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2006年5月23日 (火)

連句作者・眞鍋天魚の句

先日、俳人・連句人の鍬塚聰子氏から聞かれた、眞鍋呉夫の「花冷のちがふ乳房に逢ひにゆく」はいつの作かという問いですが、きのうの引用文では答えになっておりませんでした。そこで再度探しましたところ、ありました。わかりました。昭和62年10月号の『俳句四季』掲載の「眞鍋呉夫の句」(那珂太郎)が『定本雪女』(邑書林句集文庫、1998年)に収録されており、そのなかで語られております。

  眞鍋呉夫の句 

         那珂 太郎

 二、三年前から天魚子眞鍋呉夫に誘われ、佐々木基一(大魚)、野田眞吉(魚々)両氏を交へた通称魚の会の連句の座に加はり、三魚氏の驥尾に付して自ら黙魚と名のって、歌仙や胡蝶を試みることになった。近頃は作家夫馬基彦(南齋)氏も参加しいよいよ賑やかとなったが、数箇月前の「俳句四季」に佐々木氏によって胡蝶「傀儡の巻」が紹介されたことがある。

 日頃物を書くのは密室での孤独な作業だとしてきた私など、一座の人々の興味津々たる座談の方につい気をとられがちで、句作に集中できず、人前で即座に付句をなすのがいかに難儀なものかと思ひ知らされ、連衆に迷惑をかけること屢ヽである。そんなとき宗匠の天魚子は、捌きを兼ねながら当意即妙の句を生み、しかも前句から鮮やかに飛翔し、場面を転換して滞りをやぶるところ、感嘆させられるばかりだ。たとへば、

  酒酌みつ一期一会をいとしみて   魚々

    鴉がつつく辻堂の軒        黙魚

  夏の月こんなところにドラム罐    天魚

 やや古風な打越と前句との付合を一転させて、当世風の「ドラム罐」を出し、しかも「こんなところに」のくだけた口語調で次の展開への自在感をしつらへ、あるいは、

  ビル街の歌声酒場跡もなし      黙魚

    二度ベル鳴らす郵便配達     大魚

  瀧口に押し流さるる夢を見て     天魚

 ヴィスコンティの映画を面影とした前句から、「二度ベル鳴らす」の勢ひを受けて「押し流さるる」といふ激しい恋を暗示的に匂はせ、しかも多義的にいか様にもよみとれる夢のイメェジを紡ぎ出し、あるいは、

 こぶこぶのこぶしのやうな蒲萄の樹  黙魚

    橋の上から用を足す月      大魚

 UFOを見に行つたままゐなくなり   天魚

 月からきはめて現代的なUFOを導き、漂泊と不在の感を醸して諧謔と奇異な現世離脱の意識を匂はす。思ひ切った想像力の飛躍と、「虚」の中にこめられた「実」には驚くほかない。

 ところで天魚子は連句ばかりでなく、俳句作家としても非凡独特の才能の人である。かつて飯田龍太氏がその著『龍太俳句鑑賞』で、「露の戸を突き出て寂し釘の先」を採り上げ、「親殺し子殺しの空しんと澄み」、「月天心まだ首だけが見つからず」、「水漬きたる兵士ら還りきし月夜」を列挙したことがあるが、俳壇一般ではどれほど天魚子の句は注目されてゐるだらうか、いささか心許ない。

 今日、俳句作家の多くはなんらかの形で結社に属してゐる。といふより、極言すれば結社に属さなければ、俳句作家として登録されないと言つていい位である。そんな中で天魚子はどんな既成の結社にも属さず、独立独歩の句境を展いてゐるのだ。前記魚の会の連句では、中途で時間切れになるとあとは文音で満尾することがあるのだが、そんなとき、天魚子は付句と別に、必ずといつていい位発句を墨書してくる。あるいは他用の手紙のあとにも、しばしば句を書き添へてくる。最近もたとへば、

  花冷(はなびえ)のちがふ乳房に逢ひにゆく

 の一句が書かれてきて、ぎよつとさせられたものである。句中に物語が籠められてゐて、読者の想像に挑撥的にはたらきかける。「花冷」の季感と、中年の秘事密会ーひめやかな恋情とがうまく照応し、「ちがふ乳房」といふ言ひ方がなんともにくい。

  望(もち)の夜のめくれて薄き桃の皮

 これも、艶な季感と物の質感がみごとに捉へられてゐるが、単なる季感や質感にとどまらず、かなり濃密なエロティシズムを漂はせる。私など、鈴木清順の名作「ツィゴイネルワイゼン」の一場面、大楠道代が爛熟した桃を舐めるところを唐突ながら彷彿させられたが、かういふところ、いかにも小説作家の俳句だと思はせずにはおかない。物語的なものを内蔵する浪漫的な句が天魚子には多い。

  春あかつき醒めても動悸をさまらず

 これは「密会」と題する一連の作中に置けば、いや単独句としてよんでも、明らかに恋の句である。しかし、あの西行の、「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさはぐなりけり」を当然のこと連想させ、これをおもかげとすると、多義性重層性を帯びて、恋の句であると同時に無常の句ともよめるのである。

 かういふ浪漫性はじつは彼の弱年期からの資質特性といつてよく、彼にはつとに昭和十六年、十八歳から二十一歳までの句を蒐めた『花火』といふ句集一冊があるが、すでにそこでも、

 秋空へ人も花火も打ち上げよ

 解剖の女体廊下を曲りくる

 恥毛剃る音まで青き夜の深み

 くすり嚥むより青鳩一羽よぎる虚空

 わが性はさびし運河に放尿す

 虹ひくし少女溺れし川の上

 秋は雨降り少年の白靴(くつ)汚れたり

 するどく感覚的、かつ浪漫的情感をもつ。これが約半世紀も昔の、二十歳前後の作なのだ。

 近年の作でも感覚の鋭さもまた変らないが、「刺青の牡丹を突つく鱵(さより)かな」「聖なるかな(サンクトウス)夜明け青きに喘ぐ口」など浪漫性の際立つもの以外にも、

 白魚の腸(わた)透き見ゆるあはれさよ

 葱剥(む)けば光陰ひそと光りすぎ

 月に透き感じる竹となりにけり

のやうな伝統的な細みに通ふ句もあり、また、

 月光を頭に溜めて死んでゐる

 金庫運ぶ生き馬の眼ががらんどう

 夢の世に菱の焼酎盛りこぼし

などの想像力による独得の把握、さらに、

 防毒面かぶつた我とすれちがひ

 荒縄で己が棺負ふ吹雪かな

といつた自己対象化による、主観句とも客観句ともつかぬ、諧謔的でしかも不気味な句もある。

(本原稿は「俳句四季」昭和六十二年十月号に掲載された「眞鍋天魚の句」を改題、一部加筆・訂正したものです。)

    (『雪女』初版本に栞文として挿入)

 鍬塚聰子氏のホームページ:http://satokono.littlestar.jp/

 (もうすぐ、地道に続けておられるこどもの日記のひろばだよりが500回になるそうです。ホームページの表紙は虹です、彩雲という滅多に見られない虹を、去年五月五日に見られて写真に収められたという、貴重なもの。)

  

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