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2006年3月26日 (日)

あざみ通信特別号

 浪速の川柳家・倉本朝世個人誌「あざみ通信特別号」をいただきました。

「no mark」 倉本朝世のブログ「渾身・乱心の日々」からの編集版です。これを読みますと、彼女の現在の仕事(競輪の業界紙記者とおもわれます)と実益を兼ねた趣味(株式)がほぼ見えます。そういった雑多な日常すべてをまきこんで、川柳という生きた文芸の批評も創作もリアルタイムで展開されているのが改めて分かります。川柳の同人誌活動から一切身をひいたかに見えた倉本朝世は、どこにも逃げず、ちゃんと真剣に川柳を見つめているのが分かり、ちょっと胸が熱くなります。いちばん最後のページに、「水母と母と山」と題する作品があります。

 「水母と母と山」  

          倉本 朝世

 法律の底を漂う水母たち

 あちこちをめくって母を笑わせる

 車座になって私を囲む山

 裁判に小さな山を運び込む

 山田さんの靴を片方持っている

 ははのてのひらは小さな野原です

 空母ゆく億の水母を従えて

 塩を振りすぎて判定負けになる

 引き出しにあるのは犬の診察券

「車座になって私を囲む山」にはなぜか危うく涙がでそうになりました。連想したのは、「風の谷のナウシカ」で瀕死のナウシカをオーム(王蟲。芋虫の親方みたいな)がエネルギーを送って癒す場面。あるいは石橋秀野の「山肌の濃紫なる冬日かな」(東京時代昭和14年)も。秀野句ははるかに望める富士の山肌にふるさと大和の山やまを呼び覚ます想いがある句だと思います。この朝世さんの句はとても素直な句です。この中でいちばん好きです。

川柳としてみたときに、最も評価が高いのは、しかし、というか、やはりというか、空母の句でしょう。前に「九州俳句」誌の「俗の細道」でとりあげて書いた記憶があります。一句の大きさ、風格、ふかさ(句自体は一見なにも考えていない、それがミソ)、そして時代との共時性。ちょうどイラク派兵が決まったころの句だったんです。これをみたとき、私はやっぱり倉本朝世ってすげえなといたく感心したものです。そして根源川柳である句は、そうそう書けるものじゃないことも、だんだん分かってきました。

いつも見るわけじゃないテレビで米国の政治家が拉致家族を前に北を非難する談話をしているのを偶然見ました。それを見たとき、動乱を覚悟したほうがいいのかという不安がふっと脈絡なく浮かびました。誰も何もいわないけれど、ほんとはちっとも平和じゃない日本を思いました。というのもその少し前、新聞の国際面で自衛隊の撤退作業を米国の企業が請け負うという小さな記事を偶然読んでたのです。自衛隊は日本の軍隊じゃないのですね。米軍のいわば傘下に組み込まれている従属軍なんです。ことあらためていうべきことじゃないのですが。そういった諸事情もあれこれ思案させてくれる、批評性と諧謔性のあるすぐれた一句です。

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コメント

姫野さん、今日なぜか倉本朝世で検索したら何が出てくるのだろう?と思ってやってみました。そうしたら、姫野さんのブログのこの日の日記が出てきました。
ごめんなさい、私なぜかこの日の日記は読んでなかった。いつもいろいろ批評してくれてありがとね。

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