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2006年5月 1日 (月)

安西均の詩を二編

 3・25付「恋の語彙」でとりあげた詩人・安西均(1919-1994)の「朝、電話が鳴る」を、きのうたまたま大岡信編「現代詩の鑑賞101」(新書館1996年刊)のなかにみつけました。おそれながら全編引用いたします。安西均の数ある詩のなかで本作品を正当に高く評価された大岡信氏に深い敬意を表しつつ。

     朝、電話が鳴る

               安西 均

 洗濯機にスイッチを入れるころ電話が鳴る

 あのひとはまだ上半身しか夜を抜け出ていない

 遠くでうなる製材所みたいな音をたて

 電気剃刀で顔を撫でながら同じことをいう

 「アパートでひとりぐっすり寝たさ」

 「きみのこさえたハム・エグスが食べたい」

 そんならあれを誰だというつもりだろう

 背中あわせに壁のほうを向いて

 いまブラジャーを着けているのは・・・

 電話さえしなければ嘘はばれないのに

 だけど電話の鳴らない朝は私は毀れた洗濯機だ

 自慢していい 私は仂き者だから

 せっせと毎朝 きのうを新しくする

 庭いっぱいお天気をひろげるのが好きだ

 とっくに子供は風に吹きちぎられそうにして学校へ行った

 夫は固いカラーに顔をしかめてバスに乗っている時刻だ

 あのひとは十日か二週目にさびしい街へつれ出し

 耳とか口とかところかまわず指を突っこんで

 私を裏返しにしてくれる。

            (第二詩集『美男』1958年所収)

 

 もう一編。これも最後の一行の魅力は絶品です。上と併せ安西詩の双璧だとおもいます。 おや。題が似てますね。色好みのダンディー詩人は涙もろい老人になっています。

      朝、床屋で

                 安西 均

 春めいてきた朝。

 理髪店の椅子に仰向けになり、

 顔を剃(あた)ってもらってゐる。

 ラジオは電話による身の上相談の時刻。

 どこにもありさうな家庭のいざこざ。

 だが、どこにも逃げ場がない、と

 思ひこんで迷ってゐる、涙声の女。

 

 つい貰ひ涙がこぼれさうになるのを、

 唾をのみこんでこらへてゐるが、駄目だ。

 こめかみを伝って、耳の孔に

 流れこまうとするのを、自分では拭へない。

 すると、剃刀を休めたあるじが、

 タオルの端でそっと拭いてくれた。

 何だか失禁の始末でもしてもらった気分だ。

 椅子ごと起されると、鏡の中から

 つるんとした陶器製の顔が、

 わたしを見つめてゐる。

  ーーーいいんだ、それでいいんだ。

 さう言ってゐるやうな澄まし顔だ。

 何がいいのか、よく分らない。

          (最晩年の詩集『指を洗ふ』1993年所収)                      

  

 

 

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コメント

私はこの人を知らないが、とても気持ちが通じ合う(笑)いいないいなこの感性。前編の人妻のように私も裏返ってみたい。後編の時空は私の気持ちを代弁するかのような感情だ。あぁ、幸せな気分になれた。

裏返る亀思ふべし泣けるなり(石川桂郎 辞世)
ばどさん、コメントかたじけない。これは詩もいいですが大岡信さんの批評言が、またいいのですよ。「裏返しにするということは、洗濯をしたり、夫や子を送り出したりしている生活をめくってしまうことである。文化としての女から、自然としての女にめくられることでもある。」「じっさいのところ、こういう女はいない。ほんものの女だったら、罪だの罰だの、誰のせいだのと言うところだが、そういうものは天気のいい日の洗濯物のようにきれいさっぱり忘れられているのだから、楽しい。」

安西均 詩

検索で5位です。
一位にとはいいませんが、二番目あたりに入っても罰はあたるまいと思います。

安西均

検索で一枚目に出るようです

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