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2006年4月25日 (火)

コンポスト

「 カンボジアの内戦時代、戦禍の酷(むご)たらしさを見つくした報道記者が、日本から届いた清純派女優・吉沢京子のヌード写真を見て、「まだこんなきれいな世界が残されていたのか」と号泣したという。彼はその裸身に浮かぶ、はかなげな、ひとひらの桜の花びらを見ていたのだろうか。」(4・25付、西日本新聞「風車」ネコマンマ氏の随想引用)

なんとはなしに近藤紘一を想う。五十くらいで死んだと記憶する。

むかしのこよみはすばらしい。ちゃんと自然はうごいている。啓蟄をすぎるころからにわかに虫達が蠢きはじめ、畑の隅に据え付けている二台のコンポストの中がすばらしく勢いづいてくる。だんだん生ごみを市のゴミ袋に入れて出さなくてもよくなってくる。

 ふたぐ日は蓋あけのぞくコンポスト  恭子

今朝は蓋を取ったとたんに無数の小さな白い羽虫が飛び出てきたし、ある昼は生成色のぴちぴちしたうじむしたちがもりもりとした食欲を見せ音たててひしめいていた。圧倒的な生命の現場主義。

しばらく顔つっこんでじっとみる。派がふたつ、たたかってた。

はぢらひのない裸身は、色気のかけらもないただのモノだ。死体とおんなじだ。今はそのようなニクタイばかりがあちこちにごろごろしていて「たすけて、たすけて」と声を喚げているじゃないか。きみたちにはそれがみえないのか。・・まるでお蚕くんみたいな正論をはくね。(おカイコくん。さっきから小さな旗をふってます。)

しかしまたいっぽうでは、こうも聞こえて、たじたじとなる。

「どおよ。あんたのめえあけてよおくみてみな」

※近藤紘一http://cache.yahoofs.jp/search/cache?ei=UTF-8&p=%E8%BF%91%E8%97%A4%E7%B4%98%E4%B8%80&fr=top_v2&tid=top_v2&search_x=1&x=19&y=16&u=k-ryosha.jp/essay/02/030611.html&w=%22%E8%BF%91%E8%97%A4+%E7%B4%98%E4%B8%80%22&d=LlTpF0aqMj9s&icp=1&.intl=jp

同上:http://www.jttk.zaq.ne.jp/sowhat/book/kondoukouiti.htm

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コメント

蠢くものは正直、あまり得意ではないのですが、自然の営みはその時々の私たちの思いを反映するようです。桜が終わったと思ったら、はやハナミズキが満開。うちのドウダンツツジもかなり花をつけました。サツキ、ツツジもあちこちに咲いており、一気に春爛漫の様相です。黄砂も飛んできて車を汚しておりますが、これもまた風物詩です。ツチフルという漢字がうまく出せないけど、季語なんですね。

はなみずき、たしかに。佐賀のめぬきどおりの街路樹には、紅白のはなみずきが交互に植わってて、満開のころはその下を通るのがちょっとはづかしいのです。なぜだろ。もうちりかけでした。
山にさくひっそりとしたみずきの花は、また別種の花ですね。米国産みたいに華やかじゃないです。
つちふるって漢字、一文字のやたら画数の多い字でしたね。

こんなところに斧田がいた。
岐阜へ行った時、一度あえばよかった。

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