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2006年2月15日 (水)

ドメスティック

 家族には軽くころんだことにする  広瀬ちえみ

矢島玖美子さんの八百字エッセイ「水曜は癖になる」に引用されていた川柳です。刹那的に生きている私は、この句を読んだときぱっと連想した景を矢島さんのブログに記したのですが、それからなぜか気になって後ろを振り返ってしまうのです。大事なものを落っことしてきたような気がして。

もしやドメスティックバイオレンスを川柳として詠んだものじゃなかっただろうか。あ。でも、家族には、とあるからそうじゃないんだ。どうもこういう思わせぶりな句は気になって仕方がない。www.geocities.jp/nomark6061/yajimatop.htm

短大を卒業後何も考えていなかった私は、なりゆきでまず空港警備の仕事に就いた。福岡空港に女性警備員が初めて入った年のことだ。金属探知機のそばで搭乗客のボディチェックをするあれである。わずか八ヶ月しかもたなかったんだけれど、あの仕事は強い強い印象を私に刻んだ。そこで出会ったさまざまな職種の人たちが忘れがたく、いまでも夢にでてきたりするのは、ほんとは辛かったんじゃなく楽しかったからかもしれない。すぐ背後にいた頼もしい機動隊の人たち、すれちがう地上職の男たち、美しいスチュワーデス、かっこいいパイロット、それに空港を守る老若さまざまな人々。みな生き生きしていた。

各航空会社のアナウンスが始終流れる中ゲートに立っていると、「ドメスティックエアラインズ」という言葉を日に何度も耳にした。国内線のゲートだったからだ。ドメスティックという言葉を初めて聞いたのは、だからそのころである。

五歳の一人子をのこし昭和22年に38歳で結核死した昭和の俳人石橋秀野を調べることになったとき、わたしは42歳だった。16年住んだ博多をひきあげて八女に越してきたばかりで、末っ子は五歳だった。なにも分からないまま、必死で調べて必死で書いて、体うごかす仕事をして、でも夫とはうまくいかなかった。同居の父母からいろいろ言われるのも重荷で、苦しくてつらくて無意識に長女にあたっていた。

秀野の親友だった田中澄江が、疎開による流離の苦しさを訴える秀野に諭すことばがある。たくさん愚痴をこぼす秀野に「いいえそれはあなたが間違っている。俳句とかする人たちはドメスティックで自分勝手だから世間がわからないのよ」といってたしなめるのだ。ここでまたはからずも「ドメスティック」にぶつかったのだが、なにか不思議な気がする。今でもそれほどポピュラーな言葉とも思えぬのに、昭和初期の女性たちが日常的につかっているのが面白いではないか。換気扇を詠んだ感覚的な句もある。

 青嵐ベンチレーター軋み鳴る  秀野昭和14年

私の娘はみためはとても可愛いのにわたしのいじめのせいで根性が逞しく育ち、早々と親離れしていった。いまにして思えば、あのころの自分は夫婦仲がうまくいかぬことで静かなる家庭内暴力をふるっていたのだと気づく。もちろん今もよくはないけれど、年がいったぶん気持ちに余裕がもてるようになった。こんなに「老い」を有難く思うことはない。さいごに一昨年詠んだ青嵐の句を書いておきたい。娘が女になった感慨を詠んだものだ。

 ジージャンのポッケにスキン青嵐  恭子平成十六年

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