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2006年4月23日 (日)

韻を踏むこと

1月13日付「乙骨太郎乙の精神世界1」で採り上げた、太郎乙翁八十のお祝い漢連句のよみくだしをさいたま市在住の俳人で漢詩人の松本杏花氏にやって戴きましたので、ご案内いたします。(→1・13付へは右のカテゴリーの君が代研究で探すと時間がかかります。1月の記事を遡って下さると少しは早いかと存じます。)

漢詩も英詩も、脚韻(詩行末の音が同じ母音)をふむのが一般的みたいです。でも日本語の詩での脚韻は九鬼周造「日本詩の押韻」にもかかれてるように、それほどしゃにむに熱心ではないですよね。それは過去形の文章であれば「~だった」という語で終ることに現れているように、もうすでに日常の次元で韻を踏んでいるからだ・・というようなことを九鬼さんは書いてたと思うのですが、ほんとに不思議です。百姓の私が個人的に思うのは、日本語は田を踏みしめて飛翔するように出来ているんじゃないでしょうか。笑

先日「からたち」を調べるのに、北原白秋や島倉千代子の歌を引きました。その白秋の歌詞を見て、おどろきました!どの詞行も「よ」でおわってます。韻をきっちり踏んでいる。しかもいちばん底辺のむなぞこまで染み透ります。あらためて北原白秋ってすごかやん!めちゃくちゃすごかと感動しました。同じ筑後に生まれたことが恩寵におもえてきます。ことばの一つ一つが幻惑的でありつつきっちり地と血に根ざしているのを感じます。

それと。きのう書いたニールヤングですが。いまさらプロテストソングでもないのでしょうが、それをあえてできるところに彼の位置があるんだと思います。

日本では昔、吉田拓郎が広義の反戦歌を歌って絶大な人気を博していました。年老いて彼も同じように病気に倒れました。こうして考えると、日本にはだれもいませんものね。そういう思想性の濃いメッセージソングを歌える歌手は。9・11以降テロへの戦いといって持ち上げてきた政権を、ここへ来てうそつきだとして弾劾し平和を求める祈祷歌を還暦のロック歌手が歌う。そこには一体なにがあるんだとシラーっとおもうのが大方の日本人だと言う気がします。でも、としよりになって年甲斐もない恋歌うたうよりは、かっこいいんじゃないかなと思えてきました。そろそろ「イマジン」あるいは「イムジン川」みたいな歌を聞いてみたいものです。

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コメント

(こちらでは)ご無沙汰です。
ニールヤングというと、ボクはCrosby,Stills,Nash & Youngのデジャ・ヴというアルバムを思い出します。
20年近く前ですけれど、「このアルバムは素晴らしい!」と喫茶店で友達と話していたところ、まったく知らないオジサン(当時)が嬉しそうにハナシに加わってきたことがあるのです。
家のどこかにカセットがあるはずなんでるが・・・。久しぶりに聞きたくなりました。

いきなり人のはなしにわりこむおっさんってのもちょっとかわいいね。なんかすがたがみえてくるようで。いやあ、うたってほんっとにいいですね。みずのはるおかよー

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