無料ブログはココログ

« 斧田千晴の本。 | トップページ | 江戸ッ子 »

2006年1月31日 (火)

斧田千晴の本

「大根注意報発令中!」は陽のオノダ、「ひんやり・さ・せ・て」は陰のオノダ。

じつは、彼女あての年賀状に「二冊とも軽すぎる。いつかの詩にあったような真正面むいた重さがどこかに必要なのでは・・・」と、正月早々滅相もない感想を書いてしまった。

ずっと、そのことが気になっていて、ことにお寺に報恩講で参ったりすると思い出してしまい、寺に生まれるとはどういうことなんだろうなんてことまで考えていた。うちのお寺は四百年つづく古いお寺であるが、ご院家さまの後継ぎにはまだお嫁さんがこない。立派なお坊様なので檀家のものは心配はしていないが、それでもお寺の激務を知っているからそれなりに案じている。お寺に生まれるって大変な苦労なのだ。

「大根!」に、さすがにお寺の娘が書いたと思わせる一編がある。「うなぎご飯」という題の話なのだが、他の話があまりにもえげつない印象のものが多いためにとても発光してみえる連句的効果の一編である。しみじみとして深い余情を残す。「クモとゴキブリ」もきれいなはなしだ。このようなお話が書ける人が、なぜまたあのように俗っぽいだけの話を紡がねばおれぬのか、人間は不可解だ。以前非常にこころ洗われるような彼女の詩を読み、感動したことがあった。とても同じ人の作品とは思えない。また、山口のやはりお寺の子息である木戸葉三氏と三人で短い連句を二巻巻いたときも、要所で視野の広い句をポーンと出してくれた。木戸氏は抽象的な詩を、オノダ氏は足が地に着いた視点の句を出してくださった。そういうありがたい縁のことなどが自然と思い出されて、この読みようによってはひどく思えるかもしれぬ一文を草せずにはおれなかった。

« 斧田千晴の本。 | トップページ | 江戸ッ子 »

コメント

姫野さんのいつもぐいぐいと立ち入る観察
力に感心します。私は斧田千晴さんを存じ
ないが、その2冊の本はそれなりの評価を
得ているようですね。それを軽すぎると切
って捨てたんだ。凄いと思う反面、ちょっ
と違うかなっても思う。何故なら、人間の
素晴らしさはそのレベルに於いて、完璧さ
を求めない事ではないかと思うからです。
私は、才能が溢れた人であっても少し抜け
た人が好きだし心から愛せます。

ばどさん。ありがとう。ここでまたジャイアンになるしかないですこころの友よっておんおんないて。ほんとに仰る通りです。
まっすぐしか書けないって、きついよね。みんなからほんとにいやがられるし、自分でもやんなる。でも、ばどさんみたいな人がいてくれるから、世の中捨てたものじゃないです。斧田さんは秀野を書いているとき、牛久沼のかっぱの画家小川芋銭の画集目録を送って下さった繊細な川柳人です。

>姫野さん、このブログはお気に入りに入れてるんだけど、まだ私のところにリンク貼ってません。リンク貼っていいですよね?
ああ、それと斧田さんの小説で思い出したことですが、現在早稲田大学で教鞭をとっておられる私の恩師(哲学の先生です)に、『一老人』を手渡した時、ほんとうの聖者は山には行かず、市中にいるものです、とおっしゃいました。
私もそう思います。俗を離れてしか悟りを開けない人より、俗の真っ只中にいても悟りを開ける人が真の聖者と呼べるんでしょう。俗、侮るべからずです。私が俳句ではなく、何故川柳を書くのか、の根拠もそういうところにあると思っています。
ただ、表面的にきれいなことばだけを並べたものが聖っていうのは、短絡的だと思いますよ。

朝世さんありがとう!!その言葉をまってたんだ。だってオノダは一人で書いてんだよね。わからんけど、所属結社なんてないんじゃないかな。なにか言ってあげたいじゃない。それもわたしなりにね。最近の川柳を見てると俳句の轍を踏んでる(ジュンブンガク化する)気がしてなんないし、そんなもんくそくらえっていつもおもうわけよ。オノダはそれに立ち向かうのはいいけど、あまりにも「痛い」んだ。つらくてたまんなくなる、途中で放り出したくなる。

で、それはなぜなのかってずっと考えてたら、お寺にいきついたわけ。書いていいかどうかわからんけど、坊さんからいろいろ愚痴を聞かされて、そこまでいってるかって驚いてしまって。オノダさんの露悪は自分にもあるし、同情限りなしなんだけど、その私でさえ耐え難いなにかがあります。なのに、「ん」でいえば「詩人の死」なんかにオノダの純情が見えて、ほっと救われる。きのう、まじ自己嫌悪どんぞこをばどさんに救われた。朝世さんありがとうね!

姫野さん、あなたの言いたいことはとてもよくわかります。千晴さんは、本当に「純粋に」俗を書いているんだと思う。「純粋」ってことばが誤解を受けるようなら「まっすぐ」といい直してみようかな…。でも、その「まっすぐさ」が痛々しいんだよね。そして貴女も「まっすぐ」で。
私には貴女の「まっすぐさ」も痛々しく感じることがあります。でも、それが貴女なんだし、ちっとも恥じることはないです。
堂々と、「姫野恭子」をやっていてください。

あさよさん。筑後きたときあさよさんのことを「古風な女性」っても書いてたのよ。なぜか前田編集長にカットされてたけど、あさよさんは、人への配慮がちゃんと出来る古風な女性なんだよね。古風っていうことばは、ほめ言葉だったのよ。そういう女性が少なくなったから。気配りは大切です。たぶんこれからも迷惑をおかけするとおもいますが、よろしくおねがいいたします。(nomark入れてくれてありがとお。)

斧田です。ずいぶんいろいろ書いてもらっていたんですね、知らなくてごめん。3日に兄(自坊の住職デス)が亡くなり、ばたばたしてました。在家の皆様が思っているより、寺は遥かに遥かに俗世界です。だから私はその感覚のまんま書いている、というだけです。まあ、脚色はあるにせよ。どの方向で書くにせよ、技術がないとどうにもなりません。

オノダ!!
ありがと、そして、なんというタイミングなんだ。絶句するしかない。ああごめん。
お兄さん亡くなられたって・・わからんのやけど、とりあえずお悔やみもうしあげます。跡継がんでいいん?って聞いたとき、兄がいるっていってた、その兄さん?
先週の今日亡くなられたのね。一番の不幸は逆縁だと思う。お父様お母様はさぞお悲しみでしょう。わたしも何だか人事じゃないよ。オノダが他人とおもえないよ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/6513/571822

この記事へのトラックバック一覧です: 斧田千晴の本:

« 斧田千晴の本。 | トップページ | 江戸ッ子 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31