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2006年4月25日 (火)

円交会の出発点 2

乙骨太郎乙次女ひさの長男にあたる人で、4・18付、小室正夫氏の兄上です。

  「円交会の思い出」 

            小室 恒夫

 円交会というと思い出す写真がある。大塚辻町の半二伯父さんの家の庭先で、当時まだ存命中だった祖父、乙骨太郎乙(亡母久子の父)を中心に、その息子の乙骨三家の人々と、それ以外の円交会のメンバーを、職業的な写真師が撮った、かなり大型の一枚である。

 半二伯父さんが幼い菊枝さんを抱いて後列に立っている。私自身は写真の前列左端にチョコンと坐っている。おぼろ気な記憶だが、これは円交会の始まったころ、私自身が小学校にはいったか、はいらぬかという頃、恐らくは大正八ー九年ではなかったか。

 当時集まった顔触れの中で、多くのメンバーがすでにこの世を去っている。若くして去った人、壮年、老年で死んだ人、と色々だが、今それぞれの思い出を手繰ってみると、、感慨を覚えずにはいられない。

 そのころ、牛込払方の私の家から大塚辻町の家に行くのには、市電を利用して、水道橋、春日町と二回乗り換えていくか、単刀直入に歩いていくか、の二つの方法があった。

 当時の市電は片道八銭、往復十五銭位だったと思うが、乗り換え券というのをくれて、何度乗り換えても同じ料金だった。

 一方、一時間位かけて歩いていくこともしばしばあった様に記憶する。今の様に車が通っているわけでもないし、誰でも三十分や四十分位歩くことは何ともおもっていなかった時代だが、小学校一年の遠足でも片道一時間位は歩いたものだ。

 払方町から北町、矢来と抜けて、音羽九丁を通り、護国寺に突き当たって右折、大塚仲町の交差点に出て左折すると間もなく、大塚辻町の乙骨の家に着いた。

 円交会などの機会に辻町の家の庭になった柿を沢山貰い受けて歩いて帰る時などは、音羽九丁が、ひどく長帳場に思えたものだった。いつだったか、新年会の折に、福引で引き当てた、おもちゃの腕時計を帰る途中、どこかで落として、音羽九丁を泣きながら探しまわったこともある。当時十銭ぐらいの動かぬ腕時計が宝物の様に思えた年頃のことである。

 その当時、大塚で子供同志遊ぶときには、電車ごっこをよくした記憶がある。当時、子供心に、まだ電車は十分に魅力のある乗り物だったのである。「円太郎」とも呼ばれた市バスは、まだ走り始めの頃だった。多色刷りのボール紙で作った車掌鞄の中には、ペラペラ紙の切符や、ちゃちな紙幣やはさみなどが入っていて、これが電車ごっこの必携品だったが、あとは一列になって進む子供達がみんなで持つ、輪になった縄か紐があれば、それで十分だった。

 室内遊戯では、銭まわし、トランプのババ抜きとか7並べ、記憶の強弱を試す神経衰弱などが主なものだった。又、ときには、二組に分かれてゼスチャーをやったりした。

 ジェスチャーといえば、「キリン」という題が出された時、綾夫さんが、まず座敷中を馬のように飛んだり跳ねたりして見せ、それが一段落すると、マッチをすって、からだ中に火をつける仕ぐさをする。組んだ相手は勿論何のことかさっぱり判るはずがない。あとで聞けば、綾夫さんは動物園のキリンのことは全く念頭になく、キリンビールのラベルにある中国の神獣とばかり思い込んでいたという。キリンと言えばビールしか考えられなかった独身青年時代の綾夫さんの、神戸での流連荒亡ぶりを思わせる大笑いの一幕だった。

 やや高級な遊びとしては、歌留多とりがあった。小学校低学年で歌の意味などはさっぱり判らぬままに、丸暗記で、結構歌留多とりに励んだものである。

 いずれにしても、牛込の私の家は、母親を欠いた男所帯で、殺風景だったから、大塚で多くの女の子も混じって、色々な遊びをすることは、私にとって多少の気後れを伴った楽しみであった。

 お菓子なども、牛込では婆やが買って来る決まりきった餅菓子とかお煎餅などで、気の利いたものはなく、大塚で切山椒を出されたりすると、一寸まごついたものだ。

 半二伯父さんについては、座敷で長火鉢を前にして静かにコップ酒を飲みながら、機嫌のいい時には二言、三言軽口をきく、という姿が何となく印象に残っている。

 その頃の伯父さんは幾つぐらいだったのだろうか。まだ控訴院検事ぐらいだったのだろうか。四十代後半だったかと思うが、短く刈った頭はかなり白かったようにも記憶する。

 父と一緒に大塚に行くと半二伯父さんが待ち構えていて、長い酒盛りとなり、挙句の果てに父が酔い潰れたりするので、私自身も余り好きでなかったが、世話方にまわったお順伯母さんにすれば、鼻つまみに近い来客だったろう。

 いずれにしても、円交会と言えば辻町の家を思い出す。

この円交会が、私達母無し子を慰める目的もあって始まったということは、ずいぶん後になってから知ったことである。

 ※切山椒:http://www.40tokyo.com/life/2002haru/sansho.html

    同:http://www.madam-ganko.com/ittetsu/torinoichi.html

 キリンビール商標:http://www.kirin.co.jp/company/history/label/

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