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2006年4月 5日 (水)

大隈伯昔日譚

4・3付「究極の粉飾決算」で引用した『日本の暦』から、下線部分の補足引用をします。

1.「曾て予は大隈侯に「わが国の新暦を採用せしは非常に早かったがドウいふ訳でしたか」とたづねたら、「それは主に財政上の閏月の関係から来たものだ」と答へられた、(以下略)・・・大藤時彦『年中行事』にある矢野文雄著『竜渓閑話』の引用。

2.「次に注意すへき改革は、太陰暦を変して太陽暦に更めたることなり。太陰暦は千有余年の往時より伊勢の太廟に於て発行し、太廟の御幣と共に広く世人に頒布し来りしものにして、之より生する収入は頗る多く、数百人の神官は之に依りて衣食住を全ふせし程なり。然れとも封建の廃滅と共に種々の階級も亦廃滅せられ、神官の如きも普通の官吏と其任免黜陟(ちゅつちょく)の式例を同ふせらるゝに至りては、何時までも斯る特権を与へ、斯る特別なる利益を受けしむへからす。是れ四民平等の主義に背反するものなり。且官吏の俸給と云ひ、其他の諸給と云ひ、王政復古の前に在りては、何れも年を以て計算支出せしといへとも、維新の後に至りては月俸若くは月給と稱して、月毎に計算支出することゝ為れり。然るに、太陰暦は太陰の朔望を以て月を立て、太陽の躔度(てんど)に合するか故に二三年毎に必らす一回の閏月を置かさるへからす。其閏月の年は十三ヶ月より成れるを以て、其一年だけは、俸給、諸給の支出額、凡て平年に比して十二分の一を増加せさるへからす。然るに国庫の収入を見るに、其当時の収入は重に土地より生し、毎年一定して左したる増減なし、斯く左したる増減なき収入は謂ゆる入を計りて出を制する財政上の原則に従ひ、恰好に平年の支出額に積算したるを以て、閏月あるの年は、収支の額は必らす相適合せすして、支出額上に平年の十二分の一即ち一ヶ月たけの不足を生することゝ為るへし。左れはとて平年の収支の上に於て、多少の余裕を生せしめ、予め其不足に対する準備を為さんとするも、当時の国庫は種々の事情の為痛く窮乏を告け、其平年の支出額にすら甚だ困難を感し居る程なるを以て、決して其余地あるなく、而して平年の支出額に比し、其十二分一の増加を要する閏月ある年は、正に近く明年(乃ち明治六年)に迫れり。此閏月を除き以て財政の困難を済はんには、断然暦制を変更するの外なし。啻(た)た是のみならす、其比は一、六の日を以て、諸官省の休暇定日と為せしを以て、休暇の日数は月に六回、年に七十二回の割合と為り、加ふるに五節句あり、大祭日あり、寒暑に長き休暇あり、其他種々の因縁ある休暇あり、総て是等を合すれは一百数十日の多きに上り、而して其頃の一年は平年三百五十余日なりしを以て、実際執務の日数は僅々百六七十乃至二百日に過ぎさりし。是乃ち一年の半か少くも五分の二は休暇日として消過し去りしなり。斯る事情なるを以て懶惰遊逸の風は自然に増長し、一般社会にまて及ほし。且政務渋滞の弊も日一日と多きを加へ、竟(つい)には国家の禍患を構ふに至るへし。其上、当時は外交漸く盛んにして、諸国との往復交渉頗る繁劇に赴きたるを以て、其執務と休暇の定日と彼我一致せされは、諸般の談判往々に渋滞するを免れす。固より休暇日の廃存変更は必らすしも暦制の如何には関係せす、上に立つものゝ意にて如何様にも之を動かし得さるにはあらされと、長の年月因襲し来りし慣例なれは、其根本なる暦制を改革するにあらされは、是等の弊患を全く洗除する能はさるなり。然れとも、暦制の改革は、其影響の及ふ所、少小にあらす、従て之を断行するも、亦容易の業にあらさるなり。左れはとて之を在来のまゝに放任し置は、理論上の弊害は兎も角も、実際上の禍患は益々増長し、竟に国家民人を不利不幸の境遇に沈落せしむるやも測り知る可からす。是に於て太陰暦を変して太陽暦に更むることゝ為せり。蓋(けだ)し太陽暦は太陽の躔度に従って月を立つるものなれは、一年一月の日子に多少の差異なきにあらされと、季候早晩の変なく、四歳毎に一日の閏を置き、七千年の後僅に一日の差を生するに過ぎさるを以て、之を太陰暦に比すれは最も精密に、且甚た便利なるのみならす、休暇日は一週中に一日、即ち日曜日を以て之に充つることゝ為りしを以て、七十二回の休暇は減して五十二回と為り。且朔望と云ひ、五節句と云へるかことき、旧来の休暇日は尽く(ことごとく)之を廃し、其上に一年は三百六十五日乃至三百六十六日と為り、而して別に閏月を置の要なきことと為りしより、独り政務処理の上に渋滞なからしむのみならす財政上も亦二三年毎に平年の十二分一を増額して支出せさるへからさるの困難なし。之を陰陽両替制より生する結果を比較すれは、其利害得失は固より同日の談にあらさりしなり。」・・・『大隈伯昔日譚』よりの引用。(の引用の引用であります。)

※『大隈伯昔日譚』・・・大隈重信が円城寺清に語ったところを伝記体に編述したもので明治二十八年発行とのこと。

参考:http://www.bunshun.co.jp/yonda/yenmaker/yenmaker.htm

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