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2006年2月 2日 (木)

江戸ッ子

そうか。江戸ッ子だったんだ。

去年の暮、神田の古書店の通信販売で安く手に入れた石川桂郎「剃刀日記」を、ほかにもたくさんやることあるのに読みたくて仕方なくなり一気に読んだ。まだ戦塵がもうもうと立ち込めているかんじのする製本で紙質も綴じ方もわるく、誤植たるや字が横っちょむいてたりする。

石橋秀野の物語に石田波郷の「鶴」仲間として出てくる、床屋さんだった人である。写真をみれば芥川龍之介を庶民的にしたような印象だ。秀野が亡くなったときいろんな文学者が悼辞を書いているが、石川桂郎の「その日の顔」という文がことに心を捉えた。筆にいきおいがあり、しかも細かなとこまで気が行き届いている。どんな人だったんだろうってずっと気になっていた。

期待は裏切られなかった。床屋の目を通して描いた当時の東京下町の人情模様が、一文一文ていねいに紡がれている。鉛筆で書き何度も推敲したのに違いない。まずしくて正月の餅買うお金もないような生活をしていながら、まわりの人たちへ惜しみなくこころの援助をしている。こどもへの愛情もふかい。あれ。最近こういう人をどこかで見たなあ。・・

そうだ。乙骨太郎乙だ。

乙骨太郎乙であり、彼の父耐軒がすぐに思い出された。嘉治隆一「乙骨太郎乙」と小島直記「無冠の男」を写しふしぎでならなかったのは、自分も子沢山だったのに太郎乙は田口卯吉を養ったり姪を養ったりしている。この余裕はいったいどこから来るんだろう。お金なんてないのに。煙を上げることすらできない日があった、と「乙骨耐軒」に書かれているくらいだから、その子の太郎乙も似たり寄ったりの貧乏暮らしだったはずだ。(家極メテ貧、薺塩ヲ給セズ、火モ挙グル能ハザルニ至ルコト屡ナルモ、シカモ晏如タリー「乙骨耐軒」坂口筑母)

先月末、太郎乙の没年の確認を通して東京在の太郎乙直系の子孫である永井菊枝氏から、さまざまなご教示をいただいた。その一つに「乙骨耐軒とその子孫」と題された永井氏の文章があって、簡潔に一族の紹介がなされている。全文引用をしたいのだが、今その余裕がない。だから締めくくりの一文を引用する。

「総じて太郎乙以下乙骨一族の学殖は和漢洋、特に当時としては洋学の方に広く深かったが、その生活感情は飄逸・洒脱・名利に恬淡、加えて酒飲みー之は「都下の溝渠の深浅を知る」(中根香亭の「香亭雅談」)と云われた耐軒の直伝であろうし、すべてに於て江戸ッ子的だった。」(山梨県立文学館「資料と研究」第五集所収2000年刊)

都下の溝渠の深浅を知るー酒飲んで酔っ払って溝に落っこちてがしばしばだったということをさす。

乙骨太郎乙。石川桂郎。貞永まこと(平成十四年没。俳人連句人)。わたしのなかで、この三人が一つになる。すなわち、江戸ッ子というキーワードによって。

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コメント

「都下の溝渠の深浅を知る」を地で行ってる私です(笑)でも姫野さんの世界にはいつも興味深い人々が現れて虜になってしまいます。

「斧田千晴の本」では失礼なコメントをして申し訳ありませんでした。でも思いがけないレスを頂いて感激しています。あさよさんが言うように「姫野恭子」を貫いて下さいね。それがあなたの魅力です。

ばどさんいつもありがとございます。元気でます。
酒飲めたらいいですねえ。
ここらへんのことばでいえば、ええくろうてぐでんぐでんになってみぞさんひっちゃえるとです。ばってんここらじゃ溝のふこうして落ちたらそれっきりじゃろ。笑
「斧田千晴の本」でばどさんが意見してくれなかったら救いようがなかったですとたい。がつんといわれんと、わからんですけん。また、よろしくお願いします。

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