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2006年5月 8日 (月)

虹の橋

所属誌『九州俳句』編集長の中村重義氏が、大腸がんの手術と闘病の記録を句・歌集の私家版という形で上梓された。名付けて『虹の橋』、ちいさな美しい本である。(写真)

 ガン宣告 供花は野牡丹だけでよい  

 もしかしてもしかして死ぬ葛の花

 大腸ガンといふ鬼女がゐる紅葉山

 死に急ぐほどの名は無し凧(いかのぼり)

 麻酔は薔薇の香り頭蓋の真暗闇

 手術後の寒き身体の螺子ゆるむ

 白露や零るるはわが生命とも

 夕時雨肩を濡らして介護妻

 人工肛門(ストーマ)の朱き露頭に冬日染む

 三月や波のゆらぎは身のゆらぎ

 黄泉へ行く夢の続きの山ざくら

 血液を小瓶に三つ採られをり何の検査か知らされぬまま

 ガン告知遂にされたり覚悟してゐし妻あはれ声の震へて

 死刑執行待つ囚人の心もて大腸ガン手術の日を数へをり

 全身麻酔はすべての臓器眠るとふ臓器の睡り思へば愉し

 吻合の針残りたるわが腹部月光享けて輝く夜あらむ

 眠られぬ夜の幻に乱舞するWordsworthの黄金(きん)の水仙

 蛸の如き烏賊の如き雲流れをりおやおや今度は越前水母

 歳月は雲の形をとりながら西へ東へさだめもあらず

 何気なきバスの案内(あない)の声なども病み伏す耳に懐かしきもの

 注射痕、点滴洩れの残る腕ちりめん皺など刻めるあはれ

 臍の横にストーマ袋ぶら下げて大腸ガン手術後半年を過ぐ

 生と死の挟間を渡す虹の橋 If Winter comes,can Spring be far behind?

 

50句、50首のなかから、ことに印象深い作品を抽いた。

中村重義は1931年生まれ、北九州八幡在住の俳人であり歌人である。これはこの世界では異色であるといっていい。短詩型のなかでもっとも短い詩形をやってる俳人たちは往々にして短歌もたしなむ人を侮蔑的な表情で遇する傾向があるからだ。七七以下を切り捨てる覚悟を持たぬものに何が詠めるか、というのだ。いまだに連句が超マイナーな文芸であるのも同じ理由であろう。だが、すべての詩形で輝きを放つ仕事を残した寺山修司みたいな文学者もいる。私自身もすべての詩形それぞれのよさがあるから、いずれもすてがたいと思う者のひとりだ。

「虹の橋」という題は、だから、生と死に架け渡す橋であると同時に、俳句と短歌という二つの伝統詩形に渡す橋でもある。引用して改めて感じることだが、さすがに長年研鑽をつまれた方だけあって、ことばに無理がなく、とても自然なリズムでいのちが刻まれている。ことばあそびの余裕さえ感じられるほどだ。ワーズワースの一首などは昔学生だったころ、その名通りに言葉の値打ちをとことん敲いた詩人なんだなと思ったことまで思い出した。普通に平凡に見える歌であっても、ちょっとした言葉の処理に永いうたびととしてのキャリアがのぞく。一番すきな句と歌を引き筆をおく。(やはり作品として眺める自分がいる、おそろしいことだ。これは作者自身もその覚悟で出されたものだとおもう。)

  三月や波のゆらぎは身のゆらぎ 

  吻合の針残りたるわが腹部月光享けて輝く夜あらむ

 ワーズワース:http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/book-daffodils.htm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

ご無沙汰してます。

「三月や波のゆらぎは身のゆらぎ」

とてもいい句です。

あなたが言うように>普通に平凡に見える歌であっても、ちょっとした言葉の処理に永いうたびととしてのキャリアがのぞく。

そう私も思います。どんな言葉でも読む人の心の立場で輝きが数倍になるのを私は何度も経験しています。
駄句になるのも良句になるのも詠み人の心ひとつではないかと思うのです。 

ばどさんこんばんは。
三月やの句は、別になんにも述べてないけれど、みょうにひかれますよね。死にそうになってるとか、瀬戸際だとかはあんましみえてこない。ただぼうぜんと生のたゆたいに身をまかせてる、ゆだねてる。そこがいいんでしょうね。
歌は、ほんとうは一番こころにのこったのはちりめん皺の歌です。歌としてはちっともいい歌じゃないでしょう、でもちりめんじわ、この具象、自虐的で、なんともいえずなつかしい。普通の人にはなかなか出てこない例えではないでしょうか。
これは高橋睦郎先生が書かれたことですが、昔は歌を詠むのも読むのも同じことだった。つまり私があなたであり、あなたがわたしであるような世界でうたはよまれた。わがままからもっともとおいせかいで。『君が代』って結局それだという気がしますね。

まことにそのちりめん皺の描写、恐ろしきものを感じます。
ひめのさんの感性もさることながら、普通以下の凡人である私はただ唖然とするばかりです。
ブログを書いていて、もっと心を伝えたい意思はあるのに言葉が出てこないもどかしさ。。。
私の感性は干からびています。でも、心はいつも羊水の中にいる胎児なのです。

一晩考えて、やはりコメントすることにしました。ここに芭蕉様を引き出すのは大げさかもしれないけど、一句とて辞世でない句はない、と言い切った芭蕉様の気概(というものではないかもしれないけど)を、たとえ末端の俳人であろうとも持って欲しいと思うのです。どうして病気にならないと死のことを考えられないのだろう?私にはただもう、それがいつも不思議でなりません。私たちは生まれた時から死に向かっている、というより、死とともに歩んでいるというのに…。メメント・モリ。

いつも死ぬ覚悟でいきるのはきついかも。
例年ゴールデンウイークはぜんそくびよりであります、わがやのこどもはみなぜんそくもちであります。ことに末子がひどい。野菜嫌いにはせぬよう努力したのに夫同様の超ど級偏食家になったのも一因か。こういうのは言い聞かせてわかるもんじゃない。そういうふうになってる?遺伝はすなおだ。遺伝子段階で「こら!ちゃんと食べなさい」ときっちりしつけられたらなあ。たべんと・もりもりビームを開発する。

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