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2006年5月28日 (日)

父と夫

うちの父と母はとっても仲がいい。昭和四年と五年生れだが、いま、どちらも76歳である。

もう七年ほどになるか、先に父が大正琴を習い始め、二年後に母もそれに加わった。純粋にボケ防止である。上手になろうとかおっしょさんになろうとか、そんな野望を抱くには年をとりすぎている。それが最近年に一度の発表会に出るのをイヤがり、それを苦にし始めたころ、おりよくお仲間が病気とか看取りとかで辞められた。わたりに船とばかり、二人は辞めた。つい先月のことだ。

父は若いころから歌が好きだった。演歌とポップスである。父のひそかな夢は、NHKののど自慢にでることだったが、とうとう叶わぬままいきそうである。笑。でも、年に一度はクラシックギターが趣味の弟(70ぐらい)と甥(自称叔父の弟子、58ぐらい)と一緒に演奏会をひらく。といっても、たいそれたものじゃない。ただ、好きな曲をギター組が爪弾き、父はマイクを持ってカラオケみたいに歌うのである。あとは世間話とお酒。

以前びっくりしたことがあった。いとこの結婚式のとき、父が歌う歌を聞いた。平尾昌晃の「アメリカ橋」を気持ちよさそうに歌うではないか。そんな歌、私は知らなかったので、口あんぐりだった。どっからそんなに耳ざとく曲を仕入れてきたんだろうと今でも不思議だ。

私の父は戦争のため農学校を中退している。無学な百姓であった。馬鹿正直でくそまじめな百姓であった。高度経済成長の時代、伯父の世話で筑後の小さな化学薬品を扱う会社に勤める。以後勤続三十年。八時から五時まできっちり時間通りに働き、家では母が一人でやっていたイチゴ栽培や米づくりを手伝い、今に至る。お酒を少し嗜む程度でギャンブル、女、一切しない。母一人である。ああなんか、こうやって書いてる私のほうが切ないくらい、まじめなおとこである。

そんな父を見て育った私が結婚した男は、普通のサラリーマンだった。いや、ふつうよりガッツがあるのかもしれない。私は一度も外に働きに出かけたことがないからだ。夫の稼ぎが多いわけじゃないのだが、外で働きたいというきもちになれないでいる。教育費を思って、お勤めしなきゃという強迫観念に囚われるときもあるけども、なぜか追い込まれてからにしようと逃げてしまう。

夫はいま、単身赴任で、結婚以来はじめての自由な独身生活をエンジョイしている。なにしろエンジョイだ。笑。それが、よかったわねえと妙に夫のきもちで大目にみてやれる自分がいる。四十代はつらかったけど、あきらめるとは、こういうことなのかとありがたい。

いつもいつも、家族のために働いてくれるおとうさん、ありがとう。え、なに?(自分があそびたいためだよって言ってる。笑)

参照:平尾昌晃http://hirao-masaaki.co.jp/

※昨日今日と数度三月四日付けの「ミッドウエー海戦」に興味深いコメントを戴きました「利華」様ですが、その後のやり取りで「麻場利華」様と判明しました。プロの音楽家、ヴァイオリン奏者です(京都在住)。プロのかたですので、きっちりお名前とお仕事をご紹介すべきと思いました。ちょうど戦死された大叔父様が床屋だったとおっしゃったことから、甲斐よしひろ(家業は床屋さん)の自伝「九州少年」を連想したんですが、その甲斐さんの曲「裏切りの街角」はイントロに「紫のタンゴ」を拝借しているということを自伝で打ち明けておられたんですよね。そういうこととも見事に連結しており、ふしぎな縁を感じます。

参照:http://www.broad-web.com/mark/events_new/astro/

   :http://www.syoubei.com/htm_folders/2006folder/vol34_060115.htm

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