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2006年1月12日 (木)

しぼり柱

しぼり柱が具体的にはどんなものかを知りません。しかし、すぐ連想したのは八女の旧木下邸「堺屋」の黒柿の床柱でした。それは黒くて見事に捩れています。神様が涙をしぼったようにです。あのような床柱は見たことがありません。(たぶん目の玉が飛び出るくらいに高いのでしょう。)堺屋は地味ですが、細部に懸ける左官の情熱を感じます。一度ならず二度(最後は八女ぼんぼりまつりでの連句会でした)前田先生も貞永さんもここに見え、みんなで連句を巻いたことがありました。そのときには知りもしなかった。翌年には貞永さんが亡くなることも、そこを手がけた左官が父方の祖父だったことも。

わたしの父は養子でした。ですからわたしは父方の祖父についてはあまり知りません。ただ、堺屋で連句会をしているとき、父の里の家に雰囲気が似ていて落ち着くなあと思った。去年、父と堺屋の話をしたとき、「あちゃー。そこなら自分も壁塗りの手伝いに行ったこつのある。おやじが請け負うとったけん」というではありませんか。自分の親のことすらまだ良く知らないことがあったことに驚きました。

きょうは、父の義兄である伯父の命日です。昭和18年の今日、餓島という別名をもつガダルカナルで戦死しました。享年26歳。父より、はるかに優秀な人だったそうです。

※参考「黒柿」・・・http://www.okaya.ne.jp/teikeikoumoku/firstkurogakikurikeyaki/kurogaki.htm

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コメント

分からないのは、この命日はどうやって決めたのかということです。それと、去年大分の「山国町史」を読んできづいたことですが、戦死者は地域でまとまっていますね。たとえば、八女には餓島での戦死者が結構ありましたが、山国町(去年消滅した地名です)では、見かけなかった。こういうのはそれこそ運ではありましょうが、くらい瞳で写真に写っておられる一度もこの世では会うことのなかった兵隊おっちゃんを思うたび、不憫でなりません。

しぼり柱

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