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2006年2月20日 (月)

ペリリュー神社

昨夜「九州少年」という題のミュージシャン甲斐よしひろの自伝エッセイ(西日本新聞朝刊連載中)について、岐阜の小説家斧田千晴からコメントをもらった。そのことについて考える。

西牟田靖の新刊本『写真で読むー僕の見た「大日本帝国」』が東京先行発売ということで、横浜のあっさむさんに頼んで入手してもらう。せっかく著者から挨拶文を戴いてたので、なんとしても読まねばと思った。手にとって驚く。写真で読むとあったから、もっと軽い感じのいわば「旅行記」風の本をイメージしていた自分を恥じる。全く何を考えていたんだろう。文章が意外にたっぷりあって、真正面からのドキュメンタリーになっている。腰をすえて読まねばならない本だ。ただ五つの場所ごとに章を立ててまとめてあるためどの章から読んでもよく、パラパラと写真を見ていたところ最後の章「ミクロネシア」に思いがけず「さざれ石」の写真があった。(223頁)。再建されたペリリュー神社と説明があり、石はいつか「マリオットの盲点」の「お細石」で「nomark」の矢島玖美子さんが紹介して下さったサイトで見た記憶があった。岐阜県春日村産のものである。ここから、入ろうと思う

http://assam226.tea-nifty.comマリオットの盲点、9・13付「御細石」、

『「さざれ石」は比喩ではなかった』(アドレス表示不能)

ペリリュー神社を検索していると、名越二荒之助(なごしふたらのすけ)氏のサイトが見つかった。引用しておきたい。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/nagoshi/palau.htm

ペリリュー島のサクラと神社(無断引用をお許しください。メール送信がずっとできない状態でして、本当に失礼いたします。)

※なお、斧田さんのコメントにある村田治男先生は三重県連句協会の元会長さんで、俳人連句人詩人短歌人です。平成九年、私が初めて伊丹の柿衞文庫での連句興行に参加したとき、それは連句誌れぎおん同人による百韻でしたが、二十人ほどの中に先生がいらして、初めての座を何かと助けていただいた御恩を忘れません。その時座の中で一番若かった私に捌きは文字通り「花をもたせて」下さり、挙句の前の一番大事な花句(百韻の場合、99句目にある)を詠まねばなりませんでした。帰りの時間はせまる、句は浮かばない。横にいらした先生にどうしましょうと相談した記憶が蘇りました。村田先生にはその名もズバリ「みくろねしあ」という題の句集があります。なぜか私は持っていました!

  酋長の正しい日本語星月夜  村田治男

  酋長は語り上戸よ月今宵 

  北緯十度あたりを僕の故郷とす

  戦(いくさ)経しヤップ神社の鳥居かな

  おんおんとミクロネシアの雷神(はたたがみ)

ここまで来て、はたと気づきました。村田治男句集のあとがきは、岸本マチ子先生が書かれていることにです。沖縄の詩人で俳人のマチ子先生は、私にとっては原点にあたる人なのです。書けば長くなりますので省略しますが、俳句や連句に関わる縁を下さったのは、当時戸畑の「天籟通信」におられた岸本マチ子先生でした。先生は東北生れの沖縄人です。やはり、わたしの仕事はこれで間違いはない、といま確認しました。

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コメント

ご紹介ありがとうございます。
企画が決まったときはもっと軽い本になると予想していたのですが、資料的な側面を強化したりしていたら、思いのほか文章が多くなってしまいました。
ご感想ぜひお教えください。

西牟田さん。御足労おかけします。
仰ることよくわかります。内容が内容だけに時代の軽いノリでさばけなかっただろうとご心中お察しいたします。しかし(まだ全部読んでいませんが)真っ先に感じたことを正直にいいますと「字が小さすぎ!」です。いまの若者がこのギッシリ感についてこれるとはとても思えません。捨てねばならなかったと思います。思い切ってバサバサと。字を大きく。この点では老人と今の若者は結託してるとおもいます。最後に「ガダルカナル」にも是非行かれて下さい。次に書くときはちゃんと読んで書きます。何のお役にも立てませんことをわびつつ。ご健筆お祈りします。追伸:家頁の大量の写真拝見。四国だったか、床屋さんに「君が代」っていう名の店がありました。笑いました。どういうセンスかと。行ってみたくなったな。視点の低い、いい写真です。

