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2006年2月 5日 (日)

狂狷

坂口筑母「乙骨耐軒ー幕末の官學派詩人」にあった、「人は彼を評して狂狷の流れといい、純儒の経を枉ないという」をずっと考えています。江戸時代の俳人芭蕉の風狂にもつながってくる思想で、山本健吉の種々の本などにも関連してきます。

ブログを探しておりましたら、格好のサイトを発見しましたので、どうぞご覧ください。

白川静インタヴュー「文字の世界を読み解く」

http://www.bookclubkai.jp/interview/contents/019.html

この白川静先生のおっしゃっている狂狷の説明をよみますと、たとえば俳句という最小の器に自分の思いを盛るときのあられもない葛藤が思われます。今を生きる女性や俳人には意外にすんなり受け入れられる思想であるように思います。

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コメント

白川静先生の仰っている事は、私が石橋秀野ノートを書いてた間とらえられていた思想そのものだ。山本健吉の思想が同じ処から汲まれていたからだ。たとえば「ものを調べようとする時は全然関係なくても気が向いたらそっちへも行ってみる。知識というものは氷が張るみたいに周囲から内へ向かって連結していくものだ。これを私は幸田露伴から教わった」(健吉の言)白川先生が冒頭で述べておられることそのものである。司馬遼太郎も同じ事を書いていた。

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