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2006年4月16日 (日)

円交の思い出 2

(土方幸「円交の思い出」後半です。)

お順伯母さん(しゅんと表記。検事だった半二の妻昭和四年大塚から牛込へ移られて間もなくの頃かと思う、市ヶ谷の家政学院の選科に通っていた頃、午前中で授業が終わると、よくお堀端に添って北町まで歩いてお邪魔した。お昼どきに飛び込んで、塩鮭だの、あぶたま(之れは乙骨料理だと言う事だった。薄揚げを甘辛く煮てとき卵をかけてとじたもの)だの御馳走になって暫くおしゃべりをして(話題は覚えていない)浦和に帰った時はそ知らぬ顔をして居た。(特に用事もなく乙骨に行く事を母が喜ばぬ故)我が家で満たされぬ心の渇きを潤して下さる何かを伯母さんに求めていたのでしょう。子供達も誰も居ない昼間、伯母さんにお逢いしたくて、いつか私の足は牛込へ向ってしまうのでした。私の結婚が決まった時「特別よ」と張り込んでお祝いを下さり「でも寂しくなるねえ」と言って下さった伯母さんでした。親代わりで倭文姉の結婚支度をして下さった伯母さんが詳細に書き残して下さったと言う結婚準備覚書の手帳が残って居た。私はそれをもとにして予算から購入計画すべてを自分で整理、父に提出して済ませたので、言うなれば私も、そして妹達も伯母さんに母代わりをして頂いたことになるのも何かの御因縁である。

 五郎叔父さんーどういうわけか大きな問題でお世話になっている。浦和の家を探して下すった事。又、私と土方との結婚は実はオンチャンのお仲人である。(浦高時代の教え子)

 彼の方には「小娘のくせに一寸生意気な所もあるが」・・・とか、「親父さんは宴会があると言う日は朝から御機嫌と言う様な人物だ」とかいった紹介。こっちには余りさしたる説明もなく、少し立ち入った尋ね方をすると、「僕に年頃の娘があれば一も二もなくやってしまうんだがー嫌なら止めなさい」テナ塩梅のニベもない返事。両方とも要するにアンチ仲人口にまんまと作戦負けした様なもの。ともあれ一昨年金婚式にまで辿りついてしまい、思いもかけず皆様からの御祝の記念品をお美津叔母さん御手から渡して頂きまことに嬉しく感無量でした。叔父さんが浦高から成蹊へ移られる時に、その後任として当時熊本の五高に居たのを推薦して下さった。そして又、土方が東大定年後に再就職に迎えられたのが成蹊で、とうとう十五年最後迄御奉公したと言うのも、何か目に見えぬ師弟の絆に守られてきたのかも知れない。

 母の事ー十五にもなって居たにしては母への追憶は余りにも淡く頼りないのはどうしたわけかしら。賢い母だった、偉い母だった、という誇りはあるけれど、甘えた懐かしさ、楽しかった思い出は哀しくも殆どない。亡くなる前のお正月の数日を、騒動を逃避して、台北近郊の温泉に家中で滞在した、それが唯一の思い出となった。いつも、一眠りしてフト目覚めると隣の座敷で遅く迄縫い物をしていた母。流行の着物、美しい装い等とは無縁の反対側の世界に居た母。官舎や近所の奥さん達の泣き言や相談の相手になっていた母。それでも病気になって咳がひどく、毎夕食後には、きまって寝たままの姿勢で父が器用な手付きで吸入をして上げてたのは印象的でした。「亡くなる間際まで、どうも有難う、と奥様は必ず仰言ってました」と付き添いの小母さんが言ったのは強く頭に残って居り、これだけは私も真似たいと思っています。台北の小学校の同窓会で母をご存じの先生にお会いすると、「御母さんにそっくりですなあ」と言われて閉口したものですが、その先生も流石に亡くなられホッとしてましたら、去年、和服を着て一寸改まって撮った写真を綾夫兄さんに見せたとたんに「お貞母さんによく似て来たなあ」と感嘆されショックでした。性格ならまだしも、容姿で母似と言われるのは、幾つになっても嬉しい事ではない。(ごめんなさい)

 戦後の円交会ー戦後に復活した円交会は大分色合いの変った親睦会的なもので、それぞれに家庭を持ち、二世を加えたもので、専ら綾夫夫妻によって再スタートしたものの、年毎に会員増加して会場難で行き詰まり、小林正紹兄の御厚意で、数年は自称武蔵野庭園を開放して頂いて催された。綾夫円交会長も流石に熱意だけでは力及ばず、草臥れたのを機に総裁を引退して、小室御兄弟に引き継いで頂き今日に至って居る。二世がそれぞれ又核分裂して三世を抱え、一時期の大円交会は七十人近く、前以て準備委員会を開いて準備や趣向に大変なお骨折りだった様で、当日も幹事夫人達は託児所兼雑役係で懇親どころではなかった。結局は又一世だけのちんまりした形に戻り、漸く円交も黄昏近く老境に入った様です。お順伯母さんの蒔かれた愛の芽が、アオさんを先頭に同人の協力に支えられ、数十年を経て育ち花開いた今の円交会を一度見て頂きたかったと残念です。

 お互いに共有した青春の一ときに限りない愛惜と感謝を捧げつつペンをおきます。

(昭和五十七年早春  沈丁花匂う日   土方 幸)

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