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2006年1月15日 (日)

司馬遼太郎が考えたこと

わたしが「君が代」を乙骨太郎乙を考えることで調べてみようと思った、そのみなもとにある文章です。むかし読んだのは中公文庫版だったんですが、マリオットの盲点のassamさんと同じ新潮文庫四巻から引用します。なお、筆者の所属連句誌「れぎおん」(兵庫県西宮市・前田圭衛子編集発行)冬号に、たまたま東京の川野蓼艸氏が君が代を書いておられます。それはそれは迫力ある君が代論で、私などが思う戦争の浪漫的感傷はふっとび、現実のひたすら醜く浅ましい戦争を生なましい記憶からそのまま呼び起こしてありました。まるでそれは、富士山です。では、司馬の名文のラスト九行を写します。

「歴史の不思議さーある元旦儀式の歌」   司馬遼太郎

とにかく筆者にとって原田宗助のはなしがおかしかったのは、戊辰戦争の砲煙がやっとしずまって新都へ諸藩兵があつまったころ、つまり川村純義にとって多忙なとき、そういう相談をもちかけられて「歌ぐらいのことでいちいちオイに相談すっことがあるか」と下僚を一かつし、その一かつからこの歌が起源を発しているということである。いまひとつおかしいのはこの歌がもとはといえば徳川家の大奥の儀式の歌であり、旧幕臣である乙骨太郎乙がそれから発想して提案したのに「君が代」起源説の通説では大山巌などが大きく正面に登場して、徳川大奥の元旦儀式や乙骨という要素がまったく消されてしまっているということである。このことは、歴史というものの奇妙さについて、きわめて暗示的な課題をふくんでいるようにおもわれる。(文章の初出は昭和44年正月六日、毎日新聞)

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コメント

う・・・この司馬のかいたものの初出の記事が世に出た日付。今日だ。

別にどうということもないのかもしれませんが。
わたしは、この司馬遼太郎の一文にとっても強く動かされてしまったのです。なぜだったんだろう。

ほんとうにね、。なぜだったんだろう。

ほんとに

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