無料ブログはココログ

« 軽トラで行こう | トップページ | ひみつ基地 »

2006年3月11日 (土)

山本健吉の戦記

去年六月末、戦時中、松江に疎開していた石橋秀野・山本健吉の未見資料を山陰中央新報社のご好意で送っていただきながら、八月中旬「乙骨太郎乙」との突発的な出会いが挟まり、そっちの追っかけにのめりこんでしまった。自分でもわけがわからないときにはものを考えないで自然な流れにのるに限る。そして、ここへきて漠然と見えてきたことは、大きな全体の中の小さなピースを自分でもよく分らぬままかき集めている、集めさせられているようだ・・ということである。依然として誰にかは分らないのだが。さいわいにも夫は単身赴任であり、それなりに自由がきく現在の家庭環境に感謝して、そのままに取り置いていたものを、今ここで蔵出ししようと決めた。そのためにこの記事はあったようだ。例によって、わたしはただ引用するだけです。引用元は「湖都松江」9号、2005年3月発行。

 コラム 戦中・戦後の松江③(無記名記事)

   山本健吉の空襲体験記

 本格的空襲とはほとんど無縁だった松江地方だが、昭和二十年七月末から執拗にグラマン機の編隊が山陰の上空もうかがった。あとで分かったことだが、玉湯町湯町の宍道湖岸で海軍航空隊の飛行機基地の建設が進められていたためらしかった。

 最も大きな被害が出たのは七月二十八日の玉湯町空襲だ。同町湯町ではロケット弾の直撃を受けて二十四人が死亡、三十余人が重軽傷。また玉造に疎開していた山本健吉が乗っていた列車も機銃掃射で十四人が死亡、十四人が重軽傷を負った。当時の新聞によると、この日やってきた米軍機は延べ二百六十機にも上った。玉湯町での空襲被害が、先の大戦での島根県内で最大のものとなった。玉湯町では当時、一般は知らなかったが、湯町の宍道湖岸(元旅館八勝園付近)に海軍航空隊基地が建設中で、これを狙った攻撃だった。湖岸のロケット弾直撃による死傷者は海軍軍人がほとんど。また列車を機銃掃射したのは一般への威嚇の意味もあったようだ。

 二日後の七月三十日付島根新聞には石橋貞吉(山本の本名)の署名入りで『空襲体験記』が二面の四分の一を割いて載っている。空襲体験記などは、普通なら「国民の恐怖心をあおる恐れがある」として、新聞に載るようなことはなかったが、『立派に物をいったぞ日頃の訓練 心得たい待避の時期と場所』という「見出し」が、厳しい検閲の目をパスするキーワードになったらしい。

 (以下、健吉の書いた記事から引用。現代文表記に改めてある。姫野注)

 『○○駅発上り○○列車は約一時間遅れて発車。発車間際に空襲警報があったが、構わずすべり出した。○○にさしかかるあたりの山峡で停車する。「しばらく停車します」と車掌がふれ回る。(中略)「敵機が見える」と乗客の声。車掌がガラス窓を明け、よろい戸を降ろすよう注意する。一人の男が「敵機が引き返してくる」という。目標を発見したに違いない。この列車じゃないかとフト思った。誰いうともなく座席の下に隠れろという。思い思いに座席を外して下に潜り込んだ。相当な人数なので辛うじて低い姿勢を取っているに過ぎない。私は窓側の紳士と二人で座席を頭の上に支えた。爆音が近づく。息詰まる瞬間、ダダダッ・・・と機銃の音、頭のそばでパッと火花が散る。本能的に身をかわしたが、そのとき眼鏡が吹っ飛んだのと、掌に傷を受けたことを意識する。見ると一緒に座っていた紳士が顔を紅に染めて倒れている。車内にいては危ないと、皆争って乗車口や窓から飛び降りた。私も飛び降り、線路脇の萱山(かややま)の急斜面をよじ登って叢(くさむら)に身をひそめた。(中略)爆音が去り、しばらくして私は再び車内に入った。足元に血のついた眼鏡が飛んでいた。一尺と離れていないところで銃弾が炸裂しながら、つつがなかったわが身を思い、一場の悪夢を見たような気持ちがしばらく続いた・・・(後略)』

 この後に空襲を受けたときの注意が細々続いている。(○○は原文のまま)。

 山本は、疎開するまで東京で月刊の総合雑誌『改造』の敏腕記者だったが、まだ無名で島根新聞では本名の石橋で勤務していた。

※以上がコラム全文です。付け加えますと、健吉と秀野がこの時期参加していた地元の俳句文芸誌「雲」には、石橋貞吉ではなく筆名の山本健吉を名乗っているのが目につきます。この文は松江の一部の人々の目にしか触れないものと思われます。それを惜しみ、勝手ながらここに引用いたしました。記事を書かれた記者の方と、記事を送ってくださった山陰新報社(元島根新聞)の岡部康幸記者に深く感謝いたします。

« 軽トラで行こう | トップページ | ひみつ基地 »

コメント

本日、ここが読まれていました。
ありがとうございました。

ここ、よまれてました。
もうじきお盆ですねえ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 山本健吉の戦記:

« 軽トラで行こう | トップページ | ひみつ基地 »

最近のトラックバック

2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29