記を読んで居りますと、お千代伯母さんのお説が正に当っていると思います。かえりみて私は・・・父の言葉のひとしお身にしむ今日この頃でございます。

参照:官許にごり酒屋http://www.hpmix.com/home/sugidama/C6_1.htm

   浅田宗伯邸http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8445/hitorigoto.html

   浅田宗伯御影http://www4.point.ne.jp/~asada-iyasu/asada.html

   尾崎紅葉旧宅http://www.hutecc.jp/saka/SAKA/Saka_14.htm

   赤城神社http://www.akagijinja.or.jp/shrine/parishioner.html   

※赤城神社は乙骨太郎乙が所属していた漢詩結社「昔社」の連衆と八十の賀を祝って漢連句をまいたところです。(当ブログ1/13付「乙骨太郎乙の精神世界1」所収)

« 乙骨一族の骨 | トップページ | 塩を贈る »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/6513/2042540

この記事へのトラックバック一覧です: 円交の末尾に連なって:

« 乙骨一族の骨 | トップページ | 塩を贈る »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31