無料ブログはココログ

« バス通り | トップページ | あざみ通信特別号 »

2006年3月25日 (土)

恋の語彙

「no mark」の川柳家矢島玖美子の随筆「水曜は癖になる」に引用されていた句です。

 腐らないように時々うつぶせに  佐藤みさ子

      (「MANO」11号より)

この句をどう読むか。いろいろ読めますが、わたしは「張形としての川柳」に分類します。それはいま、「張形としての俳句」という思想を何とか立ち上げて、それで句を読もうとしている自分の意思でもあります。「張形としての~」とは何かといえば、とても簡単です。「女としての心身の飢えをみたす句」という定義です。こうはっきり書いてしまっては実もふたも無いのかもしれません。でもだからといって、ここをおろそかにしたり、照れたり、知らんふりしたりは、したくありません。からだでも意地でも注連縄でも張れるものはぜんぶ張って、書きたいのです。

わたしの詩の師安西均の詩に「朝、電話が鳴る」というのがあります。平凡で退屈な主婦が不倫の恋によって蘇るというテーマで、一編を暗誦するとこまでは行きませんが、サビの部分は覚えています。

 あなたは耳から口から指を入れて わたしの日常を裏返す

(かなり怪しい暗記ですのでそのうち確認します。)

日常を非日常に変えるものへの渇仰。それがおひるのおくさまドラマと同じ路線で、しかも品格を失うことなくきっちり綺麗に歌われている。読んでわたしはどきどきしました。そしてどきどきする自分に安心もしました。

主婦というのは何と地味で色気のない給料もないいたわりのことばすらない、仕事なんだろう。子作り、育児を終えてもなお残る、おんなとしての青いぶぶんにいやでも向き合わざるをえなくなったとき、そこでどう自分をなだめ、殺せるのか。そこのところが、文学であり芸術のしごとなんだとおもいます。(そしてこれがまさに2007年問題の核心かもしれず。)

 キャベツの結球はじまる頭癈(しい)たるよ  中村マサコ 

 河口嘶くあなたも眠れぬ刻ですか       〃

 産道につづくは青き麦畑            〃

 柱より柱へ渡るおぼろの夜           〃

 チャイナマーブル転がる畳を荒野とす     〃

 もも熟れてうすい空気が啜られる        〃

 うす紅の骨とおもえりきさらぎは         〃

「俳句百景」第四集(東京四季出版)中村マサコの百句から抽出した。一句目。「癈(しい)たるよ」に転ぶであろう。廃棄物の廃の字の旧字。旧字という言い方はよくない。正字である。略していない正式の漢字。目癈(めしい)ということばを知っていてもあたまがしいるというのはおはつだ。ではあるものの、キャベツの結球が始まるというそのときは、きっとあたまがぼんくらになっているにちがいない。なにかあたまのちからをこえたものがきゃべつをまるくする。あたまのちからはたかがしれていて、生理的なものについてはおよびもよらない。・・・ほかの句は読んで感覚的にわかる句です。

引用していいかどうかわからないけど、引用したいので、引用します。

「国語が祖国を救う」  お茶の水女子大学教授  藤原正彦

 私はニュートンやアインシュタインのできなかった問題を、寝っ転がって鼻くそをほじくりながら解いてしまうんです(笑)。なぜか。私が「数学的語彙」において二人を圧倒しているからです。要するに、語彙というのはそれだけ重要であるということです。

 最近の若い人は言葉が乱れていると言いますが、そんなことは大した問題ではない。最も重要なことは、彼らの語彙が非常に乏しいということです。百か二百の語彙で喋っている。ということは、百か二百の思考しかないということです。これが非常に恐ろしい。

 語彙は、思考の一種の起点のようなものです。しかしそれだけではありません。この語彙が、情緒をも司どっているのです。

 例えば、好きと嫌いの二つの言葉しか知らない人がどんな恋愛をできるか。それだけだと、ほとんど獣と似たような恋愛しかできないと思うんです。恋焦がれる、ひそかに慕う、一目惚れや横恋慕といった、恋や愛についての言葉が、日本には数多くあるわけです。そうした言葉を多く知ることによって、初めて恋愛の襞(ひだ)というものが深くなるわけです。このように、ほぼすべての知的活動の基礎には、語彙の存在があるということです。 

 私の言う情緒とは、動物にもあるような、生まれつき備わっている喜怒哀楽ではありません。もう少し高次の情緒、他人の悲しみを悲しむとか、他人の不幸に敏感である。そういった、教育によって培われる情緒です。例えば、小説や詩などの文学作品を読む。そうして様々な環境や人の辛さを知ることによって、他人の悲しみを悲しみ、他人の不幸に敏感になれる、これが国語の領域なのです。

 (月刊誌「致知」四月号よりの部分引用。この文章はお気づきのように談話を編集者が起こしたものです。全体の五分の一ほど冒頭から引用しております。全文引用したいほど迫力がありました。文からオーラが出ているかんじで。)

 

 

« バス通り | トップページ | あざみ通信特別号 »

コメント

おお。今日ここへどなたか何度かおいでです。
ありがとうござんす。
読み返して、へえ。
そして、藤原さんの書かれている語彙の豊穣さということは、例えて言えば、さくらさんがカメラについて論じられていることと同じだな。と思えた。デジカメでとったのと、一眼レフでとったのとは微妙に、まったく、異なる。

さっきここへヴェトナム言語でのアクセスがありました。
はじめてだ!

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 恋の語彙:

« バス通り | トップページ | あざみ通信特別号 »

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31