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2006年5月21日 (日)

玄奘と九条4ー阿踰闍行

『世親唯識説の根本的研究』(稲津紀三著)より引用。

  八  遍路行の終極(Ⅰ)

   ― 阿踰闍(アヨージャ)への郷愁

 私の遍路行には、しばしば触れたように、大きい目当てが二つあった。その中第一の世親一生の活動の場所については、幸い玄奘三蔵の『西域記』の記録によって、その所在が明瞭になる。即ち、「周囲二十里の大都城」で、玄奘は、その城中に、世親が生前に止住した精舎を面(ま)のあたりに視たことを証言してくれる。それによって、われわれはその「大都城」を今日のインド地誌の上に見つけさえすればいい。また、その「大都城」は、インドに最盛期をもたらしたグプタ王朝第三代の英主、チャンドラ・グプタ二世ー後にヴィクラマ・アーディトヤと号すー大王の造営したものにちがいない。そこまではわかっても、その大都城は、今日は影も形もない。その影でも見つけられれば文化史上の大きな貢献になるだろうに、と思っていたら、執念というか、どうやら、それらしいものが形をあらわしてきた。見ると、それは今日のインド連邦のウッタル・プラデーシュ州の州都ラック・ナウらしいのである。

 思うに、グプタ朝の首都として栄えたそれだけの大都城が、一旦の異変で跡かたも無くなってしまったのは、もっぱらイスラム教国の侵奪によるものだった。その破壊は激烈をきわめ、寺塔の破壊から、経巻の焚焼、僧尼の虐殺と、その暴戻(ぼうれい。乱暴で、むやみに人民をいじめること。新明解国語辞典ー姫野註)は、今に語り草になっている。特に仏教的気風を憎悪したらしい。彼らは、左にコーラン右に剣の信念に立つから、破壊はコーランの恩み(めぐみ)を与える方便になる。殊に繁栄した都市は侵略者の好餌になる。その上そこは、すでにグプタの王が放棄した王城なので、抵抗を受けることなく、恣しいままに破壊行動を加えることができただろう。それを考えると跡かたもなく潰滅した原因がよくわかる。そして、侵略者はその手に入れた都市の後に自分の住みよい都市づくりをするのが常で、イスラム教徒は、その同じ場所にイスラム風の都城を造営して、これをアウドゥ(Oudhu)と名づけ、ムガル大王の一族の某が居城にした。アウドゥはおそらくアヨージャのアラビア風の発音であろう。この推論が当っているとするなら、アヨージャの世親の精舎はアウドゥ市の下に眠っていることになる。その後、英国の殖民政策推進機関になっていた東印度商会がインドの支配権を掌握し、ムガル王国はタジマハルの遺跡を残して亡び、アウドゥ王は降伏して英国の支配に協力することになった。その後、インドに「セポイ・ミュティニー」[セポイ=インド民兵の叛乱]とよばれる事変が発生し、その鎮圧の過程のなかで、アウドゥの市名が[ラック・ナウ]に変わり、第二次大戦後のインド独立の新しい行政区割りによって、現在はウッタラ・プラデーシュ州の州都になっている。

 この市名の変更については、おもしろい挿話がある。

 セポイの叛乱については、インドでは政府筋も含めて一般に、独立運動の実力行動の発端になった事変として、これを是認し評価している。今日では、対内外的な配慮から”セポイ”の表現をとらないで、その年代を数字で示して”あの時”とよんでいる。その事変の事実関係についてはインド史のどこにも出ているが、タゴールの父デーヴェンドラナート・タゴールは、隠遁の志に引かれて、ヒマラヤ山麓のシムラに行っていたとき、その叛乱に遭遇し、それが精神的に大きい転機になって、世を救う新しい祈りを以て、カルカッタの自家に帰って、後半生の聖願に生きることになった経験を、その自伝(アートマ・チャリタ)に書いている。拙訳があるのでご参照いただきたい。彼はイスラム文化に変わったアウドゥには興味がなかったから、カルカッタに帰る途次その附近を通るけれども、それには触れていない。

 しかし、アウドゥは相当大きい都市で、英人や英軍部隊は、そこに難を避け、反乱軍の攻撃を受け、英国軍隊の救援を受けることになったが、その時内部の誰かが外部の縁者に「ラック・ナウ(luck now-今や幸運)と電報し、それから、それが市名に用いられることになったというのである。ラック・ナウは、インド名ではなく、英語名である。

 そのような次第で、グプタのヴィクラマ大王家と世親の協力によって、高度の仏教文化を創出した「大都城アヨージャ」は、イスラムによって破壊を被り、同じ場所にイスラム文化を内容にするアウドゥ市が築かれ、それは破壊はされなかったが、英国風の近代文化を受け容れて、名も英語化してラック・ナウとよばれることになった。私のこの推論が、大方の同意を得られるか、どうかわからないが、若し同意を得られるなら、今日のラック・ナウ市の根底には、グプタのヴィクラマ王家と世親によって創造された高い仏教精神が眠っていることになる。そして、いつの日、誰かが来てそれをよび醒ますのを待っているのだろう。

参照:セポイの叛乱:http://www.maitown.com/cgi-saku/se/dekigoto4.cgi?month=5&mday=10

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89

連句的参照「ラックナウ」:http://dhbr.hontsuna.net/archives/200604.html

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