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2006年4月15日 (土)

筑後うどん 3

ブログ「かささぎの旗」を旗揚げして四ヶ月目、中心にすえてる「君が代研究ノート」で乙骨太郎乙一族の交友誌を毎日少しずづ打ち込んでいます。日々教わる事がたくさんあって、「円交」五号を快く提供してくださった永井菊枝氏にはとても感謝しております。本来なら、というより従来ならばのほうが正確ですが、こういう研究はそういうものばかりを扱う同人誌で手堅くこつこつと研究を積んでいくのが王道かもしれません。でも、私は普段の生活の中で、時には別の世界に飛びながら、展開していくほうが、合っているように思いました。なにしろ、生身ですから。

西日本新聞朝刊「九州少年」音楽家・甲斐よしひろの連載も42回目、のこすところ8回です。同世代の人だし、自分の夫と体型が似てるし(笑)、感じ方表現のしかたにとても親近感を持って毎朝よんでいます。とくに今日の、ずっと気になってた、借金作って、母親と四人の息子を棄てて夜逃げした父親のことが淡々と書かれています。十年後、フラリと店に舞い戻ってきて、十六歳のよしひろ少年にぶんなぐられる場面の描写は、自分もそこに居合わせたかのようにリアルです。その心情もよくわかる。兄達から、なぜオレに先に殴らせてくれなかったのか、こっちはずっと我慢してたんだぞ・・と言っておこられたというくだりでは・・・このきもちはやはり、家族のものにしかわからないものなのでしょう。六年前に亡くなったそうですが、これまで読んできて、お父上は確かに自分勝手に生きられたかもしれないけど、音楽家甲斐よしひろをつくる土になったひとです。一人の音楽家のなかには随分と雑多で豊かな感情や体験や自然が恵まれているものですね。愛も憎も豊かでただただ美しい。父上のご冥福をお祈りいたします。(2・18付当ブログ「九州少年・九州少女」参照)

わたしは昨日、母をハインツカ(羽犬塚)につれていく用があった。帰路、209号線沿いの「てうち庵」に寄る。これで四回目である。最初食べたとき「まづい」と思ったことは書いた。だしの味が薄いのでしょっぱいのだ。麺はいい。次に食べたらおいしかった。なぜだと妙に気になってたべた三度目は△、四度目の正直で、母の意見を聞く。だしがあまりねえ・・ときたもんだ。麺はとてもおいしいのです。母も八女の三号線沿い「桐乃家」のうどんがおいしいと言った。なお、てうち庵の麺はどこの小麦とは表示されておりません。ただ、水が弱酸性の軟水だからおいしいのだと書かれておりました。みなさまもどうぞ一度食べ比べてみてはどうでしょうか。(3・17,3・30付当ブログ参照)

ここまで書いてなんですが、「筑後うどんとは何か」と聞かれたら、きっちり答えられる自信がありません。というのも、自分で書いておいて無責任ながら、「筑後うどんを下さい」といって出てくるようなものではないからです。メニューにある商品名ではありません。ですから、それは筑後一円で食べるうどん、というのでよろしいのじゃないでしょうか。もし、ちがうよそれは・・というのであれば、すぐに訂正いたしますので、どうぞ仰ってくださいまし。とはいえ、イメージとしては、ごぼう天がのっかったうどんですね。これは博多うどんの定番でもありますが。(いま、わたしの好みで決めさせていただきました。あしからず。)

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