写真で読むのですから。もっと読む人を信頼してもいいんじゃないかな。
けさ、宮崎駿さんがNHKに出てて、こんなことをいってらした。「こどもが自分の同じ作品を何度も何度も見てるというのはイヤですね。一度見てくれたらそれでいいんで。記憶は子供のなかで自由に育つもんですよ。」

ペリリュー神社の実態は右翼団体の金集めの「装置」でしょう。
西牟田氏の著作におけるペリリュー神社の部分はその右翼団体と関係のある名越氏の著作を基に構成されています。残念ながら右翼団体のプロパガンダの先棒を担いでいるに過ぎません。

この世の中は思想信条だけでできているのじゃない。いろーんなみかたがあるし、いろーんなぐうぜんがよりあつまって歴史があまれている。
今の子達はうよくのさよくの知ったこっちゃない。にっきょうそってかんじさえ、なんてよむのかしらない。でもね。それでいいとおもわない。いちいちはらたててるまもありゃしませんて。どんどんどんどんところてんみたいに押し出されるだけ。かみさまはもっとずっとはるかかなたをみていらっしゃる。(かささぎ族最長老おばばのことば。ひえーありがたやありがたや。)

連句の別所真紀子氏は家永三郎氏と通じておられて、そちら関係をよめば、すぐ夏越名越氏は論敵だと知れますが、それはそれ。
かささぎはいでおろぎーはまったくなし。
なーんもしんじとらんけ。あたまからっぽやけ。
こういう本は手に取った人がなにかを感じて自分のあたまで考え始めるきっかけになるようにあるのだと想う。だから、あまりごちゃごちゃと説明しすぎる必要はない。しんじつはどっかにある。そのどっかはじぶんでかんがえないといけないんだ。

かささぎさん、あなたはどこまでもまっすぐでバランス感覚のいい人やね。
そのとおりだと思う。
よけいなフィルターをかけず事実を見せてどう感じるかだけでよいと思います。
私もなーんにも知らなかったので右より、左より混ぜて読みました。
当時の時代空気と言うものがあるので、今の時点から見てプロバカンバとかどうこう言えないと思います。

町を歩いていると会社や店の名前に在籍していた軍艦の名前をつけてる人います。
それだけ思い入れが深いのでしょう。
それ、写真撮り集めはじめました。
久留米の「妙高家具店」もそうです。

さくらさん
めうかう、検索しました。
名前にはりつけました。
軍艦に山の名や川の名を冠する。

さくらさんの指摘がなければ家具店のなまえに
そんな思い入れがあることに全くきづけませんでした。 
ありがとうございました。

先日水天宮におまいりしたとき、「軍艦 千歳」の碑が境内にありました。私たちのうかがい知れないところで思いはつながっているのでしょうね。

うん。いわれなければ、まったくきづかない。

軍旗も機密書類も焼却したことを意味する最後の電文「サクラ・サクラ」が、パラオ本部に届いたのは、二十四日の十六時でした。この六文字の電文は、ペリリュー守備隊全員が、桜花のごとく散ったことを意味するのです。

 それは、一万人の死をもって謳いあげた世界で最も短かく簡潔な詩といえましょう。これ以上に余韻をもった傑作は、他に例を見ないのではありますまいか〈中川大佐は戦死して二階級特進、中将となる。墓は郷里熊本県にある)。


というのをいま仕入れた。
先日の夜NHKでペリリューの戦いをみました。
おそろしいたたかいだった。

中川大佐  墓所

おや、黒髪というところだ。

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