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2006年1月25日 (水)

無冠の男 2

「無冠の男」上巻より太郎乙登場箇所の引用をいたします。長くなるため前段階は概略の引用です。

「第三章 日本最初の経済論争」 鼎軒田口卯吉ーより。

 江戸末期の横浜で日本資本主義は黎明期を迎える。安政五年の日米修好通商条約締結の一年後、ヨコハマ開港。外事や関税事務を扱う神奈川運上所(のちの横浜税関)や外人居留地ができ、関内とよばれる。少年だった三井物産初代社長益田孝やのちに二・二六事件で暗殺される高橋是清などが関内でそれぞれの苦労をしていたころに、弁天通で外人客めあての古道具屋の夜店番をしていたのが、のちに日本最初の経済評論家となって論敵犬養毅と論争することになる少年田口卯吉だった。卯吉(号を鼎軒teiken)は江戸目白台徒歩屋敷の徳川御家人の家に生れる。富裕だった家を祖父が蕩尽して死ぬと、一人娘であった卯吉の母が一三歳で婿をとらされた。だが次々に不幸が襲う。生まれた子供二人に続いて婿が死に、後夫との間に一子卯吉を得るが後夫も若くして病死。赤貧洗うがごとき暮らしの中で卯吉は芯の強い少年に育っていったが、それは母の「強情我慢」をはりとおす教育の賜物でもあった。(以上概略引用。)

 徳川慶喜の大政奉還で禄を失った家臣団は、朝臣(新政府出仕)となるか、帰農(商)するか、無禄で静岡へ移住するか、の三つの道の選択にせまられた。ー中略ー

 さて、田口卯吉の選択である。新政府につかえようとおもっても、まだ何の経歴もない一三歳の小僧っ子では先方がお呼びでない。また、帰農しようにも田畑はなく、農耕の道を知らず、帰商しようにも、ソロバン勘定などいっさい知らない。祖母と母と扶養家族を二人かかえて、当然卯吉は途方にくれたが、このとき彼を助けてくれたのが乙骨太郎乙(おつこつたろうおつ)という珍しい名前の人だ。その縁をつくったのが、卯吉の姉鐙子(とうこ)の夫木村熊二だった。

 木村は但馬出石藩の儒学者桜井家の出だ。九歳のとき、江戸組同心木村琶山の養子となった。一五歳、昌平黌(昌平坂学問所)に学び、田口卯吉の曽祖父佐藤一斎の教えをうけ、歩兵局徒歩目付となっていたとき、兄と河田廸斎の世話で田口鐙子と結婚した。文久三年のことで、熊二一八歳、鐙子一五歳、卯吉八歳である。

 新婚五ヵ月後に熊二は長州征伐軍に加わり、別居二年、ようやく江戸にもどって、下谷生駒前に家庭をもった。その隣に住んでいたのが乙骨太郎乙である。

 太郎乙(華陽)は、昌平黌教授、漢詩人の耐軒乙骨彦四郎の長男で、英学者、漢学者だった。その弟絅二は維新後、上田家に養子にいったが、その息子が詩人上田敏。その名づけ親が乙骨太郎乙で、「ビンジアミン・フランクリンのビンから採ったもの」と嘉治隆一は書いている。(『人物万華鏡』)。

 たまたま義兄のこの家に寄寓して、卯吉は乙骨に知られた。この物語で実証するように、人間の運命は「出会い」によって決まる。

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コメント

引用しながら今とのなんたる違いかとちょっといやになる。13歳で家族を養うということ。元服は11歳です。うちにもふたり息子がいますが、ハタチになってもまだ食べさせているのは何としたことか。ばか母にしてばかむすこという証明です。

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