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2006年3月22日 (水)

 即菩薩即煩悩のこの日かな  岡部飛行兵

二十日の写真につけた参考ブログの中に、見つけた句です。引用許可をお願いします。昭和二十年四月六日に宮崎の新田原飛行場から飛び立ち、米軍の空母に飛び込もうとして翼がかすめただけで海に落下、遺体は米軍にひきあげられ、首に巻いていたタオルは返還された・・と文中にはありました。享年24歳、出撃の前に書き残された句だということです。

ブログ筆者のかたを存じ上げませんが、書かれていた校歌が私と同じ出身高校のものでした。長男も同じ高校を出ましたが、そのときに丁度学校創立95周年の特別アルバムを頂くことができました。その「黐の木」(もちのき)という名の記念アルバムで探すと、確かに昭和28年卒業生のなかに名前を見出す事ができました。(なお、27年卒業生に作家の五木寛之がいます。本名松延寛之。)

縁の繋がりということで驚いたのは、写真のなかに存じ上げているお坊様がおられたことです。それと、白将軍という朝鮮動乱のときの朝鮮人英雄について書かれている文章があり、全く朝鮮戦争について無知なわたしは目を開かれた思いがしました。知識としては、朝鮮戦争があったからそのために軍備をする必要に駆られ警察予備隊から自衛隊が誕生した・・と知ってはいました。でも具体的な情報を何も知らなかったのです。知らないでも生きてこれましたが、今の日本があるのはそういう人々のおかげということをやはり知っておく必要があったと痛感します。

http://mituo433.exblog.jp/m2005-02-01/

わたしがこんなブログをはじめたのも、なにかわからないものに駆られてのことです。わからないけど、「ん?なんじゃこれは」という想いがふつふつ湧くシンクロに沢山出会います。

このところ二十日締め切り課題句「即」をいっしょけんめい考えていたのです。でも即という言葉があまりにもそっけなく、漢文的で理が勝ることばなために、苦戦を強いられていました。それでもなんとかひねり出し、投稿したのち、この「八女市岡山飛行場跡」での検索で上記のサイトに出会い、読んでるうちに岡部という名の特攻兵の詠まれた句と出会いました。岡部飛行兵は八女龍が原にあった飛行場で練習機をとばす訓練をされていたのだと思います。その兵士とブログ筆者の奥様(当時国民学校四年生)とは慰問袋を通じて知り合われ、何度か手紙のやりとりをし、福島(これは八女市の中心地です)で一度あったことがある・・と書かれていました。

 即菩薩即煩悩のこの日かな   岡部特攻兵

特攻兵の心情が直接伝わってくる句だとおもいます。死を前にした自分の気持ちを、冷静に鏡に映したものです。

梅崎春生の「桜島」という短編に出てくる特攻隊員の荒れた姿とはぜんぜん違う、崇高なものを感受します。即菩薩、即煩悩という詠みぶりにはまるで「色即是空、空即是色」にも通じるものがあります。その深い生への執着がわずか12文字に表現されていて、時がそのまま静止している。だから、姓しか知らない人なのに、きっちり記憶に濃い影として存在する。全存在を賭けて詠まれた句の重みだと感動します。そしてそれをブログにのこされた方もすごいとおもいます。ありがとうございました。

さいごに、岡部特攻兵のご冥福をお祈りいたします。合掌。

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コメント

その宮崎の新田原飛行場は今でも航空自衛隊の基地があります。特攻の記録は鹿児島の知覧で有名です。そんな風に戦争の足跡が消える事はありません。

先日、佐世保に行ったときに海上自衛隊の資料館であるセイルタワーを訪れました。凄い数の資料が展示してありました。その中に同じような遺書を読みました。本当は母に訴えたかったものがあるのに天皇陛下に対する忠誠心だけが強く出た言葉になっています。

朝鮮戦争が勃発する3日前に私は生まれました。その頃の日本は戦後の混乱から安定期に入り、復興途上だったと思われます。隣国の朝鮮半島で起こった紛争で日本はアメリカの属国の元、経済支援と共に特需に潤ったようです。

歴史というものはある意味で残酷な一面を見せます。こんにちの平和に甘んじているのが何故か空恐ろしく感じるときがあるんです。だからこそ、自由で平和な今の時代を大切に生きたいと願っています。

budさん。コメントありがとうございます。佐世保には伯母がいますが随分むかしに訪ねたきりです。でも強烈な印象でした。ドックという船のやすむところが。それを作文に間違ってロックと書いたのを思い出します。セイルタワーを検索したら海上防衛資料館みたいですね。海上保安庁と自衛隊の仕事がどう違うのかも素人にはさっぱりわかりません。わかったってしかたないですが。おかげで佐世保は城島健司選手の故郷で記念館があることまでわかりました。

大変興味深く読ませて頂きました。
この句を詠んだのは、私の叔父の岡部三郎です。
大刀洗の飛行学校で教官をしておりました。
知覧に肖像画もあるので、また叔父に会いに行こうと思います。

兵の影いまだ消えざる月の蝕   恭子

十六夜様。
お訪ねくださってありがとうございました。
そうでしたか。太刀洗の飛行学校で教官を。
知覧には肖像画も残っておられるのですね。
わたしはそのどこへもいったことがありません。
太刀洗の記念館も宮崎も知覧も。
もうすこし時間がゆっくりとれるようになれば、わたしもいろいろと訪ねたいところがあります。
自分で運転していってみたいものです。
おしえてくださってありがとうございました。

おじさまの遺句集がございますか。

 兵の影いまだ消えざる月の蝕   恭子

いざよいさま。ようこそおいでくださいました。
それも月食のときに。


いま、検索をして、わかったことがあります。
日本青年館がでてまいりました。
じつは最近さくらさんのブログでそこが取材されていまして、。
なにをかいたらいいか。。。。
わたしはそこに何度かとまったことがありまして。
つよい引きをかんじた。どういえばいいかわからないけれど、時空の底からつきあげてくるものを。

この古い手記(はりつけます)をよんでおりましたら、大日本青年航空団というのが発足し日本青年館に集結したのは昭和12年八月九日だとありました。

また、岡部三郎君のことふたたび、と題する手記もよみました。血染めの檄文を手縫いのマスコットのなかに託して渡した女学生のこころ。

なんともふしぎです。
東京のさくらさんもどうぞよまれてください。はりつけますから。


よびかけられたような気分です。

神崎さくらさんのブログです。
十六夜さま、どうぞご覧ください。↓

岡部三郎 特攻

でおみえになっていました。

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