無料ブログはココログ

« どうでもよくない話 | トップページ | 恋の語彙 2 »

2006年4月18日 (火)

円交会の出発点

次に太郎乙三女ひさの次男である人がその父を語られます。

  「父の思い出その他」

        小室 正夫

 円交会の発祥の地、大塚辻町の家のことを考えると、一番古い記憶は長い距離を歩いて行った事で、横寺町の乙骨の長屋から、或は払方町の家から、矢来を通り音羽通りを抜けて辻町まで、今考えると相当の距離を歩いて行ったものと思う。当初は秀夫兄と二人で、パンのお弁当など持たされて度々遊びに行った様に思う。

 考えて見ると、当時は大正三年の終頃か四年の初め頃かと思われるので、今風に考えると、秀夫七才、正夫四才、恒夫一才で、大正四年の四月には秀夫は学齢に達して愛日小学校に入学した筈である。

 父龍之助は母久子を東大の青山内科に入院させ、一時朝鮮に戻って残務整理を終えて帰国したのではないかと思われる。当時、兄弟三人は父の姉で服部家に嫁した伯母が上京して世話をして貰って居た。ここで一寸父の事に触れると、父は明治三年の生まれで、明治三十八年に東京帝国大学を卒業しているが、その以前に豊島師範、高等師範を卒業して、銀座の泰明小学校、神戸の御影師範、台湾の国語学校等の教師を勤めており、大学卒業は実に三十五才の時である。卒業後、一時芳谷炭礦(のち三菱礦業となる)に赴任するが、日韓併合を前にして、同地の植民会社東洋拓殖株式会社の創立の話に乗って京城路に向かうこととなり、その前に郷党の先輩であり高等師範の先輩でもある吉田弥平氏のお世話で母久子と結婚したと聞いている。兄秀夫が明治四十年、次兄康夫(夭逝)、明治四十一年に大阪で出生していることから推察すると、結婚は明治三十九年と考えられる。明治四十二年には龍之助は久子、秀夫を伴って朝鮮京城(現在のソウル)に移り、東洋拓殖株式会社の創立業務に参画、京城で正夫が出生、後、大邱出張所の新設に伴い所長として赴任、大正二年十月恒夫が同地で出生、つづいて母久子の発病を見ることになる。

 たまたまその頃、時の内閣の交替を見て、総裁以下幹部の総辞職に応じて、龍之助も辞職して内地へ引き揚げたと聞いているが、むしろ、妻の病気や子供の学齢期等を考慮して帰国を決心したものとも考えられる。

 龍之助はその後、第一次大戦の好況期を見て、霞ヶ浦の開拓事業を計画したりしたが、大戦の終わりと同時に米価は暴落し事業を始めていなかったのが幸いという結果で終を告げた。その後は専ら座食して酒に憂いを晴らす毎日であり、男やもめで三人の幼児を抱えて、父龍之助の苦労も容易ではなかったと推察される。

 円交会は小室三兄弟が出発点だという話も本人達はあとで知った話ではあるが、母を失ってこうした家庭の状況にあった兄弟を見て、見るに見兼ねた心遣いだったのだろうと思う。

※参考:http://tanizoko2.hp.infoseek.co.jp/futatunokanasimi.html

ニール・ヤング新アルバム「Living  With War」の紹介記事:

 http://enjoyment.independent.co.uk/music/features/article358210.ece

      

« どうでもよくない話 | トップページ | 恋の語彙 2 »

コメント

当時日本領であった土地のことが書かれているので、私も少しだけ。戦争で勝ったからということはあるにしても、当時の日本はかなりグローバルな広がりを持っていたようで、うちの祖父も明治の末頃、しばらくですが台湾にいました。第二次大戦の敗戦前、外地で生まれた人は相当数いるのにそういったことも今の若い人たちはご存じないようです。中国・韓国が「日本の歴史認識はなっておらん」と言われるのもあながち間違いとも言えないな(論点は違うけど)と思ってしまいます。よーく考えよう

有難う。昭和二十年代末に生まれた私も、いまだに全体の状況を把握できてない。右翼って呼んでた人たちの話を読むと、ええっこげなとこまできて戦争しよったと?!とたまがります。ものすごく精神がハイタイしているのを実感する。日々そう思う。これは自分のことです。退廃じゃなく、敗退。教育なんて目もあてられん状態。文学もそう。世界がちんまい。台湾や満洲や朝鮮に渡ってた人たちはスケールが違うと思う。夫の父も台湾ですが、それは祖父が台湾の学校の校長をしていたからだと聞いた。日本式の教育をしたんですね。ずっと手紙がきてました。
けさの甲斐さんの九州少年に高校の同級生で小林よしのりが出てきた。ところで。ブッシュがイランに核攻撃したがってるというニュース。地下の核施設を爆撃するのに核でやるというもの。他にすることないんかな。
夫がファンのニール・ヤングがアルバムを出すというニュース。
Living With War
百人の聖歌隊が付くらしい。60になって彼は直球勝負の反戦歌をうたうのか。かっこいいです。はい。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 円交会の出発点:

« どうでもよくない話 | トップページ | 恋の語彙 2 »

最近のトラックバック

2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29