無料ブログはココログ

« 乙骨家の人々 1 | トップページ | 男たちの大和 »

2006年2月22日 (水)

乙骨家の人々 2

(昨日からのつづきです。) 

 貧乏を承知で嫁いだしゅんではありましたが、当時中々進歩的で、村井幻斎の「食道楽」という本などを読み、書中に描かれた大隈重信邸の近代的な台所の設備などに憧れを持ち、いつかは自分も合理的な台所を持ちたいと夢を描いていました。又、いくら貧乏とは言っても、末子に生まれたお蔭で、兄姉達が結婚の支度だけは分相応に整えて呉れ、特に長姉の肝入りで、布団だけは上等のふかふかのものを持たせてくれたそうです。裁判所の官舎で、女中も使っての新婚生活から大塚の家に来た時は驚いた事でしょう。老父母(太郎乙と継、このとき六十半ば。姫野注)と五郎、おとく、おろくの小姑のいる家に、赤ん坊を抱えてやって来た若夫婦は一体どこに寝ただろうと今でも不思議に思います。多分、廻り縁のあるお座敷と言われていた客間が三人の部屋になったのでしょう。自分達の布団がふかふかであとの一家の布団が煎餅布団だったのが気になってそれから毎年順々に皆の布団の綿を打ち直して奇麗にしていったと後年しゅんの語ったことでした。布団気狂いと私達が評した程、布団の手入れをまめにやった母でしたが、最初のショックが余程大きかったせいでしょう。暗い土間の内玄関のくぐりの戸を開けて入ると十畳敷き位の黒光のする板の間の台所。天井には引き窓、大きな銅壺付きのへっつい、一段下りて、坐って茶碗を洗う流し。流しは板ですから、いつも水を流すのでなめくじも出没しようというもの。そこで外の井戸から汲んで桶に貯めておいた水で腰をかがめて食器を洗うわけです。井戸はガラガラと綱を引く車井戸、照明は石油ランプです。行燈部屋というのが縁側の端にあって、昼間はランプを全部そこにしまいます。石油の煤でランプのガラスのほやが黒くなるので、そのほやを磨くのは日課です。冬の朝寒い時はへっついについている銅壺の水が湯になるので、それで顔を洗ったりしました。官舎の台所はどの位近代的になっていたかは知りませんが、しゅんを迎えた大塚の家はこのようなものでした。

« 乙骨家の人々 1 | トップページ | 男たちの大和 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/6513/795289

この記事へのトラックバック一覧です: 乙骨家の人々 2:

« 乙骨家の人々 1 | トップページ | 男たちの大和 »

最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30