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2006年5月15日 (月)

師弟関係

俳人・藤田湘子(俳句結社「鷹」主宰)は去年四月十五日に亡くなりました。

連句のご縁で文章を書かせて頂いている千葉の『摩天楼』主宰・星野石雀・櫻岡素子ご夫妻がこの大結社(同人数二千人近いとか)の古い同人でいらっしゃるので、遠くから垣間見るように仰ぎ見ておりました。

 愛されずして沖遠く泳ぐなり  藤田湘子

訃報によれば、この句が代表句とされます。

よみですが、わたくしは一読したときに、思春期の少年が母親からか教師からか疎まれて、ひねて一人さびしく泳いでいる姿をイメージしました。そして「なぜこれが?」と思いもしました。代表句にはよわいような印象を持ったからです。

その後、『俳句の方法』という藤田湘子の本でこの句の背景を知りました。

学生時代から俳句を志した湘子は「吟行に出かけるのに運賃が只になる」という理由で国鉄(当時)職員になりまして、水原秋櫻子に弟子入りします。そこで結社で学ぶことの意味を悟り、それを肯定的に細かく記しています。あるとき、独身だった藤田の交際相手を秋櫻子が気に入らず、それまでは非常に目にかけてもらえたのに、以後遠ざけられて冷や飯を食わされた時期がしばらくあったらしい。その悔しさ淋しさを詠んだものがこの句だとのことです。

そういう事情を知って読めば、また違う印象ではあります。俳句をしない人には「んなアホな」と思うでしょうが、一帝国の中で王の評価をめぐって右往左往する価値体系では、ありがちなことです。

わたくしは「ホトトギス」の高浜虚子と杉田久女の師弟関係を連想しました。あるとき、虚子がすぱっと久女を切り捨てる。事情はあるにしても、俳人は激しいものであります。よいわるいではない。感覚と感覚とがしのぎをけずった結果、傍目には理不尽この上ないところから振り下ろされる斧。しかし、もっとも純粋なはだかの感覚から発される光の斧かもしれず。・・というのも、理性より微妙な感情が支配する世界だからです。

別の見方をすれば、この軋轢が名句を生む肥やしになるのですね。

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